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71、昔話

 

『この秋の注目はやっぱり、生徒会長選挙でしょう!』

 その夜、古びた味わいのラジオ音声に耳を傾けながら、月乃はお勉強していた。

『ロワール会の次期会長は、おそらく細川月乃様でしょうねえ! 私が知る限り、みーんなが細川会長の誕生を心待ちにしていますっ!』

 月乃は滅多に自室でラジオなど聴かないのだが、今夜は生徒会長選挙に関するトークがあるという噂を聞いてスイッチを入れたのだ。特に役に立つ情報が得られるわけではなさそうだが、人々が掛ける月乃への期待を直に耳にすることが出来るので、月乃は非常にイイ気分である。

 一年生の時からロワール会の会長を務めてきた稀代のお人形お嬢様、西園寺美冬先輩も、この秋で任期満了である。ロワール会のメンバーは他に月乃と林檎さんがいるので両者が会長の座を巡って争ってもいいのだが、とにかくチヤホヤされたい性格の月乃と違い、林檎さんは既に月乃のサポートをする心構えで暮らしているので、選挙は月乃の就任に賛成か反対かの信任投票になりそうである。

(わたくしが・・・生徒会長になれますのね!)

 と月乃は無邪気に心を躍らせもしたが、よく考えるとこれはとんでもない事である。

 不本意ながら戒律を破りまくってしまっている月乃がロワール会の生徒会長になんかなったら、今まで以上に気をつけて公の場に出ないと小学生モードのことがすぐにバレてしまうし、下手をしたらこの学園の神様が「あなた、その程度の自覚で会長になるの? ダメよ。小学生モードの刑を永遠のものにしてあげる」などと怒ってしまう可能性もあるのだ。月乃が学園の神様に目を付けられていることは間違いない。

 月乃は黒いカーテンの隙間から遠い大聖堂の尖塔を眺めた。あの聖堂のステンドグラスにでも宿っているかもしれない神様が、月乃にはちょっぴり恐ろしく思えた。

『問題はセーヌ会でしょう。あちらも東郷会長が退任されるわけですが、会がこのまましぶとく存続するのか、それとも大人しくロワール会の傘下に入るのか。これは見ものですねえ!』

 そんなはずありませんわと月乃は思った。あの東郷会長のことだから、きっと自分がいなくなった後のことも計算に入れて行動しているに違いないのだ。

(日奈様がもし・・・セーヌの生徒会長になったら・・・)

 考えたくもないが有り得ない話ではない。もしそうなったら月乃は大好きな日奈様と戦わなければならず、もう二人きりになっても雑談なんかできないだろう。これは月乃がずっと希求してきたお嬢様精神に掛けて、絶対に守らなければならないルールである。

(日奈様・・・今頃なにをしていますの)

 大聖堂の屋根をかすめていく流れ星の彼方に日奈様の温かい笑顔を思い描いた月乃は、切なくてたまらなくなった。どうして運命は二人の間にこうも高い壁を作りたがるのか。

「月乃様、まだ起きてらっしゃいますか」

 月乃の時間に廊下から突如割り込んできたこの声の主は林檎さんである。

「えっ! は、はい! 起きてますわ!」

 月乃は慌ててラジオの電源を切った。


「お約束通り、私の生い立ちをお話ししましょう」

 月乃がささっと淹れたアールグレイのお茶をそっと飲んで、林檎さんがそう言った。

「生い立ち・・・? そ、それは、ありがたいですわ」

 正直、月乃はもうちょっとラジオを聴いていたかった。何しろ今ちょうどセーヌ会の話題になったところだったので、このまま聴いていれば日奈様の動向に関する情報を一言くらい聞けそうだったからだ。

 しかし、桜ちゃんの双子の姉であることが判明した林檎さんに「もう、どうして秘密にしてましたのっ。今度ちゃんとお話聞かせて下さいね」と頼んたのは月乃なので、林檎さんを帰すわけにもいかない。

「16年前、私と桜は同じ家庭で生まれました」

 語りだしてしまった。もう林檎さんを止められないので月乃は大人しくベッドのへりに腰かけた。林檎さんの過去が気になっているのは事実なので、ここは大人しく耳を傾けるべきである。



