98、願い
生徒たち全員が警戒心むき出しで身構えていた。
「私は・・・」
祭壇の両脇に据えられた六角柱の巨大スピーカーから飛び出て柔らかく膨張しながら自分の耳を撫でに来る日奈様の美しい声に生徒たちはひるみそうになるが、負けてはならないのだ。日奈様はロワール会の秩序を乱そうと演説会を開いた悪魔である。
「私は・・・本当はこんなところに立てるような人間ではありません」
日奈が今、どれ程の勇気を出して演説を始めたか、ほとんどの生徒は想像も出来ないのである。
「私は気が弱くて、いつも人に迷惑を掛けていて、学園の生徒会をまとめるお仕事が務まるとは、正直思っていません」
この時点で既に相当数の少女が日奈様の美貌に心身をやられてぶっ倒れているが、それでも必死に耳と意識だけは彼女のほうへ向けていた。悪の生徒会の日奈様が随分へりくだった物腰で演説を始めたのは興味深いところである。
さて、大聖堂の北口から外へ出て広場の水飲み場まで来た月乃は、さっそくほっぺのイチゴジャムをハンカチで徹底的に拭っていた。
(早く戻らないと日奈様の演説を聞きそびれますわ)
大好きな日奈様が自分のために勇気を出して演説してくれているわけだから、せめてしっかり聴いて差し上げないと月乃は罪悪感で病気になってしまうだろう。
誰もいない広場に注ぐ陽の光が蛇口の水に集まってダイヤモンドみたいに輝いている。まるで日奈様のピュアなハートのきらめきのようで月乃はぼーっとなってしまったが、本物の日奈様が待っているので早くここから離れるべきである。
「あら・・・」
考え事をしていた月乃は、ジャムのついたハンカチを何気なく水洗いしていた。このままではポケット入れられないし、よく絞ったとしてもスカートのポケット付近がじんわり濡れていくに違いない。このあと人前に出て演説しようというのにこれではマズい。
「ど、どうしましょう!」
この場に置いていってもいいのだが、月乃はカッコつけてハンカチにまでロワール会のサインを書いているので持ち主が自分であるとバレバレだから、あとで見つかったら忘れ物だと思われるかも知れない。プライドが高い月乃は急いでハンカチを乾かすことにした。
(こんなことしてる場合じゃありませんのにぃ!)
お嬢様月乃は両手でハンカチを持ちながら新米闘牛士のように日なたでクルクル舞い続けた。実に怪しい。
「でも私は・・・私は月乃様の存在に救われました!」
日奈様の声色がちょっと強くなったので聴衆はビクッとしてしまった。油断すると日奈様の口車に乗ってしまうそうなので気持ちの引き締めが必要だ。
「皆さんは・・・小桃ちゃんをご存知ですか。よくこの学園に来る、小学生の小桃ちゃんです」
日奈の書いた原稿には、なぜか小桃ちゃんが登場した。もちろん生徒たちは全員小桃ちゃんを知っており、彼女のファンクラブが手芸部と共同で開発したコモモぬいぐるみが三番街で大流行している程である。ちなみにこのぬいぐるみは小桃ちゃんをデフォルメした三頭身の人形で、お腹を押すとピーと鳴く。
「私は、月乃様と小桃ちゃん・・・そっくりだと思うことがよくあります」
会場がざわついた。それは大人っぽさの塊である月乃様への冒涜ともとれらる発言だからだ。
しかし日奈は落ち着いて目をそっと閉じ、詩を歌うように語り続けた。
「とても優しくて、頑張り屋さんで、絵本の中に出てくるような魅力的な価値観を持ってて、そして何より、純粋で・・・」
これは日奈の本心である。
「月乃様はいつもクールですが、本当はとても情に厚くて、自分以外の誰かの幸せを願っているように感じます。戒律なんか全然守れない私のような落ちこぼれに、一番優しく接してくれたのも不思議な事に月乃様でした」
かつて月乃は自分のスーパーエリートお嬢様人生のためだったらどんな手も使う選民意識の塊みたいな女だったのだが、今ではすっかり他人を思いやれるドジで優しいお姉様である。戒律を破ってしまい、小学生に戻されるという大変屈辱的な罰により月乃が学んだ事は多い。
