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48、臨時ラジオ

 

 小学生モードの月乃が林檎さんに耳をはむはむされている頃、時代は動こうとしていた。

「日奈くん」

「は、はいっ」

 西大通りの木陰でリリーさんの用事が済むのを待っていた日奈のもとに、東郷会長がやってきた。

「リリーくんはいないのかい?」

「え−と・・・リリー様は保健室の窓に張り付いて何か撮っています」

 リリーさんは林檎さんが実行中の罰ゲームを嬉々として撮影中である。ああいうのは邪魔しないほうがよい。

「そうか。それなら、これも運命なのだろう」

「え?」

「日奈くん、ついておいで。セーヌ会のお仕事だ」

「わ、分かりました」

 人前に出るのが嫌いな日奈は目立ってしまうお仕事も嫌いなのだが、東郷会長のお手伝いならやむを得ないからついていくことにした。

「東郷会長と姉小路様よ!」

「どこに行くのかしら」

 風になびく東郷会長の白いコートは非常に目立つので、ちょっと歩くだけで大通りがザワつく。周囲の生徒たちは「セーヌ会のお二人はきっとまた風紀を乱すような悪だくみをしているに違いないわ」みたいなことを口々に言って日奈たちに冷たい目を向けるが、彼女たちの本心は真逆であり、毎晩ベッドの上で日奈様のことを考えながらイケナイ夜更かしをしている子も少なくない。

「こっちだよ。ついておいで」

「は、はい」

 周りのことは気にしなくていいよ、という東郷会長のメッセージである。



「り、林檎様・・・いい加減にして下さい」

「黙りなさい。もう少しの辛抱です・・・」

 林檎さんが小桃の耳を甘噛みするのはリリーさんが「もういいですわよ♪」と言うまで続けなければならないルールなので、もうしばらく月乃は林檎さんの攻撃に苦しむ定めである。

『あ、あー、ベルフォールの乙女の皆さん、聞こえますか』

 月乃たちの頭上のスピーカーから、突如東郷会長の声が聞こえてきた。

「何ですのっ?」

「わかりません」

 林檎さんは小桃の耳をかみかみするのを一時中断した。

『セーヌ会の会長、東郷礼が放送室をお借りして、臨時のラジオを放送します。今日は皆さんご存知の通り卒業式が行われた日ですから、何か面白いことが起きるんじゃないかと期待していた生徒も多いのではないでしょうか』

「東郷会長、放送室を乗っ取ったんですわ!」

「許せません・・・!」

 小桃と林檎は保健室のベッドでピッタリくっついたまま天井のスピーカーを睨んだ。なにしろ小桃の正体はロワール会のお嬢様なので、見た目以上に二人の息は合っている。

『三年生が卒業してしまった今こそ、学園のあるべき姿を見つめ直すチャンスだと私たちは考えるのです』

 自分らが最上級生になったとたん計画を行動に移すあたり、さすがは悪党である。

『確かにこの学園は素晴らしい場所ですが、高校生活に無くてはならない、ある行事が存在していません。それがなにか皆さんお分かりですか』

 東郷会長の放送を聞きながら、林檎さんは時折思い出したように小桃の耳を優しく噛んだ。真面目な彼女は罰ゲームに取り組む姿勢も真摯である。

『この学園に足りないイベント・・・それはずばり、修学旅行です』

「修学旅行!?」

 衝撃を受けたのは月乃たちだけではない。図書館でお勉強していた生徒も、大聖堂広場に残っておしゃべりしていた少女たちも、木陰で愛を語り合っていたカップルも、みんながセーヌ会の恐れ知らずな行動力に度肝を抜いた。

『深窓で育てられた皆さんの共感が得られるか分かりかねますが、私のようないささか落ち着きに欠ける子供じみた女にとって外泊というのはやはり心高ぶるイベントでありまして、ましてそれが親しいクラスメイトたちと一緒ときたら、どんな楽しい旅行になるのか想像も出来ません』

