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紫をまとういと高き天使  作者: げんくう
第11章 鎌倉古寺巡礼
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【浄智寺《鎌倉五山 第四位》】

 東慶寺の山門の階段を降りると、俺は右手を指しながら、


「ジャンヌそこの『喫茶吉野』ってあるじゃん。

 ここ、オトウの知り合いの人のお店なんだって。

 店は奥さんがやってるらしいんだけど、

もう随分昔からある店なんだ。

 なんでもオトウが、高校時代に空手やっててさ、

そこの吉野さんと一緒に、稽古に通っていたんだって」


「えっ! 

 お父様空手習っていらしたの? 

 全然そんなふうに見えない。頼もしーぃ」


「それがなぁジャンヌ。

 その空手の道場だけど、鎌倉の、若宮大路と横須賀線が交差する手前に、

青果市場があるんだけど、そこの屋上でやってたんだって。

 青空だから、雨が降ってくると、

下の市場を片付けて稽古したっていってたな。

 その市場、今でこそ鎌倉野菜と呼ばれ、地元の野菜の集積所になって、

野菜の高級ブランドのイメージが出来あがってるけど、

地元の人は昔から、『百姓市場』って言って、親しんでいたんだ」


「それなら今は、お百姓というよりも、

鎌倉野菜の生産者と呼ばないといけないわね」


「そういうことになるな。

 そこの吉野さん、バイオリンをやっててさ、

青山学院大学では、交響楽団に入っていて、

喫茶店の店主の奥さんは、ピアノを弾くっていってたな」


「わー、それなら音楽家のご夫婦なのね。

 お子さんも何か楽器なさるの?」


「さー、それは判んねえな」


「一家でファミリーコンサートとか出来たら、素晴らしいわね」


「ここの喫茶店、落ち着いた雰囲気で、大人のオアシスみたいで、

サイフォンで淹れる、ブレンドコーヒーと、

フルーツケーキのセットが人気だっていってたな。

 東慶寺と同じく、女性のリピーターが多いらしいぜ」


 俺たちは、再び鎌倉街道に出、鎌倉方面に歩き出した。


「ジャンヌって、ほんとにクラシックが好きなんだな」


「あ、オズぅ。来月の第三日曜日なんだけど、

鎌倉芸術館で、第九のコンサートがあるの。

 都合どうかなあ? 

 サッカーの試合入ってる?」


「第九? 

 ジャンヌがお父さんと一緒に行こうって言ってたやつか。

 行く行く! 

 来月もう12月なんだ。

 俺、試合入っても、第九の方行くから」


「大事な試合なら、そちらの方優先させて。

 別の日にするから」


「いや、いまのところ試合入ってないはずだけど。

 試合入っても、どうせ練習試合だから。

 ジャンヌ、コンサート用の服着てくるんだろ? 

