40、キャンディー
林檎は激怒した。
「バカな! 月乃様がこんな派手なイルミネーションを許可するはずがない!」
先日、生徒会の代表として電飾の品定めをしてきた月乃様が唯一許可したイルミネーションが、想像を上回るファンシーなものだったので、ロワール会の魔女っ子と呼ばれている黒い帽子の林檎さんは怒っちゃったのである。
「ま、まあ、事実なのですから、仕方ないですのよ・・・」
「驚いた。月乃様はご乱心か」
月乃様からの手紙と称してついさっき保健室で自分で書いた手紙と、昨夜届いたイルミネーションの一部を林檎さんに手渡した小学生モードの月乃は、ちょっと恥ずかしそうに両手の人差し指をつんつん合わせた。
本当は月乃だってベルフォール女学院のイメージを崩しそうな派手な飾りを許可したくなかったのだが、日奈様のあの笑顔を見てしまったら、もう認めてあげるしかなかったのである。敵のセーヌ会の会長、東郷礼がそこまで読んでいたのだとしたらもうアッパレであるがおそらく偶然だし、こういう譲歩を今回の一件でとどめておけば学園の風紀に大きな影響は出ないはずだと月乃は考えている。
「おまけにこんな小学生の使いをよこして・・・。西園寺様にご報告申し上げる前に、月乃様に文句を言わなければ」
「あ、お待ちになって」
小学生の月乃は林檎さんの黒い外套のすそをギュッと掴んだ。林檎は身長こそ低いが衣料へのこだわりが強いのでいつもかっこいい服を着ている。
「なんですか? オトナは忙しいんです」
「細川月乃様は・・・えーと、保科先生と一緒に東京の大学の研究会に行ってるんです」
「なに? 才能を発揮されるのは良い事ですが・・・もう少し生徒会を顧みて頂きたいものです」
近頃の月乃は生徒たちから医学の天才だと思われている。
「ならばセーヌ会です」
「え!?」
「セーヌ会に乗り込み、この件を反故にしてもらうだけです」
「いや・・・ちょっと!」
林檎さんは無駄に行動力がある。この一件に大いに関係がある月乃は、仕方ないので林檎さんの後についていくことにした。
ちなみに今日はもうクリスマスイブなので、朝一番にイルミネーションが各寮、各店舗に配布されており、今更許可を取り消しても遅いのだが、林檎さんは諦めていないようだ。冬休みに入ったばかりでまだ学園に残っている生徒たちは大勢いたから、不意に手にした美しいクリスマスインテリアを自分らの寮のどこに飾ろうかみんな楽し気に相談し合っている。
「学園内に笑顔が増えている・・・これは由々しい」
「まあ、確かにそうですわね」
「おや? 小さくて気づきませんでした。なぜついてくるのです?」
「ダメですの?」
「これから私は仕事ですから。子供と遊んでいる暇はありませんよ」
「ぬ・・・」
自分の正体が細川月乃であると今告げたら林檎さんがどんな顔をするのか月乃は気になったが、ここはグッと我慢することにした。戒律を破って小学生にされている月乃に非があるのは間違いない。
「見て、林檎様よ」
「素敵・・・」
「あら、小桃ちゃんと一緒だわ。小学生の小桃ちゃん」
「珍しい・・・」
「これからどちらに行かれるのかしら」
「さあ・・・」
「あんなにお厳しいのに、小さい子からも慕われるなんて、さすがは林檎様。ロワール会のメンバーですわね」
「そうですねえ・・・」
大聖堂広場を通りかかった時、林檎さんの話をしている生徒たちの声を月乃は耳にした。
「評判が良さそうですわね」
「おや? あなたまだいたのですか」
月乃は目を見開いて林檎さんを睨んだ。
「私の評判などどうでもいい。ロワール会が厚く支持され、西園寺会長と月乃様が敬愛されていれば」
でしたらちゃんと敬愛して下さいねと月乃は思った。
第4学舎の昇降口から飛び出して来た少女が林檎さんにぶつかったのはこの直後である。
「はんぺーん! 待ってくださーい!」
その少女は月乃のよく知るクラスメイトの飼育委員であった。
「きゃあ」
「う! こ、こら、気を付けなさい!」
林檎さんはもちろん少女を叱りつけたが、それは飛び出してきたウサギと少女にひどくビックリしてしまったことへの照れ隠しでもある。
