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4、修学旅行(前編)

 

 早春が目まぐるしく加速して車窓のパノラマを彩っている。

「わぁ! 見て! 富士山よ!」

「ホントぉ! フジサ~ン!」

「フジサ~ン!」

 初めて見る日本一の山にテンションが上がった生徒たちがなぜか窓の外に手を振っている。お嬢様たちの行動には不思議が多い。


 修学旅行の行き先は昨年と同様京都になったのだが、何しろ旅行自体が急に決まったため、新幹線の座席やバスの手配がままならなかった。生徒は全員同じ学園に住んでいるのに、遥か遠方の京都駅前が集合場所に指定されたのはそのためである。車両を貸し切ることなく、生徒たちはそれぞれ新幹線に乗って京都に向かうのだ。

「月乃様」

「なんですの・・・ひ!」

 振り向いた瞬間、隣りの席の日奈様に写真を撮られた月乃は、くやしさと恥ずかしさで足をバタバタさせた。今日はせっかく高校生モードのカッコイイ月乃で外出しているのだから、もっと美しい仕草を心掛けて欲しいところである。

「月乃様って写真撮られるのお嫌いなんですかぁ?」

 向かい合った座席の桜ちゃんがお菓子を食べながら尋ねてきた。二泊三日の旅行のために持ってきたお菓子を、行きの新幹線で消費していく桜ちゃんはやっぱりマイペースである。

「別に・・・嫌いじゃありませんわ。不意打ちがイヤなんですの」

 カッコイイポーズをとれないからである。

「月乃様、お気持ち分かります。肖像権というものがありますから、撮影前に文書で許可を申請して欲しいですね」

 硬派な林檎さんは桜ちゃんの隣りで読書中だ。ちなみに読んでいる本は『誰でも簡単! おいしいお菓子の作り方』である。

「あ~ら、私はいつでも撮影オーケーですわよ♪」

 リリーさんはそう言いながら三人席の一番通路側から窓際の桜ちゃんのビスケットに手を伸ばした。神話の女神様のように美しいリリーさんの横顔が自分の目の前にやってきて動揺した林檎さんは、顔色を隠すため白い帽子を深く被り直している。

「それじゃあ月乃様」

「は、はい!?」

 日奈様に声を掛けられるだけで月乃は耳が熱くなる。

「お写真、撮っていいですか?」

「う・・・あ・・・その・・・」

 この隙にお嬢様っぽい決め顔を作ればいいのに、慌てた月乃はただ目を泳がせてスカートなどを無意味にパフパフ触ったあと、小さな声で「どうぞ・・・」と言うだけだった。ポンコツである。

「はい、チーズ♪」

「うぅ・・・」

 日奈様の美しさの前で、月乃はたじたじなのだ。


「ちょ、ちょっと外の空気を吸って来ますわ!」

 月乃はそう言って席を離れ、車両のデッキに向かう事にした。外の空気と聞いてドアでもこじ開けるのかと思い目を丸くした桜ちゃんはやっぱり天然である。

 デッキとは、新幹線の乗車口から座席がある部屋に向かう途中の狭い通路の事である。自由席が満席の場合はここに立ち、次の駅で下りる人が席を空ける瞬間を待つしかないわけだが、冷暖房が強めに効いているため足腰が丈夫な娘にとっては快適な場所と言えなくもない。

「ほっ・・・」

 日奈様から離れてようやく自分を取り戻した月乃は、ドアの窓いっぱいに輝く海に心を奪われた。

「あら、まあ・・・」

 座席の窓より一回り小さいはずのその窓は、命を与えられた魔法の掛け軸のように活き活きと海原を揺らしていた。山に囲まれて生活している月乃にとってそのきらめきはとても魅力的だったので、彼女は思わずドアにへばりついてしまった。

「広いですわねぇ・・・」

 新幹線の速さのお陰で妙に立体的に見える白雲が月乃の頭上を過ぎていき、目下の港町は松の木の枝葉まで精巧に作られたジオラマ模型のようになってそのシルエットを波間に慌ただしく躍らせていた。ずっと見ていられる光景である。

 しばらくすると、新幹線はトンネルに入った。

 月乃が覗き込んでいた窓はこの瞬間ツヤのある暗闇のスクリーンに化けたので、天井のオレンジ色のライトに照らし出されたデッキの様子がそこに浮かび上がったのだ。

「ひ!」

 月乃はビックリして振り返ってしまった。反射して見えたデッキの隅に、謎の少女が立っていたからだ。

「あら・・・」

 しかし怯える必要はない。少女はオバケなんかじゃなく、ちゃんとそこに存在していたのだ。

 彼女は小学校低学年くらいの幼い少女で、淡いブルーピンクの可愛いパーカーに星型サングラスというかなりポップな出で立ちであった。パーティーの帰りかも知れない。

(も、もしかしてさっきからずっといましたの・・・?)

