95、告白への階段
「それで、月乃様には告白できたのかしら?」
純白のシュシュを脱衣所の床にポトリと落とした日奈は、自分の耳を疑った。
「・・・え?」
「月乃様のお返事、気になりますわぁ♪ どんな反応でしたの?」
リリーさんは明日の天気の話でもするかのように平然とそう語りながら、お風呂上りの美しい髪をドライヤーの温風に泳がせている。
「ええ!?」
「あら、何をそんなに驚いているの?」
日奈はお風呂で火照った体の熱が血の気と共に一気に足の裏から地に逃げ、代わりに別の次元からやってきた恋の炎が自分の頬を焦がしていくのを感じた。
「月乃様にこ、こ、告白だなんてそんな! な、何をおしゃっているんですか!? 私は別に、月乃様に告白する事なんか、あ、ありませんけど・・・!」
壊れたおもちゃみたいな喋り方になってしまった。リリーは目を輝かせて振り返り、鏡越しで拝むのは勿体無いほど珍しい、慌てふためいた日奈ちゃんの顔をまじまじと見つめた。
「かぁわいい♪ まるで桜ちゃんみたいね、慌てた日奈様♪」
「い、いや、慌てているんじゃなくて、ただその、何をおっしゃってるのか、わ、分からないというか、その・・・!」
リリーさんのブルーの瞳は万華鏡のように色んな角度から日奈のハートに迫っているようで、どんな風に見えているのか日奈には分からないが、リリーさんは可愛い子犬を見るかのようなキュンキュンフェイスである。
「内緒にしても無駄よ♪ 私はそういうの敏感なんだから」
敏感らしい。
「いや・・・その、違いますよ、誤解ですよ。私はただ、友人として、月乃様をお救いしたくて」
苦しい釈明である。「恋愛感情じゃなくて、友達として好きなだけなんだから!」なんていう恋する乙女の常套句が、まさか自分の口から出る日が来るなんて、日奈は思ってなかったのである。日奈は恥ずかしくって目をぎゅっと瞑り、バスタオルを抱きしめながら首をぶんぶん振った。シャンプーの香りが辺りにふわっと広がる。
「あら、それじゃあ私の誤解ですの?」
「はい! 誤解です!!」
これ以上イジワルしちゃかわいそうだと思ったリリーは日奈の肩のあたりを人差し指でスーッと撫で上げて微笑んだ。息をするように戒律を破る女である。
「誤解ってことにしておきますわね♪」
「は、はい・・・!」
自分の嘘がバレバレであることが分かっている日奈はその後しばらく上手い言い訳や更なる嘘を探して脱衣所をウロウロしていたが、やがてリリーさんと一緒にセーヌハウスのリビングに向かった。
(リリー様・・・)
日奈とリリーさんの間で育まれた友情は深く、生徒会の争いを超えた厄介な恋を打ち明けるに足る程であるかも知れない。確かにリリーさんは、どうやったら後輩の胸に自然にタッチできるかばかり考えているヘンタイさんだが、弱い物への慈愛と温かい母性を持っているから、相談すればきっと親身でエッチなアドバイスをくれるに違いないのだ。
(でも・・・は、恥ずかしい・・・!)
