【東慶寺《縁切寺》①天秀尼】
11月に入って、先週の第一土曜日、オープンスクールのため、
登校日で授業があった。
来年、六国高校を受験する、中学3年生を対象に実施し、
午前中授業をやり授業参観。
午後からは、希望者の部活見学のため、全クラブが部活を実施した。
今日月曜日は、学校は振替休日だ。
サッカー部も部活がないので、ジャンヌと約束していた報国寺へ連れて行く。
ジャンヌと二人だけの行動は、7月の花火大会以来だ。
2回目のデートってわけだ。
ジャンヌの希望で、最後の文士、高見順が眠る東慶寺から案内する。
ジャンヌには、北鎌倉駅の、鎌倉街道側の改札を出て待つようにいってある。
俺は、お昼の弁当に、駅前の『光泉』でいなりずしを買うから、
ジャンヌには、今回はお弁当は持ってこないように言ってある。
ジャンヌに名物のいなりを食べさせてやりたいから。
ジャンヌは、それならお茶は自分が持ってくるからと言っていた。
俺は、権兵衛踏切の一つ先の、ホームの手前の踏切を渡り、
上りのホーム沿いに歩いて行く。
ホームの中ほどで、鎌倉街道に出て、駅前の信号を曲がると北鎌倉駅の広場だ。
ジャンヌはもう来ていた。俺に気がつくと、ほほ笑みながら、
腰の前で手を振ってくれた。
「おはようジャンヌ。早いじゃん」
「オズおはよう。オズも早いのね。
おいなりさんって、あそこのお店で買うの?」
「ああ、『光泉』っていうんだ。
ここのいなり、少し甘めだけど、すげー旨いんだ。
だからジャンヌに食べたせたかったんだ。
俺、ジャンヌのサンド、また食べたかったけど、
ここのいなり、きっとジャンヌも喜ぶだろうって」
「わー楽しみだ。オズありがとう」
駅の時計は、10時ちょっと過ぎたぐらいだ。
今日は平日だから、店の前には誰も並んでない。
でも俺たちの前には、今、年配の二人ずれが入っていった。
店の中に入ると、若い女性が一人、品物を待っていた。
奥で店主が作業中なのだろう。
この店は、客から注文を受けてから作るみたいだ。
だから休みの日には行列になる。
店内には、いなりの実物の展示はなく、写真の商品メニューがある。
いなりだけのものと、のり巻きとかっぱが混ざったものとの2種類の折詰だけだ。
それぞれ650円だ。
ジャンヌにメニューの写真を見せながら、
「俺はいなりの口直しに、こっちののり巻きが入ったやつにするけど。
ジャンヌどうする?」
「それなら私、名物のおいなりさんだけのでいいわ。
オズ、私の分食べてくれるでしょ?」
「おお、そしたら俺も、のり巻きとかっぱ、一っこづつやるからさぁ」
奥から店主が折詰をもって出てきた。
待っていた女性に商品を渡し清算すると、注文を聞いてまた奥へ。
このいなりの支払いも、オカアが払ってくれる。
今日一日、拝観料とか抹茶代とかも、すべて俺んちで払う。
オカアが、いつもミッションのときは、大橋家で全部払ってもらってるから、
今回は大澤家で払いなさいって。
オカアからは、1万も預かって来た。
大橋家へのおみやげに、いなりの折を2箱、
買ってジャンヌに持たせるよう言われている。
「お父さんとお母さんへのおみやげ、帰りまで俺が持っておくから。
今日けっこう歩くからさあ、ジャンヌ、お茶とか重たいもの、
俺が持ってやろうか?」
「ううん、大丈夫。そんなに重くないから。
ありがとうオズ」
俺たちは、鎌倉街道を進み、東慶寺の前にきた。
「ここが縁切り寺とか、駆け込み寺とか呼ばれる東慶寺だよ。
北条時宗の奥さんが建てて、昔は尼寺だったんだけど、
今は男の住職になってるって。
ジャンヌ、円覚寺はさあ、北条時宗が、元寇で亡くなった、すべての人。
敵の蒙古の兵士も一緒に供養するために立てたんだ」
「そうなんだ。オズって歴史詳しいわね。
あ、ちょっと待ってて。いまお母さんへメールしちゃうから。
大澤家からおいなりさんのおみやげ頂いたからって」
ジャンヌがメールするあいだ、俺はジャンヌの服装をチェックした。
下は短めのベージュのパンツに、茶色いトレッキング風のシューズを履いている。
歩きやすそうだ。
上は紺のトレーナーで、リュックを背負ってるけど、上下のバランスもいい。
ジャンヌの横顔は、黒髪に隠れてよく見えないけど、
なんとなしに気品を感じさせてくれる。
これから一緒に、連れて歩けると思うと鼻が高い。
それに今日は快晴で、暖かくなるとの天気予報だ。
どこまで俺はラッキーな男なのかと、内心大いに自己満足!