 景色に夢中になっている背中をじっと見られていたのかと思うと月乃は恥ずかしくて顔が熱くなった。日奈様がそばにいなくても月乃は恥ずかしい思いをする運命なのだ。

 新幹線がトンネルから抜け出すと、幼い少女の姿は青い空の輝きに照らし出される。

 星型サングラスはキラリと光り、リュックサックにぶら下がる小さなぬいぐるみたちがゆらゆら揺れていて、少女の顔は無表情のまま月乃のほうに向けられていた。子供と言えど怪しい。

(迷子・・・ですの?)

 それにしては辺りを見回す様子がない。サングラスのせいで彼女が今どこを見ているのかサッパリ分からないが、ママを探しているわけではなさそうである。

 月乃はちょっぴり考えた。

 女の子の事など気にせず自分の席に戻ることも出来るのだが、時折小桃ちゃんに変身して小学生ライフを送っている今の月乃には、少女の寂し気なオーラが見えてしまったのである。ほうっておけなくなった月乃は可能な限り優しい調子で彼女に話しかけることにした。

「・・・景色、見ますの?」

「え?」

 少女の声はまるで小さなガラスのベルのように澄んでいた。

「綺麗ですわよ、海」

 月乃がそう言って窓に目を遣ると、少女は奈良公園の小鹿のようにゆっくりゆっくり近づいてきた。

「海・・・」

「ちょっと今見えなくなっちゃいましたけど、ほら、あの建物の向こう側に」

 少女はサングラスが窓に触れてカタンッと音を立てるほど熱心に景色を覗き込んだ。海外のぬいぐるみのようなちょっと派手な格好をしているくせに、妙に素直で可愛らしい子である。

 背伸びをしながら外を見る少女の様子を見て、月乃は急に胸が高鳴った。

(これは・・・)

 以前の月乃だったら絶対に思いつかないお姉様的アイデアが彼女の胸に舞い降りたのだ。

「ほら、来なさい」

「え?」

「お姉様が抱っこしてあげますわ」

 背が低い時の不便さを月乃はよく知っているのだ。

 月乃は自分が小学生モードの時に日奈様がやってくれる抱っこのやり方を真似て、少女を持ち上げた。柔らかくて優しい重みをぎこちなく抱きしめると、月乃の腕の中いっぱいに生きた人間の感触が満ちてとても不思議な感覚だった。月乃は今、立派なお姉様である。

「ほら、フェリーが見えますわよ」

 月乃は子供の世話に慣れているフリをしながら少女に景色を見せた。

「わぁ・・・」

「綺麗ですわね」

 少女は遠い海よりもむしろ眼下の港町に夢中な様子である。

 何か話題でも探したほうがいいのかしらと思った月乃は流れる街並みに目を向けた。

「わたくし山奥の学校に通っていますのよ。だから、港がある街に憧れますわ」

 月乃は可能な限り日奈様の声色を真似た。月乃の理想のお姉様像は日奈様だからだ。

「イルカとか、サンゴ礁とか、素敵ですわよね。この辺りにイルカはいないのかしら」

 そう言って少女に目を向けた月乃は、ちょっと意外な事態に一瞬言葉を失ってしまった。

 いつの間にか少女は車窓ではなく月乃の顔をじっと見つめていたのだ。ハイテンションなサングラスのデザインと口元のニュートラルな表情が完全に不調和であり、そのミステリアスさが月乃を深い困惑の淵に落とした。

「わ、わたくしじゃなくて景色を見なさい・・・」

「お姉ちゃん海好き?」

「え、は、はい。好きですわ」

「私も好き」

「そうですのね」

 月乃と女の子は双葉のようにピッタリくっついたまましばらく見つめ合った。沈黙した二人の間に流れる時間はたっぷりのフルーツとミルクをジューサーに掛けた飲み物のように、新鮮で豊潤でクリーミーな優しいひと時だった。どうやら二人とも人見知りだったようである。