 東郷会長が語り出した。

『私たちセーヌ会が何か提案する度、戒律違反ではないかというご意見を頂くことも多いのですが、今回に限ってご心配には及びません。修学旅行は旅先でベルフォール女学院らしさを披露する機会でもありますから、今まで通りの平常心を持つことがひとつのテーマとなるはずですし、危険なレジャーに挑まなければ怪我をする恐れも普段とさほど変化ないでしょう。何も問題ありません』

 恋の戒律については触れて来なかった。

「林檎様っ。このままだとまた東郷会長の勢いに流されますわ!」

「流される? そんなの・・・許せません!」

 林檎さんは小桃ちゃんをぎゅっと抱きしめたままベッドから下りると、保科先生に頭を下げて保健室を飛び出した。

「あ! ちょっと! 林檎様! まだ罰ゲームは終わってませんわ!」

「うおおッ!」

 窓から突然リリーさんが顔をヌッと入れてきたので保科先生はひっくり返りそうになってしまった。



『まず今年は私たち現2年生が修学旅行に行くべきだと思います。3年生になってからでは忙しいから、この三月中が好機ではないでしょうか』

「勝手な事をしゃべってますわよ」

「放送室へ行きましょう」

 東郷会長のゲリラ放送を中断させるべく小桃と林檎は第四学舎の最上階にある放送室へ行くことにした。

「・・・林檎様っ」

「なんですか」

「いえ・・・なんでもありませんわ」

 林檎さんに手を引かれて階段を駆け上がりながら、月乃は思わず彼女に声を掛けてしまった。小学生の月乃の目には林檎さんがとっても頼もしくかっこよく見えたのである。

(修学旅行だか何だか知りませんけど、絶対阻止しますわ・・・!)

 月乃と林檎さんがいればロワール会の未来はきっと明るい。


 放送室の前には既に生徒たちが集まっており、彼女らはこの緊急事態を楽しんでいる様子である。

『各寮で投票を行い、修学旅行の是非を問いたいと思います。もし通れば、一年生の皆さんも来年は旅行に行けるはずですから、そのつもりで投票して下さい』

「林檎様、入りましょう!」

「よし」

 放送室の入り口には「ON AIR」という赤いサインランプが灯っているが、これは校内放送なので別にエアーには乗っていない。

「そこまでです! 東郷会長!」

 林檎さんが勢いよく扉を開けたので、小さな月乃も一緒になって部屋に飛び込んだ。

「え?」

 電気の消えた放送機器たちに囲まれたデスクのマイクの下で、古びたカセットテーププレイヤーが回っていた。放送室は既にもぬけの殻であり、二人は東郷会長の白い手のひらの上で踊っていたことになる。


 その頃、東郷会長と日奈は4番街裏手の山に建つ北山教会堂の庭園から学園を見下ろしていた。

「美しい光景だと思わないか」

 日の暮れたベルフォール女学院は深海で見つけた沈没船の宝箱の中身みたいに切ないほど美しい。

「そうですね・・・」

 その散りばめられた宝石のあいだに暮らす乙女たちは東郷会長の放送を聞いて動揺し、興奮している様子である。修学旅行だなんてワクワクする言葉をこの超硬派なベルフォール女学院で聴くなんて誰も思っていなかったのだ。

「日奈くんは修学旅行、行きたいかい?」

「え・・・」

 夜風に包まれながら石段で体育座りをしていた日奈は、自分に話が振られて少々困惑した。

「修学旅行は・・・確かに面白そうなんですけど・・・」

 日奈は旅行そのものよりも、修学旅行に行きたい派と行くべきでない派で学園が二分され、生徒たちの仲が一層悪くなることのほうが気がかりなのである。

 東郷会長は白いコートをなびかせて笑った。

「キミの気持ちは分かるよ。キミは争いが嫌いだからね」

「ええ・・・まあ・・・」

 月乃様にこれ以上距離を置かれたくないというのが最も先攻する想いであるが、それは東郷会長に秘密にしておくべきだと日奈は思った。

「あの、つかぬことをお訊きしますが・・・」

「なんだい」

 東郷会長はいつも穏やかに微笑んでいるが、顔色を変えないという点においては、「人前で喜怒哀楽を表現してはいけない」という戒律を忠実に守っていると言えなくもない。戒律に縛られない学園を目指しているくせに、ちょっと不思議な先輩である。

