23、祭り囃子
そもそも、月乃は小学生状態の自分が好きではない。
「月乃ちゃーん、よく似合ってるよ、浴衣」
保科先生が用意してくれたのは、生地にサクラだかツツジだか良く分からない白と桃色の謎の花が華やかに散りばめられた可愛い浴衣だった。
「・・・なんだか気が重いですわ」
帯は先生が適当な知識で結んでくれたが、悪くない仕上がりである。
「あれ、日奈ちゃんと一緒にお祭りに行けるんだよ。素直に喜んだらいいのに」
「・・・わたくしはお嬢様ですのよ。お祭りなんて興味ありませんわ」
「あれまあ」
日奈様と遊びに行ける状況に浮かれ過ぎた近頃の自分を反省している月乃は、お祭り当日になって急に硬派っぷりを加速させていた。月乃の本心を色々知っている保科先生の前でクールなお嬢様を演じても大して意味はないが、今日一日をかっこよく過ごすための肩ならしみたいなものである。決して照れ隠しのためなんかではない。
「どこに集合していくの?」
「バスターミナルですわ。30分後ですの」
ちなみに高校生の細川月乃は急遽故郷に帰ったということになっており、小学生の月乃はずっと保健室で暮らしている。
「なんだか腕がスースーしますわ・・・」
「一応助言だけど、キミの正体がバレたくなかったらちゃんと子供っぽくしなきゃダメだよ」
「・・・バレるわけありませんわ。子供みたいにはしゃいだりしたら、まるでわたくしがこの体をエンジョイしているみたいではありませんの。それはイヤですわ」
「恥ずかしがってる場合じゃないと思うけど」
「とにかくわたくしは、桜様に誘われたから仕方なく行ってあげるだけですのよ」
「分かった、分かった。じゃあそういうことにしておこう」
先生は月乃の小さな頭を優しく撫でてくれた。先生はお嬢様っぽい品がある女性ではないが、なぜかいつもダージリンの茶葉みたいな素敵な匂いがする。
「それでは、行ってきますの」
「はい、ゆっくり楽しんできな」
小学生モードの月乃は下駄風サンダルと巾着袋を持ってペタペタと保健室を飛び出していった。
夏休みなので私服で学園の敷地内を歩いていても問題はないのだが、月乃はとにかく恥ずかしかったので、小走りで大聖堂広場を抜けて南大通りに向かった。自分に不似合いなピンキーな浴衣の袖が、腕を振る度にふわふわ揺れて、まるで花の妖精になってしまったかのような気分である。
(わたくしはクールなお嬢様ですのにぃ・・・!)
月乃は腕を振らないように肩をピーンと強張らせながら大通りのカフェの前を通過した。
「あーあ、ウエイトレスの先輩たちの胸を触るのも飽きたし、何か面白いことないかしら」
ストレートのブロンドヘアーが美しいリリーさんは、カフェの窓際の席でグッと伸びをしていた。ちなみに彼女は大人っぽい顔をしているが月乃と同じ一年生である。
「あら?」
テラスのテーブルから頭だけひょっこり出るようなサイズの女の子が大通りを歩いていた。しかも彼女はレンガの道にあってはこの上なく目立つ桃色の浴衣を着ている。
「あの子!」
リリーは小学生状態の月乃に一度会ったことがあるが、今のところ仲良くなれてはいない。
「はぁ・・・! かわいいぃ♪」
同級生はともかく小学生をターゲットにエッチなイタズラをするのはやめて欲しいところである。
さて、バスターミナルが見えてきたところで月乃は一度落ち着くことにした。この先には大好きな日奈様が待っているのである。彼女も浴衣を着ているかどうかは分からないが少なくとも私服のはずなので、それなりの衝撃に備えて心を強く持たなければならない。体は小学生だが中身はロワール会のナンバー2なので、恋なんかしている場合ではないのである。今日の月乃はあくまでも硬派な態度を貫くのだ。
顔を上げると、蝉時雨と淡い陽炎に揺れるバス停の屋根の下に、フレッシュな浅黄色の浴衣を着た少女が見えた。
(あれは!?)
