55、強敵
「あら、私、桜様のお顔好きよ♪」
雨後の雫が眩しい窓辺のリリーは、ご機嫌な様子で桜ちゃんを褒め始めた。
「そ、そんな・・・! 私なんか、その・・・」
「そうやって恥ずかしがってるところもとってもキュートよ♪」
「うう・・・」
ベルフォール女学院は山奥の開けた盆地に位置しているので天気がめちゃくちゃであるから、予報にも無かった俄雨が少女たちの髪を濡らしにくることもよくある。放課後、辛うじて雨をのがれて喫茶店に入ったリリーは、そこで可愛い同級生を発見したのだ。週末の漢字テストで半年ぶりに10点満点を獲得した自分へのご褒美にキャラメルラテを飲みに来ていた桜ちゃんは、思いがけず緊張を強いられる場面に遭遇してしまい、ジュースが喉を通らない状況になった。桜ちゃんは普通の女の子なのに細川月乃様とたまたま仲良くなってしまえたせいで、学園の中心人物的マドンナたちとかなり関わりのある凄い毎日を送っている。
「いいお天気になって良かったわぁ♪」
「ほ、本当ですね」
「このあとデートでもする?」
「デデ、デートですか!? それはちょっと・・・!」
「だめぇ?」
リリーは幼少から日本で暮らしているのだが、当時からモテモテであり、周りの少女たちを誘惑する術を自然に身につけているから、例えばこうして桜ちゃんと雑談するあいだに偶然窓の外を通りかかって目が合った一年生の子に何気なくウインクして彼女のハートを射止めていたりする。恋を禁じた戒律に真っ向から刃向かう清々しいほどのプレイガールっぷりだ。
「ねえ、いいじゃない。セーヌハウスまで来てくれたら、おいし〜いアールグレイを淹れてあげるわ」
「いえ・・・私は・・・そのう」
「あ、今日なら日奈様もいるかも知れませんわ♪ 3人でお茶、どう?」
「む、無理です無理です!」
ちなみに、超女好きのリリー様が神話レベルの美少女姉小路日奈様と同じ寮に暮らしているのだから、セーヌハウスでは毎日どんなことが起きているのかと妄想をする生徒が後を絶たないが、リリーは美意識が高く、自分の身の程を弁えているので、自分がセーヌ会の会長になるか、あるいはそれと同等の実力を手に入れてから日奈に手を出そうとしている。つまり彼女は節度ある善きおバカさんなのだ。
「あ、一緒にお茶を飲みながらお勉強会というのはどうかしら。きっと捗るわ♪」
頭は非常に良いのだが勉強嫌いであるせいで桜ちゃんと同じ補習授業を受けているリリーは、成績不振の者同士だからこそ教え合えることがある、という謎の理論で桜ちゃんをデートに誘おうとしたが、その時リリーの視界の片隅に、彼女が予想だにしない人物が飛び込んで来た。
「あ・・・」
「・・・どうかしましたか、リリアーネ様」
東郷会長だった。会長はいつもの白いトレンチコートのシルエットを、腰に巻いたセーターで春用の装いの中に落とし込み、ワイルドさと美しさの調和を南大通りに賑わいの中に振りまきながら、大聖堂の方角へ歩いていくところだった。
(いっけない! すっかり忘れてましたわ!)
