002[引っ越し]
引っ越し先が決まった後は、
『シュアハウスからの引っ越しなら、荷物少ないやんな?』と、
『こっからちょっと、通常営業入るんやけど…』と、蔟さんは、
女性らしい、御洒落でシンプルなマルチビジネスバッグから、
半透明な、書類が沢山入れられたクリアファイルを出した。
『蔟不動産にはな、「断捨離引っ越しサービス」ってあってな、
不要な荷物の断捨離後、縁切り神社への御参り、
蔟不動産「断捨離引っ越しサービス」御利用者様限定アプリ
「縁切り神社」のプレゼント付きで3万5千円てのがあんの、
追加で、好きな人がいる場合は「縁結びパック」、
好きな人はいないけどの場合は「良縁祈願パック」も、
追加料金「千円」であるんやけど……。』と、言葉を濁して、
『コレは、お兄ちゃん位の息子を持ってる、
関西系のおばちゃんであるウチの勝手な申し出やねんけどな』と、
想定外な…いや多分、違う……。
愚痴ってる時に、何となく親身になる雰囲気で気付いたけど、
何となく信じたくなくて、
「きっと、弟さんとかがいるんだ」と解釈して、
必死で無視した事実の断片が、
想定以上な設定で今、現実に蔟さんの口から語られて、
僕はちょっと、自分の見る目の制度の低さを自覚した。
僕がちょっと、絶望感を味わっている中、
蔟さんは、そんな事に気付く事無く、気付く様子も無く、
『住人達と、顔合わすん嫌なんやったら今日、
引っ越ししたりしてみぃ~ひん?』と、
本当に、僕の事を実の息子を思う様な目で気にしてくれている。
僕は蔟さんに対して、
微かに恋心を抱きつつあった為に、ショックから立ち直れず、
暗い表情で、申し出に対して戸惑いを見せてしまう。
蔟さんは、それを何か違う風に勘違いしたらしく、
『引っ越しは、ウチの息子達に手伝わして、
御車代と息子達への御駄賃、会社に入れる御金を込みで、
2万円位は、払って貰うわなあかんねんけども、
今やったら、スマホアプリの「縁切り神社」付きで、
事前に連絡しなあかん、立ち合ってもらわなあかん、
ガスの手続き、即効で即日、ウチの息子にさすし、
必要な買い物にも車、出したげるよ?』と言ってくれた。
更に、自分の息子と同等に僕の事を気に掛けてくれる蔟さんは、
シュアハウスから出る為の手続き、後処理、
9か月残っているシュアハウスの契約についても、
『ウチには「弁護士な息子」もいるんよ』と、
無償で引き受けてくれるそうだ。
此処まで来ると、今の僕に断る理由は、何処にも無い。
僕は、素直に蔟さんに好意に甘える事にする。
其処からは、怒涛の勢いで引っ越しの支度が進む。
蔟さんは『あ、ウチウチ!蚕葉町の裏野ハイツのな』と、
数か所に電話を掛け、
『引っ越しの荷物、纏めて運んでる間にウチの息子等がな、
「開栓の序に、入居の前の清掃しとく」言うてるから』と、
引っ越し先の下準備が整い。
蔟不動産に一度戻り、蔟さんの弟にしか見えない、
蔟さんそっくりな美人の息子さんを紹介され、
『ウチのオカン、御節介やろ?』
『あはは、凄く愛情深いお母さんですよね』と話して名刺交換、
蔟さんの息子さん「蔟 亘」は、
何度か、耳にした事の有るIT系の会社の若手社長だったが、
気さくな人で、僕の事情を僕と蔟さんから訊いて知り、
同情し、僕の味方になって、
彼が自作したと言う「縁切り神社」と言うアプリを、
僕の電話にダウンロードしてくれた。
因みに「縁切り神社」と言うアプリとは・・・
連絡を取りたくない相手のアドレスを登録すると、
登録された相手には、
電話番号が使われていない設定のアナウンスが繰り返し流され、
メールは、受け取って置きながら、
相手の携帯には、送信できていない設定の状態が残るとの事。
連絡を取りたくない相手の、周囲の人間のアドレスも、
「登録しておかなければイケナイ」と言う、手間はあるが、
電話番号を変更しなくても、相手との電話での縁が切れる。
電話番号やメアドを変更するリスクを考えると、
大変御得なアプリであった。
僕は早速、元彼女と、元彼女の恋人になった取引会社の人、
シュアハウスのメンバー及び、
その関連での知人のアドレスを総て登録する。
登録し終わると、鳥居が画面いっぱいに映し出され、
電話の画面の中で、2人の巫女さんが舞い踊り、、
シャン、シャンと神楽鈴を振り鳴らして、
『その願い承った。』と、神主らしきキャラクターが、
四角い紙を連ねた紙垂を何本も1本の棒に付けた玉串を振り、
そのキャラクターが鋏で、
僕がアプリに登録した人数分の糸を一度に切る映像が流れる。
『凝ってるなぁ~』と、僕が感心して感嘆の声を上げると、
蔟さんの息子の亘は笑顔で、
『高校の授業で作ったコレを切っ掛けに企業して、
大学生しながら、遊んで暮らしてるからね』と言う。
僕は、僕より若い彼に対し、密かに世代間ギャップを感じ、
其処から先は、自分の非凡さに泣けてきそうだったので、
話を逸らして、当たり障り無い会話に努めた。
シュアハウスに辿り着くと、
何時も賑わう共有スペースには、誰も居なかった。
僕は、その事に違和感を感じる事無く、
「僕と元彼女と彼女の新恋人の事でギクシャクしてたから、