「ふー・・・」

「あ、おかえりなさい、月乃様」

「おかえりなさ~い♪」

 月乃が席に戻ると4人はトランプで遊んでいた。仲間外れにしないで頂きたい。

「随分遅かったですけど、もしかしてワゴン販売の綺麗なお姉さんに連絡先でも聞かれてたのかしら?」

 リリーさんはパアなのですぐそういう発想になる。

「別に何でもありませんわ。ただ・・・」

「ただ?」

「ちょっとだけ子供さんにお節介を働いてきましたのよ」

 月乃は先ほど出会った少女の事を話した。景色を見たがっていたので抱っこしてあげた事をさも当然のように言う事で自分の愛情深さを日奈様にアピールしたわけである。

「わぁ! 月乃様かっこいいですぅ」

「さすがは月乃様。イルカのチョイスにもセンスがありますね」

 若山姉妹がやたら感動してくれた。

「きっとそれは原宿から来た妖精ですよぉ」

「それで今その少女はどちらに?」

「さあ。お連れ様のところに帰るよう言っておきましたわよ」

 ところでババ抜きの続きはしなくていいのだろうか。

「でもその子、小桃ちゃんと同じくらいの年齢みたいですね!」

「え・・・まあそうですけど、小桃の正体は高校生ですのよ・・・」

「小桃ちゃんに変身して会ってたらお友達になれたんじゃないですか?」

 桜ちゃんの無邪気な発言を、日奈様はニコニコしながら聴くばかりである。

 すると、タイミングよく事件が起こる。

 客室の自動ドアがスーッと開いたかと思うと例の少女が入って来たのだ。

「あら、あの子じゃない? 月乃様が会った子」

 通路側に座っていたリリーさんの美少女センサーがいち早く反応した。

 座席の隙間から覗き込もうとする月乃の隣りで、日奈様は名案を思い付き、星に祈りを捧げるポーズをした。

「神様、どうか月乃様を小桃ちゃんにして下さい♪」

「え!?」

 月乃はあっという間に意識を失った。月乃の変身は全て日奈様の意のままなのである。



 星型サングラスの少女は座席をキョロキョロ見回しながら誰かを探していた。

「あ・・・」

 日奈様たちの制服を見て、少女は立ち止まった。

「こんにちはぁ、可愛いサングラスちゃん♪ もしかして迷子ぉ?」

 妖艶なリリーさんの声掛けに少女はちょっと気後れした様子だったが、窓際でスヤスヤ眠る小学生の月乃を発見してちょっと安心したのか、逃げて行きはしなかった。

「良かったらここ、座る?」

 一つだけ空いている席を指して日奈様が優しく声を掛けると、少女は小学生の月乃の寝顔と座席を交互に見比べてから、ゆっくり椅子に腰かけた。どうやら年上のお姉さんばかりで緊張しているようなので、日奈様は自分と小桃ちゃんの席を交換してあげた。これでサングラスの少女と小桃ちゃんは隣同士である。

「ん・・・んー・・・」

 タイミングよく月乃が目を覚ました。変身した直後のめまいは回数を重ねるごとに軽度になっているが、寝起きの頭がボーッとしているのは対処のしようがないらしく、幼い月乃ちゃんのまぶたは重い。

