76、オーロラ
日奈はいつも、大聖堂にうしろめたさを感じている。
自分の存在のせいで多くの生徒が恋を禁ずる戒律を破ってしまっていることは事実であり、もし本当に学園の神様が存在しており、祭壇の向こうの闇にそびえる巨大なステンドグラスからこちらを見ているんだとしたら、きっと日奈のことを睨んでいるに違いないのだ。日奈は月乃様ともっと仲良くなりたいのに、こんなんじゃあ逆に月乃様に嫌われてしまいそうである。
「手分けして、使えそうなものを探そう」
ともかく、日奈たちは嵐の中の大聖堂で一晩を過ごさなければならないから、余計な心配事をしている場合ではないかも知れない。
「まずは・・・リリーくん、林檎くん、桜くんの三人で地下を見てきてくれないか」
意外な組み合わせである。日奈はてっきりセーヌ会とロワール会で別れることになると思ってたので、桜ちゃんはともかく、林檎さんまでがリリーさんと一緒に行くのは驚きだった。
「ふ、ふざけるな! なぜこの私がリリアーネと!」
さっそく腹を立てて身を乗り出した林檎さんに、東郷会長は笑顔である。ちなみに聖堂の中にいるメンバー全員がキャンドルを持っているためお互いの場所の把握には困らない。
「キミを買っているのだ、林檎くん。我がセーヌ会のリリーくんはいささか行き過ぎたところがあるから、キミに面倒を見てもらいたいのだ。それに、妹の桜くんのフォローをするのも、姉としての大事な務めじゃないのかな」
「うっ・・・!」
確かにその通りである。今回の件は桜ちゃんの傘の管理の甘さが遠因となっているのだから、私情で妹を避けている場合でなく、きちんと姉としての責任を果たさなければならない。
「わかりました・・・」
「やったぁ! よろしくお願いしますわね、林檎様♪」
「うぅ、馴れ馴れしく触れるな!」
「若山姉妹を独占できるなんて、私しあわせ♪」
危機感の全くないリリーの代わりに、林檎さんは頑張らなければならない。
「そして、私と日奈くん、月乃くんは鐘楼付近の探索だ。探索と言っても、私が年末に中身を入れ替えておいた保存食のカバンを取ってくるだけだが」
「あら・・・そんなものを用意してましたの?」
暗闇によく通る月乃様の凛とした声は、乾いた砂山に注がれた清水のように日奈の耳にすうっとしみ込んだ。ちなみにこの時の月乃は日奈にかっこいいところを見せようと精一杯カッコイイ声を出していた。
「ああ。歴史ある建造物だからね。保存食も大昔のものが入っていたさ」
入れ替えてくれて感謝である。
「西園寺くんは・・・一緒に来るかい?」
東郷会長は西園寺様の顔を見ながらそう尋ねたが、彼女はそっと目をそらしてアロマキャンドルのスタンドをなでなでするばかりだった。ロワール会のトップとして、悪のセーヌ会メンバーと一緒に行動なんてできないのだ。
「大丈夫ですわ、西園寺様。わたくしがキチンとチェックしてきますの」
「任せるわ、月乃さん」
以上のような経緯で、日奈は東郷会長と、そして月乃様と一緒に大聖堂を上っていくことになったのだ。
東郷会長と日奈様の後ろを澄ました顔で歩く月乃は、内心大混乱だった。
(どどどどうしてわたくしが日奈様と一緒に行動してますの!?)
月乃は徹底して喜怒哀楽を顔を出さない生活をしている反動で、胸の内がやたら感情豊かである。
(東郷会長がいるのがまだ救いですわ・・・早く用事を済ませてホールに戻りましょう・・・!)
東口の脇の扉を開けた先は石の階段であり、窓を叩く激しい雨音が反響する暗闇をロウソクの火で照らして三人は上っていく。
(うっ!)