(あ、桜様ですわ)
月乃は林檎さんのスカートの陰から桜ちゃんに手を振った。かわいい小学生の小桃ちゃんと目が合った桜ちゃんは一瞬顔をほころばせたが、自分がぶつかってしまった相手の顔を見て大慌てで背筋を伸ばした。
「こ、こんにちはっ」
「あなたですか。人前で喜怒哀楽を表現してはならない戒律をご存知ないのですか? もっと場をわきまえて下さい」
「はい、あの、申し訳ありません!」
あらあらと月乃は思った。二人がどういう関係か月乃は知らないが、何度か似たようなトラブルがあって桜ちゃんは林檎さんに目を付けられているのかも知れない。
林檎さんと桜ちゃんは少しの間無言で見つめ合っていたが、林檎さんのほうがさっさと歩き出してしまった。桜ちゃんはちょっと抜けたところがあるが平和を愛する良い子なのであんまりキツく指導しないであげて欲しいところである。
生徒たちの視線を集めながら歩く南大通りは普段ならとっても気持ちがいいのだが、今日の小学生モードの月乃にとっては最悪の場である。かっこいいお嬢様として学園内外に名を馳せる月乃が「かわいい~」なんてささやかれて嬉しいはずがないのだ。
「おかしい・・・」
「なにがですの? 空が暗い! とかなら原因はその帽子ですのよ」
「イルミネーションの設置を許可されただけなのに、随分と街の空気が変わった気がします」
「え?」
確かに大通りのカフェや雑貨屋の雰囲気がいつもと少し違う。どうやら生徒たちは外観だけでなく取り扱う商品もクリスマスムードにしちゃっているらしいのだ。
「良くない傾向だ・・・」
「確かにそうですわね。ああいう物を買って喜ぶのは小学生くらいだと思いますわ」
お菓子屋のショーウィンドウに並べられた色とりどりのクリスマスキャンディーを指差して月乃は言った。キャンディーケインとかいうステッキ型の飴である。
「・・・つまりどういうことですか? 小学生」
「あ! いやいや、何でもありませんのよ! わたくしはあんなもので喜びませんわ」
月乃は自分が小学生であることを時々忘れる。
「まったく・・・子供の相手は疲れる・・・」
子供になるのはもっと疲れますわよと月乃は思った。
さて、黒い帽子の小柄なお姉さんとカワユイ小学生の異色コンビはセーヌハウスの前に到着した。この寮の周辺はもうクリスマスの飾り付けが概ね完了しており、まるでこのイルミネーションが許可されることを知っていて前もって準備していたかのようである。
「なんと醜悪な様よ」
「そ、そうかもしれませんわね・・・」
許可してしまった本人である月乃は少々きまりが悪い。夜見ると最高に美しいのだが今は太陽燦々なので、ここには林檎さんの怒りを鎮めるわずかなチャンスも存在しない。
「あーら♪ 林檎様、お久しぶり」
「で、出たか! リリアーネ!」
林檎さんが目の仇にしている金髪のおねえさんが登場した。襟元の白いリボンがすっかり似合うようになったセーヌ会員のリリーさんは、寮の玄関先に小生意気な表情をしたトナカイのオーナメントを丁度設置しているところだったので、林檎さんの怒りの炎に油を注いだ形になった。
「裏切り者め、どのツラを下げて私の前に現れた!」
「このツラですわ♪ ほら」
「ううっ! 馴れ馴れしく私に頬を寄せるな無礼者!」
林檎さんはリリーさんの顔を押し返し、帽子をさらに深く被り直した。ちなみに林檎さんの素顔や表情をハッキリと見たことがある生徒はおそらく一人もおらず、喜怒哀楽を隠すには彼女が愛用しているような大きなハットが有効と言える。
「もう、林檎様は冷たいんだから。小桃ちゃんは抱っこさせてくれるわよね♪」
「あ、やめて下さる?」
可愛くない訪問者たちである。
「リリアーネ、あなたではお話になりませんから、姉小路日奈様を出して下さい」
林檎さんの要求に驚いたのは月乃である。こんな体で日奈様に会ってしまったら、また頭をなでなでされたりするに決まっているのだ。正体がバレない限り問題は無いのだが、月乃の心は硬派なお嬢様なので、恥ずかしさに耐えきれず頭がおかしくなってしまう。
(日奈様が来たら、ど、どうしましょう!)
