【建長寺《北条時頼》】
ゆるやかなカーブの先に、建長寺が見えてきた。
「それからさ、話は戻して、蘭渓道隆だけど、
寺を建てる時、時頼からは、好きな場所に建てていいといわれ、
当時刑場があって、地獄谷と呼ばれ、最も不浄の地とされていた場所に、
建長寺を建てたんだ」
「わーぁ、地獄谷?
怖そうなところだったのね。
不浄の地を聖地に変えていく、聖者の心意気を感じるわね」
「だろー、スゲー気合いだよな。
だから修行も厳しく、本場宋の禅修行を実践する、
本格的な禅寺だったんだ。
建長寺の本尊は、地蔵菩薩だから、
刑場跡にはぴったしな気ぃしねぇ?」
「ええ、なにかお地蔵様って、
苦しんでる人を救って下さる神様みたいね」
「おう、成仏できない人々を救うんだろうけど、
ここ建長寺では、毎年お盆の7月15日に、
施我鬼の法要をやってるんだ。
お地蔵さんの足元に、水や食べ物を備えると、
そこから苦界にいる人たちに、届けられるそうだ。
普通の法要をやった後に、梶原施我鬼っていって、
頼朝の側近の武将だった、梶原景時の法要を続けて行うんだ」
「オズ梶原景時って、私知らないんだけど?」
「ああ、源平の戦の時、義経のお目付け役として、
頼朝から派遣され、戦術や言動で、義経とことごとく対立し、
頼朝に義経の悪い行状を報告し、義経追討の遠因にもなったんだ。
頼朝が1199年に亡くなると、有力な御家人66人が連判状で、
梶原景時を糾弾し、失脚させられたんだ。
鎌倉の屋敷は打ち壊され、一族が京都に逃れる途中、
静岡で襲われ、梶原景時他一族が討取られ、
街道に33の首が晒され滅亡したんだ。
北条政子の父の時政と、兄の第二代執権になる、義時が裏で手を引き、
その後、北条氏が、有力御家人を排除していく第一号と云われてるな」
「それで特別に供養しているの?」
「あ、いやなぁ、建長寺を開いて間もない頃の7月15日、
蘭渓道隆が、施我鬼の法要を済ませると、
山門をうろちょろしている騎馬武者を見つけ、
弟子に何事かと問いに行かせたところ、
法要に遅れて参加できず、残念がってるとのこと。
それを聞いた蘭渓道隆は、騎馬武者のために、
再度施我鬼の法要をやってあげたんだ」
「よかったわね、それでどうしたの?」
「法要が終わると、騎馬武者は喜び感謝し、
自分は梶原景時の亡霊であるといって、消えて行ったそうだ」
「えっ! それって梶原景時の幽霊だったの?
オズそれホントの話ぃ?」
「ああ、蘭渓道隆が言ったんだから、間違いねえだろう!
それにさぁ、それ以来、梶原施我鬼って、
800年経った今も、建長寺では続けてるんだぜ。
オトウはその法要、見たことあってさ、
毎年7月15日の朝8時から始まって、施我鬼法要のあと、
続いて梶原施我鬼が営まれるんだけど、蘭渓道隆が、
宋から持ち帰った般若心経を、梵語で読経するんだって。
沢山の僧侶が参加するから、荘厳な雰囲気がして、
独特の節回しで唱和するから、観ものだっていってたな。
一般の人も見学出来るんだってさ」
「私、見学したいな。
ねえオズぅ、7月15日って、まだ夏休みの前よね」
「俺、土日は選手権の予選前だから、きっと無理。
ごめんなジャンヌ」
「ううんん、いいわ。気にしないで。
もし土日で休みなら、お父さん誘ってみるから」
「おう、お父さん、喜ぶぜ―。
俺だってジャンヌから、なんか誘われたらチョー嬉しいもん」
「えへーぇ、ありがとう。
ねぇーオズぅ、さっきの幽霊の話、
元地獄谷と呼ばれていただけあるわね。
でも、蘭渓道隆はじめ、
ずっと苦界にいる人たちをお祈りしてきたから、
もう幽霊なんか出ないでしょうに。
みんな浄まって、聖地っていう感じがするわね」
「そうだな、円覚寺と違って、木々に覆われてないけど、
静謐な気がみなぎってるな。
観光客も多いのに、全然穢れてない感じ。
ジャンヌ、感じなかった?」
「そうね、それは私も感じたな。
きっと建長寺のみなさん、修行されて、
光輝いていらっしゃるのね」
建長寺手前、バス停の前が鎌倉学園だ、
「ジャンヌ鎌倉学園、サッカーの試合、観に来たの以来だろう」
「ええ、オズのナイスシュートね。
あ、オズごめんなさい!