踊り場に着く度に日奈様が振り返ってくるので月乃は彼女と目を合わせない作業に必死である。例えばここでもし月乃がつまずいて転びそうになったなら、きっと日奈様が体を支えて助けてくれるに違いないのだ。「大丈夫ですか? 月乃様♪」などと言ってにっこり微笑まれたら一発で戒律に抵触することだろう。
(こんなところで小学生に変身しちゃったらおしまいですわ・・・)
スーパークール高校生の細川月乃様が、あの小桃ちゃんと同一人物であることばバレたら、おそらく真っ先に馬鹿にしてくるのはリリーさんである。「はぁ~い、小桃ちゃ~ん♪」と言いながら高校生の月乃の頭を撫でてくるに違いない。そのような辱めを受けたらお嬢様人生は終了である。
(とにかく今は・・・集中ですわ)
月乃は足元を照らすことだけに意識を集中させることにした。
一方日奈は少し楽しんでいた。
(月乃様・・・私が振り返ると慌てて下を向いてる・・・)
単に自分が嫌われているだけの可能性ももちろんあるが、心優しい月乃様のことだろうから、きっとロワール会の名誉のために必死に私を避けているんだろうと日奈は思った。二人きりの時に話しかけたらきっと小声でおしゃべりしてくれるに違いない。
それにしても、自分が振り返る度に慌てて下を向く月乃様を、日奈は心のどこかで「可愛い」と感じており、このある意味サディスティックな心理が日奈を天性のお姉様たらしめている要因である。
(そういえば・・・小桃ちゃんは今どこでなにしてるのかな・・・)
今あなたの目の前で下を向いている。
松明を立てるためのスタンドが階段の両壁に並び始め、あちこちに星座をかたどったような凝った装飾の旗やカーペットが増えてきたころ、東郷会長の持つキャンドルの明かりが扉らしきものを照らして止まった。
「ここは・・・何ですの?」
三人の陰が天井に伸びてちょっぴり幻想的である。
「ここかい? ここは・・・秘密の部屋だ」
「秘密って・・・もしかして宿泊用のお部屋ですの?」
「その通り。でもここは誰も掃除していないから今夜使うことはできないだろう」
何のためにこの部屋は存在するのか。
「私が中の様子を見てくる」
「え・・・いやいや、わたくしも行きますわよ」
「暗いし、保存食の場所なら私が知っているから。すぐ戻るよ」
東郷会長はハンカチに包んでいた古びた鍵で重い扉を開け、一人で入っていってしまった。
(え!? なんですの! この状況はっ)
月乃はつい先ほどまであんなに大勢でいたというのに、いつの間にか日奈様と二人きりになってしまったのだ。キャンドルを持った月乃の手は動揺で細かく震えたので、彼女の陰は天井でガタガタ揺れた。
(月乃様と二人・・・)
日奈は遠くに聞こえる風鳴りの中に自分がすべき行動を探した。じっと黙っているという手があり、クールな月乃様に嫌われないようにするなら悪くない行動だが、日奈はどうしても我慢ならなかった。日奈は月乃様とおしゃべりがしたい。
「あの・・・」
「ひ!」
月乃の陰がますます激しく揺れたが、恥ずかしくて自分の手元の火だけを見ている日奈はそれに気づかない。
「その・・・あの・・・」
「ど、どれですの・・・!」
姿こそ見えないが大聖堂のベルがすぐ頭上にあるはずなので、この場所でもし戒律を破れば月乃は一瞬で小学生にされてしまうだろうが、本人はもうそんなことを気にする余裕がないくらい日奈様とのコミュニケーションに緊張している。
「雨強いですね・・・」
「つ、つよ! 当然ですわよ、台風ですのもの!」
「そうですね・・・台風ですからね・・・」
「そうですのよ。台風ですもの・・・」
好きな人の前にいる時、人の頭の回転は半分以下になる。
やっぱり二人きりの時はおしゃべりしてくれるんだと分かってホッとした日奈は、次の言葉を一生懸命探した。月乃のほうも日奈様がどんなことをしゃべってくれるのかという期待と、カッコ悪い返事をしてしまわないだろうかという不安で心を揺らした。沈黙が必ずしも停滞とは限らないのが人間関係の面白いところである。
「あ、あの・・・今夜は・・・星が・・・」
「やあ、おまたせ」
「ひい!」
勇気を出した日奈が口を開くのとほぼ同時に扉も開いたのである。大きなリュックと山のような衣類、水のボトルを持って出てきた東郷会長は、廊下にいた二人の反応を見て少し驚いていたから、きっとこのタイミングはわざとでない。
「あったよ。ホールに戻ろう」
「・・・リリアーネ、前へ進みすぎですよ」
「あーら、林檎様が遅いんじゃありませんの♪」
南口から降りられた地下通路は完全に真っ暗だったため林檎はちょっと怖がっているのだ。
「さ、桜! どこなの」
「桜ちゃんなら私にくっついてますわ♪」
桜ちゃんはロウソクを持つのもやめてリリーさんにしがみつき、恐怖を紛らわせている。
(桜・・・! またあのようにリリアーネと睦まじく!)