と月乃は一瞬身構えたが、よく見るとその少女はおさげ髪で、待ち合わせ場所に一番乗りした喜びに無垢なる頬を桜色に染めていた。
「あら、桜様じゃありませんの」
小学生ボイスをなるべくクールな低音にして格好付けながら月乃は桜ちゃんに声を掛けたが、彼女は意外な反応をした。
「わぁ、姉小路様、素敵です!」
「え?」
わたくしは小桃ですのよと言いかけた時、月乃の小さな肩をトントン叩く者が現れた。
「ばっ♪」
「ひい!」
月乃の背後にいたのは浴衣姿の日奈様だった。日奈様の笑顔とその美肌は、月乃が見上げた太陽の輝きをそのまま透過する眩しさだったので、月乃にはもう地上に愛を届けに来た和装の天使様にしか見えなかった。日奈の魅力や存在感は空気ににじんで広がる性質があるため、月乃が背後を取られて気づかなかったのは妙な話のようにも思えるが、日奈は昔から保身のために自分の姿を隠す能力を磨いているので、気配を殺して誰かに忍び寄るのは意外と得意なのである。
「小桃ちゃん、浴衣かわいいぃ!」
「はぁい・・・!」
日奈様が中腰になって覗き込んでくるので月乃は変な声を出してしまった。日奈様の浴衣は遠慮がちで繊細なタッチで季節外れの藤が描かれた薄紫の大人っぽい浴衣だった。あまりにも素敵な光景といい香りに倒れそうになりながら後ずさりした月乃は、桜ちゃんの体にポフッとぶつかり、彼女に後ろから抱きしめられた。
「似合ってるよぉ、小桃ちゃん」
高校生モードの時はあんなに子供っぽく見えていた桜ちゃんが、今はずっと年上のおねえさんに見えるが、やっぱり日奈様と比べると幾分お姉ちゃん感が薄いかもしれない。月乃は日奈様になるべく近寄らないように桜ちゃんの陰に隠れながら行動することにした。
しかし、それもバス停でバスの到着を待つまでにのみ有効な手段であった。
「あ、小桃ちゃん、姉小路様、バスが来ましたよ」
バスは月乃たちの貸し切りだったため、一番後ろの長い座席を三人で贅沢に使うことにしたのだが、月乃は成り行きで日奈様と桜ちゃんに挟まれるポジションに収まってしまった。これでは日奈様の魅力から隠れることができない。
「小桃ちゃん♪」
「な・・・なんですの・・・」
人見知りをしている様子の小桃ちゃんが可愛くって、日奈は意味も無く彼女に声を掛けたりした。月乃は人見知りをしているのではなく猛烈に恥ずかしがっているので、体をピッタリくっつけるのはやめて頂きたいところである。日奈様は普段あんなに奥手なのに、相手が小学生だと全く緊張しないらしく、積極的にコミュニケーションを図ってくるのだ。
「小桃ちゃんは浴衣どこで買ったの?」
「・・・お、お店ですわ。お店のレジ」
「そうなんだ。こういうふわふわタイプの帯、かわいいね」
「そ、そうですわね・・・分かりませんわ」
月乃はもう日本語がおかしくなっている。
エアコンのよく効いたバスはターミナルを出てゆっくりと坂を上り始めた。学園を囲う山肌に沿って反時計回りに上るバスは、さながら旋回しながら高度を上げていく飛行機みたいな感じである。
「見て下さい! いい景色ですよ!」
桜ちゃんが学園を見下ろしてはしゃいでいるが、月乃は窓の外なんかに注目する余裕はないので「ホントですわね」と小声で適当に相づちを打つだけだった。春にこの学園にやって来て以来、月乃は一度も外出をしていなかったので本当はちょっぴり感慨深い光景であるはずなのだが、浴衣越しに日奈様の体温を感じながら座っているのだからしょうがない。
バスは東の山の頂上から右に曲がってなだらかな下り坂に入った。ここ学園東通りを呼ばれる長い坂で、普段は山の野生動物しか通らないくせに綺麗な街灯が並んでいる。
「見て下さい! 木漏れ日が素敵です!」
桜ちゃんが真夏の深緑のトンネルに歓声を上げているが、彼女のすぐ隣りに腰掛けている月乃は、もっと美しいものがそばにいるせいで窓の外になんか興味を持てなかったから「まあ、素敵」と適当につぶやくだけだった。
「小桃ちゃんって、結構クールだね」
日奈様の温かい声が月乃の小さな体をしびれさせた。常識はずれの美貌を持った少女がこんなに近くにいるのに平気でいられる桜ちゃんは、おそらく何らかの特殊な免疫を持っているに違いない。
このバスはベルフォール女学院と麓の駅前を行き来するものだが、別に直通ではないので途中で降車することができる。夏祭りの会場となっているのは学園の南にある街の大きな神社だ。
『まもなく、参道口、参道口でえーす』
日が少しずつ傾き始め、優しい夕餉の匂い漂う田園と葡萄畑の景色の中に浴衣姿の人々が増えてきたところで、桜ちゃんが脱いでいた下駄をカランカラン言わせて立ち上がり、バスの降車ボタンを押した。
「姉小路様、小桃ちゃん、ここで降りますよ!」
「わかりました」
