Crying earth
今日の天気は大雨だった。
最近ではずっとそうだ。いくら晴れを願っても、一向に雨はやまない。雨は大地を削り、植物を溺れさせ、空気を湿らせる。キノコやカビは水没していない地面ならいくらでも生えている。魚はその生息範囲をどんどん広げていき、最近では新種も見られるようになった。
この雨は一週間に一度ほどでやむ。しかし、すぐにまた雨は降り始める。その雨はどこまでも透明で、地球の涙のようで――。疎ましい気持ちを抱きながらも、その優美さゆえのため息をついてしまう。だが、こんなことを言っていられるのも時間の問題だ。いづれ、この地球は自分の涙によって、完全に水没する。そして、人類は涙によって完全に死に絶え、世界は終わる。
この雨が降り出したのは去年の、今頃だっただろうか。
人類はその頃、限界を迎えていた。
超人口爆発である。
大昔から、人類はその数を増やしていた。過去には「人口爆発だ」と世間が騒いだこともあったらしいが、この「超人口爆発」はその比ではない。一か月に三百万単位で人口が増加したのだ。当然、世界中の各地で様々な対策が取られていた。結婚を制限したり、新しい土地を広げて居住区を増やそうとしたり、食糧生産効率を上げようとしたり――。それでも、人口の増加は止められなかった。世界の終末を予言する宗教家が各地の首都ではびこり、「人口を減らすためだ」といって周囲の人間を無差別に殺す人が当たり前に存在した。
そんな中、世界のトップが集う世界首脳会談では、天才科学者集団と連携してある政策を練っていた。その名も、「人類生存地域拡大計画」。人口の爆発を止めようとするより、それにどうやって対応するかに焦点を当てたのだ。世界中からかき集められた科学者たちは、人類を一刻も早く救うために、様々な研究を行った。「マントルの高温に耐えきり、完全に熱を断つ金属の合成」、「火星の大気を自動的に作り出す機械」、「元素増加装置」etc......。
そして、あと一か月ほどで人類滅亡という時期。ある科学者が「砂漠居住化プログラム」を完成させた。世界中の砂漠に水分を作り出し、植物を急成長させ、短期間で建物を建築するというプログラムだ。早速、世界中の砂漠にそのプログラムは施された。世界から砂漠は消滅し、居住区はかなり増えた。人口は分散して、とうとう平和な世界が戻ってきた。
その平和な世界で、科学者たちは油断したのだろうか。ある日、人類存続のきっかけになった「砂漠居住化プログラム」に使用された、大気中の二酸化炭素などから水を作り出す微生物が脱走したのだ。最初は小さなニュースでしかなかった。科学者たちも、すぐに死に絶えるはずだから回収する必要は無いと判断し、平和な生活に戻っていった。それが、大きな間違いだった。
その微生物は進化していったのだ。本来の性質はそのままに、より繁殖力を高くし、丈夫になっていった。やがて、世界各地で湖の増加が報告された。湖は次第にその数を増やし、大きくなっていった。大気中の水蒸気は増加し、雨が降るようになった。微生物を開発した科学者たちはその原因を突き止め、これ以上の環境変化を防ごうと研究を始めたが、その頃にはもう後の祭りだった。大陸の水没が始まったのだ。
水没は日増しに進行していき、多くの人々が犠牲になった。大気の状態は混沌を増していき、やがて各地で超大型台風の襲来や、未知のウイルス増殖が報告された。世界中で超人口爆発時を超える混乱が巻き起こり、人類は次々により高い場所を目指して移動していった。一部の宗教団体によって「嘆きの災厄」と名付けられたその現象は一向に衰えず、陸地は今やほとんど残っていない。初めはいかだを作って避難したり、大型フェリーに大人数で乗り合わせたりした人々もいたようだが、恐らく食糧が尽きるか水没するかして全滅しているだろう。という事は、現時点で生き残っている自分が最後の生存者という事になるだろうか。
この、はるか昔に「エベレスト」と呼ばれた山の頂上で。
日記をつける手を休め、巨大なキノコ越しに空を見上げた。どこまでも続く灰色の雲が、次々に涙を供給してくる。一日に三回ほどキノコを採って掃除しているのだが、やはりどんどん生えてくる。どうしようもないほどに。このキノコたちの栄養分になるのも、時間の問題だろう。一年ほど前、例の「砂漠居住化プログラム」が完成した直後に自分が作り出した「安全食糧生成キット」に、新たに採ったキノコを放り込む。十分もすると下部のトレイからマフィンのような食べ物が出てくるので、かぶりつく。だが、このキットを動かすのには電池が必要だ。そして、その電池の替えを全く持っていない。今までよく持ってくれたが、残量から鑑みるに、今日か明日頃が限界だろう。このキノコたちが強い毒を持っているのは既に分かっている。という事は、あと一日か二日で死ぬという事だ。キットは最低限の栄養しか作り出せない。その日の食糧を切らせばすぐに死ぬし、周囲のキノコをそのまま食っても死ぬ。せめて、全人類を代表して完全防水の日記をつけて、いつかこの星に来るかもしれぬ宇宙人に、人類滅亡の歴史を見せてやろうとしている。そんな確率は万にひとつもないと分かっているが。
太陽が沈もうとしている。今日という一日の終わりだ。そして、人類という生物の終わりもまた、目前だ。採ったキノコの繊維を編んで作ったベッドで、目を閉じる。
キットは停止した。今日が人類の終わりだ。日記にそう書きつけ、震える手で半永久的にもつ浮き輪に括り付け、海に流す。それを見届けると、段々力が抜けてきた。その場に横たわって、目を閉じる。人類の終わりは、あのバカな宗教家集団が思っていたより派手じゃなかった。神も天使も悪魔も宇宙人も、誰も訪ねて来やしない。天気も相変わらず雨。せめて晴れてくれればと願ったが、奇跡なんてそうそう起こらない。そのまま、静かに自分の死を待つ。
と、雨がその勢いを増した。
半径100メートルの小島となったエベレストが、目に見えて水没していく。涙はどんどん小島を侵略していき、とうとうその頂に眠る人間の足元まできた。そうか――、地球は悲しんでいるんだ。散々自分を傷つけ、改良してきた人類の滅亡を。愚かにも自分だけ他の人類を見捨て、自分の発明品を用いてしぶとくも生き残ってきた、科学者の死を。
ありがとう――。さようなら――。
体が涙によって完全に水没する刹那、自分も泣いて再び目を閉じた。