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82、遥か遠い星の花

 

 日奈は見逃さなかった。

 図書館の地下の秘密の部屋から出ようとする小桃ちゃんが、上り階段に軽くつまずき、小さなお手々を床にペタッとついていたことを。

「小桃ちゃん」

「え・・・なんですの・・・?」

「ビューン♪」

「わっ!」

 小さな月乃の体は軽やかな文鳥になって図書館のフロアを飛び、日奈の胸にぱふっと収まった。月乃はまた日奈に抱っこされちゃったのである。

 小学生の体に戻ってみれば分かることだが、この世界のほとんどが大人のサイズに合わせて作られている。今の月乃にはちょっとした階段もアスレチックみたいに見えており、平時から足を大きく上げないことに美を感じているお嬢様の彼女が急にこんな障害物を越えられるわけもないから、どうか月乃を笑わないであげて欲しい。

(ま、また抱っこですわ・・・!!)

 愛情に疎く、抱っこの仕方もされ方も知らない月乃にはあまりにも刺激的な体験であり、そう何度もやられていると月乃の理性がフライパンの上のバターのように溶けてしまう。小桃ちゃんの正体を知っている保科先生は月乃を助けてあげようかと思ったが、幸せを感じている最中でもあるので邪魔しないでおこうと思った。

(月乃ちゃん、頑張ってね)

(頑張ってねじゃありませんわ・・・!)

 保科先生と目だけで会話する月乃は、日奈様の天使の温もりに抱かれたまま図書館を後にしたのだった。



 さて、問題はこの学園の神様についてである。

 特に自分の身に不可解な現象が起こっている月乃であれば、東郷会長の言う「戒律を破ったら皆何かしらの罰を受ける」という話も信じることができるが、それと神様については話が別である。

「いい天気だね」

 東郷様は長い髪を揺らしながらその足を大聖堂広場に向けていた。よく見ると東郷様は足元に散り落ちた楓の葉を踏まないように歩いている。

 4つある学舎は全て広場に面しているが、いずれも廊下側なので、広場を行く東郷様たちの姿を授業中の少女たちが直接目にすることはないはずなのだが、きゃあきゃあ言う歓声が風に乗って日奈たちの周りで木の葉と一緒に小さく渦を巻いた。生徒たちのお嬢様センサーを舐めてはいけない。

「入ろう」

「・・・だ、大聖堂に入るんですの?」

「うん」

 西園寺様の許しもなく大聖堂に入ることに抵抗がないらしい東郷様は、持ってた鍵であっさりと西口の扉を開けてしまった。

 外より少し暖かで静かな大聖堂内部は、まぶしく光る東のステンドグラスにより瑠璃色に輝いていた。

「生徒たちに罰を与える存在、いわゆる神様について、この学園で暮らした歴代の生徒たちは深く考えてきたようです」

 東郷様は先生や日奈たちを長椅子に座らせてゆっくり語りだした。ちなみに月乃はまだ日奈に抱きしめられたままである。

「信じられないお話でしょうから、少し遠回しにお話させて頂きます」

「よろしく頼むよ」

 保科先生も真剣な顔をして身を乗り出している。

 医者である彼女が神様などという非科学的な存在の話にここまで興味を持つのは傍から見れば不思議なことだが、その非科学的なものに振り回されて生きる月乃と親しい彼女にとってもはやこれは無視できない話題なのだ。

「夏休みの宿題感覚で、私たちを観察している者がいるのです。それもどこか遠い場所から」

 東郷様はそう言ってステンドグラスを見上げた。

「この学園のあらゆる装飾にひとつテーマがあります。なんだか分かりますか」

 誰に訊いているのか謎だが敬語を使っているところからして答えるべきは保科先生かも知れない。

「て、テーマ? なんだろう・・・水色とか?」

「星です」

 大ハズレである。

「全てのステンドグラスには星座が描かれ、古い建物には必ずどこからしら夜空や星々をイメージした飾りがついているのです」

 ついで言えば星に祈りを捧げる戒律まである。

 日奈様の腕の中の月乃は沸騰寸前の頭をお嬢様根性で回転させて東郷様の話についていこうと試みた。

(遠い場所から観察・・・星・・・東郷様は一体何を言ってますの・・・うっ!)

