【常楽寺《木曾義高&大姫》】
俺とジャンヌは、浄智寺横の、
ゆるやかなカーブのかかった坂を下って行く。
「ここハイキングコースだけど、さだまさしの『縁切寺』の世界では、
源氏山からこの浄智寺の脇を通って北鎌倉へ抜けて、東慶寺に至るんだ」
途中でロケの一行と出会った。
喪服を着た、綺麗なお姉さんが一人、その後ろを、
サッカーボールを持った美少年が、歩いているシーンだ。
映画というよりも、テレビカメラのようだ。
TVドラマの撮影らしい。
ジャンヌが小さな声で、
「ねえオズぅ、あの二人、姉と弟っていう関係じゃなさそうね」
「ああ、許されぬ恋かなにかなんだろう。
お姉さん美人だよな。
でも観たことないな」
「ええ、私も。
男の子も知らないわ」
「ジャンヌこの寺な、よく映画のロケでも使われるんだ。
ジャンヌ『TARI TARI』って観たことないよな?
アニメなんだけど」
「え? アニメ?
知らないわ」
「『TARI TARI』って、高校の合唱部の物語でさ、
高校は白浜坂高校っていって、鎌高とか七里周辺が舞台でさ、
主人公が、江の島のみやげもの屋の娘の設定なんだ」
「合唱部が舞台なの?
観たい観たい。
オズ観たことあるの?」
「ああ、俺さぁ、サッカー部の4組の諸井の家が、
江の島のみやげもの屋なんだ。
アニメにも江の島がよく登場するから、江の島の商店が、
みんなアニメ応援してるんだって。
だから諸井もアニメのDVD持っててさ、俺も借りて観たけど、
結構感動したぜ!
ジャンヌもきっと感動するよ。
1年のサッカー部の連中は、もうみんな観たんじゃないかな。
今度借りてやるよ」
「え! わー嬉しい。
オズお願いねぇ。楽しみぃー」
「おう、それでさぁ、主人公の友人で、同じ合唱部の紗羽って子が、
お寺の娘の設定で、この浄智寺がモデルになっているんだ。
『サブレ』っていう馬も飼っているんだ」
「えーぇ、馬を飼っているの?
ここでぇ?」
「ジャンヌアニメだからさ。
沙羽は弓道部と掛け持ちで、八幡様の流鏑馬の出場を目指したり、
競馬の騎手を目指したりするんだ」
俺たちは、寺の入口の池のほとりまで下りてきた。
「アニメではな、あの小さな石の橋の手前から、
寺を見上げた風景が何度か出てきてさ、
『あ、これ浄智寺じゃん』って、俺すぐ判った。
アニメの世界ってさあ、舞台となった場所や建物は、
大体本物の現物をモデルにして描かれているんだ。
だから熱心なアニメファンは、聖地巡礼っていって、
舞台となった所を訪問し、アニメの世界に浸るんだ」
「それって、NHKの大河ドラマとか、朝ドラの舞台が、
観光客で賑わうのと似ているわね」
「うーん、似てるけど、ちょっと違う感じ。
NHKの大河ドラマなんかは、歴史上の人物がモデルで、
脚色されたりするけど、基本は史実に基づいているだろ。
だけどアニメの世界は、バーチャルっていうか、
完璧な仮想世界だから、アニメファンは、
それを承知で舞台探訪するんだ」
「ふーん、それならオズぅ、みんなアニメの世界に浸るのね。
仮想世界に、自分の思いを重ねるなんて、
夢とロマンがあるお話しね。
私、早く『TARI TARI』観てみたくなっちゃった」
「え? マジで?
ジャンヌきっと気に入るぜ。
観たら江の島行こうなんて言ったりして」
「えへ―、どうかなぁ。
その時はオズ、宜しくね」
「おう、諸井がな、江の島は、『TARI TARI』の聖地巡礼、
結構来るって言ってたけど、ここ浄智寺は、それっぽい人、
全然見ないよな。
俺的には、ここは静かな方がいいよな」
「ええ、オズはすぐ判ったって言ったけど、
きっとみんな判らないのね。
ねえオズぅ、内緒にしておきましょうか?」
「内緒ってジャンヌ、俺、サッカー部で、自慢げに話したけど、
みんな『浄智寺ってなに?』って感じでさ、関心ない感じ。
寺の娘の紗羽って、サッカー部では、
主人公の江の島の娘より、人気あったけどなぁ」
俺たちは、再び鎌倉街道に出て、明月院の踏切を渡って、
建長寺前から八幡様を目指す。
踏切を渡ると、円覚寺方面から来た観光客と合流する。
北鎌倉駅から、東慶寺を寄らずに、円覚寺から線路沿いに、
歩いてくる人が多い。
道路沿いには、みやげもの屋とか、飲食店が、
昔より大分増えている。
「この先の建長寺だけど、開基は北条時頼で、
開山は、中国から来日していた蘭渓道隆なんだ。
時頼が、京都から蘭渓道隆を鎌倉に招いて、
建長寺ができるまで、常楽寺あるじゃん」
「常楽寺?」
「学校から大船に出る時、住宅街下って、
下の甘粕屋敷の、長屋門の前通って、鎌倉街道出るじゃん。
信号渡った角の店が、粟船堂っていって、
饅頭屋が在って、常楽寺のバス停あるだろ」
「あーぁ、下のバス停ね。
バス停の先、100メートルくらい行った、右側でしょ?」
「おう、お寺は50メートルほど奥にあるんだけど。
時頼は蘭渓道隆を鎌倉に迎えると、建長寺が出来るまで、
常楽寺に住んでもらい、禅の道場を開いていたんだ。
当時、時頼はじめ、沢山教えを求めて集まってきたそうだ。