いつから好きだったのかとか、どういうところが好きなのかとか尋ねられたら、日奈は恥ずかしさで部屋中をグルグル回ってしまうに違いないのだ。
「日奈様、表情豊かになったわね」
「えっ」
「素敵よ♪」
考え事が顔に出ていたらしい。リリーさんは日奈の脇腹をもみもみっとくすぐってから、平然とした様子で耐熱ガラスのティーポットにお湯を注いだ。もう随分前から悟られていたんだろうなと日奈はこの時思った。
「わ、私・・・」
「いいのよ、何も言わなくて。大事なことは伝わりますわ。同じセーヌ会のメンバーですもの♪」
リリーさんの白い指先が日奈の唇を優しく制した。
「その勇気、本当に必要な時に取っておいて下さいな」
日奈は自分の心が裸にされてしまっている恥ずかしさと、恋の秘密を友人と共有したドキドキで胸をいっぱいにした。
「あ・・・ありがとうござい・・・ます」
こんな調子のまま、月乃様とうまくおしゃべり出来るかどうかは疑問である。
日奈は月乃様に愛の告白をしたいと考えている。
明日の夜にもし月乃様が山の中腹にある北山教会堂に約束通り来てくれたら、日奈は一世一代の決意をもって「好きです」と言ってしまおうと思ったのだ。それは決して月乃様とラブラブになりたいからではない。今回の騒動に敗北する形で燃え尽きようとしている日奈の青春の最後に、偽りの無い本当の気持ちを本人に伝えたかったのだ。
が、リリーさんに問い詰められるだけでしどろもどろになっている彼女が、告白なんか出来るかどうかは大いに怪しい。頑張ってもらうしかない。
さて、日奈様が自分に愛の告白をしようと考えているなどとは夢にも思っていない鈍感な月乃は、この翌日、二番街のグランド脇のカフェテラスで運動部の少女たちの肩を揉んでいた。
「小桃ちゃ~ん、気持ちいいよぉ~」
「小桃ちゃん! お姉さんの肩も揉んでよぉ」
「はぁん、可愛いいい!」
そう、月乃はこの日小学生モードだったのだ。
(早く高校生に戻らないと日奈様との約束に間に合いませんわ・・・!)
月乃はテラスの花台として使われていた天然木の踏み台に立ち、生徒のポニーテールにふわふわと顔をくすぐられながら肩をもみ続けた。この後「ありがとう」と言われれば高校生に変身できるはずである。
(何の用事か知りませんけど、日奈様との約束ですわ。行かないとダメですのよ・・・!)
昨日の夕方、大聖堂で日奈様と一緒に愛しい無言タイムを過ごしてしまった月乃は、日奈様と別れた瞬間に小学生に変身してしまったのだ。朝から花壇に水を上げたり、花粉症注意の看板を持って広場を走り回ったりしたが、皆「かわいいかわいい!」と言うだけで感謝の言葉までくれる子は現れない。
「あぁん、気持ちいいわぁ~」
「小桃ちゃんの肩も揉んであげるね!」
「ええ! 私も揉み揉みしたーい!」
一体いつになったら月乃は高校生に戻れるのか。夕暮れ時の柴犬みたいな遠い目をしながら、月乃は同級生のお姉さんたちと肩を揉み合って過ごした。
色を移すアジサイのように、早春の空は暮れていった。
未だ心がざわめて落ち着かない日奈は、セーヌハウスの玄関を出られずに靴を履いたり脱いだりを繰り返していたが、セーヌ会の新メンバーになってくれた一年生の生徒たちが明日の演説会のプログラムの確認などのためにマドレーヌ寮から来て玄関を開けてくれた。
「姉小路様、お出かけですかっ?」
「え、ええ。少しだけ」
「私たちもお供いたしましょう!」
「いえいえ! その・・・あの・・・」
困惑する日奈の助け舟はキッチンからエプロン姿で登場した。
「あーら皆さん、日奈様にはお使いをお願いしましたのよ、そんな事よりお料理が難しくて作れないの。こっちを手伝ってくれる?」
リリーさんは日奈にウインクしてくれた。
日奈は心のどこかでまだ自分の恋をリリーさんに秘密にしておきたいという恥じらいを抱えているが、この時はとっても嬉しかった。今、日奈とリリーさんは同じ舟で揺れる恋する乙女なのだ。
日奈は夕日のように顔を赤らめながら頭を下げ、美しい月がのぼっていると思しき教会堂を目指して宵の街角に駆けだした。アコーディオンの音色や風に乗って来るレストランのいい香り、そして靴の裏に伝わるレンガの感触までが、いつもより鮮明に五感を刺激してきて、日奈は別の街に来た時のようにドキドキした。新しい世界への扉は心の持ちようでいつでもどこにでも現れるということである。
セーヌ会の隠れファンの追跡やロワール会サポーターの冷ややかな眼差しから逃れるように日奈は駆け続け、北山教会堂へと続く長い石段の下までやってきた。もうすっかり日は暮れている。
「月乃様・・・もう来てるかな・・・」
明日の演説会ののち、戒律の是非を問う投票とかがもし行われたとしても、セーヌ会が勝利することはやっぱり難しい。もし敗北すれば、日奈は世間を騒がせた責任を取るためセーヌ会を解散せざるを得ないのだ。月乃様の純度100パーセントのお嬢様人生を考えれば、今夜以降あまり月乃様に近づくことは出来ないだろう。月乃様は心が広いから気にせず友達でいてくれるだろうが、周りからの目を思えば交友は難しいのだ。告白するなら今日しかないわけである。
日奈は自分の鼓動を聞きながら階段を上り始めた。
(私今・・・すごく緊張してる・・・)
両想いになんてなれるはずがない、ダメで元々の恋なのに、失うことへの恐怖心が一段毎に日奈の胸に募っていった。セーヌ会を復活させると決意した瞬間から動き出している青春の超特急が、ここへ来て震えながら減速していた。
(ど、どうしよう・・・どうやって気持ちを伝えればいいの・・・)
日奈は頭の中が熱い湯気で満たされていくように徐々に混乱していった。
(ずっと好きでした・・・ご迷惑を掛けてしまってゴメンナサイ・・・なんか違う気がする!)