 同じ頃、日奈は一人で夜の三番街を歩いていた。

 みんなラジオに聞き入っているので外を歩いている子はいないだろうという日奈の目論見通り、マドレーヌへと続く散歩道の街灯たちは、ようやく涼しくなってきた夜風に髪を揺らす日奈の姿だけを照らすスポットライトになっていた。

(みんな、次の生徒会長が気になってるんだ・・・)

 日奈はセーヌ会の会長になんて絶対になるつもりはない。尊敬する月乃様と争うのはイヤだからだ。

(月乃様・・・今頃なにしてるのかな・・・)

 月乃様が目指すお嬢様像は冷たくて無表情なものであり、学園の風紀にもマッチしているのだが、日奈が望む月乃様の姿はもっと温かいものである。自分勝手であることは分かっているのだが、日奈は月乃様の毎日が笑顔にあふれたものであってほしいと願っているのだ。しかしそれも叶わぬ夢である。

「あ・・・」

 いつの間にかマドレーヌ広場まで来ていた日奈は、ベンチに座って「うーん」と首をかしげている可愛い女の子を発見した。月乃様のクラスメイトの若山桜ちゃんである。特に話しかけるつもりはなかったのだが、他に誰もいない広場にひょっこり顔を出した日奈に、桜ちゃんのほうが気付いたのである。

「わ! こ、こんにちは! じゃなくて、こんばんは!」

「こ、こんばんは」

 日奈にとって桜ちゃんはいい意味で小動物っぽく、比較的話しやすい子である。

「あの、実は私、悩んでまして・・・」

「え?」

「少しお話させていただけませんか?」

「あ・・・はい。私でよければ・・・」

「あの、どうぞ座って下さい」

「は、はい」

 随分唐突であるがとにかく日奈は桜ちゃんの話を聞くことになった。結構強引に話を始めるのが若山姉妹の特徴かも知れない。

「実は私、月乃様にご迷惑を掛けちゃったかもしれません」

「え?」

「リリアーネ様からお聞きしてるかも知れないですけど、私ってロワール会の林檎様の双子の妹なんです。だけどそのことを月乃様にずっと言えてなくて、この前急にバレちゃったものですから、月乃様を混乱させちゃったんです」

「え、双子・・・?」

 今初めて双子であることを聞いて衝撃を受ける日奈を置いて、桜ちゃんはノンストップで話を続けた。実にマイペースである。

「月乃様からの信頼がなくなったら、私生きていけないです。どうしましょう・・・ぐぅ・・・」

 桜ちゃんが肩を落としている。お悩みの内容は理解できたが、どうしても無視できない疑問があったので日奈は尋ねることにした。

「月乃様はお心が広いのできっと大丈夫だと思いますけど、あの・・・桜様と林檎様は・・・双子さんなのですか?」

「え!!」

 日奈と桜ちゃんの温度差の溝がようやく埋まった。

「す、すみません! あの、そうなんです。双子なんです」

 桜ちゃんは虫よけスプレーを日奈の腕にシュッと吹きかけてくれてから、昔話を始めた。長くなりそうである。

「16年前、私と林檎お姉様は同じ家庭で生まれました」



 若山家は地元でよく知られた名家である。

 娘に徹底したお嬢様教育をし、立派な女性に育てる気満々だった母は、双子が生まれてしまってちょっと悩んだ。船頭多くして船山に上ると言うように、一族の団結と繁栄のためには、指導者が一人である必要があるのだ。

「ごめんなさいね・・・」

 姉妹の母は断腸の思いで妹を田舎の親戚の家に預けることにしたのだった。ちなみにこの時妹が田舎行きに決定した理由は、試しに姉妹の前にウサギのぬいぐるみと百科辞書をおいたところ、妹のほうがぬいぐるみを選んだからである。お嬢様の適正があったのは姉のほうだったのだ。当時から桜ちゃんは動物好きだったらしい。


「これがその時のぬいぐるみです」

「え」

 桜ちゃんがポケットから手帳を取り出し、そこに挟まっていた写真を一枚取り出して日奈に見せてくれた。本物のぬいぐるみをベンチの下からひょいっと出してきたらどうしようかと思ったので日奈はホッとした。ちなみにウサギのぬいぐるみは日奈の想像以上に生意気そうな顔をしており、すんごい不機嫌な時のマンボウみたいなお世辞にも可愛いと言えるお顔ではなかったが、幼いころの桜ちゃんにはそんなの関係なかったわけである。