だから常楽寺は、建長寺の根本道場とかいわれているんだ」
「由緒あるお寺なのね。全然知らなかった」
「常楽寺は、第三代執権の、北条泰時が開基で、
本堂裏に、泰時のお墓もあるんだ」
「北条泰時は、承久の乱ね。承久3年1221年だったかなぁ」
「ジャンヌ俺より詳しいじゃん」
「ううんん、私、教科書で習ったことしか知らないから、
オズの方が歴史はずっと詳しいわ。
北条泰時は、鎌倉方の総大将で、
京都へ攻めのぼって圧勝するのよね」
「おう、それも19万騎の大軍に膨れ上がってさ、
後鳥羽上皇を隠岐の島に流したり、他の二人の上皇も島流しにしたよな」
「後鳥羽上皇って、新古今和歌集の編纂を、
お命じになったのよね」
「そっかー、泰時って、歴史の大舞台に登場すっけど、
お墓はスゲー質素だぜ。
なんか普通の人のお墓って感じ」
「そうなんだぁ。ご本人の希望じゃないの?」
「うんそうかも。
泰時は、清廉潔白で、性格も温順だったから、
みんなから慕われた明君だったんだ。
父親の、第二代執権の義時は、北条政子の弟なんだけど、
畠山とか和田といった、有力御家人を滅ぼしたりしたからな。
裏山には、木曾塚っていって、木曾義高の墓もあってさ」
「オズ、木曾義高ってどんな人なの?」
「木曾義仲の嫡男なんだ。
頼朝が義仲と争った時、和議の条件として、
義仲の嫡男を、人質として差し出させたんだ。
それでも初めは、頼朝と政子の長女の、大姫の婚約者として迎え、
我が子のように可愛がり、義高が11歳で、大姫が6歳でさ、
兄弟のように仲がよかったんだ。
特に大姫が、義高をすごく慕っててさ、
周囲も微笑ましく見守っていたんだ。
でも翌年に、木曾義仲追討の院宣が頼朝に下され、
義仲が討たれると、雰囲気があやしくなってくるんだ。
平氏の男子は、根絶やしにしてきた頼朝だから、
敵となった男児は、生かしておかないだろうから。
いよいよ頼朝が、義高を殺そうとしてさ、
それを察した侍女たちが、大姫に知らせ、
その夜、義高を女装させて館から脱出させ、
隠しておいた馬に乗せ、馬の蹄を綿でくるんで、
音をたてないようにして逃がしたんだ」
「侍女たちの、必死の思いや、二人への愛念が伝わってくるわね。
それからどうしたの?」
「おう、それから翌日な、義高の脱出が気づかれないように、
木曾から付き従ってきた、同年代の男子がいたんだけど、
普段通り、義高と双六で遊んでいるように見せかけたりして、
カモフラージュして、時間を稼いだんだ」
「みんなで応援したのね。
きっと大姫は、祈るような気持ちで、
義高の無事を願っていたのでしょうに」
「だけどその日の晩、義高の逃亡が発覚すると、
頼朝は激怒し、早速追手を繰り出したんだ」
「わぁ! 大変!
大姫も侍女たちも、心配で、
生きた心地がしなかったでしょうに」
「そうだろうけどなぁ、でも数日後、
埼玉県の入間で捕まって、
河原で切られてしまったんだ」
「え、捕まって殺されてしまったの?
可哀そうに!」
「ああ、義高殺害を、はじめのうちは隠していたんだけど、
やがて秘密が漏れて大姫が聞き及び、
義高を殺された、大姫の嘆き悲しみは大きくてさぁ」
「それはそうでしょうに。
小さな心は大きく傷ついたのね」
「ああ、館中が悲しみに包まれたそうだ。
大姫は、母親の政子に、
絶叫するほど泣き叫んで抗議するんだけど、
政子も頼朝を猛烈に攻めたて、なんと殺害した本人を、
晒し首にしてしまったんだ」
「え! なんて理不尽な!
犯人を殺しても、大姫の心が収まるはずないのに!」
「そうだよなぁ。
頼朝も自分で殺害を命じておいてさ。
大姫だけど、それからしばらく、
一切の食を絶って、衰弱してしまったんだ。
その後も悲しみと、義高への思いは終生変わらなかったんだ。
冷徹な頼朝だけど、娘には、普通の父親の側面を見せるんだ。
心と身体を病んだ大姫を心配して、義高の追善供養とか、
病気平癒に霊言あらたかな神仏に祈願したり、
八方手を尽くすけど、娘の心は開かれなかったんだ」
「なんかオズぅ、冷酷な経営者やビジネスマンが、
人の痛みは何とも思わないのに、自分の娘には、
別の人格みたいに、優しい父親っているわよね」
「いるいる、そういうおっさんって、
よく映画やドラマに出てきそうだよな。
それからなぁジャンヌ。
大姫が17歳の時、頼朝と政子は、都から下って来た、
頼朝の甥の貴族と結婚させようとしたんだけど、
結婚させるなら身を投げるといって抵抗してさ、
結局二十歳で亡くなってしまうんだ」
「まあ二十歳で!
つらくて短い生涯だったのね。
きっと大姫は、早く義高のもとへ行きたかったのでしょうに。
ねえオズぅ、義高が亡くなったのって、大姫が7歳のときでしょ。
小学1年生の女の子が、思春期を経て、二十歳で死ぬまで、
亡くなった婚約者を、ずっと慕い続けたなんて……」
「幼い純愛物語だな」
「悲しい小さな恋の物語ね。
オズ今度、常楽寺案内してね」
「おう、今度部活がないとき、案内してやるよ」




