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84、風船とウサギ

 

 桜ちゃんはニンジンの物真似が出来る。

 こうして広場にうつ伏せになってニンジン的なオーラを出して待っていれば、脱走したウサギが自然と寄って来るに違いないのだ。桜ちゃんは息を殺し、ウサギの足音を待った。

「桜様、何をしてますの・・・?」

「わわっ!」

 慌てて立ち上がった桜ちゃんの制服は草まみれだった。

「つ、月乃様! いつからここに!?」

「さっきからですわよ」

「ううっ・・・! お恥ずかしいところを」

 月乃もさっさと桜ちゃんに声を掛けたかったのだが、地に転がって野菜と化しているこの子が、あのクールな林檎さんの双子の妹かと思うとなんだか可笑しくて、その笑いが表に出ぬよう抑えるのに時間が掛かってしまったのだ。

「怪しい生徒がいると連絡があったので来てみたら、桜様でしたのね・・・」

「す、すみません」

 桜ちゃんは恥ずかしがりながらも、月乃様にお会いできた喜びでちょっぴり頬を赤くしている。彼女の天然っぷりは困ったものだが、戒律やロワール会の名誉のために彼女が人一倍努力していることは月乃も分かっているので、彼女を責めるつもりはない。

「またウサギが逃げましたの?」

「そうなんです・・・。朝のおさんぽ中に調理実習室の匂いに誘われてどこかへ行っちゃったんです」

「あら、そうなの」

 月乃が桜ちゃんの頬についた芝の葉を指先で優しく払ってあげると、桜ちゃんは顔をニンジン色に変えて石のように固まった。さっきより今のほうがニンジンによく似ている。

「あ、そうですわ。わたくし今見回りをしていますの。桜様も一緒に来ませんこと?」

「みみ、見回りですか!」

「そうですわ。桜様のお嬢様度を上げるのに役立ちますわよ、きっと」

 確かに桜は月乃のクラスメイトの割にレディーとしての品が欠けている部分があるので、共に行動してお嬢様っぷりを学ぶというのもいい案かも知れない。

「わ、私でよければ、ぜひ」

「では行きましょう」

「はい!」

 月乃と桜は冬の晴れ空にシックな屋根を連ねる一番街に向かって歩き出した。


 そんな二人の背中をガス灯の陰から見つめているのは、学園で一番まばゆい美貌を持つ天使である。

(どうしよう、月乃様がいたから思わず隠れちゃったけど・・・)

 日奈は自分の腕の中の白くてふわふわの生き物に視線を落とした。

(飼育委員の桜様にお届けしなきゃ・・・)

 白ウサギのはんぺんちゃんは、日奈の温かい腕の中ですっかりくつろいでおり、月乃様への恋心ですっかり体が固くなっている日奈をちょっぴり癒してくれた。

(いつ渡せるか分からないけど、月乃様たちについて行こう・・・)

 日奈は常緑低木の陰を辿って北へ行くことにした。


「み、見て! 月乃様よ!!!」

 大通りにいた生徒たちはその声に一斉に振り返り、素早く祈りのポーズを決めた。ロワール会の新しい生徒会長は、西園寺様に負けない勢いで生徒たちから大人気である。

(ロワール会への忠誠と敬意を表すためのポーズ・・・星に祈りを捧げるポーズみたいだと思ってましたけど、きっと偶然じゃありませんわね・・・)

 この学園がどこか遠い星にいる誰かさんの影響を受けていることの証左がこんな小さなしぐさにも現れていることに月乃はちょっと驚いてしまった。

(・・・お互いに内緒にしているだけで、皆さん本当は戒律を破るたびに罰を受けてますのね・・・)

 キラキラ輝く瞳を自分に向けている生徒たちを見て、月乃は少し胸を痛めた。隣りの桜ちゃんを含め、生徒たちは全員物忘れや頭痛、立ち眩みに悩まされているのだ。

(戒律を守ること・・・まずはわたくしが徹底して、お手本にならなきゃダメですわね)