 日奈様の胸が月乃のほっぺにぽよんと触れたので、月乃の思考は止まってまった。

「・・・う、宇宙人っていうことですか?」

 日奈の声は遠慮がちだったが、その内容はぶっ飛んでいる。

「そう本気で考えた先人たちは多いよ。この地域は大昔から特別な信仰があった場所で、一時期朝廷の天文司という暦を作るお役所があったらしいからね。もしかしたらこの学園ができるはるか昔から、ここに住む人は空からやってくる何かの意志を感じていたのかも知れない」

 保科先生も言葉を失った。まさか宇宙人が登場すると思っていなかったからだ。

「先生。きっと先生は目が大きくて鋭く、手足がヒョロッとした往年のエイリアンを想像してらっしゃるかも知れませんが・・・」

「えっ!?」

 図星である。

「おそらく神様は私たちと同じような姿をしているはずです。少なくとも、物の感じ方は限りなく地球人のそれに近い」

 もう神様の正体が宇宙人ということで話が進んでいることに月乃は違和感を覚えたが、声を出そうとしても出ないくらい彼女は日奈様に緊張しており、無力であった。なぜ日奈様の服や髪はこんなにいい香りがするのか月乃には理解不能である。

「この神様が私たちに罰を与える基準は戒律ですが、その戒律もどこか恣意的で、人格の存在を感じさせます。私たちをコントロールしようとしている者は、おそらく暮らしている場所が異なるだけで、私たちと同じような人間なのでしょう」

 東郷様が知っている仮説の中には、大昔に地球から離れた元地球人のうちの一人が、自分の故郷の星にいたずらをしているという物まであり、それを完全に否定できるものも現れていない。

 もともと神様の存在なんてものを信じろということ自体に無理があるのだから、話が宇宙にまで飛んでしまっても別に同じことである。重要なのは問題を考えるときに合理的な答えを導きうる全ての可能性を馬鹿にせず、無視しないことだ。

「東郷くん、キミの話はなんとなく・・・分かったよ」

「ありがとうございます」

「少なくても、戒律を破った生徒に罰を与える神様は、遠い宇宙の人だって考えた人がいた、って事実はね」

 保科先生がしゃべっているあいだ、月乃はもぞもぞ動いて日奈の腕の中から逃げようとしたが、あまりにも自分の体がすっぽりと日奈様のぬくもりの中に収まっているため、ただ巣穴で寝返りを打とうとするアライグマの子みたいになってしまった。

「だけど、その神様が相手じゃ、東郷くんの言ってた戒律の改変とか・・・罰を受けてる生徒を助けようとする挑戦も、かなり難しいんじゃないの?」

 月乃と日奈はこの時妙に納得してしまった。東郷様が今までロワール会と争っていた理由はそこだったのだ。神に屈服し、戒律を守って生きることを正解とするロワール会と、この学園に掛かった呪いとも言うべき魔法を解こうと奮戦するセーヌ会の対立だったわけである。

「いいえ。実はさほど難しいことだとは考えていません。神様にも人格があるのです」

「人格・・・?」

「はい。私たちと同じように感情を持っている可能性が高いのです。でしたら、彼女の心を私たちからの働きかけで変えることが出来るかも知れません」

 月乃はここでようやく日奈の腕の中から抜け出し、保科先生の向こう側に隠れて座った。耳や頬が妙にスーッとするが、とにかくこれでようやくちゃんと話が聴ける。

「実は、学園ができる前から、この地は人前で喜怒哀楽を表現したりすると体におかしな症状がでる場所でした」

「え!?」

「つまり、戒律は後になってから、神様の意志を推測して書き起こしたものなのです。神様は戒律を守らせようとしているのではなく、単に自分の好みの世界を作ろうと、太古からこの地にいたずらをし続けているんです」

 とんだやんちゃ娘である。

「あの・・・東郷様、百歩譲ってその神様がどこか遠い世界にいたとして、どうやって交渉しますの? お手紙でも書くおつもりなら、かなり高価な切符が要り様かも知れませんわね」

 長椅子の隅っこに座っている小学生の小桃ちゃんが皮肉たっぷりに話し合いに参加してきてくれて、東郷様は思わず笑いかけてしまったが、とても嬉しかった。どうして小桃ちゃんはこんなに生意気で可愛いのか、いつも穏やかで冷静な東郷様もそう思っている。

「これは理想のお嬢様像のぶつかり合いなのだ。神様は人形のように無表情な人間が一番美しいと信じている。しかし実際にそのような生き方ができる者などおらず、無用に花の蕾を摘み、木枯らしで木の葉たちの悲しい螺旋を描くだけだ」