リリーは金色の美髪を乱しながら席を立った。
「さ、行きましょう! 桜様っ」
「ええっ」
「とにかくついていらして♪」
桜ちゃんは半分強引に腕を引かれて喫茶店を出ることになったのである。
実はリリーは東郷会長からお使いを頼まれていたのだ。
(月乃様か林檎様はどこかしら・・・)
東郷会長の背中をこそこそ追いながら、リリーはロワール会のメンバーを必死に探した。今日の放課後までにロワール会の誰かに手紙を渡すことになっていたのをリリーはすっかり忘れていたのだ。もし東郷会長がこの手紙の中身の補足を思いついて月乃様あたりに伝えにいこうとしているのだとしたら、リリーの職務怠慢がバレてしまうので早く手を打たなければならない。
「リリー様、これは・・・一体なにをしているんでしょう」
カフェ入り口のA型看板の陰でリリーと一緒にしゃがみ込んでいた桜ちゃんは、リリーの綺麗な白い耳元でそうささやいた。
「東郷会長より先にロワール会の誰かを見つけて下さると嬉しいですわ」
「え?」
「できれば東郷会長に見つからずに・・・」
素敵なデートになりそうである。
さて、その頃月乃は保科先生と一緒にうっとりするような薄紫の花の世界にいた。
「いやぁ・・・凄いねぇ」
「素敵ですわぁ。最高の芸術家は、やっぱり自然ですのね」
「そうだねぇ」
お嬢様と保健の先生は意外と気が合う。
第四学舎付近の藤棚が只今見ごろを迎えており、伝統ある園芸部が丹精込めて仕上げた藤棚風のガゼボは、お嬢様心を満たす美の泉となっているから、中のベンチに腰掛けて空を見上げているだけで日常のストレスがキラキラと輝きながら解けて透き通った青空色の清水となり胸の中を満たしてくれる。ちなみにガゼボというのはお嬢様世界では有名な屋外構造物で、鳥かごみたいな形をした屋根付きの謎のスペースのことである。
(いい仕事だぁ・・・)
月乃と並んで藤色の空を見上げる保科先生はつくづくそう思った。医者はヒマなほうが良い。
なんでもない放課後に俗世を離れて物思いに耽ることが出来るちょっと凄い二人の元に、白いリボンの女王がやってきた。
「絵になりますね、保科先生。それから、月乃くん」
「わっ!」
南大通りを堂々と北上してきた東郷会長の周りには彼女の隠れファンたちが姿を隠さず集まっていたので、いつのまにか月乃たちは少女の大群の中にいたのである。月乃は素早くお嬢様フェイスを作って東郷会長に対峙した。
「な、なんの御用ですの? 東郷様。ここに西園寺会長はいらっしゃいませんのよ」
月乃がしゃべる時、大抵どこかで歓声が上がる。
「いえ、今日は保科先生とお話がしたいのです。よろしいですか」
「わ、私? いいけど・・・何?」
保科先生はごく一般的なおねえさんなのであまりお嬢様同士の複雑な争いに巻き込んで差し上げるべきではない。
「単刀直入にお伺いしますが、近頃図書館の書庫の立ち入り禁止階に入り込もうとされていませんか」
「え!?」
おっしゃる通り、保科先生は職員室に保管されている鍵をバレないように一本ずつ持ち出し、週一回くらいのペースで大図書館の地下倉庫へと通じると思しき古い扉に試している。入学以来、月乃が見舞われている正体不明の症状を先生はあくまで医学から解明するつもりであるが、その病があまりにもこの学園の風習に根ざしちゃってるため、学園の歴史にヒントを探らざるを得なくなっているのである。しかもこの学校はその歴史をやたら隠したがっている様子なので、月乃を助けるには図書館の秘密の地下室が非常に怪しいのだ。
「いや・・・私は・・・知らないけど。何のことかな」
保科先生は目を泳がせながら白衣の右ポケットからハンカチを取り出し、無意味に左のポケットに移したりした。あまりに嘘がバレバレなので月乃は恥ずかしくて自分の黒いリボンを整えるフリをして先生から目を逸らした。
「そうですか。確かに、保科先生がそのような悪事を働くとは私も考えていません」
いやいや、考えてるじゃーんと保科先生は思ったが、東郷会長にこれ以上目を付けられたくないので黙っていた。
「先生に二点だけお伝えしておきたいことがあります」
「二点? うん、なに?」
東郷会長はいつも優しそうな表情をしているのだが、細くてキリッとした眉毛と鋭い眼光のお陰で、後ろめたい気持ちがある人間にとってはしゃべりにくい相手である。
「図書館の地下に入ろうとした養護教諭はあなたが初めてではありません。一体何があなた方をそうさせるのか、私には分かりませんが、学びの園で大人がルール違反をなさるのはお控え頂きたいのです」
いやいや、入ろうとしてるの完全にバレてるじゃーんと保科先生は思ったが、周りにはたくさん生徒がいるので無駄な抵抗をすると一層怪しまれるので特に何も言わず愛想笑いだけしておいた。
傍らの月乃も気が気で無い。
(まずいですわ・・・東郷会長はどこまで知っていますの・・・?)