 月乃はしっかり気を引き締めなおした。



 ロワール会の助けを必要とする現場、その二件目は意外なものだった。

「来ましたわよ」

「月乃様! ありがとうございます! 実は、あれなんですけど・・・」

 生徒が指差したのは、ヴェルサイユハウスの裏手の桜の木の枝に引っかかった、朝焼け色の風船だった。

「あれを取って欲しいんですけど・・・」

「分かりましたわ」

 いや、ジャンプすれば誰でも届きますわよと月乃は思ったが、頼まれたからには喜んで手を貸すのがロワール会の会長である。自分らで解決可能な問題であっても、月乃様や林檎様とコミュニケーションを取りたいがためにわざとロワール会に連絡する生徒も少なくないのだ。

 太陽に憧れ空を目指したが、枯れた枝先に阻まれた不憫な風船ちゃん。月乃はせめて彼女を美しいジャンプで取ってあげることにした。

「頑張ってくださーい! 月乃様ぁ!」

 桜ちゃんやその他の生徒たちの歓声は、月乃のお嬢様魂の火に注がれるガソリンである。

「えいっ」

 バスケットのシュートと同じ華麗なフォームで月乃は風船の糸を見事キャッチした。

「はいどうぞ。次からは気を付けて下さいね」

「ありがとうございます!」

 ところで、なぜこの生徒が高校生にもなって風船なんかで遊んでいたのかは大いなる疑問である。


「・・・姉小路日奈様。こんなところで何をしているのです」

「えっ!」

 美しく風船をキャッチした月乃に物陰から見とれていた日奈は、不意に背後から声を掛けられて大層驚いた。

「り、林檎様・・・こんにちは」

 日奈はあまり林檎さんとおしゃべりしたことがない。

「こんにちは。質問に答えて下さい」

「あっ、その・・・このウサギを捕まえたので、桜様にお渡ししようと」

「な、なに? 桜?」

 林檎は桜の存在にようやく気付いて少し身構えた。妹を意識し過ぎである。

「そんなもの、どこで捕まえたのです」

「丘の上のベンチで一人で絵を描いてましたら、この子がいつの間にか膝の上に乗ってたんです・・・」

 日奈の魅力はウサギにも通じるのだ。

「妙なウサギだ。私が返してきます。貸して下さい」

「はい。あっ」

 林檎さんの帽子の先が日奈の口元にトンッと当たった。

「あ、失礼しました」

「いえ・・・」

「では預かります」

 林檎は桜と違い、動物など滅多に触らないのでウサギの抱き方がサッパリ分からない。彼女はしばらくドジョウの掴み取りのワンシーンのように手の中でウサギを滑らせていたが、やがて肩に乗せるようなポジションで落ち着かせることに成功した。

「ではまた」

「は、はい」

 林檎さんはウサギが再び暴れ出すより早く妹に渡してしまおうと、少々早歩きで月乃たちのいる生徒らの輪に向かった。

 が、その時である。

 たった今風船を取って貰った生徒の脇を林檎が歩いて過ぎようとした時、肩に乗っていたウサギが、その風船に興味を持ったのである。ウサギは鼻先で風船の糸を追いかけると、あろうことかそれにパクッと食らいついたのである。

「あっ」

 林檎は初めウサギが自分の肩から落ちてしまったと思って急いで身をひるがえし、手を地面のすぐ上に添えたのだが、ウサギの体は一向に落ちてこない。

「ん・・・?」

 仰ぎ見た林檎は、帽子の黒の向こう側にとんでもないものを目撃する。

「し、しまった・・・!」

 林檎さんの声を聴いて振り返った月乃たちが見たのは、風船の糸の先にぶら下がったまま、そよ風に吹かれてすーっと滑らかに宙を泳いでいくウサギちゃんの姿だった。風船を持っていた生徒は、突然糸の先にウサギがぶら下がって来たのでビックリして手を放してしまったのだ。