「東郷先輩はどうしてそんなに・・・修学旅行に行きたいのですか?」

 この質問は今回の一件に関わらぬ、もっと大きな、セーヌ会の存在意義に関わる問いでもあった。なぜ東郷会長がそこまでしてロワール会に反抗するのか、日奈は前々から疑問なのである。

「んー、どうして修学旅行に行きたいか・・・そうだねぇ」

 東郷会長の横顔の向こうに見える星座の名前を日奈は知らない。

「日奈くんには・・・大切な人がいるかな」

「え?」

 質問したら質問が返ってくるパターンである。

「その人の幸せを祈らずにはいられない、そんな人が」

「い、いえ・・・それは・・・どうなんでしょう」

 日奈は頬がぽうっと熱くなった。東郷会長に見透かされている感じはしなかったが、あまりにも図星だったため日奈はヒザを抱えて増々小さく座り直した。

「私には・・・いるよ。それが理由さ」

 東郷会長の大切な人・・・それが個人なのか、あるいは全ての生徒のことを差しているのか日奈には分からなかったが、会長が単に思いつきで楽しいことを探したり、秩序を乱したりしているわけでないらしいことを改めて確認できて日奈は満足である。

「旅先ではたぶん、その人の意外な一面を見られるんじゃないかな。こんないいところがあったんだとか、意外とユーモアがあるんだとか、そういう発見があるかも知れないね」

「意外な一面・・・?」

 修学旅行にほとんど興味がなかった日奈も、ここで気持ちが揺れた。社会的要因に阻まれ、月乃様の素顔を全然知らない自分にとって、月乃様について知れるチャンスはどんなに小さなものでもキャンディーみたいに甘く魅力的である。

「一人旅であろうと大勢での旅行であろうと、旅というのは外の世界への進出であると同時に内面への冒険でもあるのさ」

「そう・・・なんですね」

 東郷会長に上手く乗せられている感じもしたが、納得のできる論理でもあったので、日奈は修学旅行の件に関してはいつもよりちょっぴり積極的に会長を応援しようと思った。多数決みたいなことが本当に行われて修学旅行が学園のイベントとして認定されれば、一時的にロワール会のメンバーたちからの反感は増すだろうが、旅行を通じて日奈と月乃様の個人的な関係はむしろ深くなるのではないか、というのが日奈の予測というか希望である。

「修学旅行で行きたい街があれば、教えてくれるかな」

「い、行きたい街ですか?」

「まあ、今年は私たち2年生が行くんだけどね。友達と一緒に行きたい街、あるかい? 考えたこともないかも知れないね」

 東郷会長は日奈のポニーテールをふんわり撫でて笑ってくれた。

「考えたこともない事を考えるのは、楽しいよ」

 白いリボンの東郷会長が普段どんなことを考えているのか、日奈はまずそれを考えてみたいと思った。



「結局最後まで放送させてしまいましたわね・・・」

 小桃も林檎もカセットテープの止め方に自信がなく、お互い恥をかきたくないから「林檎様が止めて下さる?」「いや小桃が切りなさい」などと言い合っているうちに東郷会長が録音した音声はすべて校内に流れてしまったのだ。この展開まで予想してわざわざカセットを使ったのだとしたら東郷会長は本当に天才である。

「是非を投票で問いながら、賛成の場合は希望の旅行先も記せと言っていた・・・。生徒たちの意識を賛成側に向けさせるための小細工に違いない」

 林檎さんは帽子を深く被っているせいでいつも口元くらいしか見えない少女なのだが、月乃が小学生モードの時に下から覗き込めば彼女の綺麗なお顔をほんの少しだけ拝むことができる。もっとはっきりと顔を見たかったら彼女と仲良くなって一緒にお風呂に入るとかすればいいかも知れない。