「あの、姉小路様、私には敬語を使わないでいいんですよ」
「は、はい・・・」
桜ちゃんは自分も敬語を使っている自覚がないのかもしれない。
「小桃ちゃん、次降りるみたいだよ」
「・・・うい」
敬語をやめようみたいな話を両脇のおねえさんたちがしゃべっていたので、それにつられた月乃は「うん」と「はい」が混ざった変な返事をしてしまって顔を赤くした。
バス停に残っている昼間の熱気は夕日のせいで照れたような茜色に染まっており、バスを降りた月乃はどこからともなく漂ってくる香ばしい匂いと、小さな胸を打つかすかな和太鼓の響きを感じた。
「着いたね」
日奈に笑顔を向けられて焦った月乃は、意味もなく下を向いて自分の下駄を眺めた。今までお嬢様として生きてきた自分が一度も顔を出したことがない夏祭りという未知なるイベントに、ついにやってきてしまったという緊張が、小学生の月乃をますます無口にした。
(わたくしはロワール会のお嬢様ですのよ。別にワクワクなんてしてませんわ・・・)
恋の戒律を破ってしまったことによって小学生にされている事実は取りあえず置いといて、今日の月乃はあくまでもお祭りに付き合わされている硬派な女の子なのだ。少なくとも本人はそう自分に言い聞かせている。
「ここから少し歩きます。道も調べてきましたけど、この辺の浴衣姿の人に付いていけば会場行けそうですね」
どうでもいいことだが、桜ちゃんは名前がいかにも桜色なのに敢えて黄色い浴衣を選んでいるということは、よっぽどビタミンカラーが好きなのかも知れない。
「行きましょうっ」
「はい」
桜ちゃんと日奈様はあいだに月乃を挟んだ形で歩き出した。笑顔の人々が行き交う夕間暮れの参道を月乃は物珍しげに眺めた。軒を連ねる和菓子や漬け物のお店、夕空に連なる華やかな提灯たちは、お嬢様月乃にとってはまさにワンダーランドであり、彼女は中近世の日本に流れ着いたヨーロッパの少女みたいな気分になった。
キョロキョロする小桃ちゃんの様子を横目でみるお姉様日奈は、彼女にそっと白い手を差し伸べた。
「迷子にならないでね」
「えっ」
手を繋いでくれようとしているらしいことに気づいた月乃は、野ウサギのように素早く飛び退いて桜ちゃんの後ろに隠れた。日奈様と手を繋ぐなど、天地がひっくり返るようなありえないことなのだ。
「わた、わたくしは手なんて繋ぎませんのよ・・・!」
そう言って月乃は桜ちゃんの手をぎゅっと握った。言ってることとやっていることを即座に矛盾させる能力を持った少女である。
「姉小路様、小桃ちゃんきっと照れてるんです」
「え?」
桜ちゃんが楽しげに日奈様にささやかくので、月乃は慌てて桜ちゃんの腕を引っ張った。
「ち、違いますの! 違いますの!」
月乃は小学生時代の全てをお嬢様として育つための修養期間に充てたため、子供っぽい態度について客観的な目を持っておらず、今の自分が本当の小学生みたいに恥ずかしがって大きな声を出しているという自覚は全く無い。
隙を見せると日奈様が手を繋いできそうだったので、月乃は桜ちゃんの手にしっかりと掴まって歩いた。日奈様と物理的にくっついてしまったら確実に平静でいられなくなるから、お嬢様としてのプライドを懸けてクールで居続けようと決意している今日の月乃は必死なのである。
ベルフォール女学院を含めたこの地域は中山道がかすりもしなかったような山奥の中の山奥なので、宿場で発展したわけではないのだが、噂によると大昔の朝廷の偉い人たちの一部がこの辺に住んで仕事をしていたらしく、当時の都を意識して作っちゃった史跡がいくつか残っており、観光地としての機能がないわけではない。
「この先です。あの鳥居から向こうですよ」
桜ちゃんの言葉に月乃は身構えた。
境内は色とりどりのテント屋根を眩しい橙赤色のライトで夕闇に浮かべた屋台が賑やかに並んでおり、まるで手作りの竜宮城のような、ちょっと絵に描きにくいくらいの煌びやかな世界になっていた。ノイズ混じりの祭り囃子と本物の太鼓の響きに乗せて、月乃に馴染みの無い美味しそうな匂いが彼女の小さな鼻をくすぐってきた。
「わあ」
日奈様もちょっと嬉しそうである。実は彼女も月乃ほどではないにしろ、滅多に夏祭りになんて来ないのでワクワクしているのだ。
「行きましょう!」
桜ちゃんの腕に掴まったままの月乃は歩き出した。あんまりキョロキョロするのも恥ずかしいので、なるべくクールな顔を作って歩く月乃の横顔を、日奈は微笑みながらこっそり見つめていた。美しすぎる日奈の毎日には気にしなければならないことが山積みなので、癒しを与えてくれる無邪気な年頃の子が彼女は大好きなのだ。
「あっ、ラムネ飲みたいです!」
桜ちゃんはぐいぐい歩いて月乃たちを先導してくれるので楽である。