奇妙なジェラシーに心を乱された林檎さんは一瞬にして暗闇への恐怖を忘れ、甘えん坊の桜をリリーさんから引きはがそうと思ったのだが、妹の体に触れるのが恥ずかしく、リリーに触る勇気も出なかったので、ロウソクを持ったまま二人の後ろをうろうろするだけに終わった。林檎さんは月乃と同じくらい人生にしがらみが多い。
「あら♪」
「ひゃ! な、なんですか!?」
桜ちゃんがさらにきつく腕にしがみついて来てリリーさんは嬉しかった。
「シャワー室・・・なのか」
体育館にあるものによく似た案外新しい設備のシャワー室が現れた。普通であればここに一歩踏み入れただけでパッと明かりが点くのだが、今日は眠ったように静まっている。
「一応シャワー室はあるのですね。よかった。湯を浴びなければ寝られない」
「あら、でもこのシャワー、電気で沸かしてるんじゃありませんの?」
「え」
リリーさんのほうが賢い分析をしたらしいこの状況に林檎はリンゴのように顔を赤くしたが、帽子で隠すまでもなく辺りは暗いのでリリーさんたちには見られなかった。闇が人を救ってくれることもあるのだ。
若山姉妹とリリーさんが大聖堂のホールに戻ると、既に東郷会長たちは下りてきていた。
「やあ、下には何があったかな」
「シャワーがありました。でもダメです。お湯が出ません」
林檎さんはそう言いながら月乃の隣りにやってきた。誰かの斜め後ろのポジションを定位置にするあたりは桜ちゃんに似ている。
「蛇口はひねってみたかい?」
「え?」
東郷会長は妙なことを訊く。
「ひねってません。無駄なことはしない主義です」
「おそらく、お湯は出ると思うよ」
「へ?」
日奈は温かいシャワーに身を預けて一時の安息を得た。
ひとつひとつが個室になっているシャワーなので裸を見られることはないが、注意しないと桜ちゃんあたりが気絶してしまうので日奈は月乃様の隣りのシャワーを選んでお湯浴びをした。クールな月乃様なら自分にメロメロになって気を失うことはないだろうと考えたのである。
ちなみにお湯が出た理由は、電気給湯器のタンクにまだアツアツのお湯が入っていたからである。停電しているから新たにお湯を沸かすことはできないが、既に蓄えられているお湯だけで数人分のシャワーには困らないのだ。どちらかと言えば明るさのほうが問題だったが、通路に点々とアロマキャンドルを置いて浴びるシャワーもなかなか乙なもので、昔のヨーロッパ貴族のような気分になれる不思議な空間になっていた。
(月乃様が・・・隣りに・・・)
日奈はこの薄い壁の向こうに月乃様がいることを意識し始めた。壁板の下部およそ30センチは空いているから、お互いの足首は見えている。
(月乃様と一緒に暮らしてるみたい・・・)
普通だったら月乃様の裸を見る機会なんて巡ってこないのに、今はそれに近い状態である。日奈は頭からシャワーを浴びて目を閉じながら、月乃様の裸を想像してしまった。
(きっと・・・綺麗なんだろうなぁ・・・)
日奈は自分の美貌のことなんか忘れて呑気に妄想した。すべすべの頬やうなじから伝う水滴が、素敵なおっぱいを濡らしている様はまるで桃の国に舞い降りた天使のようである。
(天使って・・・失礼かな・・・)
月乃様はもっとカッコイイ、例えば女王様のような表現が正しいのかも知れないが、なぜか日奈には天使に思えた。それはまるで小桃ちゃんを見ている時と同じ気分だが、胸のドキドキには不思議な生々しさがある。
(月乃様・・・月乃様・・・)
日奈は自分が考えていることが知られたくなくて、無意識に自分の胸のあたりを隠していた。白い腕からこぼれそうな胸が湯しぶきを上げて揺れた。
一方月乃のほうは日奈の比でないほど慌てふためいていた。
(と、と、隣りに来たのは・・・日奈様ですの!?)
雰囲気でそれを察した月乃は絶対に日奈様のことを考えないように、ごく小さな声で円周率を唱え続けた。
(すごい、月乃様、こんな時でもお勉強してますぅ・・・!)
