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70、アップル&チェリー

 

 麦わら帽子を被った桜ちゃんは、大空の下で旗を振っていた。

 鳩舎のハトたちは決まった時刻にお散歩ならぬ「お散飛」に出掛けるのだが、中には集団からはぐれて迷子になるドジなハトポッポもいるので、帰ってくる場所の目印を作っているのだ。

「おーい、こっちだぞぉ!」

「おお!」

 ハトをうまく誘導する桜ちゃんの卓越した技術に後輩たちも感心している。

(こんな暑い日は・・・冷たいシャワーか、もしくは・・・んー! 月乃様のクールな視線に射抜かれたいですぅ・・・!)

 飼育小屋がある西の山腹を下りたら、まずは良きお風呂場を探そうと桜ちゃんは思ったのだった。桜ちゃんはその名以上に夏が似合う女である。



 いっぽう、クールな月乃は夏に弱い。

 ベルフォール女学院は盆地にあるがそもそも標高が高いので毎年それほど気温は上がらない。が、今年はちょっとした猛暑である。

(こんな日にプールで泳いだら、きっと気持ちいいでしょうね・・・)

 手についたホコリを払いながら、高校生モードの月乃は七夕の日に味わった心地よい水音を懐かしんだ。日奈様の水着姿まで思い浮かんでしまうから困ったものである。

「ふー、ありがとう。これで本当に片付け終了」

 保科先生は本日二度目のありがとうを言った。

 実は今日の午前中まで月乃は小学生だったのだが、職員室に隣接する事務用品室の掃除を言いつけられた保科先生のお手伝いをし、狭いところに潜り込んでコンセントを引っこ抜いたりしていたので先生に感謝され、元の体に戻れたのである。高校生になって新ためて見た事務用品室はとても狭く、こんな空間の掃除に半日も掛けていた自分たちが少々情けなくなった。

「それではわたくしはこれで」

「え、もう帰っちゃうの」

「はい。こんなホコリまみれのまま過ごしているようではロワール会メンバー失格ですわ。寮でお風呂に入りますの」

「そっかそっか」

 月乃は背を向けたが、ちょっと自分の態度がクール過ぎた気がしたので一言冗談を添えておくことにした。

「あら・・・先生もご一緒にお風呂入りますの?」

「い、いやいや! 遠慮します!」

 高校生の女の子にキュンキュンしちゃうちょっと危ない養護教諭、保科先生は、美しい月乃ちゃんの冗句を真に受けて本気で遠慮している。ピュアなおねえさんである。



 敢えて細い路地を選び、日陰のレンガ道を歩いて寮に帰ることにした月乃は、ここで名案を思いついた。

(そうですわ! 水風呂にしちゃえばいいんですわ!)

 昨日桜ちゃんが「私最近冷たい水のシャワー浴びてるんですよぉ♪」と楽しげに話していたのを月乃は思い出したのだ。冷え冷えの水とは言わないまでも、ぬるま湯くらいのお風呂を入れれば快適に違いない。お風呂当番の林檎さんは「勝手なことをなさらないで下さい」と怒るかも知れないが、西園寺様ならきっと許してくれるし、むしろ喜んでくれそうである。こういう小さな工夫を重ねてクールダウンしながら夏を乗り切るのがオトナの女性というやつに違いない。



 さて、問題はここからである。

 寮に戻った月乃は「ただいまですわ」とそこそこ大きな声で挨拶したのだが返事がなかったので、皆さん図書館にお勉強に行ったんですわねと思ったのだが、給湯システムのパネルの前に来たら、どうやら既にお風呂にお湯が入っているらしい。もう誰かが入浴しているか、もしくはオバケの仕業である。

(なんだか・・・前にもこんなことがありましたわね・・・) 

 とにかく月乃はお風呂場に向かうことにした。寮の中はいつもそれなりに涼しいので外にいる時よりも月乃はアクティブである。

「誰かいますの?」

 と言って脱衣所を覗くと、もうお風呂場の曇りガラスの向こうからジャバジャバと水音が聞こえていた。西園寺様や林檎さんの可能性もあるが、月乃のお嬢様的勘がそれを否定している。いたずら心を催した月乃は忍び足でガラス戸に近づいて、わざと大きな声を出して引き戸を開けた。

「誰ですの!」

「うっ!」

 その少女はびっくりして湯舟に潜ったが、そのまま海まで逃げていけるわけじゃないので、やがてそーっと顔を出した。

「桜様・・・またロワールハウスのお風呂に来ましたの?」

「えへへ・・・ごめんなさい」

 相変わらず桜ちゃんの笑顔はとても愛らしいが、ここで水遊びをしている理由のほうが今は大事である。

「どうしてまたここに来ましたの? またお湯が出なくなりましたの?」

「いえ、マドレーヌハウスのお湯は快適なのですが、今日はちょっと水浴びをしたくなりまして、せっかくだから自分のお部屋のシャワー室じゃなくて大きいお風呂がいいなぁっと思いまして・・・」