私……」
「いいよ、ジャンヌ。
俺そんなに巧くないって言ってるだろ」
「そんなことないない、オズとってもかっこよかったわよ。
小林君より上手じゃないかなって」
「ジャンヌもういいって!
俺が小林より巧いなんて、絶対ここだけの話だぞ!」
俺は思わず強めに言ってしまった。
ジャンヌは立ち止まり、ちょっと驚いた表情で、
「ハイ。
ごめんなさいオズぅ、怒ったの?」
「いやちょっと……俺恥ずかしいからさ。
全然怒ってないから」
「あーよかった。
私オズ怒らせてしまったのかと……」
「俺が?
俺、ジャンヌに怒るわけないじゃん!
天使なんだから」
「え?
オズぅ、私、今日、
フツーの女の子のつもりなの……制服着てないし……」
ヤベー。
ジャンヌの顔が雲った。
「わりぃわりぃ、そうだよな。
ジャンヌ今日制服着てないもんな。
でもなジャンヌ、ジャンヌは別に、制服着てなくても、
性格は天使みたいに優しいし、俺にとっては、
ミッションモードでなくても、今日みたいに、
乙女モードのジャンヌも、大好きだから」
「ありがとう、オズぅ」
「鎌倉学園って、サザンの桑田が出た学校なんだよな。
ジャンヌ知ってた?」
「いいえ。
私、サザンの曲って、あまり知らないの」
「そっかー、ジャンヌあんまし、興味なさそうだな。
建長寺を開いた、第五代執権の北条時頼って、
ほら常楽寺開いて墓もある、第三代執権北条泰時の孫なんだ。
母は有力御家人の、安達景盛の娘で、
松下禅尼っていってさ、仏教への信仰心が深かったんだ。
使用人も、仏法を信じる人しか雇わなかったりしてさ。
だから時頼も、小さい時から信仰心が篤く、
仏具を作ったり、仏像を作って遊んでいたんだ」
「そうなんだぁ、昔はおもちゃなんか、あまりなかったでしょうに」
「1246年、20歳の時に、病弱の兄に代わって第五代執権に就任し、
10年間執権の職に在って、公平で、慈悲に充ちた善政を行ったんだ。
また、承久の変以降、皇室に対して圧倒的に優位にたっていたけど、
皇室への尊崇の念を持っていて、
また、仏教者として、常に国家の安寧と万民の幸福を願っていたんだ。
これは、建長寺建立の趣旨にもなっているんだ。
おそらく、歴代の執権の中では、宗教心は一番深かったんじゃないかな」
「それならば、時頼公の時代は、平和でいい時代だったのね」
「ああ、でもなぁジャンヌ、
時頼が執権に就任した翌年の宝治元年、
21歳の時、宝治合戦というのがあったんだ」
「宝治合戦?
