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93、紙飛行機

 

 月乃にはどうしても譲れないものがある。

 確かに月乃は小学生に戻される事により、花や空、そして人のハートの鮮やかな色どりを目にした。幼い頃から教え込まれてきた「カッコ良さ」が必ずしも美しいものでなく、場合によっては冷徹で味気ないものであると気づけたのも、変身を通じた不思議な経験のお陰である。今の月乃は汗をかいて努力し、地を這いながらでも目標を達成する生き方に美を見いだせるほどに、人間らしい感性を持っている。

 しかし、だからと言ってセーヌ会に王座を譲るわけにいかない。


「やっぱりこの味ですわぁ・・・」

 昨夜シャンパーニュハウスから逃げ出す際に脱衣所のスリッパを几帳面にも直してしまった月乃は、寮の陸上部員から感謝されたっぷり褒められたため無事に高校生に戻れたのだ。今は久々にロワールハウスのダイニングで紅茶を味わっている。


 月乃がロワール会の天下を守る理由は二点あった。

 一つ目は、これまでずっと硬派でクールなお嬢様で生きてきたのに、急に「日奈様のおっしゃるように、笑顔も良いものですわね、ニコッ♪」などと変貌したら、気味悪がられるからである。いくら愛する日奈様の計らいであったとしても、自分のお嬢様としてのスタイルを今更崩すわけにはいかないし、そもそもそんなに月乃は器用でない。

 二つ目は、ロワール会を支えてくれている大勢の生徒たちを裏切るわけにいかないからである。生徒たちは不完全で未熟な自分の人生を満たす美しい夢を月乃の生き様に投影し心から応援しているから、彼女たちのためにも、月乃は私情を捨てて日奈様と争わなければならないのだ。月乃は生徒たちの夢の代行者なのだ。

「うぅ・・・日奈様・・・」

 胸が苦しくて仕方がない月乃はゆっくりうなだれ、紅茶に映る憂鬱な自分の顔を見つめた。

 月乃の忍耐力はさすがなもので、普通の女子高生であれば休み時間に仲良しの友人の背中にぴったりくっついたり髪を触り合ったり、時にはぎゅっと抱きしめたりして、満たされない恋の欲求をそれとなく発散させたりするのだが、硬派な彼女にはそんな息抜きが許されていない。日奈様への熱い熱い想いは膨らむ一方である。


 近頃の月乃は日奈様の夢ばかり見ている。

 こんな冷たい自分に日奈様が恋をしているとは全く思っていない鈍感な月乃は、夢の中では日奈様とちゃんと両想いであり、一緒にお勉強を教え合ったり、街の美術館に行ったり、ふざけて肩を揉み合ったり、向かい合って晩ご飯を食べたりと、とても幸せなのである。夢から覚めた時に目にする世界はまるで衣装だんすの裏に落ちている古い水墨画のように悲しくて、月乃はあまりの切なさに朝からしくしく泣く日があるのだ。



「月乃様!!」

「ひ!!」

「月乃様月乃様月乃様!!!」

「な、な、なんですの!?」

 寝起きの林檎さんが紅茶の香りに誘われて慌ただしくダイニングに下りて来た。喜怒哀楽を人前で表現するとまた小学生に変身してしまうので月乃はクールな顔を作った。

「お帰りなさいませ月乃様!! そして、申し訳ございません!!」

「な、何がですの?」

 ちょっとパンキッシュなパーカーに身を包み、帽子の代わりにフードを被っている林檎さんは、下りて来るなりテーブルにおでこをぶつける勢いで深々とお辞儀をした。紅茶がこぼれそうになるのでテーブルを揺らさないで頂きたいところである。

「申し訳ありません。実は先日、妹の桜からロワール会に入りたいという申し出があったのですが、私の独断で断ってしまいました!」

「あら・・・」

 その事は月乃も小学生モードの時に覗き見していたので知っているが、林檎さんが謝ってきたのは意外だった。

「今は人手が欲しい時期。ふつつかな妹ではありますが影響力が無いと言えばウソになりましょう・・・。きっとロワール会の優位をより強固にする良きピースとなったはず・・・真に申し訳ございません!」