「私たちね、修学旅行で京都に向かうところなんだよっ!」

「しゅうがく・・・」

 少女は向かい側の席に同じ顔をしたお姉さんが二人いることに気付いてちょっと怯えている。

「・・・あなたもしゅうがくりょこうなの?」

「んー・・・ん?」

 少女に話しかけられた月乃はようやく頭がハッキリしてきた。

「え! ええと・・・そうですわよ。わたくし引率ですの。これから京都に行きますのよ」

「そうなの? あのね、私もね、遠足なの」

 そう言って少女はリュックから少し折り目がついた冊子を取り出した。歳が近い小桃ちゃんに早くも友情が芽生えているのか、少女はちょっぴりはしゃいでいる。

「遠足って言っても、周りに誰もいませんわよ。あなたやっぱり迷子ですの?」

 少女が手渡してきたのは遠足のしおりだった。小学校低学年の遠足のくせに京都で一泊するという修学旅行並みに豪華な日程である。

「遠足の日ね、私風邪引いてたの」

「・・・え?」

「でもね、この、リュックも買ったしね、お洋服も貰ったしね、楽しみにしてたのに、私だけ行けなかったのすごくヤだったの」

 お姉様たちは顔を見合わせた。

「つまりその・・・あなたは自分が参加できなかった遠足を、今日一人でやろうとしてますの?」

「うんっ」

 少女はちょっぴり勇ましくうなずいた。


 とても可哀想な話なのだが、この少女は先月実施させた学校の遠足の当日に高熱を出してしまい、家でお留守番をしていたのだ。遠足の時に着る服を選んだり、買うお土産を考えたり、旅館での過ごし方を夢想したりして毎晩ベッドの中で転げ回っていた彼女には、あまりに厳しい仕打ちである。

 深く落ち込む少女の様子を見かねた彼女の姉が、ここで妙な提案を持ちかけたらしい。姉妹の貯金を合わせれば、遠足の電車代くらいは出せるわね、という悪魔のささやきである。姉からお小遣いを分けてもらった少女は、目をキラキラ輝かせながら新品のリュックに荷物を詰め始めたのだった。


「・・・りょ、旅館の予約してないってことですかね!?」

「それ以前に、子供が一人で旅してたらまずいだろう・・・」

「いじらしい子だわぁ~♪」

「どうしよう・・・」

 ベルフォールのお姉様たちはひそひそ声で相談し合った。

 少女は楽しそうに足をブラブラさせながら、幼い月乃に小さなアザラシのぬいぐるみを見せてきた。

(この子・・・楽しみにしてますのね、遠足・・・)

 アザラシの頭を指先でこちょこちょ撫でながら月乃は胸を痛めた。

 家に連絡して保護して貰えば全て解決だが、なんとかして彼女の願いを叶えてあげたいと月乃は思ったのだ。おそらく日奈様も、桜ちゃんも、林檎さんも、リリーさんも、皆同じ気持ちのはずである。

「あなた名前は?」

「百合」

 可愛いお名前である。

「百合のおうちの電話番号を私たちに教えなさい」

「え・・・」

 百合は日陰のタンポポのようにシュンとなった。彼女の冒険もここまでか。

「ご家族にお伝えしなきゃいけませんからね。百合は高校生のお姉様方と一緒に、二泊三日の修学旅行に行くと」

 花というのはマジシャンのステッキのそれのように突然開くものでない。この時の百合の笑顔のように、見た者の胸の奥をくすぐるような淡い水彩の輝きを幾重にも重ねて、極めて有機的で円熟した温もりの園にゆっくりふんわり咲くのである。

「いいの・・・? ねえいいの!? 修学旅行!?」

 百合は小桃の小さな手を取ってぴょんぴょん跳ねた。新幹線で暴れると月乃お嬢様が容赦しないので気を付けたほうがいい。



 一足早い桜の香りを演出する春の京都駅は、この日も大勢の観光客で賑わっていた。

「ベルフォール女学院の生徒会長が責任を持って、面倒を見させて頂きますので、はい」

「おかぁーさーん、お土産買ってくからねー!」

 日奈様と受話器を取り合って家に連絡する百合の様子を、小学生の月乃は後ろから眺めていた。

(わたくしってあんなに小さいのかしら・・・)

 恋人の日奈様と全く釣り合わないサイズ感に月乃はちょっとため息をついた。

「わぁー!! 京都タワー、大きいですねー!!」

 月乃は桜ちゃんの声で現実に引き戻された。そう言えば月乃は京都に到着したわけである。お嬢様である自分が学を修めるにふさわしいこの街を、彼女は余すことなく全身で感じる義務があるのだ。

「集合場所行きましょう!」

「そうですわね」

 周囲の邪魔にならないように、中央改札から少し離れた京都劇場側のロータリー前が集合場所になっているのだが、墨のように黒いのタイルの上に集まった白い制服の美少女たちは異様に目立ったため、付近には人だかりが出来ていた。観光客を観光しないで頂きたい。