 たぶん神様も女性なんだろうなと日奈と月乃は思った。どこの世界にもお嬢様はいるわけである。

「だから見せるんだ。戒律を破っても罰に屈さず、胸を張って美しく生きる姿を」

 ステンドグラスの光のシャワーを浴びた東郷様の髪は七色に輝いている。

「そして変えるんだ。神様の意志を。確かに美しいものにはどこか悲しい陰がある場合がある。狂気が全く伴わないものは芸術にならない。しかし、美しさを求めるあまり涙を流すのは間違っているはずだ」

 思いのほか東郷様が熱く演説をするので月乃たちは背筋を伸ばして聞き入ってしまった。東郷様はきっと西園寺様のことを想ってこのように語っているに違いないのだ。

「と、東郷様・・・でも、わたくしたちは戒律を破るだけで罰を受けるんですのよ。それで胸を張って美しく生きるなんて難しいと思いますわ」

 ドジな月乃は自分が小学生であるという設定を一瞬忘れて「わたくしたちは」などと言ってしまったが、東郷様も日奈様も気づかなかったのでセーフである。

「実は、ごく稀に戒律を破っても罰を受けない体質の少女がいるんだ」

「あ・・・」

 心当たりがある少女が小さく声を洩らした。

「そう。キミだよ。日奈くん」

 日奈はこれまで月乃様や小桃ちゃんの前でまぶしい笑顔を見せているにも関わらず、罰らしい罰を受けたことが一切ない。

「キミのような少女は昔の記録にもたびたび登場していて、17世紀以降は特権者を意味するグランデという名で呼ばれていたらしい」

「特権者・・・」

「うん。セーヌ会に入ってくれたキミがグランデかも知れないと気づいた日、私は自分の計画を大きく変更した。白いリボンの勢力を今後何年も掛けて強める計画から、短期で決着を着けられるかも知れない作戦にね」

 東郷様はそれ以上細かくは語らなかった。

 遠い空から、音楽室から洩れた少女たちの聖歌が微かに聞こえてくる。四人は黙ったまま各々に深くこの問題について考えた。

「そうか・・・よくそんなに調べたね・・・」

 保科先生はそう言って、遠い目をステンドグラスに向けた。先生はもうこの宇宙人の話を信じると腹を括ったようである。遠い場所にいて、この学園の少女たちのお嬢様道に干渉してくる世話焼きのお姉様の存在を。

「と、東郷様。私はどうすればいいんでしょう・・・!」

 日奈は立ち上がった。話について行くのも精一杯なのに、自分が鍵になるらしい宣告まで受けてしまったので日奈はうろたえたのだ。

「前言った通り、キミはもう自由な鳥だ。今のキミには義務も枷もない。自分の望むことだけを今は深く考えて欲しい」

 東郷様はいつだって穏やかである。

「私が知っている事は、思いつく限り今全てお話ししました。真偽はどうか分かりませんが、花は地上だけでなく、遠い空の彼方にも一輪咲いているというお話です」

 月乃はなんだかポカンとしてしまった。つい昨日まで自分が事件の最前列に立っていると思っていたのに、実態はもっとずっと大きな絵画が舞台であって、自分は長い歴史の中のほんの一ピースに過ぎないという事実が月乃を呆気にとらせたのだ。

 が、それと同時に高まる胸の鼓動は何だろうか。旅立ちの朝の緊張感や、近くで見ると意外と大きい気球を目の当たりにした時の興奮、あるいは幼稚園の頃の知り合いに再会した時のような高揚感、一体感、これらが月乃の小さな胸の中でウサギのようにピョンピョン跳ね回ったのだ。

(わたくしはやっぱり最前列にいるんですわ・・・! だってわたくしはロワール会の生徒会長になったんですもの!)

 その通りである。

 自分の恋心も持て余しているのに、学園全体のために何ができるのか疑問だが、生徒の代表としてきちんと務めを果たさなければならない。まだ進むべき方向すら決めていない、戒律や神様に関する問題を、月乃は日常生活の中で一緒に取り組んでいかなければならないのだ。月乃の決定はそのまま学園の決定となり、歴史に反映される。その重みが今、月乃の小さな肩にのしかかったのだ。

(や、やってやりますわ・・・!)

 不安がっている日奈様の横顔を見て、月乃はそう思った。日奈様の悩みや不安を少しでも消し去ってあげたい、それが月乃の本心だ。

(ところで、わたくしは一体いつになったら高校生に戻れますの・・・)

 全くである。

 

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