 俺、ジャンヌの正装っていうか、

そういったよそ行きの服、見てみたい」


「オズぅ、あまり期待しないでね。

 普段のお洋服に、ちょっとだけオシャレするだけだから。

 それならチケット、お父さんにお願いしておくわね。

 コンサート、3時からだから、終わってから、

少し早目だけど、夕食も一緒にいいでしょ?」


「おう、勿論さぁ。

 夕食、俺好き嫌いないからさ、なんでもいいよ」


「それじゃあ、こちらに任せてね。

 お父さんも、オズとの夕食、楽しみにしているのよ。

 早く12月にならないかな。

 うふぅ」


 ジャンヌはいかにもコンサートが待ち遠しそうだ。

 俺はお父さんと一緒だけど、ジャンヌが気ぃ使ってくれそうだから、

全然心配してない。


 鎌倉街道を少し行くと、浄智寺がある。

 この寺も、雰囲気がいいからジャンヌを案内したい。


「ジャンヌ浄智寺行ったことある?」

「いえ、ないわ」


「この先、右に曲がった奥にあるんだ。

 じゃあジャンヌ、源氏山へ抜ける、

ハイキングコース行ったことないんだ」


「ええ、ないけど。

 ハイキングコースなの?」


 鎌倉街道から横道に入ったところで立ち止り、

正面奥を指しながら、


「ほら、あそこが浄智寺で、左に曲がる道があるだろう、

今ハイカーの人が曲がって行ったろ。

 源氏山へのハイキングコースになっているんだ。

 きっとあのハイカー、源氏山から長谷の大仏へ抜けるんじゃないだろうか。

 銭洗い弁天や、佐助稲荷をお参りして、

鎌倉駅の裏駅へ抜けるコースが多いけどな」


「あの女性、お寺には目もくれず、黙々と歩いて行ったわね。

 ハイキングが目的のようね。

 服装も本格的じゃない」


「そうだな、山歩きが目的みたいだな」


 俺とジャンヌは、寺の入口の、通行禁止の、

丸い小さな石橋の前で止まり、

 左の池の奥にある、井戸と石碑を指しながら。


「あの井戸なぁ、『甘露の井』っていって、

『鎌倉十井(=じっせい)』の一つなんだ」


「それならオズぅ、鎌倉には有名な井戸が十あるの?」


「ああ、八幡様の近くに、『鉄(=くろがね)の井』という井戸があって、

それが一番有名なんじゃないかな。

 あとはどこにあるか知らねえや」


「オズぅ、井戸の下から水が流れ込んでいるけど、

『甘露の井』は湧水なの?」


「おう、昔はあの筧を伝って池に流れ込んでいたんだけど」


「オズぅ、鯉が泳いでいるわね。

 池の水は少し濁っているけど、この井戸飲めるの?」


「いや、昔は飲めたんだろうけど、

今は水脈を傷つけてしまって飲めないんだ。

 でもな、上の寺の境内にも井戸がいくつかあってさ、

本堂の裏にもあるから、そこの井戸は飲めるし、水脈は同じだろうから、

甘露の味っていうか、甘味は変わらないと思う」


「え? オズ、水が甘いの?」


「まさかぁ! 