 生徒が揃った段階で、月乃たちは百合を紹介する事にした。

「この子は百合。わたくしたちの修学旅行に同行することになった子ですわ」

 自分に集まった視線にちょっと緊張した百合は月乃の背中に隠れた。身長が同じなのであまり隠れられていない。

「ほら、百合。ご挨拶しなさい」

「・・・よ、よろしく」

 現場は「可愛いいい!!!」の大合唱に包まれた。百合に修学旅行を楽しんでもらうためには、この大勢の生徒たちのヨコシマなラブから彼女を守る必要がありそうである。

「小桃ちゃん」

「ひ!」

「仲良くしてあげてね♪」

 日奈様にそう耳打ちされてしまったら断るわけにいかない。月乃は呑気に日奈様と旅行を楽しんでいる場合ではないようだ。




 自主と自由をモットーに大人の力を借りず生きる事に慣れているベルフォールの乙女たちは、京都でさっそく自由行動を始めた。

 月乃のようなお嬢様以外の生徒たちは普段、相対的にフツーの少女みたいな雰囲気を出しているが、一般社会に顔を出すとその特異性が一気に際立つ。信号待ちをする彼女らの立ち姿は、朝のスズランのように可憐で品があり、みずみずしい存在感とスーパービューティフォーな香りを放っていたから、周囲の視線は釘付けである。古都の街角を行く歩き姿も、清流をゆったり渡る花いかだのように洗練された美と優しいお姉様感に満ちていたから、あちこちで写真をたくさん撮られることになった。ベルフォール女学院生は全員只者ではないのだ。

「小桃ちゃん小桃ちゃん!」

 一方、ただの小学生である百合は月乃を呼びながら松原通の清水坂を駆け上がっていく。

「・・・あんまり走ると怪我しますわよ」

「早く早く!」

 色鮮やかな扇子が親の仇みたいに並んだお土産物屋や、妙にポップな数珠屋さん、ついでに和服を着た巨大なネコのぬいぐるみなども見られるこの坂は、百合にとってはワンダーランドであった。彼女が小学校に持っていっているキュートな文房具の中でも、一番可愛くて気に入っているキラキラ花柄の自由帳の表紙に飛び込んだような、目の覚めるワクワク体験である。

 月乃も実は同じ気分であり、今まで戒律に拘束されていたモノクロな毎日からは想像も出来ないような華やかさの中にやってきた実感はあるのだが、本物の小学生の前で「わぁ~・・・」みたいな反応をしたら恥ずかしいのでここは格好をつけている。やや後方から日奈様や林檎さんもついてきているので、あまり大人げない動きはしたくないのだ。

「ええとね、ここのお寺はね。ええと」

 坂を上り終えた百合が、観光客たちの笑顔が行き交う道のド真ん中で遠足のしおりを取り出して眺め始めたので、月乃は彼女のパーカーの袖を引っ張って道の隅に来させた。こういう指導は大切である。

「きよみず寺!」

 無邪気な百合の星型サングラスに、大きな仁王門の燃えるような朱色が反射していた。本日は寺院の極彩色がよく映える快晴である。



「小桃ちゃんはさ、何年生なの?」

「え!?」

 清水の舞台はあくまで舞台であるので、そこからの眺望を楽しむだけでなく、人生のドラマチックな場面をそこで迎えるのも乙なものかも知れない。

「わ、わたくしは5年生・・・」

「え?」

「・・・3年生ですわ」

「わぁ、じゃあ小桃ちゃん私のいっこ上なんだね!」

 ちなみに保護者の日奈様たちは最近屋根が葺き替えられて生まれ変わった本堂の軒下から、小学生同士の微笑ましいやり取りを見守っている。百合は小桃ちゃんの前でのみリラックスした笑顔を見せるので、そっとしておいたほうがいいのだ。

「ね、小桃ちゃんはさ、プチトマト食べられるの?」

「食べますわよ」

「じゃあさ、セロリは?」

「食べますわ」

「じゃあさ、じゃあさ、メロメロキューキューは?」

「・・・な、なんですの?」

 百合はサングラスをキラッと光らせて微笑むと、リュックからペンケースを取り出した。清水の舞台まで来て筆記用具のお披露目会をするとは大物である。

「これがメロキュー。こっちがグータラニャーニャー」

 ペンケースの側面には、目がハート型になっている二足歩行のアザラシと、枕を頭の上の乗せてふてぶてしく笑った高身長の桃色のネコが描かれていた。色味は素敵だがデザインに一癖あるキャラクターたちである。

「いえ、まだ食べたことは無いですわね・・・」

「好き? メロメロキューキュー」

「そうですわね。ほどほどに」

「私も!」

 最近の小学生の流行は凄いですわねと月乃は思った。


 その後も二人は好きな授業や遊びなどについて語り合った。最初は話を合わせる事に苦労していた月乃も、プライドやらカッコ良さやらの土俵に立っていない純朴な小学生との会話に少しずつ心を溶け込ませていき、いつの間にかとってもリラックスしていた。