月乃様ならば馬鹿にせずに自分の拙い恋の打ち明け話に耳を傾けて下さるだろうが、このままでは一言もしゃべることが出来ずに時間が過ぎそうで、日奈は焦った。
(うぅ・・・)
階段を上る日奈の足はいつの間にか止まっていた。見下ろした学園の夜景は星空を移す湖面のようにキラキラと静まっており、綺麗だがどこか物寂しい気持ちにさせる光景である。味方であるリリーさんは遥か彼方だ。
(どどど、どうしよう!!!)
戒律から自由にしてあげるためならば月乃様に嫌われても良いとあれほど覚悟していたのに、嫌われたくないという想いが日奈の大きな胸をいっぱいにした。
(好きですなんて言ったら・・・月乃様・・・どんな顔するのかな・・・)
ロワール会の会長として「恋? 下らないですわね」なんて毅然としておきながら、「・・・まあ、お気持ちだけは受け取っておきますわ。明日は負けませんわよ」みたいな事を言ってくれたら良いが、ただ無言で黙り、「・・・失望しました。いいお友達でしたのに」と返されたら、悲しくて立ち直ることが出来ない。今ならまだ親友として散っていくことも出来るが、一歩前に出て愛を主張すればただでは済まないかも知れないのだ。それは鉛筆で素晴らしい絵が描けた時に絵の具で色を塗るかどうか迷っている気分に似ている。全て台無しになってしまうかも知れない月乃様との友情の鉛筆画は、日奈にとってあまりにも愛おしい。
自分が全力で守り続けてきた恋心を月乃様に打ち明けずして終わってしまうのはひどく寂しく、せめて月乃様の思い出の1ページに自分の本当の姿を残したいという気持ちは強いのだが、日奈はもうすっかり怖気づいてしまったのだ。
(月乃様・・・いらっしゃるかな・・・)
階段を上り終えるまであとわずかである。残りの階段が友情の終わりのカウントダウンでないことを祈る日奈は、ほとんど泣きそうな顔をして一歩踏み出した。
「あ・・・」
教会堂前のガス灯の下に、日奈は人影を見た。
「小桃ちゃん・・・」
約束の時間までに高校生の姿に戻れなかったドジな月乃は、恥ずかしそうにベンチの上にちょこんと座っていた。
「な、なんですの! 月乃様じゃなくて小学生が待ってたから、ガッカリですのっ?」
変身するために全力で奉仕しまくっていたのに結局空振りだった月乃は、自分の不甲斐なさを誤魔化すように不機嫌そうにほっぺを膨らませていじけていた。
「つ、月乃様への伝言ならわたくしが預かりますの。文句は許しませんのよ」
「小桃ちゃん・・・」
日奈はかすれるような声でつぶやいた。
「小桃ちゃん・・・小桃ちゃん・・・!」
そして、どういうわけか泣きながら小桃に駆け寄り、抱き着いたのである。
「ななななんですの!?」
「小桃ちゃん・・・小桃ちゃんっ・・・!」
急に自分に密着した日奈様のおっぱいや頬に月乃はひどく慌て、一本釣りされた鰹のようにピチピチ暴れてもがいたが、無駄であった。日奈様のハグは月乃の脳と筋肉をぽわ~んと弛緩させる。
「小桃ちゃん・・・! 私怖かったの! 私やっぱり出来なぁい!!」
「ななにがですの!? 肝試しでもしてますの!?」
日奈は泣きながら笑っていた。結局月乃様に告白なんか出来る器でなかった自分へのガッカリは、自分らしさの再認識となって日奈を安堵させた。代わりに小桃がここにいてくれたお陰で、日奈は人生最大級の恐怖を避けられたわけである。
「小桃ちゃん・・・! おねえちゃん怖かったの! おねえちゃんやっぱり臆病なのぉ!」