「お待たせ」
「じゃあジャンヌ、案内板から見て行こうか」
案内板には、
『鎌倉幕府の第八代執権北条時宗の夫人・覚山志道尼が開創。
夫から離縁状をもらわない限り、妻からは別れることができなかった時代に、
駆け込めば離縁できる女人救済の寺として、
開山以来、六百年近く縁切りの寺法を引き継いできました。
後醍醐天皇の皇女・用堂尼の入山以後は、松岡御所と称され、
寺格の高い尼寺として名を馳せるようになり……』
「ねえオズぅ、だから駆け込み寺とか、縁切寺とか呼ばれているのね。
昔は女性の権利なんてなかったのね。
横暴な夫でも、ずっと我慢しなければいけなかったんだ」
「それからみると、今の女性は幸せだな。
ジャンヌいい時代に生まれて良かったじゃん」
「え、私? 私、全然心配してないわよ!
だって……」
ジャンヌは俺を見て嬉しそうに微笑んだ。
何気に言った俺の言葉に、ジャンヌの意味深な反応に戸惑った。
『だって』のあとは、まさか《オズが夫だから安心》って思っていたのか。
それはないだろう。
きっと一般的な、乙女の描く、幸せな夫婦を想像したのだろう。
俺は曖昧に頷きながら、
「じゃあ行ってみようか」
少し進むとジャンヌが、
「オズ夏目漱石ですって、何だろう?」
参道右に、『夏目漱石参禅百年記念碑』とあった。
「ねえオズぅ、漱石は書簡の中で、『鹿山に来山』て書いているわ。
円覚寺に来山したことを、鹿山っていっていたのね。
瑞鹿山って、お父さんが言ってたけど、円覚寺の奥山の、
六国見山のことでしょ」
「お父さんそう言ってたな。
でも、北鎌からは六国……いや瑞鹿山か、見えないもんな。
俺、大船の街からいつも六国見山眺めてるじゃん。
昔から、下の村の人達は、六国見山って呼んで親しんできたから、
俺も六国見山の方がしっくりくるな」
「そうね、六国見山で定着しているものね。
でも、円覚寺としては、瑞鹿山って呼んだ方が、ずっと権威がありそうね」
「やっぱ高校の名前は、瑞鹿高校より、六国高校の方がいくねえ?」
「そうね」
入口の石段を上がると受付が。拝観料は200円だ。
拝観料を払って中に入ると、ジャンヌが開口一番、
「わー清潔なお寺ね。女性的な、尼寺っていう感じね。
円覚寺は、禅の厳しい修業の場っていう、
峻厳な気がみなぎっているけど。
ここは、ひっそりと暮らす、隠棲の場みたいね」
俺もジャンヌにいわれて、パット見で、手入れの良さを感じた。
「梅の花、咲いたら綺麗でしょうね」
ジャンヌはすげー喜んでる。
「わーりんどうね!」
ジャンヌは参道脇にしゃがみ込んで、真近で観ている。
りんどうは地面に這うように横に伸びている。
「なあジャンヌ、りんどうって、花屋で見たことある気がするけど、
普通に立ってない?