「私には分かります・・・月乃様は、皆さんの笑顔が大好きなはずです」
そんな馬鹿な、と生徒たちは一瞬思ったが、あの月乃様ならあり得るなと考え直してしまった。全校生徒にとって月乃様は黒い氷の女王であると同時に、天使のように慈悲深い存在でもあるのだ。生徒たちが抱いている戒律への不満や疑念を、全て自分の胸の痛みに変換してしょい込んでいる可能性があるのだ。
「逆に私は・・・月乃様の笑顔が見たいです。私の毎日を輝かせてくれた月乃様への恩返しとして、私は彼女を戒律から自由にしてあげたいのです!」
月乃様の笑顔が見たい・・・その言葉を聞き逃さなかった一部の生徒たちは、不思議な胸の高鳴りを急激に感じ始めた。
「月乃様のためなら、自分の殻も破れると信じていました。セーヌ会を再結成し、このように学園の秩序を乱してしまった事はお詫び申し上げます。けれど、後悔はありません」
一部の少女たちが感じた胸のドキドキはある種の予感となって日奈の言葉によってさらに拡散し、客席の空気を一色にしてしまった。今まで語られる事の無かった日奈様の本心のひとつひとつが、ある衝撃的な真実に向かって収束しつつあることに生徒たちは気づいてしまったのである。
「月乃様はこれまでたくさん我慢して来られました・・・。今度は私が・・・私が月乃様を!」
「あ、あの、あの! 姉小路様!」
我慢できずに立ち上がった生徒がいた。我が学園の平和の象徴、桜ちゃんである。普通なら演説を妨害する行為は許されないが、桜ちゃんを咎める生徒は一人もいなかった。聴衆たちの意識は桜ちゃんの背中を通じて日奈様に向かっている。
「あの、あの、あの、あのの! それって、も、もしかしてぇ!」
桜ちゃんは緊張と興奮のあまりおしゃべりが出来ないが、それは他の生徒も同じである。そんな彼女の助け舟か分からないが、凛として落ち着いた声が真夏の冷風のように少女たちの混乱を心地よく割って響き渡った。
「恋を、しているの? 月乃さんに」
かつてのロワール会会長、西園寺様だった。客席は水を打ったように静まったが、その水がかつてないレベルで沸騰していることの証拠に、ひと呼吸置いてから日奈に向けられた少女たちの瞳は、真夏の太陽のように熱かった。
自分に視線を送る大勢の少女たちの人生に、日奈は誠意ある一言を返さなければならない。こんな状況になってしまった時に全てを打ち明けるだけの覚悟を、臆病な日奈は持ってきているのだろうか。
無論である。
いつかこの日が来ることは分かっていたのだ。日奈は月乃様がいるかもしれない大聖堂の北口にちょっぴり目を向けてから、花の木の下の花嫁みたいに頬を染め、涙に声を潤ませながら告げたのである。
「はい・・・恋を・・・しています・・・」
ステンドグラスを震わせるような「えええっ!?」という歓声は休符に忠実なオーケストラのように一瞬の盛り上がりの後にすぐに静まった。日奈の次の言葉を待っているのだ。日奈は大きな粒になって落ちる自分の涙が恥ずかしくって、ちょっぴり笑いながら、もう一度ハッキリ声に出すことにした。
「私は、月乃様に恋をしています」
「えええええええええ!?」
今度の歓声は、収まらなかった。
ハンカチを何とかポケットに入れられる程度にまで乾かしたプロ闘牛士の月乃はこの時、北口のすぐ前まで来ていたが、扉の取っ手に触れる直前に大聖堂の内部から溢れる異様な熱気を感じ取って立ち止まってしまった。
「な、なんですの!?」
しかも、月乃は何も戒律を破っていないのに、あろうことか鐘の音まで迫ってくるではないか。
月乃は日奈様からの愛の告白を耳に入れたわけではなかった。しかし、絶世の美女である日奈様が全校生徒の前でその恋について白状したとあらば問題が発生する。どこかで見ている学園の女神様が、月乃を破戒者扱いして迫ってきたのである。確かに恋をしてはいけないという戒律に抵触していると言えなくもない状況だが、月乃の気持ちと無関係に天罰が来るのは前例の無いとばっちりだ。
