【東慶寺《縁切寺》③高見順】
階段を降りて参道に戻ると、ゆるやかな坂を上がって行く。
ここから一般のお墓になり、右手の墓を指し、
「ジャンヌ、あれが前田青邨の墓だよ。お参りするか?」
「ええ、オズこのお墓、宝篋印塔?」
「うー、似てるよな。そうかもな」
「小さいけど、芸術家らしい、素敵なお墓ね」
俺は、ジャンヌの後ろで手を合わせた。
続いて、緩やかな斜面を登って行く。
中央の道の左右に、墓地が広がっている。
俺はポケットから、入口でもらった案内のしおりを出しながら、
「ジャンヌ、入口でもらったこのしおりあるだろう。
ここに、この寺に埋葬されている、
有名人の名前が書かれてるじゃん」
「ほんと、名前だけは知ってる人が何人かいるけど、
作家とか哲学者かなあ。
文化人が多いのね。
このお寺雰囲気、文化人に愛されていたのも、
解かる気がするわね」
「だろう。
これら文化人の墓参りに訪れる人も多いと思うけど、
オトウいわく、昔から高見順の人気が高かったって言ってたな。
高見順って、詩人でもあったから、死後、
『高見順賞』が創設され、毎年優れた詩人に贈られているんだ」
「それならオズぅ、高見順って、今でも詩人とか、
詩が好きな人には有名な人なんだ」
「そうだろうなあ。
おそらく詩人の、芥川賞ってところかもしれないな」
俺たちは、坂の中ほどまできた所で、
「ほらジャンヌ、あの左の奥の、
一番高い所に高見順のお墓があるんだ」
「わー、一番奥まった所ね」
最後の階段を昇り切ると、そこは高見順のお墓のエリアだ。
墓を入ると左側に、小鳥の巣箱みたいな小箱が置いてある。
小箱の屋根が苔むして、風雪に耐え、時代の年輪を感じさせる。
中に小さな雑記帳と、ちびた鉛筆が入っている。
「この雑記帳、オトウの学生時代からあったそうで、
オトウもよく思いをつづったそうなんだ。
こうした訪問者が書く雑記帳って、今ではよく見られるけど、
当時は珍しかったそうで、雑記帳に書かれたものを、
奥さんが本にして、出版されたって言ってたな」
ジャンヌは、雑記帳をチラチラ見ながら、
「ねえオズぅ。
このノートというか、雑記帳ねえ、小さくて書きづらそうね」
「でもなジャンヌ、そのノート、小さいから、
詩とか詩的な短い文章を書くには、ぴったしな気がしねぇ?」
「そうね、オズのいうとおりね。
大学ノートじゃ大きすぎて、雨の日は困るでしょうし、
野外で吹きっさらしだから、置き場所にも困るでしょうに。
第一この箱、小さくて、ノートも鉛筆も、これ以上は入らないわね」
「オトウがな、特に雨の日なんか情緒があって、
傘をさしながらここに立って、雑記帳を手にすると、
感傷に浸るには最高で、自分もなにか書きたくなるって言ってたな」
「オズのお父様って、ほんとにロマンチストなんだ。
このお墓を訪れる人って、詩とか文学好きの、ロマンチストが多いのね。
オズのお父様みたいに」
ジャンヌは一人で感心している。
「ジャンヌ先にお参りしちゃおうか」
俺は墓の隣の石碑に刻まれたものを確認し、
ジャンヌを振り返りながら、
「ジャンヌ、これがお墓で、この石碑、高山樗牛の
『如何なる星の下に』の詩かと思っていたけど、勘違いだった。
やっぱ高見順の詩だった」
「『如何なる星の下に生まれけむ、われは世にも心よわき者なるかな。
暗にこがるるわが胸は、風にも雨にも心して、
果敢なき思いをこらすなり……』でしたっけ?