これ、横に伸びてるじゃん」
「ほんとだ。
私も西片町のおばあちゃんの家で、お茶習う時、
お花も活けるから、りんどうって覚えたの。
紫が綺麗よね。
お茶やっていると、いろんな花を覚えられるの」
「ジャンヌ、紫でお気に入りなんだ」
俺は先ず、ジャンヌを本堂へ案内した。
参道から本堂へ入る門の前で、ジャンヌは合掌して丁寧に礼をして入った。
ジャンヌの、神仏に対する敬虔な心構えが伝わってきた。
敷石の中ほどで立ち止り、お祈りの前にジャンヌに説明だ。
「ここのご本尊は、お釈迦様なんだけど、右に二人並んでるだろ。
右の端がこの寺を開山した覚山尼で、お釈迦様の隣にいらっしゃるのが、
後醍醐天皇の皇女、用堂尼で、ほら、上に菊の御紋が見えるだろ」
「ええ、お二人とも、入口の案内板に書かれていた方ね。
後醍醐天皇は『建武の中興』ね。
1333年だったかな……」
「ジャンヌよく覚えてるじゃん。
その建武の中興のあと、足利尊氏と仲たがいして、足利幕府を倒そうとしたろ。
その時、皇子の護良親王が倒幕に動いて、
鎌倉に幽閉されたあと、殺されてしまったんだ。
今は鎌倉宮として祀られているけど、後醍醐天皇が護良親王の菩提を弔う為、
皇女の用堂尼を東慶寺に入れたんだ。
それからこの東慶寺のことを、山号の松岡山(=しょうこうざん)から、
松岡御所と呼ばれるようにもなったんだ」
「格式のあるお寺なのね」
「ああ、東慶寺は、紫衣寺っていって、紫の法衣を着用出来るんだ。
ほら、左に紫の法衣まとってるだろ。
紫の色は、朝廷の許しがないと、着用できなかったんだ」
「ほんと、鮮やかな紫ね。
ローマ皇帝も、紫のマントをまとい、西洋でも昔から高貴な色って、
お父さんがいっていたわ」
「そっかー、なあジャンヌ。
六国高校のスクールカラーって、古代紫じゃん。
これって、ジャンヌが転生して、六国高校に入学し、
古代紫のリボンを結ばせるために、神様が始めから高校を造って、
スクールカラーを決めていたんじゃないかって思えてきた」
「え! オズぅ、そんなことないって。
たまたまなんじゃないかなあ」
「いやあ、だって紫は最も高貴な色だろ。
普通は、紫なんて、遠慮して使わないだろう。
俺たち普通に平民だし、絶対生まれる前から神様が、
ジャンヌの入学を見越して決めたんだと思うよ!
みんなジャンヌにあやかってるんだよ」
「六高生は、みんなまじめだし、みんなに相応しい色だと思うわ。
だからみんなも、自信を持ってリボンや校章を身につけて欲しいわね。
ところでオズぅ、あの紫の方、どなた?」
「天秀尼といって、豊臣秀頼の娘さんだったんだって」
「え! オズ、豊臣秀頼って、淀君と一緒に大阪城で亡くなった……
秀吉の息子さんでしょ?」
「ああ、そうだよ。
嫁さんの千姫、家康の孫だけど……千姫は助かったんだけど、
淀君と秀頼は自害したんだ」
「そうよね、それで娘さんがいたんだ」
ジャンヌは、本堂の天秀尼をチラチラ見ながら、
俺の袖を曳いて敷石の脇へ。
「オズぅ、私、ご本尊のお釈迦様でしょ、
それに一緒にお祀りされている覚山尼様、用堂尼様、
あのー紫の天秀尼様でしたっけ?