「・・・何を見ているのです」

「あら、別に。何も見てませんわ」

 覗き込もうとしていたら怒られちゃったので月乃は前を向き直した。

 すると、西大通り脇の桃の木の向こうに月乃はとんでもない人物を目撃した。

「ひ!」

「姉小路日奈様だ・・・。それに! 東郷会長も・・・!」

 血の気の多い林檎さんはさっそく二人に近づいていった。敢えてゆっくり歩くのがお嬢様の基本と捉えているのは月乃と同じである。

「好き勝手なことをして下さいましたね、東郷会長」

「おや、聴いてくれたのかい」

 月乃が林檎さんの陰に隠れながらおそるおそる日奈様を見ると、彼女もこちらを見ていたので目が合ってしまった。小学生モードの月乃を見る時の日奈様はいつも本当に澄んだ、無邪気な眼差しをしている。

「修学旅行など、ロワール会の西園寺会長が許しません」

「そうだろうね。でも生徒全員の意思がどちらに傾くか、私は興味あるよ」

 咲き始めの桃の枝の下から、日奈様が小さく手を振ってくるので、月乃は林檎さんたちの会話などサッパリ頭に入って来ず、ただ自分の服のボタンなどをいじってもじもじするだけだった。

「そうだ、さっきのラジオを西園寺くんが聴いていなかった可能性もあるから、キミの口から改めてさっきの内容を教えておいてくれるかい」

「イヤだと言ったら」

「それなら、改めて伝えてくれるよう月乃くんに伝えておいて欲しいね」

「民主主義のつもりか知りませんが、投票などしても無意味ですよ。ベルフォールの乙女はみな、人形のような硬派な美しさに憧れているのですからね」

 林檎さんはそういって踵を返し大通りを歩き出したが、小桃がついて来ないことに気づいて振り返った。

「小桃」

 そう呼びかけても彼女はこちらを向かなかった。なにしろ小学生モードの月乃は日奈様の無垢なる瞳に射止められてしまっているから、頭の中も真っ白だし動けるわけないのである。

 林檎さんは一瞬の寂しさと一緒に恥じらいを覚えた。まるで小桃がロワール会サイドの人間であるかのように振る舞い、あちこち連れ回してしまったが、彼女はまだ小学生であり、生徒会同士の争いに深く関与させるのは酷に違いない。

(見所のある小学生だが・・・彼女の立場は中立か)

 林檎さんは黒いハットを深く被り直し、静かにその場をあとにした。



「あ、あら・・・林檎様はどちらに・・・」

 ふと気がつくと桃の木の下には自分と日奈様と東郷会長しかいなかったので月乃は驚いた。

(わ、わたくしも帰りたいですわ!)

 日奈様の近くに長時間いると月乃のお嬢様精神がぶっ壊れてしまう。

「ねえ、小桃ちゃん」

「ひぃい! な、なんですの」

 林檎さんがいなくなって緊張が解けたのか、日奈様が声を掛けてきた。桃の花が一気に満開になっちゃいそうなあまりにも美しい声である。

「小桃ちゃんのおうちって、この学校から遠いの?」

「え?」

 家に関する設定は何ひとつ考えていなかったので月乃は固まってしまった。中腰になった日奈様のお顔が近い。

「小桃ちゃんの好きな街ってどんな街かな。もし大好きなお友達と一緒に旅行に行くとしたら、どんなところがいいかなって、お姉ちゃん考えてるんだ」

 すぐに修学旅行のことだと分かった月乃は「修学旅行なんてダメですわよ」とすぐに言うべきだったのだが、日奈様の前では硬派なお嬢様の立場で物事を考えられなくなっている月乃にはその発想が出来なかった。

「どんな・・・ところ・・・」

「うんっ。小桃ちゃんの好きな街って、どんなところかな」

 日奈様と一緒にいる時間は後になって振り返ると一瞬の出来事なのに、月乃は今なぜか日奈様の美しさと温かさに永遠を感じた。永遠性という性質を感覚で理解すると人はこういう不思議な気持ちになるのである。

「ええと・・・」

 修学旅行なんて絶対に阻止しますわと息巻いていた細川月乃は、この桃の木の下にもういなかった。ただそれだけの事である。

「お姉さまと一緒に・・・行ける街・・・とか」

 言ってしまってすぐに後悔するほど素直な気持ちが口から出たのは、日奈様の笑顔を一秒でも長く見ていたいと月乃の小さなハートが感じてしまったせいである。

 

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