私この詩、大好きになったの」
「え! ジャンヌ、いつ覚えたのさぁ?」
「うふぅー。
オズが、花火大会の帰り、高見順先生の、旧宅前を通ったとき、
口ずさんでくれたでしょ」
「え! あの一回切りで覚えちゃったの?」
ジャンヌは微笑みながら頷いた。
「すげーなー、ジャンヌ驚異の記憶力じゃん。
ジャンヌもひょっとしてロマンチストかぁ?」
ジャンヌは恥ずかしげに首を斜めに曲げて、
どうかなっていう表情だ。
「そんじゃお祈りすっか!」
ジャンヌが俺の左後ろ、お墓の前の敷石にひざまづいた。
お墓は三角形の、天然の石に名前を刻んだだけのものだ。
ジャンヌと俺は、合掌してお祈りした。
「オズぅ、その『赤い……』なんて書いてあるの?」
「これなあ、『赤い芽』っていう詩なんだって。
『空をめざす小さな赤い手の群
祈りと知らない
祈りの姿は美しい』
って彫られているんだ。
高見順の『死の淵より』っていう詩集に入ってて、
『庭で』という題で、一が『草の実』で、二が『祈り』だろ、
そして三がこの『カエデの赤い芽』という詩なんそうだ」
「ねえオズぅ、二番目の『祈り』ってどんな詩なの?」
「あ、忘れちゃったな。
オトウは口からすらすら出たけど、ほんの短い詩だったな」
「じゃあ私、図書館で詩集借りてくるわね。
それからねえオズぅ、私、今、高見順先生に、
『如何なる星の下に』を読ませて頂きますって、お話ししたの」
「そっかー。それなら俺も、読んでみようかな。
俺さぁジャンヌ、ジャンヌと同じ小説読むなんて、
なんかわくわくしてきた」
「私も嬉しい!
そしたらオズぅ、読み終わったら感想文書いて、交換したいな」
「おおいいよ。俺書く書く。
おんなじ小説の世界に浸られるんだ」
「なんか私たち、中学生の交換日記やるみたいね」
ジャンヌは嬉しそうにはしゃいでいる。
俺たちは立ちあがると、
ジャンヌは雑記帳の入った巣箱を見つめ、
「ねえオズぅ。
私も雑記帳に書いてもいいかなあ?」
「もちろんさあ。
こういうのは、書きたい奴が、書きたいことを書けばいいんだよ!
ちょっと待ってろよ。
立ってちゃ書きづらいだろ」
俺はリュックから、再びシートを取り出し、
陶器製の小さな椅子に被せて座らせた。
「ありがとう。ちょっと待っててね」
ジャンヌは腰かけると、右手で髪を、
耳の後ろから肩へ掛けた。
こじんまりした形のいい耳だ。
短い鉛筆を持って、器用そうにすらすら書いている。
何を書いてるのか聞いてみたいけど、
見ない・聞かないのが礼儀だろうと、我慢だ。
書き終わるとジャンヌは、
恥ずかしそうに、雑記帳と鉛筆を木箱にしまった。
やはり、何を書いたか、俺に見られるのが恥ずかしぃんだろう。
「オズぅお待たせ。
えへ―。私ね、高見順先生へ、『如何なる星の下に』を読んだら、
感想を報告に来ますって書いたの。
だからオズぅ、また一緒に来てくれるかなぁ?」
「おう、もちろんさあ。
そっかー。ジャンヌそんなこと書いたんだ。
俺も何を書いたか気になったけど、聞いちゃ悪いかなって」
「ううんん。
私、オズに秘密とか、隠し事なんかしたくないから、
聞いてもらっても、見てもよかったのに」
「え! ほんと?
