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2、雨と帽子

 

「会議って大変なお仕事なんですねぇ」

 学舎の昇降口で外靴を履きながら、桜は姉に声を掛けた。

「今回は特別決める事が多かったです」

 姉の林檎さんは今日も真っ白な帽子が素敵である。


 来年度から学園の全てが刷新されるため、今日の予算会議は難航したが、元ロワール会の林檎さんや月乃の手際良い活躍によりなんとか丸く収まったのだ。

「制服も変わったし、新しい毎日のスタートって感じですぅ♪」

 当然のようにウサギを肩に乗せている妹の笑顔を、林檎は横目でじっと見つめた。

「あ、制服だけじゃなくて、私服も新しくしていいんですよね?」

「ええまあ。私は帽子をホワイトにされてしまったので黒い私服が似合わず、昨日新調しました」

 林檎さんは仮の住まいのマドレーヌハウスで着るためのネグリジェを一番街で何着か買ったのだが、これがなかなか素敵で、あまり顔には出していないがかなり気に入っている。

「それにしても、リリアーネはとんでもない提案をしますね」

「え、でも修学旅行は去年も先輩たちが行ってますし、私も楽しみですよぉ♪」

「会議の終盤に思いつきで発言した挙句、先に帰るとは・・・まったくどうしようもない女だ」

 林檎さんはリリーさんの文句を言う時だけ声に張りが出てイキイキする。

「リリアーネなんて、長所は笑顔だけじゃないか。あとは人に迷惑を掛けてばかりで・・・あっ」

 素直じゃない子には災厄が降り掛かる。林檎さんの背後に、白いハトがスーッと低空飛行で近づいて来たかと思いきや、彼女の帽子を奪って空高く舞い上がっていったのだ。

「こ、こらぁ! 帽子を返せ!」

「持ってかないでぇー!」

 ハトと帽子は眩しい太陽の向こうに消えていった。同じ顔で茫然と立ち尽くす双子の姉妹が広場に残されたのである。



「リリアーネ様大変です!」

「ん~?」

 マドレーヌハウスのロビーのソファーで横になり学園新聞を読んでいたリリーさんの元に、少女たちが集まってきた。

「あら、なぁに?」

 リリーさんは寝転がったまま尋ねた。

「林檎様のUFOみたいな帽子が!」

「あのUFOみたいな帽子?」

「はい! あのUFOみたいな帽子がハトに奪われ、行方不明になってしまったようです!」

「あらそれは大変、林檎様はあのUFOみたいな帽子が無いとカンガルーに変身できないのよ」

 リリーがふざけてクスクス笑っていると、噂の林檎さんが寮に駆け込んできた。

「わ、私の大事な帽子が怪鳥に奪われました。皆さん、帽子の奪還に協力して下さい」

「はい!!」

 ちなみに桜ちゃんはハトを手懐けるためのエサを探しに飼育小屋へ向かっている。

「リ、リリアーネも協力しなさい・・・」

「背が高い人が必要なの? 月乃様や日奈様にはお願いした?」

「月乃様たちは予算会議の結果をまとめています。ご公務のお邪魔をするわけにはいかない・・・」

 月乃は今、会議室に残る日奈様と二人きりで仕事をしており、緊張と興奮のせいで帽子の騒動には気づいていない。

「協力してあげたいけどぉ、私いま忙しいのよねぇ~♪」

「暇そうじゃないか! ソファーの上でゴロゴロして!」

 新聞の天気予報のページを閉じたリリーさんは上半身だけを色っぽく起こした。林檎さんはドキッとして下を向いた。

「あら、桜ちゃん?」

「私は林檎です・・・」

「林檎さん、なんか私急に、お魚釣りたくなっちゃった」