感謝の祈りを捧げさせて頂くでしょ。
それから、天秀尼様のお父上の秀頼様、淀君もお祈りさせて頂くわね」
「そっかー、やっぱりな。
俺なぁ、今日来る前に、、色々オトウから、事前にレクチャー受けたり、
ネットで調べたりしたんだ。
ジャンヌに教えてやろうと思って」
「ありがとうオズ。私とっても嬉しい」
「それでさ、この東慶寺だけど、オトウがさ、天秀尼の話し聞かせてくれて、
きっとジャンヌ祈るだろうから、そしたら天秀尼も、秀頼も、
淀君も喜ぶだろうって言ってたんだ」
「うんうん、是非是非。祈らせて頂くわね。
お父様に感謝しなくちゃ」
「いやー、オトウも喜ぶよ。
それからなぁジャンヌ。
天秀尼には、国松っていう、母は違うけど、8歳の兄がいたんだ。
天秀尼は7歳で、千姫との間には、子供が出来なかったから、
二人の母親は側室だったんだ。
国松は、大阪城落城後、京都市内に隠れている所を見つけ出され、
処刑されたんだ。
天秀尼は、千姫が助命嘆願し、女の子でもあったから、命は助かり、
家康の命により、落城の翌年、千姫の養女として、
東慶寺に預けられ出家させられたんだ。
東慶寺に預けられる前に、家康から、なにか望む事はないかと尋ねられ、
天秀尼は、寺法の継続、すなわち女性救済のための、開山以来の寺の掟が、
これからも護られますように願い出て、家康が了承したんだ。
この家康のお墨付きが、後に絶大な効果を発揮するんだ」
「今日のオズのお話し、とってもためになるし面白いわ。
ありがとうオズ。
それから私、国松さんもお祈りさせて頂くわね」
「なあジャンヌ。
天秀尼って、命が助かったときから、出家して一生涯、
亡くなった親族の菩提を弔う運命だったんだな」
「そうね、天秀尼様はきっと、毎日、お父様や、
淀君の菩提を弔っていらっしゃったのね。
それでオズぅ、天秀尼様のお母様はどうなすったの?」
「あ、それは判らねえなぁ。
大阪城落城のあとは、大阪の街は地獄と化したそうだから。
家康が略奪を許したから、阿鼻叫喚の世界になったみたいだ。
でも命は助かったんじゃねえ?」
「そうね、お母様もきっと、天秀尼様と同じように、
秀頼さんの菩提を弔う生涯だったのでしょうね」
「じゃあジャンヌ、確認すっけど、お参りは、
先ず《平成の祈り》のあとは、お釈迦様ありがとうございますだろ、
それからお隣の、覚山尼様、用堂尼様、
天秀尼様ありがとうございますでいいな」
「ええ、最後に秀頼様、淀君、国松様が浄まり、
天界に導かれ光輝きますように……でいきましょう」
やっと俺たちは本堂の前に並び、ピラミッドの印を組んでお祈りした。
お祈りが終わるとジャンヌは、俺を見て微笑むと、正面に礼をして退いた。
再び参道を、お墓の方へ案内する。
緩やかな斜面に奥までがお墓ゾーンだ。
文化人等の有名人の墓が点在する。
先ず、右手の急な階段の上が、歴代住職の墓だ。
階段が二つ。手前の階段の下に、
『後醍醐天皇 皇女 用堂女王墓』の案内碑が建っている。
右手手前の階段を上がると、後醍醐天皇の皇女『用堂尼』の墓だ。
ここだけ宮内省の管轄になっている。
岩をくり抜いた、大きなやぐらの中に石塔があり、
前に柵が設置されている。
俺んちの神殿より幅は広い。
ここでお祈りのあと、隣り奥の、北条時宗夫人で、
この寺の開創者『覚山尼』と続けた。
最後に歴代住職のお墓で、ひときわ大きな石塔は、天秀尼の墓だ。
この前では、本堂での祈りを繰り返した。
「なあジャンヌ。
この玉子型の丸いお墓、無縫塔っていって、僧侶の墓の特徴なんだ」
ジャンヌは、他の住職の墓と見比べながら、
「それにしても天秀尼様のお墓って、大きいわね」
「ああ。天秀尼なぁ、東慶寺中興の祖とも呼ばれてるんだ。
この天秀尼のお墓、なんでこんなにでかいのか、
オトウから聞いた話あるんだ」
「わー、お父様から? どんなお話しぃ?」
「あのなあ、会津藩改易事件ってあってさ、会津藩の殿様は、
加藤明成っていう二代目の殿様で、先代から仕えていた堀主水という家老が、
藩主に愛想を尽かし、藩を逃げ出したんだ。
妻子を東慶寺に預け、自身は高野山へ逃れたんだ。
藩主は早速追手を繰り出し、東慶寺へ妻子の引き渡しを要求したんだ。
なんでも妻子を含め、一族郎党200人近くで逃げ出したから、
女子供だけで、数十人は逃げ込んだんだろう。
追手もそれなりの大部隊だっただろうから、東慶寺を取り囲み、
圧力をかけ、騒然としただろうに。
時の住職の天秀尼は、ひるむことなく一歩も引かなかったんだ」
「天秀尼様凄―い」
「天秀尼は、開山以来、救済を求めて逃げ込んだ者を保護するという、
寺法を盾に、
『当山で保護したる者、開山以来、一人たりとも罪人を出したること無し。
掛る理不尽なる狼藉、加藤を滅ぼすか、この尼諸共、
東慶寺を滅ぼすか、二つに一つぞ!』と。
天秀尼は、身を挺して妻子の引き渡しを断固拒否し、
同時に千姫を通じて幕府へも訴えたんだ」
「天秀尼様頼もしぃ!