 でも、判る人には判るのかもな。

 後で飲ませてやるから、味見してみろよ」


「わあぁ、楽しみだ」


「じゃあ行こうか」


 寺の階段を歩き始めると、ジャンヌは立ち止り、


「わーあ、素敵な雰囲気ね。

 なにか現世からかけ離れた、山奥の修行場みたいね」


「そうだろ、雰囲気いいだろう!」


 俺たちは先ず、左手の案内板を見た。


『鎌倉五山の第四位で、山号を金宝山といい北条時頼の孫師時が、

父宗政の没後4年(1281)以後に建てたと……』


「ねえオズぅ、甘露の井のことが書かれているわね。

 有名なんだ」


 小さな山門をくぐり、階段をゆっくり登ってゆく。


「階段の石がすり減っていて、歴史を感じさせるし、

下から不揃いの石段を見上げると、自然のままに任せているのがいいわね。

 あの山門、中国のお寺みたいね」


「ああ、山門の上に、鐘つき堂が乗っかってるんだ。

 珍しいだろ」


「ええ。

 なにか、現実の世界から迷い込んだみたいね」



 山門の手前に、関所みたいな入口がある。


 受付のおばさんに、拝観料を払って、


「裏の井戸水、飲んでもいいですか?」


 どうぞとのことで、


「裏の井戸、下の『甘露の井』と、水脈同じですよね?」


 同じだし、むしろ、本堂裏手の井戸の方が、源泉とのこと。


 その言葉を聞いて、ジャンヌは嬉しそうに俺に頷いた。


 案内の紙をジャンヌに渡してやる。


 拝観料は、ここも東慶寺と同じで、一人200円は良心的だ。


 本山の円覚寺と建長寺は300円だから、妥当なところだろう。


 京都と比べると、全体に安いそうだ。

 質実で武家の古都と謳われる、鎌倉の禅寺の良心なのだろう。


 案内の紙には、鎌倉五山 第四位 金宝山 

臨済宗円覚寺派 浄智寺 と書いてある。


「ねえオズぅ、鎌倉五山て、どういう意味なの?」


「禅宗の寺の、寺格を表してるんだ。

 第一位が建長寺で、第二位が円覚寺だろ、この二つは特段にでかいよな。

 第三位が寿福寺だけど、臨済宗建長寺派なんだ。

 ここ浄智寺は円覚寺派って書いてあるだろ」


「あ、ほんとだ。……寺史に

『浄智寺が創建された十三世紀の終わりごろの鎌倉は、

北条氏の勢力がきわめて盛大で、

禅宗がもっとも栄えた時期である』って書いてあるけど、

山門の上に描かれてある三角のマーク、

あれって東慶寺の本堂の屋根にもあったけど、北条家の家紋なの?」


「ああ、三つ鱗っていうんだ。

 円覚寺もそうだけど、鎌倉は、北条氏が建てた寺が多いからな。

 観光客が多く来るのも、北条氏のおかげだよな」


「そうなんだ。

 それからオズぅ、『開基』は、

『執権として有名な北条時頼の三男宗政が29歳の若さで亡くなり、

宗政夫人が一族の助けを借りて……』とか書いてあるんだけど、

北条時頼って私知らないんだけど……」


「ああ、時頼って、時宗のお父さんなんだ。

 第五代執権でさ、鎌倉五山第一位の建長寺を造ったんだけど、

この頃北条氏の勢力が強大で、禅宗の文化が花開いたんだ。

 第二位が息子の時宗が円覚寺を建て、

それぞれ臨済宗建長寺派と円覚寺派の大本山なんだ。

 それから今日、最後に案内するのが、第五位の浄妙寺なんだけど、

ここも建長寺派なんだ」


「それならオズぅ、北条時頼の建長寺と、息子の北条時宗の円覚寺が、

それぞれ鎌倉の禅宗の発展をもたらせたのね」


「そういうことになるな。

 山門をくぐった右手に見えるのが本堂だよ」


 俺は本堂の前で、ジャンヌに案内の紙を見せながら、


「ほら、左から、阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来で、

それぞれ過去・現在・未来を代表しているんだ」


「魂が生き通しで、永遠の生命を顕わされているのね。

 それなら、過去世の自分が浄化されて、

未来が輝くように、お光を頂けるんだ」


「なんかジャンヌ、仏教の、因縁因果の世界みたいだな。

 それじゃあお祈りしようか」


 本堂でお祈りのあと、裏手を案内する。


 観音様をお参りし、まばらな竹林を進み、


「ほら、ここにも井戸があるだろう。

 ここ、源氏山の麓だから、けっこう水が豊富なのかもな」


 右に曲がると、手漕ぎの井戸汲みのポンプが見えた。


「あれが源泉の井戸なの?」


「おう、お寺では、生活の飲料水に使ってるんだ」


 左には、煉瓦のような石を積み上げた、四角い井戸に、

大きな石板で蓋をされている。


 俺は、石板の上に荷物を置き、

リュックから、持ってきた、空のペットボトルを取り出した。


「ジャンヌ待ってろよ、今汲んでやっから」


 俺は左手で、ペットボトルの口を、ポンプの排出口に付け、

右手でポンプの漕ぎ棒を上下させると、水が勢いよく汲みだされた。


 ほぼ入れ終わったペットボトルを、俺は大きな口を上に向け、

ペットボトルの口が唇に触れないように、上から流し込んだ。

 サッカー部の飲み方だ。


「おう、うめー!」


 再度一漕ぎして、ペットボトルから水を溢れさせた。


 ジャンヌの手には、いつの間にか、ハンドタオルが用意されていた。


「オズこれで拭いて」

「おう、サンキュー」


 俺は、ペットボトルをハンドタオルで拭いて、

ジャンヌに渡そうとしたら、


「あ、ちょっと待っててね、今コップ出すから」


「ジャンヌいいよ、ほら、そのまま飲めよ。

 俺構わねえから」


「え、いいの? ありがとう」


 ジャンヌはペットボトルを受け取ると、

飲み口を見つめながら口に近づけ、

どうやって飲もうか躊躇している。


「ジャンヌは普通に、口付けて飲んでいいんだぜ。

 構わねえから早く飲めよ」


 ジャンヌは軽く頷くと、一口口に含んだ。


「わー美味しい。

 オズぅ、甘味感じたぁ?」


「わかんねえなぁ。

 ジャンヌどうだぁ?」


「ちょっと待っててね、もう一口いいかしら?」


「おう、一口といわず、堪能しろよ」


 ジャンヌはニッコリ頷くと、口をつぼめてまた飲んだ。


 ここで俺は、ジャンヌの飲み口に注目してしまった。


 目の前で、ペットボトルが、ジャンヌに接吻されている!