何でもお見通しの東郷会長が小学生の小桃の正体に気づいていないことを月乃は祈った。どうやら東郷会長は本当に保科先生だけを諌めに来たらしいので、月乃がしょっちゅう戒律を破ってしまっていることはバレていない様子だが、月乃と保科先生が東郷会長のことを少々見くびっていたことは事実なので、この点はすぐに改める必要がある。
「見つけた、月乃様ですわっ」
「さっそくそのお手紙を渡しに行きましょう!」
金髪のリリーと桜ちゃんは、なぜか生徒たちが集まっている藤棚の広場の中心に月乃様を発見したので、預かっている手紙を渡しに行こうとしたのだが、よく見ると既に月乃様は東郷会長と会話している様子だった。つまり間に合わなかったということである。
(どうしましょうかしら・・・)
東郷会長が手紙の内容と全く無関係な話をしていることに気づいていないリリーは、かなり焦った。今からでも月乃様にメッセージの中身をどうにかして伝えれば、もしかしたら話を合わせてくれるかも知れず、失敗を無かったことに出来るかも知れない。リリーは月乃様とは敵対関係にあるお嬢様だが、困った時はお互い様の筈である。
「ままならないものね・・・」
リリーは白い洋封筒から手紙を取り出し、文面を読むことにした。そっと頭を寄せて一緒に手紙を覗き込む桜ちゃんが可愛かったので、リリーは手紙の中身を理解する忙しさの合間に、唇を彼女の髪にそっと押し当てた。「きゃ」っと言ってすぐ顔を引っ込める仕草もまたキュートである。
「なるほど・・・。よし、これくらい離れた場所から、なんとか月乃様にお伝えしますわ」
リリーは頬を赤くして自分の側頭部を押さえている桜ちゃんを連れて月乃様の視界に入るべく移動を開始した。
「それから二点目ですが・・・」
東郷会長が保科先生に伝えておきたい事の二点目は少々意味深な内容だった。
「先生が求めている知識はおそらく、一部の生徒にとっては知られたくないものなのです」
「し、知られたくないもの?」
「そうです。デリケートな問題ですから、誰かへのささやかな人助けのおつもりでなさっているのなら、どうぞこのあたりでおよしになって下さい」
保科先生と月乃は、東郷会長の言う「知識」とやらが非常に気になったが、それ以上に注意を引かれるものを東郷会長の背後に見つけてしまって言葉を失った。
(あれは・・・一体なんですの?)
セーヌ会のリリーさんとクラスメイトの桜ちゃんが、ちょっとオーバーなアクションで準備体操のような動きをしていたかと思うと、やがてその場で駆け足を始め、ゴールテープを切った時のようにピョンピョン跳ねて喜んだりしたので、これにはさすがの月乃も動転した。しかもそのジェスチャーはどうも自分に向けられているメッセージのようだったので増々手に追えない。
突如始まった不思議なショーに、東郷会長目当てで集まっていた生徒たちの視線も釘付けである。
「とにかく保科先生、これ以上怪しい行動はなさらないことをおすすめいたします。これはあなたのためでもあり、学園のためでも・・・」
「こほん」
月乃は小さく咳払いをしてからそっと東郷会長の後方を指差した。
「東郷会長のお友達も、充分怪しいと思いますわよ」
「え?」
振り返った会長が見たのは、いつの間にか周りの生徒たちを巻き込んで夢中で組体操をしているリリーたちの姿だった。ずっと攻められてばかりだった月乃と保科先生の二人は、一矢報いることが出来たようで気分が良かった。
が、事態を飲み込んだ東郷会長は爽やかに笑い始め、月乃にとっては衝撃的な発言を、さも当然の事のような軽い声色で振り向き様に言い放ったのだ。
「そうだ月乃くん。我々は今度体育祭を開催するつもりだから、西園寺くんに伝えておいてくれ」
「・・・えっ!? た、体育祭ですの!?」
「うん。それでは先生、お忙しいところ、失礼致しました」
「あ! はい。じゃあね・・・」
結局月乃たちは東郷会長に振り回されっぱなしだったわけである。強敵に恵まれることが幸せなのか不幸せなのか、月乃は近々知ることになるのかもしれない。