 姉妹は別々で暮らすようになったが、幼稚園の年長になって字が書けるようになってくると、二人は互いに手紙を送り合うようになった。もっとも、まじめに文をしたためていたのは林檎のほうばかりで、桜は自分が描いた絵を送ることがほとんどだった。いずれにしてもこの頃までは姉妹は仲が良かったわけである。


「これがその頃の手紙です」

「え」

 林檎さんがポケットから手帳を取り出し、そこに挟まっていた小さな便箋を何枚か月乃に見せてくれた。明らかに林檎さんは桜ちゃんを嫌っており、日常でも避けたり冷たくしたりしているのに、何でこんなものを学園に持ってきているのか、月乃にはサッパリ分からない。ちなみに桜ちゃんが描いたとされるその絵は、ものすごく生意気そうな顔をした巨大なウサギの頭の上に姉妹が乗っかって夜空を飛んでいる絵など、なかなかシュールでファンタスティックなものばかりだった。


 二人の仲に陰が差したのは、彼女たちが小学4年生になった春のことである。

 親戚が新居をド田舎に建てたことを祝うため一族で集まる機会があり、そこで林檎と桜はめでたく再会できることになったのだ。まだピュアピュアだった林檎は、待ち合わせの新居にいち早く乗り込み、桜のために最高においしいダージリンを淹れてあげる準備をして待っていた。この家のキッチンを最初に使ったのは持ち主の叔母さんではなく林檎である。

「林檎お姉たまっ!」

「桜様!」

 部屋に飛び込んできたのは、白くて薄っぺらいワンピースに身を包んだ、花のような笑顔の少女である。

「お姉たま! お久しぶりです! 会いたかったです!」

「え、ええ。私もです・・・」

 林檎はこの時期、既にかなり厳しくお嬢様教育を受けていた。学校ではひたすら勉強し、放課後も誰とも遊ばず自分を磨く日々であり、元気にお外で遊び、きらびやかな文具やおもちゃに囲まれた生活を送る一般女子とは一線を画した生活を送っていたのだ。まだ幼い林檎には、他の児童たちと同じような明るく楽しい生き方をしたいという弱い心があったから、その隠れた羨望がクラスメイトたちへのちょっとした恨みのような感情に変わっていたのである。どうして自分はこんなに我慢しているのに、あなたたちは自由なのか、という切ない苦しみである。

「林檎お姉たま! お土産をたくさん買って来ましたよ! これは湯けむり妖精のペンです、二本セットなんです! どちらがいいですか? 二人で持ちましょう! それからこれは名古屋駅で買った尾張まんじゅう。表面におわりってでっかく描いてあって面白いですよ!」

 自分の目の前ではしゃぐ少女を、幼い林檎は苦々しい気持ちで見つめた。自分の実の妹が、自分が一番嫌っている類の少女であったという事実に気づいてしまったからだ。一方桜は林檎お姉さんがどのような暮らしをしているか知ってはいたものの、久々の再会に喜びを隠すことができなかった。怒らせるつもりなんてなかったのだ。

「・・・帰って下さい」

「え?」

「か、帰って下さい! あなたなんか、もう知りません! 妹だなんて思わないです! あと、私のことは林檎お姉様と呼びなさい! お姉たまじゃありません!」

 若干矛盾したことを叫んで、林檎は部屋を飛び出したのだった。

 その後、一族が揃うタイミングは何度かあったのだが、林檎は桜と一言も口を利かず、手紙にも返事を書かなかった。とっても悲しい気持ちになり反省した桜は、なんとか仲直りのチャンスを得るべく、林檎お姉さんが受験すると噂のベルフォール女学院を自分も目指すことにしたのだ。勉強もいまいちで落ち着きもない自分が受かるとは思えなかったが、事前に学園の情報を調べ尽くし、動物的勘で試験をクリアして、ついでに面接で超リアルなオコジョの物まねを披露した結果、無事に合格したのである。