 ティーカップの中で紅茶がちゃぷんちゃぷん揺れた。

 林檎さんは桜ちゃんが嫌いだからロワール会入会を断ったわけで無いことを、月乃は知っている。天真爛漫な妹を、暗く厳しい人形の館に入れてしまうのが忍びなかったのである。

「いいと思いますわよ、林檎様」

「え!?」

 林檎さんは手をテーブルについたままなのでリアクションする度にティーカップがガタガタいう。

「ま、まぁ・・・その、お気持ちは分かりますから・・・。わたくしも桜様とは長いお付き合いですし」

 ロワール会メンバーとしては失策だったかも知れないが、姉としては正解だったに違いない林檎さんの行為を月乃は黙認したのだった。林檎さんは桜ちゃんにそっくりな目をパッチリ見開いてちょっぴり間を置き、やがてもう一度頭を深く下げた。

「ありがとうございます・・・これからも精進いたします!!」

 こうしてロワール会の二人の絆は、さらに強くなったわけである。

「それはさておき月乃様。今朝までどこへ行っていたのです? この重要な時に、ふざけてるんですか? そのアールグレイも、ちゃんと古いほうの缶から使いました? 月乃様はすぐ新しい茶葉をお使いになるから油断も隙もありません。あと廊下の電気は消して下さい」

 林檎さんはメリハリが凄い。



 ともあれ、ロワール会の会長、細川月乃の覚悟は固い。セーヌ会の不思議な盛り上がりに動揺する生徒たちを安心させるため、月乃はロワールハウス三階のバルコニーへ上がった。寮の周辺には朝からロワール会のメンバーを応援するため駆けつけているヴェルサイユハウスの赤いリボンの少女たちが7、80人集まっているのだ。

(日奈様のことは・・・今は忘れるんですのよ・・・! 全てはわたくしのお嬢様人生と、学園のためですわ・・・!)

 月乃も随分しっかりした女性になったものである。月乃は自分を奮い立たせ、バルコニーの黒い手すりから顔を出した。

「きゃあ!」

「月乃様ぁ!」

 星月夜のように美しいポニーテールのお姫様がバルコニーに現れたので、寮の前の通りはすぐに歓声に包まれた。基本的にベルフォール女学院の生徒はみんな暇人である。

「コホン、笑顔は禁止ですわよ皆様」

「はい!」

 爽やかな朝の空気を深呼吸でお腹いっぱい吸い込み、鼻の芯を心地よく冷やしてから、月乃は声を張った。月乃様が登場した気配を瞬時に察知したごはん時の忠犬のような少女たちが近所の文具屋やコーヒー店から一斉に顔を出し、星に祈りを捧げるポーズを月乃に送った。

「おはようございますわ、皆様」

「おはようございますっ」

 声を揃えて返事をされた後の、独特の緊張感のある静寂にちょっとときめくのは月乃がお嬢様だからである。月乃はとにかく目立つ事が大好きだ。

「今回の動乱はベルフォール女学院の硬派で美しい歴史の些細な風邪のようなものですわ。熱を上げればむしろセーヌ会の思う壺ですのよ。ここは平常心で・・・」

「月乃様ぁ~♪」

 月乃は日奈様への雑念を振り払うように遠くを望みながら頑張って語り出したのに、割と早く茶々が入った。どよめく聴衆の海をモーセのごとく割って登場したのは、おそらく学園で一番えっちなあの少女である。

「林檎さんをお迎えに来たわよ♪」

「な、な、なぜ私がリリアーネにさ、さ、さらわれなければならない!!」

 ハト時計のように小窓から顔を出した林檎さんは顔を真っ赤にしてリリーさんに言い返した。この二人が両想いであることにほとんどの生徒は気づいていないが、リリーさんは林檎さんラブ宣言をしているので周囲の少女たちは内心盛り上がった。

「冗談よ♪ 今日はこれを渡しに来たの」

 リリーさんはちょっとセクシーな所作で胸元から細長い三角形の白い紙を取り出し、羽を指で広げて飛行機にした。

「えい」

 リリーさんがどれほど紙飛行機の扱いを訓練してきたか誰も知らないが、彼女の手を軽やかに離れた飛行機は宙にハートマークを描くように華麗に旋回し、見事バルコニーにいる月乃のおっぱいの傾斜にぽふっと着陸した。リリーさんは曲芸師になれる。