「私も飲みたいです。小桃ちゃんものど乾いたよね?」
「え! そ、そうかもしれませんわね・・・」
月乃は日奈様と目を合わせないで答えた。
月乃もお小遣いはちゃんと持ってきたので、自然な流れで月乃の分のラムネも買ってくれようとする日奈を制して自分のお金で買った。ちなみにラムネというは「レモネード」という言葉が変化したものらしいので、レモン果汁なりクエン酸なりをお砂糖と一緒に普通の水に溶いた飲み物をラムネと言い張っても間違いではない。
氷水に浸かっていたボーリングのピンの失敗作みたいな形をした重たいビンを片手に月乃はうろたえた。ビニールをはがしたら簡略化しすぎたチェスの駒みたいな奴が出て来たし、飲み口と思われる場所には黒飴が詰まっていたのだ。何をさせたいのかサッパリ分からない飲み物である。
「うう・・・」
さすがに21世紀の飲み物なだけあって側面に開栓の手順が書かれている感じだったが、もう辺りは暗くなっているので読めたものではない。小学生の月乃はビンを持ったままウロウロした。
「小桃ちゃん、開けられる?」
「ひっ!」
優しい日奈様が中腰になって月乃の顔を覗いてきた。
「あ、あけ、開けられますわ!」
提灯の明かりをバックに微笑む浴衣姿の日奈様が眩し過ぎて月乃はつい嘘をついてしまった。ふと隣りを見ると黄色い浴衣の桜ちゃんが「よいしょ」と言いながら、いとも簡単にラムネを開けていたので、月乃もそれの真似をすることにした。
「・・・よいしょっ」
チェスの駒を蓋の上に乗せて叩いてみたが、小学生状態の月乃が非力なせいか飲み口の黒飴はびくともしない。月乃は恥ずかしいので二人に背を向けたまましゃがみ込み、何度か同じようにトライした。
その時である。月乃の小さな背中に、堪え難いほどに強烈な心地良い温もりがやってきたのだ。
「ビンは真っ直ぐにして、このプラスチックの奴は逆さまに・・・」
日奈は小桃ちゃんを背中から抱きしめるような形で、両手を添えてきたのだ。耳元で聞いた日奈様の声に月乃は全身がゾクゾクした。
「しっかり持って、じゃあいくよ?」
月乃の背中に当たっているふんわりぽよんとした感触は日奈様のお胸であり、月乃の首すじをくすぐるのは日奈様の艶やかでいい香りの髪である。月乃の小さな体は、日奈様のふところにすっぽり収まる形になったのだ。
(わたくしは・・・クールなお嬢様ですのにぃ!)
頭の中で抵抗してみても無駄であり、月乃は普通に高校生のお嬢様として人生を送っておれば決して味わうことができないはずのラブリーなひと時を全身で感じ、その小さな胸をキュンキュンさせた。
「せーのっ」
ポン、シュワワ〜という爽やかな音と同時に、月乃の手と鼻先に冷たいしぶきが飛んだ。日奈様と一緒になって開けたラムネは、ちょっぴり刺激的で、どこまでも澄みきった初恋の味だった。
お祭りと言うからには神社の拝殿にお参りするルールがあるに違いないとお嬢様月乃は思っていたが、初詣とは全く異なり、そのような習慣はなかった。
「お腹空きましたねぇ」
桜ちゃんは人並みをぐいぐい歩いていくので、彼女が迷子にならないように月乃が手を繋いであげているような構図になっている。
「小桃ちゃん、姉小路様、あの大勢人が集まってる屋台が毎年人気のタコ焼き屋さんです! おすすめですよお」
「そうなんですか、いいにおいですね」
相変わらず桜ちゃんは情報通である。
「小桃ちゃん、タコ焼き食べる?」
「た、タコ・・・タコ・・・」
日奈様に尋ねられて月乃は黙ってしまった。名門細川一族の娘として幼い頃から徹底された一流の食生活を送っていた月乃はタコ焼きを食べた事がなかった。
「・・・タコ焼きなんて田舎っぽい食べ物、わたくしは食べませんのよ」
先程月乃はクールさのかけらもない恋のトキメキを感じてしまったため、名誉の挽回のためにここで大人っぽいことを言い始めたのだ。今の月乃は月乃ではなく小桃ちゃんなので、日奈様たちの前で大人ぶる必要など別に無いのだが、やっぱりお嬢様としてのプライドが許さなかったのである。月乃は自分の体が高校生であろうと小学生であろうと、かっこいいお嬢様でありたいのだ。
「わぁ・・・なんか小桃ちゃんって月乃様に似てます」
「う!」
桜ちゃんが突然核心を突いてきた。
「あ、たしかに」
日奈様までが笑っている。これはまずいと月乃は思った。月乃と小桃ちゃんが同一人物であることがバレたら、そんな不思議な現象があるんですねぇという話に収まらず、戒律を破ってしまっていることが必ず明るみになってしまうことだろう。それはお嬢様人生のおしまいを意味するし、日奈様に恋心がバレてしまったら恥ずかしくって二度と顔を見せられなくなってしまう。
(どうしましょう・・・調子に乗ってお嬢様アピールをしすぎましたわ・・・!)