「い、いつから恋をなさってたのですか!?」
「月乃様に告白のご予定は!?」
「どど、どんなところが好きなのですかぁ!?」
「姉小路様ぁああ!!」
大変な盛り上がりである。
日奈様と言えば悪のセーヌ会メンバーだが、それ以前に最高の美少女であるので、少女たちがここまで関心を寄せるのも無理はない。月乃様に恋をしていた多くの少女たちはここで完敗を悟り、ステンドグラスの北極星を見ながら茫然としたが、やがて清々しい気持ちを取り戻した。自分の恋のライバルがあの日奈様であるならば、負けてもすっきりできる。それくらい姉小路日奈という少女はぶっちぎりで美しいのだ。
「ま、まさか日奈様が月乃様に恋を!!!」
「きゃあああ! なんて素敵なのお!?」
演説会は桃色の大混乱である。
「まさか・・・こんなことが・・・」
司会席でずっと大人しくしていた林檎も、これには仰天である。生徒たちを落ち着かせるのは林檎の仕事であるはずだが、彼女は一時機能を停止中だ。
大聖堂の混乱を目の当たりにして責任を感じている日奈は慌てて軌道の修正にかかる。メインは恋の話ではなく、戒律からの月乃様の解放だ。
「え、ええと・・・その」
日奈がマイクを持ち直すと、すかさず新たな質問が飛び込んでくる。
「戒律を変えれば、月乃様に告白できます! 両想いのチャンスがありますよ!」
「い、いえ、その、私が戒律を変えたいと思った一番の理由は・・・」
ここでようやく林檎がマイクを使い「静粛にー!」と生徒たちを落ち着かせてくれた。林檎さんは怒ると怖いので、さすがの生徒たちも一度口を閉じた。
「私が戒律を変えたいと思った一番の理由は、月乃様の笑顔を見たいからです。月乃様と恋なんて、恐れ多いです」
「そんな!!!」
「もったいないです!!!」
すぐにこの盛り上がりである。
「ご本人に告白すべきですわ!!!」
「あなたならできる!!!」
「幸せにならなきゃダメです!!!」
奇妙な事に、いつの間にか日奈を応援する流れになっていた。
乙女の世界ではちょっと曲解された「秘すれば花」の理論がまかり通っており、自分を押し殺し、他に貢献しながら恋心を隠し続けた忍耐強き女性が尊敬を集め人望を得る。日奈様ほどの美貌の持ち主が、その恋を全校生徒に隠して、社会的には最も遠いと言える場所から月乃様を静かに見ていたという、いじらしくて切なくて最高に上品な真実に、少女たちの心は動いちゃったのである。
あまりにも歓迎され、祝福されるので日奈は恥ずかしくなってきた。
「いえ、その、とにかく私は、月乃様に笑顔になって欲しくて・・・」
「姉小路様頑張ってぇー!!」
「日奈様ぁ~!!!」
この場に月乃様がいないのをいい事にみんな好き放題言っている。
日奈は正直、とても嬉しかった。今まで隠していた重荷をさらけ出して、心が洗われるような気持ちだった。表に出して初めて、日奈は自分の胸の中に抱えていた物のサイズを知ったのである。
「せ、静粛に! 皆さん月乃様が不在だからといって私語が多すぎです!」
司会の林檎さんの指導がほとんど効かない程興奮している大聖堂の雰囲気を再び整えてくれたのは、西園寺様が何も言わずスッと上げた右手だった。
「ど、どうぞ、西園寺様」
「ちょっといいかしら」
西園寺様が立ち上がると、祭壇の香炉の煙もまっすぐ立ちのぼる。空気が静まった証拠だ。
「私の言葉だと思って聞かないで欲しいけど、ちょっと口を挟ませてもらうわね」
生徒たちは背筋を伸ばした。
「月乃さんの笑顔を見たいという日奈さんの夢を叶えてあげたいと、いま皆さん感じているかも知れないけど、自分の夢も忘れちゃダメよ。日奈さんはあなたたちの夢の象徴に過ぎないわ。戒律が無くなったら、どんなことをしたいか思い描いて。自分の大切な人の笑顔を想像してみて」