助けを求めた妻子たちは、どうなることか、不安だったでしょうに。
天秀尼様におすがりするしか……」
ジャンヌが突然泣き出した。ハンカチで涙を拭きながら、
「ごめんなさいオズ。
今ね、助けられた皆さんの、天秀尼様への感謝の思いが伝わってきたの」
「そっかー。
みんな天秀尼は命の恩人だからな」
「ええ。皆さん、助かってよかったわね」
「ああ。
それから、夫の堀主水は、高野山に逃げ込んだんだけど、
殿様は高野山へも引き渡しを要求したんだ。
高野山も、太平の世となり、昔のように、アジ―ルといって、
治外法権の聖域としての権威も力も衰え、庇いきれなくなり、
堀主水は山を降りるんだ」
「高野山でも庇い切れなかったのに、天秀尼様やったわね」
「奥さんはその後、東慶寺で天秀尼の仏弟子になり、
非常に愛されて、法名まで頂くんだ。
夫の方は、今度は、和歌山藩へ助けを求めたんだけど、
殿様しつこく、和歌山藩へも引き渡しを要求し、
ここも居づらくなった堀主水は、最後は幕府に殿様の悪政を訴え出たんだ。
主君への忠義を第一とする、徳川幕府の考え方により、
加藤明成に引き渡され、殺されてしまったんだ」
「まあ、奥様お可哀そうに!」
「その後加藤明成は、東慶寺に対する寺法を無視した対応と、
悪政の責めを負って領地を没収されたんだ。
かろうじて、息子に一万石の領地が与えられたけど」
「東慶寺の権威というか、これは、天秀尼様のお力なのでしょう?」
「おう、もちろんさ。
家康から寺法保護のお墨付きをもらってたし、家光は、
祖父の家康を、非常に尊敬していて、千姫とも姉弟仲良かったし、
春日局も権勢を振るっていたからな。
加藤の殿様、女性パワーで潰されたんだな。
その後、加藤の殿様、幕府の圧力を受けたのか知らないけど、
堀主水の妻は許されて、殿様の家来でもあった、実家に戻ったんだって。
それがなあジャンヌ、昭和の時代に、会津の奥さんの実家の子孫が、
東慶寺を訪ねて来たそうだ。
先祖が昔、助けて頂いたお礼にと」
「まあ感激!
天秀尼様のご恩と感謝の思いは、ずっと子孫に受け継がれてきたのね。
ご本堂の天秀尼様にもお会い出来て、さぞかし喜ばれたでしょうに」
「びっくりしたり、喜んだりした東慶寺の住職が、早速会津を訪れたら、
奥さんの実家の菩提寺には、ちゃんと墓も残っててさあ、
事件当時の顛末も、書き残されていたそうだ。
会津藩のこの事件で、東慶寺の権威は不動のものとなり、天下に響き渡ったんだ。
天秀尼の功績、大きいだろ」
「それで大和尚と呼ばれたり、お墓も大きいのね」
「おう、それから、寺法保護の家康のお墨付きだけど、
東慶寺が調停した文書には、『権現様御声懸かり』の一文が入り、
絶対的な威力を発揮したんだ」
「なんか水戸黄門の印籠みたいね。
『この紋どころが目に入らぬか』ってね」
ジャンヌの奴、チョーご機嫌で、助さんの例のポーズをまねてくれた。
俺とジャンヌは、墓の後ろを回りながら、刻まれた文字を追い、
「豊國神君之なんとか子かあ……」
「正二位右丞相(=うしょうじょう)
秀頼公之息女也……秀頼公って、官位も高く、右大臣だったのね」
「ジャンヌこれ、うしょうじょうって読むんか。
ジャンヌさすがだな」
「右大臣の、唐の国の呼び方ね」