気不味くて、皆は自室にでも逃げたんだろうな」と思い、
蔟さん達を自室に案内して、一緒に荷物を纏めて貰い、
共用部分に置いた私物も含め、
消耗品を買い替えても、買い足さない約束の元、断捨離をして、
元彼女から貰った物や、彼女との思い出のある物は、
蔟さんの指摘の元、『未練がましいから』と、
「さよなら」と書いた紙袋に入れて、
元彼女の部屋の前に返却し、荷物とゴミを車に乗せ、
『鍵を返却する時に、家主さんと住人さん達用に、
菓子折り持って挨拶しておくわね』と、蔟さんが言うので、
僕は部屋を掃除をして、共用部分も軽く掃除して、後を汚さず、
気分的に身軽になって、ショアハウスを出る事が出来た。
そしてその足で、リサイクルショップに立ち寄り、
蔟さん先導の元、不用品を売り払い、小銭を得て、
その金で、自分の家用と、
引っ越し先の近所に配る「のし紙付きの洗剤」を購入。
±0でも、お得な結果となった。
続いて、電気屋に立ち寄って貰い。
呼び捨てで呼び合う仲になってしまった亘の値引き交渉にて、
掃除機、洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、オーブントースター、
エアコンを、型落ち、サマーバーゲン前の在庫処分の為、
4月に見た「新生活応援セット」の価格より安く、
購入する事ができた。
預貯金の残高が気になる貧乏気味な僕は、
蔟さんとその息子の亘に、感謝しても感謝しきれない。
今朝・・・
蔟不動産の自動ドアの押しボタンスイッチを押すまで、
今までの人生の不運を嘆いていた筈の僕は、
想定外な程に、怖いくらいに順調な新生活への滑り出しに、
蔟さんの押しの強さに不安を覚える事も、
借りた物件の過ぎた好条件に感じた不安も忘れ、
蔟さんの見目麗しい息子さん達に囲まれて、
「僕が女だったら、このハーレム状態に頬を染め、
夢見がちな気分になる所だったな」と、
蔟さんに娘さんが居なかった事だけを残念に思いながら、
蔟家の皆さんを崇め奉りたくなっていた。
裏野ハイツに着くと、更に蔟率が高くなり、
蔟さんの事を「囲さん」と名前で呼ぶ事になった。
そして『何事も、最初が肝心だから』と、
囲さんの息子さん達が、部屋に荷物を運び込んでくれている間に、
囲さんが近所への挨拶に同行してくれると言う事だった。
囲さんは最初、自転車置き場の野良猫に挨拶をし、
僕と囲さんは、101号室から順番に引っ越しの挨拶に回る。
囲さんが、101号室のインターホンを鳴らすと、
『はいはぁ~い』と、中から声が聞えてきて暫くすると、
50代くらいの男性が出て来た。
囲さんは『御忙しい所、失礼します。』と、
抜かりなく名刺を差し出し、自己紹介してから、
『当社では、私どもの御客様と、元からの住人様に気持ち良く、
ご近所付合いをして貰いたく思い、
引っ越しの挨拶も、御一緒させて頂いております。
そして本日より、此方の桑原佳土くんが、
203号室に入られますので、御挨拶に参りました。』と、
僕を紹介し、洗剤を男性に渡して、
『今後よろしく御願いします。』と、綺麗な微笑を浮かべて、
僕と一緒に頭を下げてくれた。
続いて102号室、其処の住人は40代の男性。
彼は静かに出てきて、無言で名詞と洗剤を受け取り、
話を聴いているのか?聞いていないのか?
何も言わずに、静かぁ~に部屋の中に戻って行った。
102号室の彼は、御近所との交流を求めていない御様子だった。
僕は、彼には挨拶以外、無理に話し掛けない様にする事に決めた。
201号室は、70代の御婆さん。
気さくな人で、住人の色々な事を知っていそうな雰囲気だった。
その情報から、202号室は挨拶に行っても無駄な事を知る。
インターホンを押しても、決して出て来てはくれないらしい、
そして実質、人の気配はすれども、出て来てはくれなかった。
御婆さんは『ほらね』と、笑った。
僕的に、壁越しの隣りの部屋なので気にはなるが、
気にしない事に決めた。
最後に僕が住む203同室の真下、103号室。
201の御婆さんが言った通りの雰囲気の、
30代であろう、穏やかそうな夫婦が住んでいた。
奥に3歳くらいの子供の姿が一瞬見えた気がする。
僕は、生活音で苦情を貰うリスクの低さに対し、胸を撫で下ろし、
それなりに滞りなく、引っ越しの挨拶を終える事が出来た。
挨拶が終わった頃には、荷物の運び込みは終了していた。
その後、囲さんと、今度はその息子さん達も一緒に、
囲さんの所有する期限間近の株主優待券で、
定食屋のランチセットを美味しくいただいた。
朝、牛丼屋で食べた時に使った優待券も、期限間近だったらしい。
息子さん達は『もったいながって使わんと、無駄になるで』と、
まだ残っている期限間近な優待券を見て笑い、
『だから奢ったてるんやん!金券ショップに売るより有意義やろ?
ウチは、恩売って、徳を積んでるねん!気にせんとって』と、
囲さんは頬そ染めて反論していた。
その後も僕は、蔟一家と行動を共にして、
物干し竿、食器棚とキッチン用のテーブルとイスの為に、
また、亘の値引き交渉の御世話になり、
車で運び、家の中まで運ぶのを手伝って貰ったのだった。