「百合」

「なぁに」

 月乃はずっと気になっていたことを尋ねてみることにした。

「百合はどうしてそんな、サングラスをしてますの?」

「サングラス、外に出るときはこれ掛けなさいってお姉ちゃんが言ってた」

 百合は得意げにサングラスを指差した。どうやら姉からのプレゼントらしいが、星型に日焼け跡がつくおそれもあるし、何より怪しいので時々外したほうが良い。

「それ、外したらいけませんの?」

「いいよ!」

 百合は思いのほかあっさりとサングラスを外し、素顔を見せてくれた。


 これが、息を呑むほど可愛かったのだ。

 彼女の無邪気な言動とはあまりにも釣り合わないその美しさは、日奈様を彷彿させるほどであり、洗練された意匠の数々を惜しげもなく一人の少女に与えてしまった神のイタズラレベルであった。最大のチャームポイントである瞳は、一度目を合わせると逸らせなくなるほど深い輝きと甘い求心力に満ちており、気付いてみると、目以外の全てのパーツも、虹で描かれた人魚姫の肖像のように美しかった。

 おそらく百合の姉は、百合の外見の尋常ならざる魅力と、それによって起こるかも知れないトラブルの危険性を本人以上に理解しており、安全な旅行をさせるために半ば変装とも呼べるサングラス作戦を取らせたのだろう。サングラスの形がよりにもよって星型だったのも、綺麗な肌や愛らしい唇から注意を逸らすための知恵だったのかも知れない。

「まぶしぃ」

「・・・そのサングラス、おうちに帰るまでずっと掛けてなさい」

「わかった!」

 全てを察した月乃は再び百合にサングラスを掛けさせたのだった。世の中には色んな美少女がおり、それぞれに特殊な悩みや物語を秘めて生きているのである。

「小桃ちゃん、百合ちゃん、そろそろ行くよ」

 日奈様が呼んでいる。月乃は自分が完全に小学生と打ち解けておしゃべりしていた事が急に恥ずかしい気分になり、いつものお嬢様フェイスを作って歩き出したが、百合が迷子にならないよう彼女と手を繋いであげた。微笑ましい二人である。




 修学旅行初日の太陽はあっという間に沈むものである。

 百合の持つ遠足のしおりに従って旅する月乃一行は、清水寺からのんびり歩いて高台寺や祇園さんを巡り、南禅寺の辺りで夕暮れを迎えた。大きな観光バスなどはチャーターしていないので、旅館へは各自適当に分散して路線バスで向かうことになった。


 中規模な旅館であるが、夕食用の大広間は体育館みたいに広くて明るく、豊かにダシの効いた和食の香りと趣ある畳の匂いが乙女たちの鼻をくすぐった。異常にマナーが良く、目を疑うほど美しい修学旅行生たちに、和服の仲居さんたちは大層びびっている。

「いただきまーす!」

 ベルフォール女学院のパワーにより、小学生一人の宿泊は追加して貰えたが、晩ご飯は急には用意できなかったので、百合の晩ご飯は高校生のお姉様たちから少しずつ分けてもらったものになった。それでも笑顔で手を合わせる百合は結構いい子である。