月乃は顔を赤くしながら、赤鼻トナカイのオブジェを両手でぐらぐら揺らした。
「姉小路様は、えーと、クラスのお仕事だったかしら。今日はまだお帰りじゃないわ」
ほっとしたような、がっかりしたような気分の月乃は、干された玄関マットみたいにトナカイの背中の上でぐったりした。
「ならば東郷会長です。会長はどちらに」
「東郷会長なら秘密の場所にいますわ」
「どちらにおわすのか、答えなさい」
「秘密は秘密。内緒ですわよ♪」
「・・・どこまでも刃向かうかっ」
月乃には心当たりがあった。セーヌ会メンバー、特に東郷会長が入り浸っている学園南西端の湖上レストランである。あそこには月乃も小桃状態の時に乗り込んだことがあるので場所も分かるのだ。
「貴様らのような下劣な白蟻に明日があると思わないことだ。無知蒙昧なる反逆者共に西園寺様が正義のいかずちを落とす日は近いぞ。泣いて詫びても決して許さぬ」
「あ、あの林檎様。おしゃべりはその辺にして行きましょう。わたくし会長の居場所に心当たりが・・・」
「子供は黙っていなさいっ」
ムッとした月乃は、林檎さんとリリーさんの長くて生産性のない会話が終わるまで、瞑想中の猫みたいな顔をしながらその場に立っていた。
「東郷会長の居場所を知っているなら、なぜもっと早く言わないのです」
湖畔の桟橋で林檎さんはゴンドラのロープをたぐり寄せた。
「言いましたわよ・・・」
「こんな物に乗って大丈夫なのだろうか」
林檎さんは小学生の話など聴いていないらしい。
湖上のレストランに行くには小舟に乗らねばならず、白鳥の足漕ぎボートみたいなお手軽なマシーンも無いので、誰かがオールを使ってゴンドラを操縦する必要がある。
「あなたがやりなさい」
「え!? わたくしですの」
「体育の授業があるでしょう。体を動かすことはよい事です。これもあなたのためですよ」
高校にだって体育はありますわよと月乃は言いかけたが、既にボートの座席に背筋を伸ばして座っている林檎さんを見て反論する気も失せてしまった。高校生に戻ったら一言文句を言ってやろうと月乃は思った。
湖上レストランは、そこを寮にして暮らす数名の生徒たちの手によって既にクリスマスの飾り付けがなされていて、静かな水面に逆さまで映る大きなクリスマスツリーは、月乃たちの小舟を導くフラワーロードみたいに見えた。
「人間のほうも歓迎ムードだとありがたいが、そうもいくまい」
「・・・いいから少し手伝って下さいません?」
自分の体より大きいオールを舟陰に突き立てながら月乃は林檎さんに助力を求めたが、林檎さんは聞こえないフリをして平静なお嬢様座りのままである。
(もう! 本当はわたくしもお嬢様ですのにぃ!)
くやしくて恥ずかしい月乃は力いっぱい水を掻いたので小舟はあっという間に小島にたどり着いた。本当にバランス感覚がちょっぴり鍛えられた感じがするのがまたくやしいところである。
「ロワール会の者です。開けて下さい」
手についた葉っぱだか水苔だか分からない謎の緑を月乃が払っていると、林檎さんはもう白いドアをノックしていた。帰りは絶対漕ぎませんわよと月乃は思った。
やや間があって、爽やかなドアベルの音と共に顔を出したのは、この学園の悪の中心、白のクイーンである。
「おや、珍しいお客さんだね」
今日の東郷会長はポニーテールである。
「入り口はここでいいのですか」
「ロワール会の林檎くんだね。相変わらずハットが良くお似合いだ」
「入り口はここなのですか?」
林檎さんは最初から喧嘩腰である。
「まず用件を話してくれるかい?」
東郷会長がちらっと月乃を見てきたので、月乃は「ボートのオールを拭いて下さい、汚れています」とアピールするために小さな手のひらを広げて土がついた部分を会長に見せてやった。
「用件は決まっています。イルミネーションなどこの学園に似合いませんから、即刻撤去して下さい」
これを聴いた東郷会長は初夏の優しい東風みたいな大人びた穏やかな笑い声を上げた。
「ならばここは入り口じゃない。出口だ」
「どういうことですか?」
「この件に関して、ロワール会メンバーのキミとお話できることは何もない。どうしても話がしたいのなら、それは年が明けてからかな」
東郷会長の高身長と目力が、優し気な口調に迫力と威厳と芯の強さをもたらしていた。学園の端っこまでわざわざ出向いたのに、結局林檎さんの抗議が実を結ぶことは無かったのである。