「あらまあ・・・」

「どなたかが帰って来るのをさっきまでお待ちしてたんですが、その・・・えへへ。待ちきれなくて」

 天真爛漫という言葉は桜ちゃんのためにある。どんな状況でも桜ちゃんの笑顔を見ると何でも許せてしまいそうだなと月乃は思った。ただし、日奈様の笑顔が月乃にとってのナンバー1である。

 たしかにロワールハウスのお風呂場は広く、温水プールのような楽しみ方もできないことはない。月乃も同じことを考えて寮に戻ってきたわけだから、ここで「それじゃあわたくしも」と言って制服を脱ぎに行っても構わないのだが、二人でこんなところで遊んでいるのも少々恥ずかしいので、せっかくだからもっと広いところでお風呂を楽しみたいなと月乃は思った。

「桜様、ご一緒にもっと大きなお風呂に行きませんこと?」

「え、いいんですかっ?」

 ロワール会の月乃様が一緒なら大抵の願いが叶う。

「この前出かけたシャンパーニュハウスへ行きましょう」

「え? 月乃様もシャンパーニュに行ったんですか!?」

「あ・・・」

 自分が以前シャンパーニュハウスのお風呂に行ったのは小学生モードの時だったということを月乃は忘れていた。

「い、いえ、見回りの時にちょっと中を拝見したんですわ。昨日。じゃなくておととい」

「そうなんですかぁ」

「シャンパーニュハウス、行ってみましょう。ちょっと温度の低いお湯で、快適なお風呂を沸かしてもらいましょう」

「はい!」

 なんとか話題を切り替えて月乃は危機を乗り切った。相手が桜ちゃんで助かったわけである。


 シャンパーニュに向かう途中、なんと西園寺様が合流した。

 なにしろ西園寺様は無表情のままヴェルサイユ広場のベンチでぐったりしており、「あの、大丈夫ですか?」と尋ねると「大丈夫よ」と言いながら日傘を手からぽろっと落とすものだから、放っておけなかったわけである。西園寺様の美しい座り姿を眺めて興奮する生徒は辺りにたくさん集まっていたが、心配してくれる生徒がいなかったので、西園寺様は倒れる寸前だったのだ。機転を利かせた桜ちゃんが近所の喫茶店でテイクアウトしてきてくれたアイスティーをゴクゴク飲んだ西園寺様は、何事も無かったように復帰し、「お出かけ? 私も行くわ」と言って月乃たちのあとに付いてきてくれることになったのである。

「月乃さん、シャンパーニュへは私が今から電話で連絡しておくわ」

「お電話ですの?」

「ええ。そのほうがスムーズに入浴できるわ」

「お電話でしたらわたくしが」

「いいのよ。私がするわ」

「そ、そうですの? では、お願いいたしますわ」

 普通、公用であっても私用であっても西園寺会長が直接電話をすることはないのだが、西園寺様は進んで公衆電話からシャンパーニュへ連絡してくれた。きっと先ほどのアイスティーのお礼である。

「もしもし、西園寺よ。これから参りますから、ぬるめのお湯で、お願いしますね」

『え、ええ!? 今から西園寺様が!?』

「・・・ご迷惑だったかしら」

『いえいえ! とんでもないです! お、お待ちしております!』

 今頃シャンパーニュハウスはてんてこ舞いに違いない。



 シャンパーニュの陸上部員たちの頑張りにより湯舟は真夏に気持ちいいどっちつかずな温度の湯で満たされた。西園寺様だけがお越しになるとばかり思っていた寮生たちは、スーパークールポニーテール細川月乃様と、小動物的可愛さが人気の若山桜ちゃんが一緒に来たので大層驚いた。

「はぁ・・・お風呂、気持ちいいですわねぇ・・・」

 夏休みの何気ない一日になるはずだった。

「はい。ひんやりして気持ちいいですぅ・・・」

 全ての出来事が月乃の想定の範囲内に収まっているはずだった。

「たまにはいいわね、こういうのも」

 しかし、事態はそう単純でなく、長らく隠されていたとある少女の秘密がまもなくこの場で破綻しようとしていた。その心の準備は誰にもできていなかったのである。

 露天風呂は本当にプールのような心地よさに違いありませんわねと月乃はのんびり考えていたため、脱衣所から聞こえてくる物音に気付かなかった。

「お邪魔しまーす♪」

「私もお邪魔しますぅ!」

 大浴場にやってきたのは、素っ裸のリリーさんと桜ちゃんである。

 初め月乃は、うわ、面倒な人がやってきましたわね、せっかく仲のいいメンバーたちでくつろいでいますのに、それも裸体をあんな風に恥じらいもなくさらして・・・などと感じていたが、やがてこの場面の異常に気が付いた。