「あ! はんぺん! はんぺーん!」

 桜ちゃんはウサギの名を叫んで駆け出した。

「キャー待ってぇー! はんぺーん!」

 桜ちゃんの様子になぜか盛り上がってきた周囲の生徒たちも、彼女の背中に続いた。

 風船の浮力とウサギの体重が釣り合っているため、風船は空高く飛び上がっていくことはないが、地に下りてくることもなかった。ウサギのはんぺんちゃんは自分の状況を理解して急に慌て始め、手足や耳をバタバタ動かして助けを求めたのだが、その大きな耳が不規則な空気抵抗を生み出し、風船は気まぐれな軌道で左右に揺れ出した。桜ちゃんはウサギに追いついたのだが、手を伸ばした先でウサギがゆらゆら動くのでなかなか捕まえられない。

(わたくしも行くしかありませんわね・・・)

 走りながら美しさを保つことの難しさを熟知している月乃は、はんぺんちゃんの捕獲にあまり乗り気でなかったが、厳しい状況なので自分も加勢することに決めた。遠回りせずに、風船の行く先を読んでいけば、早歩きくらいで追いつけるに違いない。


 暴れるウサギ付きの風船が目の前を通っていったので、大通りのカフェテラスにいた生徒たちは目を丸くした。彼女たちも可愛い飼育委員の桜ちゃんにつられて一緒に走り出したので、大通りには風船を先頭にした大行列が出来たのである。人が集まって動いているだけで気圧が多少変化するし、「キャー」だの「わー」だのという声にも影響されて風船はどんどん加速し、生徒たちから離れていった。

「はんぺーん!」

 桜は自分が飼育委員だから、という理由でウサギを追いかけてなどいなかった。彼女はただ、はんぺんの身が心配だったのである。

 普段は桜に対しひねくれてばかりいるはんぺんも、この時ばかりは桜を頼り、小さな手足をにょーんと桜のほうに伸ばした。それがちょうど円形の大聖堂広場だったため、はんぺんの耳が倒れていた向きに風船は大きく傾いて弧を描き始めたのだ。風船は生徒たちを集めながらゆっくりと大聖堂の周りを回って、ついにある少女の胸にぽふっとぶつかった。

「あ・・・捕まえました」

「はんぺーん!」

 日奈の胸の優しい弾力に背中から抱きしめられたはんぺんは、追いついて来た桜に大人しく抱かれた。同時にはんぺんの口から風船が離れて飛んで行きかけたが、素早く登場した月乃の本日二本目のシュートにより風船は無事確保された。月乃はそんなにスポーツ万能ではないが、こういう動きだけはピカイチである。

「はんぺ~ん」

「良かったですねぇ桜様!」

 皆ウサギを囲んで盛り上がっているが、月乃はとにかく日奈を意識し、日奈は月乃を意識することに夢中だったから場はちょっと複雑である。

(わたくし今危うく日奈様に激突するところでしたわ!)

(い、今、月乃様の腕が私のすぐ上を・・・私、邪魔じゃなかったかな)

 二人とも、互いに背を向けて迷子のカンガルーのようにじたばたしている。恋が引き金となっている考え過ぎは、たいてい後ろ向きなものになるが、世の中は風に泳ぐ風船と同じように、なるようになっているだけなのでもっと落ち着いて物を見るべきである。


「ぬぅ・・・遅かったか・・・」

 肩で息をしながら広場にやってきた林檎さんは、持ってきた巨大な虫取り網を花壇の陰に隠した。

(桜・・・あんな笑顔を人前で見せて・・・)

 どうせ自分が近寄ったら慌てて真面目な顔になるんだろうなと考えた林檎は、なぜかちょっと寂しくなった。

「月乃様」

「ひ! あ、林檎様。風船とウサギは解決しましたわよ」

「知ってます。寮へ帰りましょう」

「そうですわね」

 恋の心配事の底なし沼に長い脚を取られていた月乃は、自分を救ってくれた林檎さんに感謝し、家路につくことにした。林檎さんの方はというと、妹の桜を敢えて見向きもせずに月乃の前を歩きだしてしまった。素直じゃない少女ばかりで困ったものある。


 ウサギのはんぺんは、桜ちゃんの優しい腕にしばらくぎゅうっと抱きついていたが、やがてすやすや眠りだした。ベルフォール女学院にはありふれた午後だったが、彼女にとっては大冒険だったようである。

 

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