人前で感情を表現できず、恋も出来ない世界では叶えられない夢がたくさんある。
「セーヌ会を応援すれば、おそらく実現するわ。あなたたちの夢。叶うはずがないと思っていた明日は、あの石版のすぐ向こう側にあるわよ」
西園寺様が指差したのは大聖堂の祭壇に掲げられたラテン語の戒律の石版である。
「遠慮して口出しせず、黙って座っている誰かさんの代わりに伝えておいたわよ」
「おや、私のことかい?」
東口の真上にあるパイプオルガンの椅子に座って演説会を覗いていた東郷様が落ち着いた様子で返事をした。
「みんな、道は慎重に選んで欲しい。集団で戒律を破ろうとすれば、何が起こるか分からないよ。それを廃しようとするなら尚更ね」
多くの生徒が東郷様の言う事を理解した。戒律を破る度に頭痛発熱めまい立ち眩み等の症状を自覚しているほとんどの生徒たちは、コワーイ神様の存在を確信しているのだ。
しかし、全校生徒は今、日奈様の身を挺した美しい恋のお陰で一つになっていた。全校生徒を敵に回しても、夢を諦めない事の素晴らしさと美しさを教えてくれた日奈様の前で出せない勇気など無い。今こそ力を結集する時である。
「私、日奈様を応援しますわ!!」
「私も!!」
「私たちにも夢はいっぱいあります!!」
「皆で幸せになりましょう!!!」
臆病な日奈がたくさんの壁を乗り越えてここまで来た事が報われた瞬間である。夢が叶うかどうかはさておき、大切な仲間たちに自分の夢が認められる瞬間は人生の大きな喜びだ。
しかし、お祭り騒ぎの大聖堂で一人浮かれない表情をしている少女がいた。月乃様のクラスメイト、桜ちゃんである。顔を赤らめて、普段使わない頭脳を懸命に働かせて考え事をする彼女の様子に気付いた西園寺様が、再び立ち上がった。
「ねえ皆さん、おそらく明日以降、ロワール会とセーヌ会の是非を問う投票が行われるわ。そこでセーヌ会に票入れる前に、月乃さんの気持ちをしっかり聴いて欲しいの。あの子の望みを、どうか皆さん尊重してあげて。あの子は私たちのために私情の全てを犠牲にして美しさを体現してきた、本物のお嬢様よ」
桜はもちろん、他の生徒たちだって月乃様の幸せを願っている。自分たちだけの幸せのために、今まで学園の秩序を守り、伝統を美しく継承してきてくれた慈悲深い月乃様を見捨てて白いリボンに乗り換えることなんて出来ない。大盛り上がりだった会場はすっかり静まり返ってしまった。
少女たちはもう何年も人前で笑っていないか、もしくは笑う度に罪悪感と厳しい天罰に襲われている。そろそろ皆幸せになっていい頃なのだが、それを許す天使が必要なのだ。見上げてみてもステンドグラスは氷のように冷たく輝いているだけである。
不意に、大聖堂の北口が音も無くゆっくりゆっくり開いた。
前列に座っていなかった多くの生徒からは入ってきた少女の姿が見えなかったため、オバケの仕業にも思えたが、安心していい。やってきたのは皆大好き小桃ちゃんである。
「小桃ちゃん?」
「月乃様は・・・どうしたのかしら」
「しー。静かにっ」
寂し気にトボトボと司会席へ向かう小桃ちゃんのただならぬ様子に生徒たちは気付いた。
「林檎様、マイクをお借りしてよろしいですの?」
「小桃・・・何をする気です?」
「月乃様から伝言ですわ」
「何!?」
林檎さんはぴかぴかのマイクを渡してくれた。
先程、ちょっと理解不能なタイミングで小学生に変身させられてしまった月乃は、演説会の様子をこっそり見にきた保科先生によって揺り起こされた。実に都合の良い先生で助かる。
小学生モードになってしまった以上、すぐに大聖堂内に戻って演説をするわけにいかなくなった月乃は、高校生に戻る手段を考えるついでに北口のすぐ外にある白梅の木の下にしゃがんで耳を澄ましていた。さすがに日奈様の演説内容までは聞こえて来ないが、内部の雰囲気は分かる。
意外なことに、それが大盛り上がりだったわけである。
(皆さん、どうしてこんなに・・・キャーキャー言ってますの・・・?)