「セーヌ会からのラブレターよ。ちゃんと読んでね♪」

「ちょ、ちょっと、突然何ですの!?」

「それではごきげんよう、月乃様、林檎様♪」

 誰に向けてのものか分からない投げキスをしたリリーさんは、麦畑を渡る風のように髪をキラキラ輝かせて去っていった。天気のいい日の彼女は実にイキイキしている。


「うぬぬ・・・」

 敵の本拠地に白昼堂々乗り込んで来て紙飛行機を飛ばしてきた大胆なリリーさんにクールな嫌味の一言も掛けてやれなかった自分が悔しかったが、とにかく月乃は手紙を読んでみることにした。

「何の手紙ですか!? 月乃様!」

 林檎さんも月乃にぴったり寄り添って一緒に覗き込んでくる。最近、月乃が愛用している良い香りのトリートメントの減りが妙に激しい気がしていたのだが、どうやら犯人は林檎さんだったらしい。

 罫線の間には遠慮がちで小さなサイズの字が丁寧にならんでおり、手紙全体がまるで三月三日の雛壇のように可憐に見えた。間違いなく日奈様の直筆である。

「月乃様、早く読み上げて下さい」

「り、林檎様の頭が邪魔で見えませんのよ」

 本当は見えているのだが、月乃は緊張してしまって声が出せなかったのだ。

「ならば私が読みます」

 林檎さんは手紙を受け取ってバルコニーのへりに向かった。

「たった今、破廉恥な金髪女から受け取った手紙を読みます。えー、月乃様林檎様お元気でしょうか。本日はお日柄も良く・・・この辺りは飛ばそう。えーと、なになに?」

 日奈様から自分への内緒のメッセージでも書いてあるんじゃないかと思った月乃は林檎さんの後ろでそわそわしている。生徒たちは月乃の気持ちなど知らずに固唾を呑んで見守った。

「今週末、ベルフォール大聖堂にて、演説会を開きたいと考えています。私たちセーヌ会メンバーの素直な気持ちを伝える場が欲しいのです。な、なんだと!? 反乱軍のセーヌ会に発言権などない!!」

 激昂した林檎さんはこの後まともに手紙を読んでくれなかった。

(え、演説会ですの・・・!?)

 月乃の胸は徒競走の直前のようなドキドキに苛まれた。緊張感と、そして非日常の華へ飛び込んでいく高揚感とを同時に抱えている感覚である。そしてそれはある種のイヤな予感も伴っていた。

(演説・・・なんだか、一波乱ありそうですわね・・・)

 日奈様が壇上に立ち、その美を振りまきながら何かを語ったら、内容以前に生徒たちが続々と恋の魔法に掛かって我を忘れ、セーヌ会に行ってしまいそうである。善良なる大多数の生徒たちは月乃のような強靭なお嬢様ハートを持っていないのだ。

「こんな手紙は無視しましょう。そうですよね、月乃様!」

「え!! まあ、そうですわね・・・」

「皆さん、セーヌ会の言うことに耳を傾けてはいけません。演説会も断固中止です」

 林檎さんの言葉に眼下の少女たちは返事をしたが、その声は心ここにあらずといった調子で、降り始めの雨音のようにまばらだった。この様子では手紙と演説会の噂は今日の午後には学園中に広まるだろうし、そうなれば演説会の中止は難しい。

「り、林檎様、対策を練りますわよ!」

「え?」

「念のためですわ。わたくしたちも演説をすると想定して、作戦会議ですわよっ」

「わ、分かりました!」

 ロワール会の熱心なファンたちは歓声を上げた。彼女らはロワール会の活躍が見たいわけなので、皮肉なことだがこの危機的な状況を歓迎しているのだ。それほどに月乃様の天下が揺るがないと確信しているわけである。本人の切ない恋心を顧みてくれる者は一人もいない。

(日奈様・・・)

 アールグレイの甘い香りが残るダイニングに下りた月乃は、林檎さんから返してもらった紙飛行機の手紙をこっそりと、そして大事そうに内ポケットに入れた。

「始めますわよ!」

「はい!!」

 

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