 自分の妹もベルフォール女学院に来ることを入学前に知った林檎は、長らく不和に陥っている姉妹関係の修復の機会を得られたことへの喜びを感じないでもなかったが、自分のお嬢様道にあのような明るい妹の存在はやはり不要だったので、当面は双子の妹のことを秘密にして暮らすことにした。顔の作りがあまりにも似ているため、普通に生活していたらすぐにバレてしまうと考えた林檎が目につけたのが、例の黒くて大きな帽子だった。ひと昔前の学園公式グッズの一つだが、今も一部の熱狂的マニアが被り続けている品らしく、うつむいて暮らしているぶんには素顔を見られない好都合な帽子だった。

「私は・・・若山桜の姉じゃありません・・・一人の人間、林檎ですから」

 自分の心を帽子の下に隠して、林檎は高校生活を始めたのだった。



「・・・つまり、林檎様は桜様と仲直りがしたいんですの?」

「え?」

 話を聞き終えた月乃の問いに、林檎さんはパーカーのフードをさらに深く被り直した。

「いいえ。桜はあの頃から何も変わっていません。あんな子を自分の妹だなんて思っていませんから」

「あら・・・そうですの」

 素直じゃありませんわねと月乃は思ったが、月乃も林檎さんと同じような厳しい教育を受けてきた女なので彼女の気持ちはよく分かるからこれ以上言うのはよしておいた。しかし月乃は自分のことを純粋に尊敬していつもしっぽ振ってついて来てくれる桜ちゃんのことを気に入っているので、ロワール会の大事なパートナーである林檎さんと彼女が不和であると面倒であるから、これはいつか解決したい問題だ。


「・・・つまり、桜様は林檎様と仲直りがしたいんですね」

「はい・・・そうなんです」

 話を聞き終えた日奈の問いに、桜ちゃんは申し訳なさそうに、そして恥ずかしそうにうなずいた。

「でも、それには私がもっと落ち着いたお嬢様にならないと・・・まともにお話もしてもらえません」

 切なそうな桜ちゃんの横顔を見て胸が痛んだ日奈は、ほとんど反射的に桜ちゃんを励ましていた。

「大丈夫です。桜様はたぶん、そのままが一番・・・素敵です」

「え?」

 顔を上げた桜ちゃんは、なぜか顔を真っ赤にしておろおろし始めた。学園一の美少女に「素敵です」などと言われたら、月乃様以外の女性の魅力に鈍感な桜ちゃんでもドキドキしちゃうわけである。

「桜様は桜様の良さを素直に表現して、それで林檎様と接するのがいいと思いますよ。無責任な言い方ですけど、なんとなく、林檎様はいつか分かってくれる気がするんです」

「素直に・・・?」

「はい。・・・まあ、私自身が一番苦手にしていることでもあるんですけどね」

 日奈は照れながら笑った。

 この時日奈は、自分が考えていることを自分の口を通じて初めて知った。反射的なセリフはというのは見方によっては口先だけの不誠実なものである場合があるが、今回の日奈のセリフは精神の深いところから湧いた清き水のせせらぎである。日奈は心のどこかで、自分や桜ちゃんのような笑顔が大好きな人間が、ロワール会の人たちに理解してもらえると信じているのかも知れない。それは笑顔にあふれた生活への強い憧れと、月乃様たちへの熱い信頼の両面に起因する感覚である。

 いつになったら実現するのか見当もつかないが、ロワール会とセーヌ会が理解し合える明日が来ないとは言い切れないのだ。何も日奈や桜ちゃんや、ついでにリリーさんが暗い顔をして肩身の狭い日々を生きずとも良いはずである。

(でもそれって・・・どうしたらいいんだろう)

 希望の星は見つかったが、そこにたどり着くための宇宙ロケットの作り方が分からないわけである。日奈ほど自分の能力の使い方が分からず持て余している不器用な少女も珍しい。


『以上、生徒会長選挙に関する最新情報でしたっ! 黒く美しいロワール会の更なる発展と栄光が楽しみですねぇ! 戒律をないがしろにする悪のセーヌ会の動向は、我々放送部が今後も見守っていきたいと思います!』

 宇宙への厳しい大冒険を強いられることになるが、夢を叶えるためのロケットは、実はすぐそこにあるのだ。

 

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