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47、しりとり

 

 別れの季節に咲く花に限って色鮮やかなものである。

 俯瞰した時に美しい花の模様に見えるよう緻密に設計されたベルフォール女学院はとにかくビジュアルに重きを置くので、ちょうど花盛りを迎える時節に多くの人の目に触れるよう草木の場所を細かく調整しているから、どんなイベントも鮮やかな花の香りに彩られるようになっている。

「卒業式・・・天気に恵まれたのはよい事ですが、スギ花粉が気になりますね」

「まあ、そうですわね・・・」

 大聖堂南入り口前の長机にパイプ椅子を並べて、月乃と林檎さんはお行儀よくお座りしていた。

「月乃様は花粉症ですか?」

「え、ああ、花粉症ですのよ。でも割と軽度ですわ」

「薬を飲むほどではないのですか」

「・・・あ、はい、鼻炎薬は、特に飲んでませんわ」

 なんだかキレがない月乃の答えに林檎さんはため息をついた。

「月乃様、あなたはロワール会のエースなのですから、もっとシャキッとして頂けませんか」

「いえ、シャキッとはしてるんですのよ・・・」

「じゃあなんなのです?」

「その・・・何と申しますか」

 緊張しているのである。

 二人は生徒会の代表として、卒業式の保護者の受付を任されており、今日は一日大聖堂の前で過ごすのだが、彼女たちの机の隣りに置かれているもう一つ長机を月乃は気にしているのだ。西園寺会長と東郷会長は在校生代表として式に出席しているから、それ以外の人物が二人、あの席に座ることになる。

(確実に日奈様が来ますわ・・・)

 二つの長机は大聖堂の入り口を挟んでハの字にひらいて設置されているから、こちらの二人とあちらの二人は目を合わせて互いを意識し合う運命である。間もなく日奈様を連れたリリーさんが「あらぁ♪ ロワール会のお二方、ごきげんよう」みたいな感じで大聖堂広場に登場するに違いありませんわと月乃は思った。

「あらぁ♪ ロワール会のお二方、ごきげんよう」

 月乃には未来予知の才能がある。

(ひ、日奈様ですわ・・・!)

 卒業式とは無関係なのに大聖堂広場に集まっていた物好きな1、2年生たちのどよめきの真ん中に日奈様は姿を現した。彼女はリリーさんの陰に隠れての登場であるが、その超常現象並みの美貌は隠せていない。

「なに!? なぜリリアーネがここに!?」

 林檎さんが身を乗り出した。大事な帽子がずれるからあんまり急な動きはしないほうがいい。

「東郷会長に言われて来ましたのよ♪ セーヌ会も立派な生徒会ですから、お仕事は協力しませんとネ」

「あなた方が近くにいると我らの品位が落ちます! 白いリボンはさっさとお帰り下さい。そうですよね、月乃様!」

「えっ!」

 ロワール会のメンバーとして月乃もセーヌ会の二人には冷たくしなければならない。

「そ、そうですわね。リリー様と日奈様には帰って頂きたいですわ」

 月乃は日奈様の目を見ずにそっぽを向いて言った。いつの間にか大聖堂広場にはほとんど全ての在校生が集まっており、両生徒会の小競り合いをキラキラした眼差しで見つめていた。厳粛な卒業式は既に始まっているのに、大聖堂の中と外では随分と空気が違う。

「あらあら、なんだか林檎様、嬉しそうですわね♪」

「な、なに?」

「いつもこんな大きな帽子を被って表情隠してるけど、私には全部お見通しよ。私に会えたのがそんなに嬉しいのかしら♪」

 ロワール会の長机に近寄ってきたリリーさんは林檎さんをそんな風に挑発し、不敵に笑いながら彼女のあごを指先でくいっと持ち上げた。

「ち、ち、近寄るな! 気易く触れるな! 何でもいいから座れ! こっちに来るなぁ!」

 自覚はないだろうが、林檎さんは意外と表情豊かである。

 こうして大聖堂南口の前には両生徒会の一年生メンバーが四人、勢揃いしたのだった。


 生徒たちが遠巻きにきゃあきゃあ言う声以外は実に穏やかな春の午前中である。

 しかし月乃は自分の左側に不機嫌な林檎さん、右側に通路を挟んで日奈様、そしてつかみ所の無いリリーさんというどこに意識を集中していいか分からない状況に置かれているから穏やかでない。

(うぅ・・・日奈様が・・・近いですわ)