「わ、わ、分かりましたから放して下さぁあい!!」
その後月乃は日奈様の膝の上に乗せられ、後ろから優しくぎゅうっと抱きしめられ続けた。
「小桃ちゃん、おねえちゃんね。本当の気持ちを人に伝えられない病気に掛かってるの」
「そ、そ、そうですのね・・・」
日奈様のぬいぐるみになってしまった月乃はもぞもぞ動いて抵抗を続けているが、まな板の上の鯉みたいなものである。
「お姉ちゃんね、嘘つきなの」
「うぅ・・・嘘つきですの?」
「うん。とっても」
月乃は自分の唇に日奈様の制服のブレザーの袖がふわっと当たってドキッとした。
「ねえ・・・私って悪いお姉ちゃんかな」
考え事をする余裕などないが、日奈様から重要っぽい質問が来たので月乃は理性を働かさなければならない。嘘つきなのは月乃も同じであり、むしろ本当の自分を偽っているという点ではこの学園で最も嘘つきな少女と言えるかも知れない。
「別に悪くないと思いますわよ・・・」
「本当?」
「うっ!」
日奈様の声があまりにも耳の近くで聞いたため月乃は体がビクッと跳ねた。
「わ、悪くないですわ。本当に・・・お姉様は・・・」
日奈様と一緒にいる時、月乃は本当に本当に幸せである。
「優しいんだね、小桃ちゃん♪」
そうささやいた日奈は、彼女の美しい唇を月乃の白い首に寄せて優しく押し当てたのだった。マシュマロのように柔らかくて温かくて優しいキスである。
「はぁっ・・・! あっ・・・あっ・・・」
全身にゾクゾクとした快感が走った月乃は、変な声を出しながら細い脚をきゅっと寄せ、腕も乙女のように曲げて身を小さくしてしまった。びっくりするほど気持ちよくて、月乃はどうにかなってしまいそうだった。
(ま、まずいですわ・・・!)
色んな意味でまずかった。この流れは日奈様から「ありがとう」の一言がもらえてしまう流れであり、こんな二人きりの状態で高校生に変身してしまったら、さすがに正体がバレてしまうだろう。
「わた、わたくし・・・!」
「ん? なぁに?」
日奈様のお姉様ボイスが月乃をさらにゾクゾクさせたが、ここで負けてはいけないのだ。
「わたくし、このあと保科先生とディナーですの!! スープが冷めちゃいますのよ!!」
「あっ」
月乃は木製の巣箱の穴から外出するリスのように日奈様の腕から慌ただしく滑り出ると、脱兎のごとく教会堂を後にした。
「・・・かわいい。小桃ちゃん」
月乃様がいなかったら、自分は小桃ちゃんに恋をしていたんじゃないだろうか・・・日奈は不意にそんなことを思ってクスリと笑った。
小桃ちゃんの優しい温もりに癒された日奈は涙を拭いて夜空を見上げた。
「告白って、凄い大変なんですね、リリー様・・・」
非常に清々しい夜風が日奈の頬をふんわり撫でてくれた。月乃様に告白は出来なかったが、日奈はまた一つ成長できたわけである。
さて、感傷に浸っている場合ではない。日奈はいよいよ明日、セーヌ会の会長として最後の任務になるかもしれない厳しい戦いに挑むことになるわけである。心の準備は万全とは言い難いが、今この瞬間にも戒律や天罰に苦しんでいる生徒たちのために、そして何より月乃様のために、日奈は立ち上がらなければならない。
日奈は腰上げ、東の空から静かに学園を見守るお月様に向かってロワール会流の星に祈りを捧げるポーズの敬礼をして、そっとつぶやいたのだった。
「大好きです・・・月乃様・・・」
長い長い祈りの末、顔を上げた日奈の瞳にもう迷いはなく、まっすぐに明日を見据えていた。