なにか大きな戦いがあったの?」
「いやぁ、合戦っていっても、鎌倉市内での権力闘争だったんだ。
時頼の、母方の祖父の、安達景盛が、実朝公の菩提を弔うため、
26年間高野山に隠悽していたのに、山から降りてきたんだ。
安達景盛は、当時三浦半島を地盤とする、最有力御家人の、
三浦一族を、息子の義景や、孫の泰盛たち兄弟をけしかけ、
謀略でもって、滅亡させてしまったんだ。
三浦一族が居る限り、息子たちが出世できないからって。
時頼自身は、争うつもりはなかったけど、結果的に滅ぼしてしまったんだ」
「三浦一族の方たちは、浮かばれないわね。
ちゃんと供養されているのかしら?」
「おう、大丈夫だと思うんだけど。
気になるならジャンヌ、八幡さまからちょっと寄り道すっけど、
三浦一族を祀ったやぐらがあるから、案内してやっから、
そこでお祈りしてあげたら?」
ジャンヌは顔を曇らせ、合掌しながら
「そうするぅー、オズ案内してね」
「ああいいよ、その宝治合戦があったのが、6月だけど、
その年の8月に、道元が鎌倉にやってくるんだ」
「永平寺で曹洞宗を開いた道元禅師ね」
「ああ、蘭渓道隆も凄いけど、道元もまたスゲーんだよ。
時頼は始め、道元に寺を建て、開山になってもらいたかったみたいだけど、
道元は、京都からも離れ、権力から距離を置く人みたいだったから、
時頼の申し出を、やんわり断ったみたいだ。
自分には永平寺があるからって。
道元が来た、当時の鎌倉は、三浦氏を滅ぼした後だったし、
まだ騒然としていただろうに。
それに血の臭いがして、権謀渦巻く鎌倉は、
道元には耐えられなかったと思うよ。
そうした道元だから、指導は厳しく、峻厳を極めていたんだ。
後に、時頼から、領地の寄進状をもらって帰った弟子が、
得意げに道元に報告すると、道元は烈火の如く怒って、
寄進状を破り捨てると、その弟子を即刻破門して、穢れたといって、
座っていた板をくり抜いて、下の土まで捨てさせたんだ。
時の権力者におもねる心情が、許せなかったんだろう」
「わー凄―い、厳しいのね」
「おう、道元が鎌倉に数カ月滞在して、永平寺へ去って行くんだけど、
この時時頼は、禅宗に深く傾倒したみたいなんだ。
そして蘭渓道隆がやってくるんだ。
時頼は、蘭渓道隆を、生涯師として仰いだんだ」
「そうなんだぁ、時頼公も、蘭渓道隆と出会えて良かったわね。
道元さんなら、厳しすぎて、うまくいかなかったかもね」
「そうだな、喧嘩したりしてな。
時頼は、10年間執権を努め、30歳で執権職を譲るんだけど、
権力は手放さなかったんだ。
息子の時宗が、まだ幼少だったからな。
最明寺という寺を建てて出家し、最明寺入道と呼ばれたんだ。
出家して、禅の修行に拍車がかかっただろうから、
37歳で亡くなるんだけど、亡くなる直前に死期を悟り、
床から出て座禅を組んだまま亡くなったんだ。
今は明月院となって、中に時頼の墓もあるんだ」
「最明寺って、明月院の場所にあったのね。
私、お父さんと、紫陽花の季節に訪れたことあるけど、
時頼公のお墓が在るなんて、判らなかったわ」
「出家してから、37歳で亡くなるまでの7年間、
身分を隠して、旅の僧として、諸国を繰り返し歴訪したんだ。
困ってる人がいると、帰国してから書状を発し、
救済してあげたりしてさ、弱き者に温情を示し、
助けてあげたりしたんだ」
「中世の水戸黄門みたいね」
「おう、でも時頼は家来も連れず、一人でお忍びだから、
鎌倉幕府の正式記録の『吾妻鏡』には記録はないけど、
地方では足跡を残しているんだ。
仙台の松島では、天台宗の松島寺の祭礼の時、
トラブルになり殺されそうになるんだけど、帰国してから、
宗徒たちの、乱れた生活や、行状に憤慨して、寺を焼き払ってしまい、
新たに臨済宗の禅寺を建ててしまったりしたんだ。
寺は一時廃れたけど、伊達正宗が、
瑞巌寺として再建して今に至ってるんだ。
時頼は、執権時代から、叡山の僧兵たちを嫌っていたからな。
山形の立石寺、通称山寺では、当時天台宗だったのを、
歴訪後、同じく臨済宗に変えてしまったんだけど、
その後、また元の天台宗に戻るんだ」
「時頼公って、禅宗の普及にも努められたのね。
法然上人の浄土宗のように、禅宗も当時は、新興宗教だったのね」
「おう、新興宗教っていったら、日蓮上人も、
時頼とかぶってくるんだよな。
時頼が執権の時、日蓮上人が鎌倉にやってくるけど、
時頼は、禅宗に深く帰依していたから、日蓮上人を斥けたんだよな。
それから、秋田の象潟(=きさかた)でも同様なことやってさ、
蚶満寺(=かんまんじ)は天台宗から、曹洞宗に改宗されてな、
象潟を四霊の地として、殺生を禁じて聖地としたんだ。
寺にも土地を寄進したりしてさ、
時頼お手植えの躑躅が今も残ってるんだ。
他にも東北各地を回ったみたいだけど、ジャンヌ、
この三ヶ所って、何か思いつかない?」
「え? 三ヶ所って、時頼公が訪ねた所?