反対隣りでシャワーを浴びていた桜ちゃんは動物的聴覚で月乃の念仏を聞き取った。どんな状況でも月乃を尊敬してくれる桜ちゃんは実にピュアな子である。
月乃たちは大聖堂のホールの長椅子を寄せて簡単なベッドを作り、東郷会長が上から持ってきてくれた毛布を使うことによって寝床をこしらえた。桜ちゃんは月乃の隣りに来たがったが、姉の林檎が素早くそこに潜り込んだため仕方なく桜ちゃんはリリーさんの隣りに行った。
「明かり、消すわよ」
「はい」
西園寺様が枕元のアロマキャンドルをふっと吹き消すと、大聖堂はとっぷりと深い闇の中に沈んだ。
「わぁ・・・」
横になった桜ちゃんがため息のような歓声を上げたワケは、雷の閃光がステンドグラスを輝かせたからだ。夢の中で見かけるような虹色の巨大な魚が、一瞬だけ大聖堂の高い天井を泳いだのだ。まるでスライドショーでも見せられているように断続的に輝く雷の光により天井の梁は竜宮城のように彩られ、灯っていないはずのキャンドルたちは燃えている時よりも生き生きと呼吸し、無限の色が少女たちを包み込んで時計回りに回った。まるで星座の世界の住人になったかのように幻想的である。
大雨と暗闇、そして雷と、本来であれば少女たちにはいささか怖い要素が詰まった夜のはずなのに、月乃も、日奈も、桜も、林檎も、リリーも、西園寺会長も、東郷会長も、みんなが胸をときめかせた。大聖堂にいる神様は戒律によって生徒たちの人生を縛るだけの、単なる畏怖の対象でないらしいことは、この光景を見れば明らかである。
「素敵・・・」
そうつぶやいて毛布をもふっと抱きしめた日奈は、いま月乃様がどんな気持ちなのか、そしてどんな顔をしているのかが気になり、顔だけをそっと月乃様の寝床に向けようとした。
が、長椅子の背もたれや他の人の毛布に邪魔されて、せっかく雷で明るくなった瞬間にも月乃様の姿を見ることは出来なかった。
(月乃様・・・)
日奈は急に切なくなった。この素晴らしい時間に、好きな人の顔を見られないなんてあまりにも悲しかったのだ。好きな人に好きと言えないことがこんなにも辛いんだと日奈は実感した。
(え・・・)
日奈をとりまく全ての時が止まった。
(好きな人・・・?)
雨音も雷鳴もすっかり日奈の耳に入らなくなった。
日常に必要以上に花を添えてきて、いつの間にか日奈の胸の中を花束でいっぱいにしてきた迷惑な感情の正体に、日奈はようやく気付いたのだ。幼い頃から自分の周りで咲いては散る悲しい花たちの芳香が今、日奈の中で満を持して香り立った。
(す、好きな人・・・!?)
恋という一言を解に当てはめれば、日奈が感じている全ての不可思議が説明できる。朝食のミルクの向こうに月乃様を思い浮かべ、授業中も月乃様が今なにをしているのかを思い、星に祈るフリをしながら月乃様の幸せを祈る・・・そんな奇妙な行動も、ラブソングの中でなら理解可能であり、恋の詩集の挿絵だったら自然である。
(私・・・私・・・!)
日奈は全身が熱く火照った。
(恋してたんだ・・・、月乃様に・・・)
怖いとも嬉しいともつかない熱い感情が目がしらに集まった日奈には、雷で浮かんだステンドグラスのきらめきがオーロラのように揺れ、その輝きを一層増したように見えた。日奈だけが見た、恋のオーロラである。
(ど、どうしたらいいの・・・私・・・!)
自分がモテすぎるがゆえにスタートラインに立とうともしなかったレースに参加するには、日奈の恋愛感覚はあまりにも未熟であり、深い闇に突き落とされるような感覚でもあった。誰もが知っていることはきっと私は知らない、みんなができることを私はできない、きっと月乃様との友情が終わってしまう・・・そんな冷たい予感が日奈の胸を押しつぶそうとしてきたのだ。
「うぅ・・・」
日奈は涙と泣き声を誰にも知られないようにするため、毛布を深く被り直した。徒競走の後のように心臓がドキドキして、体が浮かんでぐらぐら揺れているような不安と胸が沈むような悲しみを一人抱え込んだのだ。日奈の心は孤独なまま嵐の中へ投げ出されたわけである。
たった一人、そんな日奈の様子に気づいた少女がいる。他でもない月乃である。
(日奈様・・・泣いてますの!?)