 日奈様の意志により月乃はまだ小学生モードのままなので、高校生用の御膳は量が多かったから、百合にたくさん分けてあげた。

「これもあげますわ」

「ありがとう小桃ちゃん!」

 苦手なお漬物などは特にしっかりプレゼントした。

「百合ちゃ~ん、どう? 美味しい?」

「おいしいー!」

「はぁん♪ 可愛い~!!」

 百合はだいぶ高校生のお姉様たちとも打ち解け始めた様子であるが、リリーさんのようなヤバイお姉さんとはあまり仲良くならないほうがいい。

「ねえ、小桃ちゃん」

「なんですの」

 普段食べられないお豆腐を味わっている月乃に百合が話しかけてきた。ちなみに月乃は百合と日奈様に挟まれた席に座っており、色んな意味で落ち着かない。

「私と小桃ちゃんってさ、同じ部屋?」

「え。んー、どうでしょう」

「同じお部屋だよ♪」

 首を傾げる月乃の代わりに日奈様がそう答えると、百合は小さくバンザイした。

「じゃあさ、じゃあさ! お布団の場所さ、どこがいい!?」

「どこと言われましても・・・まあ適当に」

「私真ん中でさ、それで小桃ちゃんがこっちね! でさ、日奈ちゃんはこっちね。電気は、サクランボの奴だけ点けようね!」

 豆電球は消さないで欲しいらしい。

「おいしいね、小桃ちゃん!」

 星のサングラスをキラキラさせながら百合が笑った。言いたいことだけしゃべってご飯を食べ、無邪気に笑う百合が、まるで別の惑星の生き物のように見えて月乃は思わず彼女に見とれてしまった。自分を飾らす偽らず、コミュニケーションの一番ピュアな部分を見せつけられて、月乃はちょっぴり恥ずかしいような嬉しいような、胸が温まる気分である。

「小桃ちゃん」

「はい?」

「ほっぺに天つゆ付いてるよ」

「え・・・あっ!」

 日奈様におしぼりでほっぺを拭ってもらった月乃は、一人で夕焼けみたいに赤くなった。月乃も十分ピュアである。



「じゃあさ、ここがゴールね。アザラシちゃんは泳げるからさ、こっちの海から来るのね!」

 お風呂上がりの心地よい脱力タイムでも百合は元気いっぱいである。月乃は部屋に敷かれたお布団の上でお人形遊びに付き合っている。

「二人とも浴衣似合ってるよ」

「日奈ちゃんおかえり!」

 月乃と百合は他の生徒たちと一緒に大浴場で芋洗いになってきたのだが、日奈様はその全裸を人前に晒すと死者が出る可能性すらあるお姉さんなので、部屋にあるシャワーでサッパリしてきたのだ。

「そろそろ消灯のお時間だよぉ」

「はーい」

 お風呂上りの日奈様がとっても素敵だったので、月乃は枕に顔をばふっとうずめるフリをしてチラッと横目で彼女を見ていた。ちなみにここは小学生二人と日奈様の三人部屋である。

「歯磨きしましたかぁ?」

「はーい」

「明日の用意はできましたかぁ?」

「はーい」

「じゃ、電気消しちゃうね」

「サクランボね」

「はい♪」

 線香花火の先っぽによく似た小さな電球を残して、月乃の修学旅行初日が温かい暗闇に落ちた。

 百合はしばらくのあいだ月乃の布団をむにむに引っ張ってイタズラしていたが、すぐにスヤスヤ眠り始めた。今日は大冒険だったから疲れていたのである。

(まったく・・・本当に、子供ですわね)

 夢の世界で遊びの続きを楽しんでいる百合の横顔を見ながら、月乃はすっかりお姉様気分になった。確かに百合と一緒にいるとお嬢様らしい行動が出来ず、疲労もたまるのだが、百合が置かれた不幸な境遇を救う助けになっていると考えると悪い気分ではなかった。楽しみにしていた旅行に風邪で参加できなかった悲しみが、この三日間で少しでも晴れるならば、月乃の頑張りや気遣いも無駄じゃないわけである。

(良かったですわね、百合・・・)

 幸せそうな百合の寝顔を見ながら、月乃は日奈様によく似た女神フェイスでそっと微笑んだ。


 そんな月乃の様子をこっそり見ていた日奈は、百合を起こさないように、そして月乃に気付かれないように静かにハイハイして月乃のお布団までやってきた。

「月乃様っ・・・」

「ひゃ!」

 日奈は幼い月乃の布団に潜りこみ、彼女を抱きしめたのだった。

「ちょっ、待って下さい! 百合が起きちゃいますわ・・・!」

「月乃様はやっぱり、最高のお姉様ですよ♪」

「え?」

 むにゅうっと抱きしめられて、月乃は日奈様の意図を察した。今日の月乃の頑張りを一番近くで見てくれていた日奈様からのねぎらいである。

「と、当然ですわ・・・わたくしはお嬢様ですから」

「明日もよろしくね♪」

「・・・うん。じゃなくてっ、はい」

 寝転がっておしゃべりするといつも以上に甘えん坊な気分になってしまう。

「いいこいいこ♪」

「あっ・・・うぅ・・・」

 頭を優しく撫でられて心がすっかりとろけてしまった月乃はさらさらのお布団に潜り込み、日奈様の優しい温もりにたっぷり甘えたのだった。姉小路日奈という女はお姉様のお姉様なのである。

 

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