「はぁ?」

「釣り竿持ってない?」

「・・・川釣りが趣味の生徒でも探して借りて下さい」

 林檎さんは帽子を被っていない事を忘れて、被り直す動作をしてしまい、勝手に顔を赤くした。

「あ、あなたに頼んだ私が間違っていた。失礼する」

「がんばって~♪」

 リリーさんは白い手を振って林檎さんの背中を見送った。



 イタズラ好きのハトぽっぽが発見されたのは一番街のレストランの屋根の上だった。

「いたわ! 桜さん、こっちこっち」

「私は林檎です!」

「桜は私ですよぉ~・・・」

 同じ顔をした少女が二人いると実にややこしい。さっさと帽子を取り返してどちらかに被せなくてはならない。

 犯人のハトは白い帽子を背中に乗せてポッポポッポ言いながら少女たちを屋根から見下ろしていた。調子に乗っている。

「ハト! 私の帽子を返しなさーい!」

 ハトは林檎の呼びかけを無視して呑気に毛づくろいをしている。

「ハトー! 聞こえてますかー?」

「聞こえないッポー」

「今すぐ私の帽子を返しなさーい」

「お断りッポー♪」

「帽子を持って下りてくれば許しますよ!」

「ここまで取りに来るッポー♪」

「こら桜! ハトの気持ちを代弁するんじゃありません!!」

「す、すみません」

 桜は照れながら頭をかいた。

 彼女は今とても幸せである。あんなに確執のあったお姉ちゃんに冗談を言えるような関係になれたのだから。大好きなお姉ちゃんの肩に桜はぴょんと飛び跳ねてもたれ掛かった。

「そうだ、ハトのエサを貸しなさい」

「はい♪」

「・・・なぜにこにこしているのです?」

 林檎さんは鳩舎のハトたちの好物である丸粒コーンのミックスを手に出して高々と掲げた。

「ハトー! 取引をしましょう。その帽子とこのエサ、交換です、あっ」

 ハトポッポは帽子を屋根の上に残したまま急降下し、林檎さんの手の中をコーンを瞬時に頬張るとすぐに元の場所に帰っていった。そして白い帽子の下に潜り込んで首だけ出し、得意な顔をして林檎を見下ろしたのである。

「な、な、舐めたマネをしてくれるぅー!!」

「お姉ちゃん、ハト相手に怒鳴らないで!」

 桜さんのほうがしっかりしているのでは・・・周りにいる生徒たちはちょっぴりそう思った。



 さて、姉妹がハトに苦戦している頃、月乃は会議室で全然違う戦いをしていた。

「月乃様、字きれいですね」

「べ、別に・・・これくらい普通ですわ」

 会議室で日奈様と二人きりになっている月乃は、隣りの椅子からぐいぐい体を寄せてくる日奈様の香りに戸惑っていた。

(もうちょっと近づいてもいいかなぁ・・・)

 日奈様は月乃の横顔を窺いながらちょっとずつちょっとずつ顔を近づけてくる。

(月乃様・・・すごく・・・綺麗・・・)

 そのまますべすべの頬にキスをしてしまいそうになった時、二人の聴覚をささやかなリズムが刺激してきた。胸の鼓動より軽やかなその音の点は少しずつ増えていき、やがて潮騒によく似た涼やかな帯となって学舎を包み込んだのだ。

「あら、雨ですわ・・・」

「雨ですね」

 好きな人と一緒に聴く雨音ほど胸に染みるものはない。恋人たちに必要なのは、ぎこちない沈黙を埋めてくれるBGMと、緊張をほぐしてくるれる心のマッサージである。

「月乃様・・・」

「は、はい」

「・・・なんでもありません♪」

 日奈は月乃の肩にそっとおでこを押し当てて、静かに雨音に耳を傾けた。

(あわわ・・・! どどうしましょう・・・!?)

