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Stray Doll

作者: 薄荷。


閲覧感謝致します。


自分らしい作品を、今年もあげられるように頑張ります✿

ぼんやりと、手元の蝋燭だけが灯る、薄暗い部屋。その机上には木屑や、筆などが乱雑に散りばめられていた。


一人の青年が、静かに息を吐き切って、やがて。


「……完成だ」


◆◇◆◇◆


最初はその少女に心など存在しなかった。彼女はただの人形であったから。少女の頭の中はただ真っ白な霧に覆われているだけだった。その霧が突然弾け、視界に色とりどりの世界が広がったのは、どうやら私が“完成”したかららしかった。


だからといって晴れ晴れとした晴天が気持ち良いとか、どんよりとした曇天に気分が重くなるとか、そんなことは一切少女にとってはどうでも良かった。


目の前でもくもくと手を動かす青年しか、少女のその透き通った穏やかな碧瞳には映らなかった。


『私はきっと、彼に作られたのね』


まだ生まれたての少女は、頭の中でぼんやりとそんなことを考える。


少女が生まれ落ちてから、数日が過ぎた。その数日間で少女は色々なことを悟った。


薄紅色の唇はあれど、声帯が無ければ声を発する事は出来ないし、身体を動かす事でさえ、人間に背中のネジを廻してもらわなければ自由にはならなかった。自分の意志で、指一本動かすことさえ叶わない。


『ああ、なんて私は不自由なのかしら』


けれど。


そんなことはどうでも良くなるくらい、少女は青年と過ごすゆったりとした時間が心地よかった。


青年は毎朝、カーテンを開け大きく伸びをした後、少女のネジを三度廻す。


カチリカチリと響く心地よいメロディーは、少女の呼吸の始まりの産声のようで、なんだか気恥ずかしい気持ちになった。


少女はただ首を傾げたり瞬きをしたり、一定の動きしか出来なかったけれど、それを見て青年が嬉しそうに微笑むから、少女も嬉しかった。


『あれは私の妹かしら? 』


少女は柔らかな金糸のような髪を窓辺の風に靡かせながら思う。


青年の手のひらで形作られる新たな人形(ひとがた)


『魔法みたい、完成が楽し───』


そこでピタリと、思考が止まる。ネジの動きが止まるのもわかる。それに気づいた青年がまた少女に手を伸ばした。そしてまた三度、ネジを廻す。


どうやら少女は、ネジが動いている時でしか思うように心も働かないらしい。ただ、見ていることは覚えていた。青年が優しく身体を抱き上げ、息を吹き返す少女を見守るあの表情を、少女は自我のないままに脳裏に刻みつけていた。


“ありがとう”


その言葉を伝えたくても、彼に届くはずもなく。


ただ青年は、そうしょんぼりする少女を全てお見通しかのように、少女の頭を撫でる。


「君はどうか、笑っていて」


少女は恐る恐る青年の表情を伺う。


『私の気持ちがわかるの?』


「うーん…分からないけど、わかるよ」


『声を出せないのに?』


青年は少女の目線に合わせてゆっくりとしゃがみこんだ。


「声が必要なの?」


『だって貴方とお話がしたいもの』


そう言って少女が俯くと、青年は笑い声を抑えきれないように口元を押さえた。


『どうして笑うの?』


「いや、ごめん。」


だってもう、僕たちは会話しているじゃないか。


その言葉に少女はまたハッとする。


『本当ね。私たち、お話ししているわ』


少女がにっこりと微笑むと、青年も嬉しそうに笑った。


“こんな日々がずっとずっと続けばいいのに”


少女はただただそう祈った。


◆◇◆◇◆


『ねえ』


いつものように青年が少女のネジを廻していると、少女が何かを訴えている。


「どうしたの?」


『私の妹は、いつ完成するかしら?』


青年は少し顔を曇らせて、まだまだかなぁと弱々しく答えた。


「本当に満足するまでは完成にしたくないんだよ」


『満足?』


「中途半端にしたら、この人形()に申し訳ないからね。僕がこの子をこの世界に作り出してしまうんだから、責任を負わないと」


『責任?』


「いずれ分かるよ。最後まで諦めたくないって気持ちがね」


青年は曖昧に語尾を濁し、目の前にある人形を手にとって両手で包み込んだ。


『きっとわからないわ。私は人形なんだもの』


貴方は人間で、私は人形なんだもの。


ジリジリと背中のネジが少しずつ動きが遅くなっていくのを感じる。これはもうじき少女が止まってしまう合図だった。少女の寿命が切れる最期の、反抗。それはまるで、まだ生きたいと訴えかけているかのように。