 俺はジャンヌの飲み口を凝視し、

位置を確認すべく神経を集中した。


 ジャンヌの飲み口に、俺の唇をそっと重ねよう。


 これって、マジで間接キスだ!


「オズどうしたの? 

 真剣な顔して」


 俺はハッと我にかえった。

 やばい! 

 ジャンヌに心中を見透かされたか?


「い、いや、俺、味わぁないで飲んだから、

甘露の味ってどうだったかなって。

 ジャンヌどうだった?」


「うーん、甘味は判らないけど、とっても美味しくて、

体に浸みこんでいく感じね。

 きっとこの水、御神水ね」


「じゃあ俺、今度はじっくり味わって飲むから」


 ここで事前に言いわけしといて、ジャンヌに間接キスだ!


 ジャンヌから、ペットボトルの飲み口を確認しながら受け取り、

上にかざしながら、


「御神水かぁ。

 透明だなぁ」


 俺はジャンヌに気付かれぬように、

何気にジャンヌの飲み口を、クルリと自分の前に回した。


 そして下唇を、そっとジャンヌの飲み口に重ねた。


「うーむ」


 ジャンヌは俺の口元を見て、コメントを注目している。


 俺は思わずニヤケてしまった。


「甘露の味だな」


「え? 

 オズぅ、口付けただけで、まだ飲んでないでしょ?」


「あっそっかー。

 俺ジャンヌに御神水っていわれて、もったいなくて飲めねえや。

 んじゃぁ飲んでみっから」


 俺は、ほほ笑みながら見つめる、ジャンヌの唇をちらっと見て、

今度は上唇も付けて飲み込んだ。


 上下の唇を付けた、本格的なキスだ!


「オズお味どう?」


「おう、さっきより全然うめーや! 

 なんかスゲー優しい感じがした」


「え? 

 優しい感じ? 

 甘露の味って、体に優しいのね」


「お、まあなぁ。

 冷たいけど、体がぽかぽかしてきた。

 なんか幸せな気分」


「浄智寺の人達、毎日甘露のお水飲めるなんて、羨ましいわね」


「そうだな。

 あとリュックに入れとくから、喉乾いたら言えよ」


「ありがとうオズ。

 活き返って元気が出たわね」


「よっしゃぁー。

 じゃあこのあと、布袋様観て行こうか」


 短いトンネルを抜けた奥に、布袋様は立っている。


 メタボ風の大きなお腹は、触ると御利益があるみたいで、

手垢で黒ずんでいる。


 俺はお腹をなでるのは引いてしまった。


「ジャンヌお祈りすっか?」

「ハイ」


 俺たちは、布袋様の前でお祈りした。


 ジャンヌは、お祈りのあと、両手で布袋様のお腹をなでている。


 しばしなでたあと、再びピラミッドの印を組み、

お祈りしている。


「今ね、大天使ミカエル様が、布袋様のお腹に、

参拝者の願いや、思いが詰まっているから、

光で浄めて差し上げなさいって」


「そっかー。

 祈りと願い事って違うんだよなぁ。

 我欲の思いでお参りすると、神様を曇らせてしまうんだな」


 さすがジャンヌは天使だ! 

 肉体的な穢れや汚れでも、嫌がる素振りも見せない。


「布袋様って、七福神の一人で、唯一実在の人物だったんだって。

 弥勒菩薩の化身ともいわれているんだ。

 ほら、布の袋を背負っているだろ、だから布袋様なんだよな」


 最後にジャンヌは、布袋様と両手で握手して、


「オズ次お願い」


「おう、浄智寺はこれでおしまい。

 さあ行こうか」


 出口の木戸を出ると、正面が源氏山へのハイキングコースだ。


 案内板の右方向の説明には、

『この舗装道路は、約5分歩くと終わりです。

あとは細い山道を上がったり降りたりしながら、

源氏山、銭洗弁財天まで約30分。

 滑るので注意して下さい。

 山頂まで境内地です』

 とあった。


「ねえオズ、昔は沢山の建物が在って、

栄えていたって書かれていたわね」


「そうだな、ここからは、山道は見えないな」


 案内板の左方向は、

『下に約3分歩くと、バス停(明月院前)です。

 バス通りを左に進み、JR北鎌倉駅まで約8分』

 とあった。

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