まさか日奈様が自分に愛の矛先を向けて演説をし、それを生徒たちが祝福しているなどとは思ってもみない月乃は、とても切ない気持ちになった。
自分が守ってきたロワール会の終わりを、彼女はこの時感じてしまったのである。
セーヌ会についてきて欲しい、という演説でこれだけ盛り上がる学園で、継続して秩序ある無表情の美しさを説いても生徒たちを苦しめるだけのような気がしたのだ。月乃ですら日奈様に恋をし、戒律の存在を憎らしく思っているのに、一般の生徒たちが自由に憧れないはずが無かったのだ。
(わたくし・・・どうすべきですの・・・)
高校生の姿に戻って大聖堂に入り、「さあ皆さん、姉小路様が語った事は全部ウソです。学園の伝統と美のために、これかもロワール会をよろしくお願いしますね」と言えば、おそらくほとんどの生徒は今まで通り月乃を慕い、尊敬してついてきてくれる事だろう。人形の学園の将来は安泰だ。
しかしそれでいいのだろうか。
月乃は小学生に戻される事で多くを学び、お嬢様の本当にあるべき姿を知った。お嬢様らしさとは、外見ではなくハートの美しさにあるのだ。
「・・・どうしようか月乃ちゃん。先生、こっそり入って様子見て来ようか」
「いえ、わたくしが行ってきます・・・」
「でも月乃ちゃん今小学生・・・」
「月乃様からの伝言と言って、私の気持ちを伝えて参りますわ」
小さな月乃は保科先生にペコッと頭を下げて、大聖堂の重い扉に手を伸ばしたのだった。
「なんてまあ・・・切ない背中・・・」
月乃の気持ちを痛いほど感じて、保科先生は胸が苦しくなった。
「小桃ちゃん・・・」
「・・・ちょっと演台お借りしますわ」
祭壇の前に立った月乃は顔を赤くして日奈様の前を通り、演台までやってきた。身長が足りなくて全然客席が見えない。
「これ、どうぞ」
日奈様が踏み台を持ってきてくれた。恥ずかしいが、これに乗るしかない。
期待と不安で困惑した生徒たちの眼差しはまだ白紙状態の明日に向けられており、その耳は月乃様の声を求めているようだった。小学生の月乃は、汗ばんだ小さな手で、大きなマイクをきゅっと握り直した。
「月乃様から、月乃様から・・・伝言ですのよ」
涙で客席が手前から順に潤んでいった。自分をずっとクールでカッコイイお嬢様でいさせてくれた全校生徒への感謝と、自分の力不足のせいで学園の伝統を途絶えさせてしまうかも知れない悲しみ、そして日奈様をめぐる切ない恋心とが一つになって大きなお目々をいっぱいにしたのである。彼女の涙はいつの間にか生徒たちにも伝播していた。
「わ、わたくしは・・・わたくしは・・・皆さんの幸せを願っています!!!」
それが月乃の希望だった。無表情のカッコよさに固執し、生徒たちの苦しみを無視して生きることは、もはや月乃の幸せではない。
涙の雨が降る会場で、真っ先に立ち上がったのは、臆病な桜ちゃんだった。
「わ、私、姉小路様を応援します!! 月乃様の笑顔のために!!!」
彼女に続いて生徒たちが続々と名乗り出た。
「私もです!!」
「私も!!」
「月乃様を含めて、私たち全員が幸せになるんです!!」
「戒律を撤廃しましょう!!!」
まさかこんな事態になるとは今朝まで誰も思っていなかったわけであるが、日奈の勇気と誠実さ、そして月乃の心からの慈悲により、学園じゅうの生徒の気持ちが一つになった。残る課題は神様の説得と、ベルフォール女学院最後の人形となる細川月乃会長の生き様である。