 月乃は熱くなっていく心と体を持て余し、ガタガタ震えそうになったが、なんとかお嬢様根性で持ちこたえた。ちなみに日奈のほうも月乃のことを大いに意識しており、バレンタインの日に立場の壁を越えて薬を持って来てくれたことへのお礼などを改めて言いたい気持ちもあるのだが、今は色んな人に見られているのでそれも不可能である。日奈は月乃とはまた違ったシガラミに自分の人生を縛られているので、想いのままに生きられる小鳥たりに憧れることもある。


「ねえ、皆さん、ちょっと提案がありましてよ♪」

 隙間に青空を抱く白樺の小枝を揺らす風を数えながら月乃が平常心を取り戻そうとしていると、えっちな金髪のお嬢さんが何やら喋りだした。

「あなたは口を開かなくて結構ですよ」

 林檎さんは即座にリリーさんを制しようとしたがリリーさんは聞こえないフリである。

「どうせだーれも来ないんですし、時間潰しで何かしません?」

 そもそもこの学校は生徒以外の立ち入りが禁止されているので保護者なんて来るはずがなく、受付もいにしえの慣習の名残りに他ならないから、リリーさんの意見は実はごもっともなのである。

「ふざけるのも大概になさって下さい。どうして我々があなた方と戯れなければならないのです?」

 林檎さんが口調を荒げているので月乃も取りあえず便乗してリリーさんを睨んでおいた。

「なにがいいかしらね♪ 何も持って来てませんからポーカーもチェスも出来ませんし」

 リリーさんはハーフとかでなく完全にフランス人のお顔をしているので、その彼女が日本語を流暢にしゃべっていることに月乃は改めて違和感を覚えた。リリーさんは声も綺麗なので、なんだか吹き替えの映画を見ているような気分である。

「そうだ、しりとりなんていかがかしら!」

 月乃と林檎さんは同時に「・・・え?」と声を洩らした。なんで卒業式の日に会場の外で大勢に見守られながらしりとりしなければならないのか。

「はぁ・・・姉小路日奈様、そこの金髪を連れて寮へ帰って頂けませんか」

「あーら、もしかして林檎様、しりとりで私たちに負けるのが怖いんですの?」

「なに!?」

 林檎さんは挑発に滅法弱い。

「月乃様、あんな奴にあんなことを言われて引き下がれません。受けて立ちましょう!」

「え・・・そ、そうですの?」

「そうなんです!」

 月乃はうなずく前に横目でチラッと日奈様を見た。日奈様は恥ずかしそうに前髪をいじりながら、彼女も月乃のことを横目で見ていたため目が合ってしまった。

(う・・・!)

 月乃は顔が一気に熱くなって脚をもじもじさせてしまったが、広場には観衆がたくさん集まっているのでもっと堂々としなければロワール会の沽券に関わる。

「いいと思いますわよ。やりましょう、しりとり」

 月乃がそう言うと生徒たちがキャアッと声を上げた。月乃の発言の影響力の高さが窺える。


「まずは私から始めるわよ♪ それから林檎様、月乃様、日奈様の順ね」

「いいからさっさと始めて下さい」

 林檎さんはこの中で一番背が小さいのに一番気が強い。

「ただしりとりするだけじゃつまらないから、負けた人に罰ゲームを用意しましょう♪」

 セーヌ会のメンバーと勝負するというだけで月乃と林檎さんにとっては負けられない戦いであるのに、さらに罰ゲームが加わったらいよいよ二人の立場は苦しいものとなった。

「い、いいでしょう、何でも受けて立ちます。ですよね、月乃様」

「え? そ、そうですわね。もちろんですわ。セーヌ会なんかにわたくしたち負けませんのよ」

 お嬢様というのは大抵、自分で自分を追い込みその窮地を脱するためにもがく生き物なのである。


「じゃあ、始めますわよ♪ はじめは、しりとり!」

 戦いの幕開けに、観衆達が拍手をした。おそらく大聖堂の中にまで聞こえている。

「り、ですね。では・・・リンゴ」

 林檎さんが少し照れながら自分の名前で回答した。

(ゴ・・・ゴリラと言いたいところですけど、もっと美しい答えがいいですわね・・・)

 月乃は勝負の最中でも自分の美しさを追及する。

「では私は、午時花」

 月乃は自慢のポニーテールをサッと撫でながら答えた。ゴジカというのは午後になってから咲く夕焼け色のお花であり、教養のある月乃の発言に生徒たちは感動している。

「か・・・ですか。じゃあ、カナリア・・・」

 日奈様は答えも可愛い。

(うぅ・・・)