 一方、月乃の耳には自分と日奈様の胸の鼓動しか入らなかった。もう仕事など手につかない。



「・・・雨?」

「天気予報、チェックしてなかったわ!」

 林檎たちの肩を曇り空のしずくたちが濡らし始めた。

「強くなってきましたわ!」

「寮に避難しましょう」

「風邪引いちゃいます!」

「くしゃみしてしまいます!」

 自由な校風に生まれ変わったとは言え、ベルフォール女学院は国内屈指のお嬢様校である。少女たちは美しく整えられた自分の髪が雨に濡れることを恐れて一斉に帰宅を始めた。

「ぬぅ・・・我々も退くべきか・・・」

 帽子を被っていない林檎は可愛いお顔に雨を受けながらハトを睨んだ。

「戻りましょ、林檎お姉ちゃん」

「あのハト! 私の帽子を傘代わりに使いおって! 許しません!」

「まあまあ・・・ほら、制服濡れてますよ」

「覚えていなさい!!」

 桜ちゃんに背中を押されて、林檎はマドレーヌハウスに向かったのだった。


「ポ・・・」

 構ってくれる生徒たちがいなくなってしまったハトは、しばらく帽子の下から辺りをキョロキョロ見回していたが、やがて自分の巣へと帰っていった。雨のしぶきの中でぼんやり浮かんで見えるような純白の帽子だけが、レストランの屋根の上にポツンと残されたのである。




「そろそろかしら」

 その頃、釣り竿を片手にマドレーヌハウスのエントランスで読書をしていた金髪のお姉さんは、おもむろに立ち上がった。

「リリアーネ様、すごい雨ですっ」

「シャワー浴びないとぉ」

 続々と帰寮してくる少女たちの波に逆らって、リリーは一歩一歩出口に近づいていった。彼女の行動に周囲の少女たちも初めは気に留めなかったが、徐々に彼女を振り返る者が現れ始めた。

「リ、リリアーネ様」

「外はすごい雨ですよ」

「傘は必須です!」

 リリーは脚を止めず、雨水のすだれの前で振り返り、少女たちに不敵に笑いかけたのだった。

「人生の楽しみ方、私が教えてあげる♪」

「リリアーネ様!?」

 金色の風になって駆け出したリリーの背中は、不思議な事に雨に飲み込まれた後でその輝きを増した。



「雨!! 雨だわぁ!!」

 リリーは釣り竿をビュンビュン振り回しながら狂喜乱舞した。

 戒律から解放された今、リリーの美しいブロンドヘアーは雨に濡れても平気になったのだ。リリーは天罰のせいで雨を極度に恐れる生活をしていたため、この瞬間を心から待ちわびて毎日天気予報をチェックしていたのである。

「私は自由だわぁ!!!」

 リリーには雨音が自分への拍手喝采に聞こえた。

「なんて気持ちいいの! もっと濡らしてぇ!!」

 全身を強く打つ冷たい雨の感触ひとつひとつが、リリーの乾ききった日常を虹色に満たしていった。少しずつ重くなっていく袖を振り回した時に飛び散るしぶきや、水たまりにわざと飛び込んだ時に全身を駆ける爽快な感覚に、リリーは大笑いした。実に危ないネーちゃんである。

 彼女はクルクル回って踊りながら大通りへ向かい、裏道から戻ってきた林檎や桜と入れ違いになる形でマドレーヌ広場から去っていったのだった。



「いい湯でしたねぇ~」

「そうですね」

 マドレーヌハウスの地下一階にある、給湯器を新調して使えるようになったばかりの大浴場でひとっ風呂浴び、スッキリした若山姉妹は、エントランスの前を通りかかった。雨脚は相変わらず強いようだ。

「え?」

 林檎は足を止め、自分の目を疑った。

「ハ~イ林檎さん♪」

「リリアーネ!? な、なんだその体は!?」

 昇降口に顔を出したリリーさんは、着衣水泳でもしてきたかのようにびしょ濡れで、綺麗な金髪や白い制服からしたたる水滴はちょっとした滝のようであり、彼女の足元に水たまりを作っていた。