「これから先、この学園はどうなってしまうのか・・・」
すっかり日の暮れたベルフォールの街は、イルミネーションのお陰でテーマパークっぽさがいつもの倍くらいになっており、川面に揺れる灯影を小舟の上からぼんやり数えているうちに童話の世界に迷い込めそうである。
「眩しすぎる・・・これでは風紀も乱れよう」
「この辺りは普段から電球色のイルミネーションがたくさんついてますのよ」
「今夜はいつにも増してひどい、という意味です」
東郷会長に追い返された二人は小さなゴンドラで湖を散々漂った挙げ句、穏やかな流れのある水路にたどり着いていた。月乃にはもうオールを漕ぐ力が残っていなかったので仕方が無い。
「ロワール会の明日が不安だ・・・」
小学生の前で弱音を吐き始めた帽子のおねえさんに、月乃はちょっと物を申すことにした。
「あなたがそんな弱気でどうしますの?」
「なに?」
振り向いた林檎さんの素顔が帽子の下にちらっと見えたが、丁度ボートの脇を過ぎた大きな星形のイルミネーションの逆光のせいで真っ暗だった。
「ロワール会の栄光は揺るがない、そう信じているからこそ、生徒たちは息抜きにクリスマスを楽しんでいるのですわ。メンバーであるあなたが信じないでどうしますの」
ちなみに月乃はゴンドラのオールを完全に手放して足元に放置しているので、舟は進んでいるのではなく流されているだけである。
「あなたも、月乃様も、そして西園寺会長も、みんなから尊敬されているんです。堂々と胸を張って暮らすのがお仕事だと思いますわよ」
「堂々と・・・・・・胸を張って・・・?」
林檎さんは静かに夜空を見上げた。白い頬がお月様みたいに輝いてちょっと素敵である。
「生意気な小学生ですね・・・。風向きに怯えるのは、風を感じられる者だけなのに」
西大通り付近に掛かる小さなアーチ橋が見えてきたところで、林檎さんがオールを掴んで立ち上がった。ゴンドラが揺れるので急に動かないで頂きたい。
「私は・・・流されたくないだけです」
林檎さんがオールで川底を突くと、ゴンドラはふわりと船首を船着き場に向けて静かにとまった。そんなに舟の操縦に心得があるなら最初からあなたが漕いでくれればよかったのにと月乃は思った。
石段を上がると、二人のゴンドラを追いかけて歩いてきた生徒たちがキラキラした目をして集まっていた。
「ついてきなさい」
「は、はい」
月乃は林檎さんの後について人混みをかき分け、ひと気のない路地まで移動した。パン屋の裏なのでやたらいい匂いがする。
「ここで待っていなさい」
「え?」
「いいから、ここで待っていなさい。小学生」
林檎さんはそう言い残してイルミネーションの眩しい大通りに去っていってしまった。
ここからの待ち時間が異常で、月乃は12月の北風が頬を打つ狭い路地で空腹のまま1時間近くも突っ立ったままになった。さっさと温かい保健室に帰って保科先生に肩でも揉んで貰えば良かったのだが、待つと約束したら徹底して待つのがお嬢様なのである。
「まだいましたか」
ようやく路地に顔を出した林檎さんは特に詫びる様子もなくそう言って月乃に歩み寄ってきた。
「まだいましたかじゃありませんわ! お陰で明日は風邪を・・・」
林檎さんが外套の隠しポケットから何かを取り出した。それは昼間ショーウィンドウで見たクリスマスキャンディーだった。
「・・・こ、これは?」
林檎さんは何も言わず、ハットの下から覗く彼女の口元もいつも通り冷たい無表情のままだったので、月乃は困惑した。なんで林檎さんがキャンディーなんかを月乃に買ってきてくれたのか。
「う、受け取ればいいんですの?」
そう尋ねても林檎さんはやっぱり何も言わなかったが、代わりにキャンディーを月乃の胸の前にそっと差し出した。なんだか月乃は急に恥ずかしくなってしまった。
「・・・も、貰ってあげますわ」
月乃がキャンディーを受け取ると、林檎さんはすぐに背を向けて歩き出してしまった。
「小桃」
「は、はい!?」
林檎さんの背中は小さいが、ロワール会の将来を月乃と共に背負うだけの覚悟が、風格となって表れていた。
「・・・なんでもありません。子供は早く帰りなさい」
一日公務に同行して助言までしてくれた小学生に林檎さんがちょっぴり感謝していたことは、キャンディーをペロッと舐めた月乃が無事に高校生に戻れてしまったことからも明らかである。