 日奈様が自分の答えに続けてしりとりをしている状況に、月乃はなぜかひどくドキドキしてしまった。二人は今、言葉を通じて繋がっているのである。

「カナリアと来ましたから、私は・・・アリ♪」

「アリ? またリですか。では、リス」


 賢い林檎さんと狡猾なリリーさん、お嬢様根性で回答する月乃、そして勝利の女神に愛されてしまっている日奈様の四人がしりとりをしているので、勝負はかなりの長期戦になった。

「料理♪」

「り・・・理科」

「カーボベルデ共和国」

「えーと・・・雲」

「森♪」

 リリーさんの執拗なリ攻めに林檎さんは苦しくなってきた。

「またリですか! あなたは私にリリアーネと答えさせたいのですか!」

「り、林檎様、あまり大きな声を出すと大聖堂の中に聞こえちゃいますわよ・・・」

「月乃様、しかし・・・これは卑怯です・・・!」

 月乃は身を乗り出した林檎さんの腰のあたりを押さえて彼女を落ち着けた。月乃もまた、日奈様の魅力に負けないよう気を強く持つことに尽力しているので林檎さんもここは頑張ってもらいたいところである。

「不本意ですが・・・私の答えは・・・リリアーネで・・・」

「あら♪ 嬉しい」

「こっちを見ないで下さいっ。白リボンのくせに!」

 次は月乃の番であるが、彼女もかなり苦戦していた。

(ネから始まる美しい言葉が思い浮かびませんわ・・・!)

 つい先程リモーネに続いて「ネグリジェ」は使ってしまったので、月乃の頭の中にはもうネズミとか粘土とかそういう田舎っぽい言葉しか浮かんでこなかった。「ネ」から始まる言葉でなんとかネグリジェに準ずるものは無いものか・・・思考が混乱してきた月乃はこの一点に注力するしかなかった。

「ね・・・寝巻き・・・」

「え?」

 林檎さんやリリーさんのみならず、日奈様までもが驚いて月乃を見た。月乃は思わず自分の口から出てしまった最高に田舎っぽい言葉に、もう穴があったら入りたい気持ちになったが、まだ勝負は終わっていないのでその場から逃げるわけにもいかなかった。月乃は肩を強張らせて固まったまま日奈様の回答を待った。

 しかし、日奈様がなかなか答えを出さない。

(あら・・・わたくし、答えにくい単語を上げちゃったかしら・・・)

 セーヌ会には負けたくないが、日奈様を困らせるのはもっとイヤなので月乃は考えた。

(寝巻き・・・キから始まる言葉はまだたくさん残っているような気がしますし・・・難しくないとおもいますけど・・・)

 恥ずかしさが徐々に解けてきた月乃は、こっそりと日奈様の表情を確認することにした。

(うっ・・・!)

 月乃が日奈様に目を向けると、彼女と目が合うケースが非常に多い。今回月乃の視線にぶつかってきたのは、普段よりなぜかちょっと熱を帯びた、日奈様の色っぽい眼差しだった。

「キ・・・」

 日奈様は小声は月乃の心をきゅうっと抱きしめるように締め付けてくる。

「キス・・・」

 恋の衝撃波を受けた月乃は椅子ごと後ろにひっくり返りそうになった。

 日奈は別に月乃の目を見ながら「キス」と言うつもりなどなかったのだが、月乃様の回答の後にこんな変なことを言ってしまっていいものかと色々悩んでいたら過剰に月乃のことを意識してしまい、自分が嫌われないかどうか反応を見るためにこのような形になったのである。日奈様は決して月乃の恋心をもてあそんでいるわけではない。

 もう心と体が我慢の限界を迎えた月乃の頭上に鐘の音が迫ってきてしまった。気のせいかも知れないが、大聖堂の近くで戒律を破ると鐘の音がかなり近くからやってくる感じがする。

(ま、まずいですわ・・・!)

 こんな場所で小学生に変身してしまったら全ての1、2年生に月乃の素行と小桃の正体がバレてしまう。誰かに見られていれば変身は起こらないはずなのだが、例えばリリーさんが発言する時の観衆の目はそっちに向くだろうし、次の瞬間月乃が座っていた席で小学生がスヤスヤ眠っていたらさすがにマズいのである。

(用事があると言ってこの場を去ることは出来ますが・・・それではこのしりとり対決でわたくしが敗北したことになってしまいますわ! ど、どうしましょう!)