「え?」

 今大浴場に入ってきたのはリリーさんと桜ちゃんである。

「え!?」

 そして月乃の隣りで湯に浸かっているのも桜ちゃんである。

「な、な、なんで、さ、桜様が二人いますの!!?」

 月乃は今年で一番ビックリした。

 大浴場に響いた月乃の声が水音に消えた頃、月乃の隣りにいた桜ちゃんがゆっくり口を開いた。

「・・・風呂の邪魔をするのが流行りなのか、この学園は。嘆かわしい」

 その声は確かに桜ちゃんのものだが、口調は明らかにロワール会メンバーのあの子である。そしてあの子の普段の声質が桜ちゃんのものと完全に一緒であることに月乃はこの瞬間まで全く気付かなかったのだ。

「り、林檎様?」

「ええ、そうです」

 月乃の隣りにいる桜ちゃんは、なんと林檎さんだったのだ。

「ど、どういうことですの!? 桜様と林檎様は同一人物でしたの!?」

「月乃様、落ち着いて下さい。同一人物は二人同時に登場しません」

 桜ちゃんと瓜二つの顔をした林檎さんがそう言った。林檎さんはいつも大きな帽子を目深に被っていたが、まさかこんな顔だったとはさすがの月乃も考えていなかった。

「双子なのよね、桜ちゃんと林檎様は♪」

 リリーさんは至って落ち着いた様子でこの状況をぶった切った。リリーさんはずっと前から知っていたのである。

「ふ、双子ですの!?」

 恥ずかしいような、そして困ったような顔をしてうつむく本物の桜ちゃんに比べると、林檎さんの表情はかなり冷たい感じだが、とにかく顔が全く一緒である。

「あの・・・その・・・はい。私と林檎お姉様は、双子の姉妹なんです」

「ええ!?」

「その、月乃様に隠してたわけじゃないんですけど、なんとなく言いそびれてしまいまして・・・。言い出すタイミングがなく・・・」

 本物の桜ちゃんがそう説明してくれた。

 本人が意図してあまり自分の苗字を言わないのでほとんどの生徒が知らないのだが、林檎さんの苗字は「若山」である。お嬢様的なちょっと特別な事情により別の家庭で育てられた双子の姉妹は、なんと高校で再会しちゃったわけである。

「西園寺様は、ご存知でしたのっ?」

 と月乃が尋ねたが、西園寺様は何も言わずに虚空を見つめて石のように動かない。どうやら初耳だったようである。

「ほらほら、桜ちゃん♪ もじもじしてないで湯舟に来なさい。気持ちいいわよぉ」

「わ、私は・・・どうしましょう・・・」

 どうやら桜ちゃんは双子の姉である林檎さんに遠慮している様子である。ちなみに桜ちゃんはハトたちの世話をしたあと自分の住むマドレーヌハウスに向かったのだが、その途中でリリーさんに会い、ここへ誘われたのだ。頭にハトの羽が乗っている可能性があるので彼女はまず全身をよく洗うべきである。

「ちっ・・・なぜよりにもよってリリアーネがここに・・・」

 桜ちゃんの顔をした林檎さんに未だ違和感がある月乃は、林檎さんの横顔をまじまじと見てしまった。

「・・・なんですか。月乃様」

「いえ・・・どうして桜様のフリなんかしましたの? ロワールハウスのお風呂場で・・・」

「入浴中に帽子は被っていませんから。説明するのが面倒だったので、とっさにああするしかありませんでした。お許しを」

「べ、別にいいですけど」

「私が入浴しているときに浴場に来ないようにと、以前言っておいたはずですので、その点は月乃様に非がありますよ」

「はい・・・まあ、そうですわね。悪かったですわ」

 月乃が目を皿のようにして顔を近づけてくるので林檎さんは少し頬を染めながら「・・・間抜けな顔で、そんなに見ないで下さい」と言った。帽子を被っているときは全然見えなかったが、意外と表情豊かな少女である。


 涼やかなお風呂プールを楽しむ余裕が月乃に無かったことは言うまでもない。月乃にとっては一生忘れられないお風呂タイムなってしまったのである。


 ロワールハウスに戻った林檎さんが真っ先に向かったのは一階の脱衣所だった。

「私の服と帽子が脱衣所に置きっぱなしなんです」

「あら、そうですの」

「こんなこともあろうかと、自分の服とは別に変装用の私服も持ち歩いていて良かったです」

 結局自分が桜ちゃんと双子であることがバレてしまったので良かったも何もない筈なのだが、林檎さんはこの私服作戦をいたく気に入っている様子である。そういえば、今の林檎さんが着ているシャツは普段桜ちゃんがウサギと追いかけっこをする時の服に似ている。

 脱衣所の隅っこの籠の裏から、当然のように林檎さんは黒い帽子とブレザーを取り出した。

「あの・・・林檎様」

「はい」

「林檎様が桜様のフリをしたのは・・・今日が初めてですわよね?」

 いつもの黒い帽子を被った林檎さんは、すぐには答えず、何やら意味深な間を置いてから小さくささやいたのだった。

「・・・・・・さあ?」

 若山林檎、彼女は学園一ミステリアスな少女である。

 

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