俺、嬉しくなっちゃうじゃん。
そんなら俺も、ジャンヌに隠し事とかしないかんな」
ジャンヌは微笑みながら、大きく頷いた。
二人お墓の入口で下を見おろし、
「じゃあ、そろそろ行こうか?」
「ハイ。ここからお墓全体が見渡せるのね」
「ああ、いい眺めだろ」
「ええ」
階段を降りながら、
「先が長いので、他の文化人の墓はいいよな?」
「ええ、いいわよ。
今日はオズにお任せだから」
俺たちは、先ほどの天秀尼の墓地への階段の下まで来ると、
「あ、天秀尼様のお墓が見えるわね」
ジャンヌが上を見上げて立ち止り、合掌しながら、
「天秀尼様ありがとうございました」と小さくつぶやいた。
参道を並んで歩きながら、
「高見順って、永井荷風といとこで、父親は福井県知事だったんだ」
「すごい家系なのね。お坊ちゃんだったんだぁ」
「それがなジャンヌ、正妻の子じゃなくて、お妾さんの子だったんだ。
なんでも父親の県知事が、県内視察の時、
宿泊先の、旅館の仲居さんだったという話しでさ、
昔は官選知事だったから、父親が東京へ戻ると、
母子も東京で生活することになったんだ。
母親の高間姓を名乗る私生児でさ、
いじめを受けたり、生活も苦労したらしいんだ。
オトウが言ってたけど、森鷗外の小説でも、
お妾さんが、近所や八百屋、魚屋さんからも、
偏見の目で見られることが描かれているって」
「そうなんだ。
でも高見順先生、きっと、つらいけど、
感受性の豊かな人に育ったのね。
そうして詩人の感性が磨かれたのね。
お母様も、お育てになるの、大変だったでしょうけど、
立派な文学者となられて、よかったわね」
「ああ、それに、父親が優秀だから、息子も優秀でさぁ、
高見順も府立一中、一高、東大のエリートコースだったんだ」
「府立一中って、今の都立日比谷高校なんでしょ。
西片町のおばあちゃんが、
近くに文京区立誠之(=せいし)小学校というのがあって、
お母さんが出た小学校なんだけど、
昔は、誠之小学校から府立一中に進学する子が多く、
戦前から越境入学してくる子も多かったって言っていたわ」
「文京区っていったら、山の手か?」
「ええ。
おばあちゃんのお家の近くに、阿部様のお屋敷と呼んでいた、
福山藩主で、幕末の老中だった、阿部正弘の、
福山藩のお屋敷があったの。
そこの福山藩の敷地だったところに、藩校の誠之館と同じく、
誠之小学校が建てられたのですって。
誠之小学校の誠之は、『誠者天之道也(=誠は天の道なり)、
誠之者人之道也(=これを誠にするは人の道なり)』
からきているんですって」
「へーえ、難しそうだな。
俺、漢文苦手なんだよな。
でもジャンヌ、話し聞いてると、いかにも名門小学校って感じだな。
ジャンヌのお母さんも通ったんだよな」
「ええ」
「やっぱジャンヌのお母さん、山の手の奥様って感じだよな」
「いえいえ、普通のお母さんよ。
それから、森鷗外の息子も、千駄木の自宅から、
誠之小学校へ通わせたんですって。
地元の小学校に通う子供達から、通学途中にいじめを受けるから、
鷗外が息子の手を曳いて、通学する姿が当時、見られたそうよ」
「そうなんだ。森鷗外かぁ」
山門の出口を出た所で、俺は正面の山を指しながら、
「ジャンヌあそこの中腹に見えるのが、
円覚寺の国宝の大鐘にあるお茶屋さんだよ」
「あっそうかぁ。
右手の急な階段登っていくのよね。
私、お父さんと、あそこのお茶屋さんで、お団子食べたかなぁ」
「あそこから、東慶寺の山門が、良く見えるんだよな」
「えへ―ぇ、私、お団子が美味しかった記憶しかないなぁ」
「参拝者の様子が手に取るように判るんだ。
それから、ここからだと六国見山見えないけど、
大鐘のところからだと、山頂の展望台が見えるんだ。
あ、それからなあ、六国見山の頂上って、
俺たちが神々を迎える展望台じゃなくて、
ちょっと先にあるらしいんだ。
大鐘から見ると、展望台より、右側の辺りの方が、
少し高いのが解かるんだ。
六国見山を整備している地元のおじさんの話だと、
展望台の小高くなってるとこは、昔地元の人たちが、
富士さんを遥拝するために、土を盛ったっていってたな。
昔は円覚寺の奥から、真っすぐ山頂へ続く道があったそうだ。
今は遮断されてるけど、昔は途中に石仏とか置いて、
山全体を聖地としていたそうだ」
「そうなんだ。
だから神様が降りてこられる場所なのね」
「今日は報国寺へ行かなきゃならないから、今度見に行こうや。
小説読んで、またここ来る時、一緒に回ろうか?」
「ええいいわよ。
そうだオズぅ、梅の花が咲く頃に、また来たいわね」
「おういいよ。
じゃあ、そういうことで、次行こうか」
「ハイ」