 リリーさんがどんな罰ゲームを課してくるか分かったものではないが、大勢の前で変身してしまうよりは遥かにマシなので月乃は意を決して立ち上がった。

「あ、あの! わたくしちょっと・・・!」

「すずり♪」

「リ・・・も、もう私の負けです! 負けでいいですから!」

 月乃が色々と思案している間になんとしりとりの決着が着いていた。ロワール会の負けということになってしまったが、負けたのは月乃ではなく林檎さんである。

「罰ゲームでもなんでも受けてやります!」

「殊勝な態度ですわねぇ。感心ですわぁ♪」

 月乃は何も言わずに静かに腰を下ろした。


 しりとりが終わって観衆たちが好き勝手に雑談を始めてからこっそり月乃はその場を抜け出して、第四学舎の昇降口に飛び込んだ瞬間ようやく小学生に変身させられた。林檎さんには悪いが、彼女のお陰で月乃の名誉が守られたわけである。



「そっかそっか。日奈ちゃんにねぇ、キスとか言われちゃったら・・・しょうがないね」

 保健室に運ばれた小学生モードの月乃は、まだクラクラしている意識の中で保科先生に報告をした。変身したばかりの体はまるで熱がある時みたいに全身が重い。

「あんなに真っ直ぐ見つめてくるんですもの・・・耐えられませんわ・・・」

 お嬢様月乃が洩らす弱気な恋の愚痴を先生がニヤニヤしながら聞いていると、保健室のドアを誰かがノックした。

「はーい、どなたかな」

「ロワール会の林檎と申します」

「え!?」

 月乃は咄嗟に布団にもぐり込んで丸くなった。ケガをしてはならないという戒律もあるので林檎さんが保健室に来ることなど稀であるから、タイミングからして小桃に用事があって来た可能性が高い。まさか自分の正体がバレたのだろうかと月乃は焦った。

「失礼します・・・」

「ど、どうぞぉ」

 大きな帽子の林檎さんは保健室を見渡してから先生に尋ねた。

「つかぬことをお聞きしますが、小桃さんはどちらに」

「え、えーと・・・」

 隠しきれないと思った先生は仕方なくベッドの上を指差した。

「あの白い大福みたいな奴の中にいますけど」

「ありがとうございます・・・」

 ベッドに歩み寄った林檎さんは先生を振り返った。

「このカーテン・・・締めてもいいですか」

「ど、どうぞ」

 林檎さんはベッドを囲うようにして敷かれたレールのカーテンを締めた。これで小学生モードの月乃と林檎さんの一対一である。

(正体がバレたんですわ・・・!)

 月乃が布団の中で震えていると、林檎さんがベッドの上に腰掛けてきた。

「小桃」

「な、な、なんですの」

 真っ暗な布団の中で自分の幼い声がよく耳に響いた。

「顔を上げて、目を閉じなさい・・・」

「え・・・」

「いいから・・・早くしなさい・・・」

 どうやら月乃の考えているような事態とは異なるようである。月乃は恐る恐る布団から顔を出してみたが、いつもよりずっとおねえさんに見える素敵な林檎さんの横顔に敵意のようなものは感じられなかった。

「目を閉じればいいんですの?」

「そうです」

 月乃は広いベッドの真ん中にちょこんと座ったまま目を閉じた。


 すれるシーツの音、布団をふわっとどかす風、そして林檎さんの甘い髪の匂いに続いてやってきた彼女の手は、小桃をそっと抱き寄せた。

「ひ!」

 そして林檎さんは月乃の左の耳を優しく噛んできたのである。

「り、林檎様!?」

 林檎さんの綺麗で柔らかい唇とすべすべした温かいほっぺが小さな月乃の横顔を刺激してくるので、月乃はどう抵抗していいか分からずじたばたした。

「り、林檎様ぁ・・・! ス、ストップでお願いしますわ!」

「もう少しですから我慢しなさい・・・」

「うっ! 耳元で声出さないで下さい・・・!」

「私も好きでこんなことをしているわけではありません・・・!」

「ひぃい」

 リリーさんの考える罰ゲームは本当に容赦のない内容なので、今後彼女となにか対決する際は絶対に負けない策を用意してから挑む必要があると、ロワール会の二人は身を以て学んだのであった。

 

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