日奈様も桜ちゃんも本気で小桃ちゃんの正体が月乃だなんて思っていないのだが、月乃は焦っている。こういう時にどうすればいいか、昼間に誰かからアドバイスを貰った気がして月乃は記憶を探りだした。
『正体がバレたくなかったらちゃんと子供っぽくしなきゃダメだよ』
保科先生の助言だった。
お嬢様であり続けることを呼吸の次くらいに当たり前にやってきた月乃にとって、子供っぽい立ち振る舞いなど見当がつかないが、ここは先生のアドバイスに従ってみるほかない。お嬢様としての自分の人生を守るために、お嬢様とは無縁な子供を演じることになるとは不思議な巡り合わせである。
「あ、あのわたくし・・・」
微笑む日奈様に見つめられて月乃は頭が真っ白になってしまいそうだったが、浴衣の袖をペンギンのようにひらひら振って勇気を出した。
「・・・た、た、タコ焼き大好きですのー!」
月乃は高校生の自分が絶対にやらないような大げさなポーズでそう叫んだ。もう顔は真っ赤である。
なんとか正体を知られずに済んだ月乃はタコ焼きを手に入れてしまったが、どうやって食べていいかも分からない奇妙な物体を前にちょっと怯えている。ドーナツのような固い生地を想像していたのに、爪楊枝でつっついたところ、コーンスープに浸したパンみたいな頼りない感触がする。本当に焼けているのか怪しいものである。
「おいしい!」
「本当ですね」
桜ちゃんと日奈様が口を揃えて絶賛している。とりあえず月乃は爪楊枝でタコをほじくりだて口に運んでみた。
「ん・・・」
なかなかおいしい。月乃は生地の部分も小さく分解してから口に運んだ。
「んん・・・」
おいしい。負けを認めるわけではないが、あまりお嬢様っぽくない食べ物も美味しく食べられる舌を月乃も持っていることが判明した。
狛犬のそばの石段に三人並んで腰掛け、行き交う人々の笑顔や、提灯と屋台が織り成した幻想的な光の世界を眺めていると、月乃は自分の体が小学生になってしまうこの怪現象が必ずしも悪い出来事では無いような気がしてきてしまった。もちろん月乃は高校生状態の自分のほうが今の自分より100倍好きだが、浴衣姿の日奈様の隣りにいられるこの時間が幸せでないと言ったら嘘になる。
「おいしい?」
「ひゃっ・・・!」
日奈様の優しい声と眼差しから逃げるようにそっぽを向いた月乃は、ちょっと首をかしげてからゆっくり頷いた。
「あ! いつの間にかいい時間に!」
タコ焼きを食べ終えた桜ちゃんが急に立ち上がった。桜ちゃんの横顔が祭り囃子の響く星空の中で屈託なく笑っているのを見上げた月乃は、この人は夏が大好きなんだなとしみじみ思った。
「どうしたんですか?」
日奈様もとっても楽しそうである。
「行きましょう! 夏祭りの醍醐味が待ってますよ!」
え、まだ何かありますのと月乃が思う間もなく桜ちゃんは月乃の小さな手をとって駆け出した。日奈様もクスクス笑いながら二人の後についていった。
祭り囃子と雑踏の中、高校生のクラスメイトに手を引かれて走る小学生の月乃は、花のように色鮮やかな浴衣姿たちが左右に流れていく光景になぜかうっとりとしてしまった。