「私だったら、動物さんから無理やり物を取り上げないわよ♪」

「え・・・」

 リリーは林檎の帽子を持っていた。雨が降ると分かっていたリリーは、帽子奪還を目指す少女たちの一団が途中で解散し、飽きたハトが手ぶらで巣に帰る事を何時間も前から予期していたのである。やはりリリーは只者ではなかった。

「リリアーネ・・・私のために・・・帽子を取りに行ってくれたのか?」

 リリーさんがどこからか借りて来た釣り竿の意味に、林檎はこの時ようやく気付いたのだ。高い場所に残された帽子を取るにはこれくらいの長さの棒が必要なのである。

「リ、リリアーネ・・・その・・・さっきはすまなかった。誤解してたんだ・・・」

 林檎はもじもじした。

「わ、私も・・・す、素直じゃないところがあるから・・・その・・・あの・・・」

 帽子を被っていないと表情がバレバレなのでとても恥ずかしい。

「私は・・・リリアーネの事・・・嫌いなのではなくて・・・むしろ・・・その・・・」

「はい帽子♪」

 べしゃっと音を立てて、雨水をたっぷり吸い込んだよれよれの帽子が、お風呂上りの林檎の綺麗な頭に雑な着地を見せた。林檎さんお気に入りの新しいネグリジェも肩から一気に不快な雨水まみれである。

「ねえ桜ちゃーん、お風呂場からバスタオル借りて来てくれなぁい?」

「あ、はい!」

「あ~、久々に運動したから気持ちいいわぁ♪ 林檎さんもちょっとお外走ってきたら?」

「・・・この」

 林檎は寒気と怒りで震えた。

「このバカぁあああ!!」

「あらあら♪」

 リリーさんは林檎をからかう能力も一流なのである。




「また怒ってしまった・・・私はどうして素直になれないんだ・・・」

 本日二度目の入浴となる林檎は、湯けむりの中でため息をついた。

「だ、大丈夫だよお姉ちゃん。後でまたチャレンジしよう?」

 なぜか一緒に再入浴している妹の桜ちゃんがそう励ました。

「いや・・・私はきっとリリアーネに本当の気持ちなんて伝えられないんだ・・・」


 その時、湯舟の中にいる姉妹の背中にこっそり近づくセクシーな影があった。

「林檎さぁーん♪ 捕まえたぁ」

「わ!」

 湯舟に滑り込んできた美脚のお姉さんは、もちろんリリーさんである。自室のシャワーを浴びると言って去ったのだが、ウソだったらしい。

「あのう、私桜ですけどぉ・・・」

「あら、間違えちゃった」

 リリーが背後から抱き着き、色白でふわふわの胸をむにゅっと押し当てたのは妹のほうだった。確かに同じ顔なので間違えやすいが、わざとである可能性が高い。

「桜ちゃんでいいわ♪ 抱きしめてあげるぅ!」

「わわっ!」

「こ、こら!! 私はこっちだリリアーネ!! 桜を放しなさい!!」

「桜ちゃんのここ、気持ちいいわぁ♪」

「こらああ!」

 林檎さんは思わずリリーの腕にしがみついたが、その生々しくてすべすべな感触にドキッとして顔を赤くしてしまった。そんな彼女に、リリーはそっと唇を寄せてささやいた。

「ねぇ、本当の気持ちってなぁに?」

「うっ!!」

 リリーはやっぱり魔性の女である。

「うるさい! バカ!! バカ!!! いいから桜を返しなさーい!!」

 桜ちゃんとリリーさんの笑い声が、湯しぶきのあいだで温かく響いた。絵の中の住人になってしまったかのような堅苦しい青春を送ってきた林檎にとって、三人でもみくちゃになって暴れたこの時間は、涙が出るほど幸せだった。けれど大丈夫である。涙も雨も湯しぶきも、ここでは見分けがつかないのだ。

 

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