西園寺様がランプを消してからどれほど経ったかは定かでないが、隣りの林檎さんが桜ちゃんと同じ顔をしてすやすや眠っている時刻である。
(確かに天井に映る光は綺麗ですけど・・・感動して泣いてる感じじゃありませんわ・・・)
月乃の胸に妙な功名心が顔を出した。日奈様の悲しみを自分が救ってあげたい、そんな気持ちである。
(い、今なら・・・大丈夫かも知れませんわ・・・)
上半身を起こし、周りで寝ているメンバーを顔を確認した月乃は、雨音に自分の気配を隠しながら長椅子のベッドを下りた。少し寝ぼけているせいでふらつく足元がすうっと涼しく、自分のやっている行為の危うさと、人生の一つの小さな選択をしている最中なのだという緊張に月乃の胸は高鳴った。
(えーと、どうしましょう・・・)
サンタクロースになった気分で月乃は日奈様の長椅子ベッドのたどり着いたが、毛布にくるまってしくしくないている彼女に掛ける言葉が見つからない。月乃はその場でおよそ五分、どうやって話しかけるか、あるいはもう自分の寝床に帰ろうか悩み抜いた。
(よし・・・)
月乃はとにかく、日奈様が悲しんでいることが我慢できない女であり、日奈様のためなら多少の勇気を出すことくらい、朝飯前とまでは言わないが夕飯前である。
「あ、あの・・・日奈様」
「えっ!!!」
ごく小さなささやきを送ったのに意外なほど大きな反応を示されたので月乃は慌てたが、他に目を覚ましたメンバーもいないようなので落ち着いてお嬢様ポーズを決めた。毛布から顔を出した日奈様は潤んだ瞳を丸くして、月乃の言葉を待っている。
「な、情けないですわね・・・大丈夫ですわ。嵐なんてすぐに止みますのよ。雷なんて怖くありませんわ」
「あ・・・う・・・」
少し間を置いて、日奈は言葉にできない気持ちを再び涙にして目からこぼしたが、それは先ほどまでとは違う、うれし涙であった。
「も、もう・・・じゃあ、わたくしは帰りますからね」
そう言って回れ右した月乃は、「作戦成功。これでまたわたくしが頼れるお嬢様であることを日奈様にお伝えすることが出来ましたわっ」と満足気だったが、そんな彼女のパジャマのはじをきゅっと握った者がいた。
「えっ」
振り返ると、毛布を抱きしめたまま体を起こした日奈様が上目遣いに潤んだ瞳で月乃を見つめていた。嵐の中に咲いた星いっぱいの幻想世界で、月乃は天使に会ってしまった気分である。
(な、なななんですの!? これは!!)
今までこのような引き止められ方をされたことがなかった月乃は様々な考えが頭をよぎり、くらくらした。
「ありがとうございます・・・」
涙声でそうささやいた日奈は、そっと月乃の服を握る手を放した。今までのものとは全く違う別次元の喜びと悲しみをこれから味わい始めることになる日奈の、覚悟の一言でもあった。
翌朝はすっかり晴れていた。
月乃はあのあと日奈様の行動を寝床で振り返っているうちにちょっとイケナイドキドキの仕方をしてしまい、戒律を破ったとして小学生に変身させられてしまった。大聖堂内にいるから少し基準が厳しかったようである。夜明け前に目を覚まし、自分が小学生であることへの落胆を早々に済ませた月乃は、既に雨が小降りになっているのを確認すると学舎にダッシュし、昇降口から全員分の傘を借りてきたのである。「月乃様が保健室に来て傘を持ってくるよう言われた」と寝起きのリリーさんに説明したところ「ありがとう~小桃ちゃ~ん♪ お礼に一緒にお風呂に入ってあげる」と言われたのでさっそく逃げ帰り、無事に高校生も戻ることにも成功した。
「全てうまくいきましたわ!」
「そりゃすごい。ロワール会とセーヌ会が協力したっていうのも良いね」
「まあほとんどわたくしのお陰ですけどね」
アールグレイの香りの保健室で、保科先生に楽し気に自慢する月乃は、日奈の心の変化になどまったく気づいておらず、まるで小学生のように無邪気であった。