『不思議ね』


私は生きたいなんて、思ってもいないのに。


そして同時に、少女は気づいた。


『皮肉だわ。限りある私に再び心を宿してくれるのもまた、限りある命の者だなんて』


それは最後の最後の小さな絶望だった。


◆◇◆◇◆


それから暫くが過ぎた。

人形師の青年は、相変わらず人形作りに魅入られている。そのためか、毎朝狂うことのなかったはずの少女の朝の始まりは、二、三日間放置されることも少なくなかった。


その度に青年は申し訳なさそうに謝るけれど、少女は青年のくたびれた表情を見ては、なんとも言い難い気持ちになった。


『もういっそ、辞めてしまえばいいのに』


しかしそれは、青年の体調の心配だけではなく、寧ろ新しい人形に対する敵対心のようなものだった。


あの人形さえ作るのを辞めてしまえば、彼はまた私のことを見てくれるのに。


これは人間(わたしいがい)にもある感情なのだろうか。


私が人間なら、人形(あのこ)にこんな感情を抱くこともなかっ───


またそこで少女は静かに息を止めるのだった。


どのくらい月日が経ったのだろう。心のない少女に、その日数など些細なものだった。


「そろそろ完成するよ。心配をかけたね」


『それは嬉しいわ。これからは、またいつもの生活に戻れるのでしょう?』


「そうだね。戻れたらいいね」


『私のこと、忘れないで頂戴ね?』


青年は困ったようにごめんと呟いた。そして青年は再び口を開く。


「これが、おそらく最後になるだろうから」


少女は青年が何を言っているのかわからなかった。けれど聞き返す間もなく青年は少女に背中を向けて窓の外を眺めるのだった。


それから、少女はまた自分の身体が重たいことに気づく。


ああ、また止まってしまう。


目の前には人形(いもうと)を見つめる青年の真剣な表情と、徐々に美しく形作られていく可愛らしい人形。


止まったままの身体と同時に思考も止まっているため、余計なことなど考えなくて済んだ。寧ろネジが廻っている状態だったら、頭が狂うところだったかもしれない。これは一体何の感情で、どうして私が(いだ)いてしまったのだろう。


少女は止まったままのはずなのに、何故か瞳が熱くなるのを感じた。喉が痛い。押し殺した言葉が、喉に突き刺さってどうにかなってしまいそう。


これが人間の悲しいって気持ち?


堪えろ堪えろ堪えろ。

いっそ、息絶えてしまえばいい!私なんて。


そしてそのまま、突然の物音に少女は現実に引き戻された。


先程まで作業をしていた青年がどこかに消えていた。直後に少女の目に映ったものは。


床に倒れ伏して、苦しそうにもがく、青年の姿だった。


『…………ッ!!』


頭を貫かれるような衝撃が走った。


今の少女に、感情など無いはずなのに。


『助けなきゃ!』


その思いが一番に込み上げてくる。


『どうしよう、どうしよう』


少女は、今まで青年とこの部屋で過ごした時間が全てだった。外の世界を知るはずもない。


私はどうしたら。


何をしたら良いのかわからない。自分に何が出来るのかわからない。


けれどまずは、自分が動かなければ。


鎖が巻きついているように重い手脚を無理矢理動かそうと試みる。今にも千切れそうな痛みが身体全体を襲う。


それでも、私は。


ドクンと、身体に熱が灯るのを感じた。この身体に心臓などありはしないのに、あたたかな熱が身体中を踊るように広がっていく。


痛みはもちろんあった。それはもう、気絶してしまうのではないかというくらい。


けれど、それよりも、主人───私を創り出してくれた人を失いたくなかった。


(ぜんまい)仕掛(じか)けの身体は常に規則通りの動きしかすることが出来ない。それを壊すには。


ギチギチと無理やりに腕を後ろに回す。途中バキリと鈍い音が響いた。折れた。しかし構わず続ける。自分自身の薇を壊さなければ。その一心で少女は耐えた。


痛みと焦りで目の前が滲む。べっとりと汗を纏い、少女は歯を噛みしめる。


カチリ、カチリ。パキン。


折れた!