仙台の松島でしょ、山形の立石寺でしょ、
秋田の象潟? でしたっけ?
うーん、秋田よね。
象潟かぁ、あっ! 松尾芭蕉」
「ピンポーン、奥の細道で、芭蕉が俳句詠んでるよな。
山寺では《閑さや 巖にしみ入る 蝉の声》だろ、
象潟では、えーと……」
「《象潟や雨に西施がねぶの花》ね」
「お、そうそう、ジャンヌよく知ってるじゃん」
俺たちは、建長寺の門前を過ぎて、
隣に『鉢の木』という精進料理の店の前で、
「ジャンヌさっき、浄智寺の手前に、
『鉢の木』の北鎌倉店あったの判った?」
「いいえ、判らなかったわ。
そんなお店あったっけ?」
「ああ、精進料理の店で、あっちはミシェラン店で、
こっちが本店なんだ。
ジャンヌ、お能の『鉢の木』って知らないよな」
「ええ、このお店の『鉢の木』と関係あるの?」
「ああ、お能の鉢の木の物語って、建長寺を建てた、
北条時頼が主人公でさ、執権を退いて、出家したじゃん。
身分を隠して旅の僧になって、諸国を遍歴したっていったろう」
「ええ、その時のお話し?」
「ああ、信濃から今の栃木県佐野市に来た辺りで、
ある大雪の晩、みすぼらしい民家に、一夜の宿をお願いして、
泊めてもらうんだ。
粗食を馳走され、深夜までよもやま話に花を咲かせ、
宿の主は、親族に所領を横領され、
今は貧しい暮らしに甘んじているが、しかし、
『鎌倉殿に一大、事が起きれば、落ちぶれたりといえども、
この佐野源左衛門常世、鎌倉殿の御家人として、
真っ先に鎌倉へ駆けつけて、御奉公する所存……』」
俺は、上半身を、少し右に傾けながら、右手を胸の前で、
手綱を握り、左手を馬に鞭をあてるポーズをとった。
ジャンヌを見ると、目を輝かせて俺の話しに聞き入っている。
「それで? それからどうしたの?」
「夜も更けて、囲炉裏の薪もなくなり、火が消えかけたところで、
『なにもおもてなしは出来ぬが、せめて暖かい火は』といって、
大切にしていた盆栽で、梅と松と桜の鉢の木を鉈で切り、
囲炉裏にくべて暖をとったんだ」
「貧しいながらも、最高のおもてなしね。
そこからかぁ、時頼公のお話から、
鉢の木のお店の名前を付けたのね」
「……だと思うんだ。
ジャンヌまだ続きがあってさ」
「あ、オズごめんなさい」
「そのあと、鎌倉に一大事が起こり、『いざ鎌倉!』っていって、
関東の御家人が、続々鎌倉を目指して集まってきたんだ。
武装した御家人たちの中には、佐野常世も当然駈けつけていてさ、
本営に召し出されたんだ。
くたびれた武具に、やせ衰えた駒を曳いてる佐野常世は、
周囲の嘲笑うかのような視線を受けながら、前に進むと、
『このわしに見覚えはなかろうか?』
佐野常世が、その人の顔をじっくりと見ると、
『いつぞや大雪の晩の……あの時の……』
前執権時頼は、あの晩、佐野常世が、
鎌倉に一大、事が起きれば馳せ参じると、
言った言葉に違わなかったことを讃え、
親族に横領された、領地を元に戻し、
あの晩、囲炉裏にくべた鉢の木の、
梅と松と桜の荘園を分け与えられたんだ」
「よかったわね。
めでたしめでたしね」
建長寺の坂を下って来て、いつの間にか、
八幡様の本殿下まで来ていた。
「ジャンヌ八幡様は外せないよな。
ここから上がって行こうか!」