その開放感から、少女の視界はより鮮明に弾けた。薇のない少女の背中は急に軽くなり、今までの重圧感が飛び散るような感覚があった。


誰かを呼ばなければ。


そう思い、立ち上がる。


薇のなくなった少女のタイムリミットは、そう長くはないだろう。その間に、彼を助ける。


少女は外に飛び出した。


初めての外の世界だった。

今まで聞いたこともない鳥の声や、木々のざわめき。電球とは違う、なんとも爽やかで暖かい光。


そんな中を、無心に、ただひたすらに少女は走る。青年がはめてくれた可愛らしい靴はとっくに脱げて白い靴下が見る間に土色に染まっていく。


足を前に踏み出すたび、じんじんと足の裏が、足の甲が、膝が太ももが悲鳴を上げた。そして風に打たれる頬は自らの熱で赤く火照っていた。


何もかもが少女には初めてのことだった。


首まで流れ落ちた汗を拭い、少女はひたすらに森を駆け抜ける。金糸のような柔らかな髪は今はもはや汗で額にへばりついていた。


誰か誰か誰か。彼を助けて。


諦めたくない。彼が死ぬなんて、嫌。


そこで少女ははっとする。


ああこれが、諦めたくないって気持ち。最後まで、彼を助けなければという、私の。


責任(しめい)


少女は痛みでふらつく足をなんとかしっかりと踏みしめて、森を抜けた。


やがて人の手が加えられた道に出る。少女は医者を探そうと辺りを見回した。視界の淵が黒く染まってきた。これがだんだんと、いずれは全て真っ黒になって私は止まる。もう、何度も知っていることだった。


駄目。まだ、駄目。


そこにふと二人組の男女が通りかかり、少女に気付いた途端、慌てて走り寄ってきた。


『医者を……医者を呼んで』


彼を助けて。


少女の言葉はきっと届いてはいないだろうが、二人は普通ではない彼女の様子を見て病院に運ばなければと悟ったようだった。


少女は虚ろになっていく瞳からポロポロと涙を流し、助けて助けてと必死に叫んでいた。


それからはよくわからない。ぼんやりとした記憶では、無事に青年の元まで医者を呼んだ気がする。そして青年は数人の人間によって運ばれて行った。


医者の「大丈夫だ、まだ息がある」という言葉が耳に入り、安心感と疲労でカクリと身体が崩れ落ちた。


良かった。お願い、助かって。


そこで少女の記憶は完全に途切れたのだった。


◇◆◇◆◇


『大丈夫?』


『誰?』


『わからないの?私よ』


その鈴のような声音にうっすらと目を開ける。


ああ、完成していたの。


目の前にいた姿は見覚えのある少女だった。


『まだネジは廻してもらってはいないのだけれど。あなたと会話は出来るわ』


『彼は助かったの?』


『わからないわ。けれど、助かると思う』


そう。


少女は再び深く目を瞑る。心地の良い妹の声は、なぜかとても安心した。


『彼が私を創った理由、知りたい?』


少女は少しだけ、ドキリとする。なんだろう。もしかして、私に飽きたから?


『自分が死んでも、あなたがさみしくないように』


『え?』


瞠目して身を起こすと、目の前の少女はにっこりと微笑む。


『でも、あなたが彼の人生を変えたみたい。あなたを待ってるわ。目を開けて、お姉様』


その言葉を最後に、少女の幻想は掻き消え、ゆっくりと再び本当に、目を覚ました。


目の前には青年の姿と、その隣には先ほど出会った少女が椅子に座っていた。


「おかえり」


青年は優しく声をかける。


ああなんて、なんてあたたかい。

少女は最高の笑顔で、呟いた。


『ただいま』



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