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紫をまとういと高き天使  作者: げんくう
第10章 沖縄戦《高女学徒隊》
86/105

【荒崎海岸(ひめゆり学徒隊散華の跡)】

「なあジャンヌ、小池隊長、長野県の佐久市出身って、

比嘉さん言ってたよな。

 俺の亡くなったおじいちゃん、佐久市出身だろ。

 それに野沢中学って、なんか聞いたような気がするんだ。

 もしかしたらおじいちゃん、同じ中学の後輩かもしれない」


「え! ほんと?」


「オトウさあ、毎年8月のお盆前に、墓掃除に行ってるんだ。

 今年は仕事で行けなかったみたいだけど、

俺も何回か墓掃除に行ったことあるんだ。

 家、お墓、多聞院さんと、長野の本家の墓地にも、

分骨してお墓があるんだ。

 来年のお盆に、墓参りとか掃除があれば俺も行くから、

その時、小池隊長のお墓にもお参りしてこようかな」


「わ、いいな。私も行きたいな。

 お墓のお掃除でもなんでもするから、お父様に、

私も連れて行って下さるよう、お願いしてもらえる?」


「え! ジャンヌも行くの?」


「オズぅ、ダメぇ?」

「いや、ダメじゃねえよ。

 オトウ、ジャンヌが一緒に行きたいっていったら、

すげー喜ぶぜ。絶対。

 それにオトウ、ジャンヌに美術館で、

おじいちゃんの絵、見せたいって言ってたぜ」


「ほんとう、嬉しいな。

 あ、ごめんなさいモンチ」


 ゴリが、こちらを見ながら、比嘉さんと話している。


「ジャンヌ、これで今日回れる慰霊碑は全部回ったな。

 あとは次回だな。もう夕方だし」


「今日はありがとうモンチ。今度はジュリも誘ってね」


「なあジャンヌ。

 今日比嘉さんに慰霊碑案内してもらって、

すげーよかったじゃん。

 なんかさあ、慰霊碑で、看護隊のみなさんに会えて、

ほんとによかったな」


「ほんとに。比嘉さんに大感謝です」


「いえいえ。こちらこそです。

 大橋さんはじめみなさんに、学徒隊の慰霊碑にお参りしていただいて、

とても素晴らしい供養になったと思います。

 なにかみなさん、特別な高校生というか、高貴な感じがしますし、

言葉では言い表せませんが、

天使と天使を護る騎士団みたいに感じました」


「お誉めに預かり光栄です」


「俺たち騎士団ですか?」


 ゴリも照れた顔してる。


「先ほど大橋さん、天を仰いで、

大天使ミカエル様がどうのとか仰ってましたよね?」


「はい。

 大天使ミカエル様は、私を指導されている守護天使なのです。

 私は大天使ミカエル様から、《平成の祈り》という祈りを授かりました」


「そうだったのですか。

 やはり大橋さんは、特別な方だったのですね。

 天からの使者みたいですね。

 それで解かりました。納得しました」


 比嘉さんは、ジャンヌの話を、素直に信じてるみたいだ。

 普通は、はあ? 何言ってるんですか? 

 理解できません! ってなるんだろうけど。


 ジャンヌは、階段の上の、本堂らしき建物を見上げると、


「最後にお参りしていきましょう」


 階段を上がり、《平成の祈り》を捧げてきた。


 階段を下りてくると比嘉さんが、


「積徳高女は、大正時代に当初、このお寺の庫裏で、

和裁とか家政を教えたいたそうです。

 昭和になって、モノレールの美栄橋駅の近くに校舎を新築しました。

 また本堂の裏には、二階建の立派な寄宿舎がありまして、

この建物は戦災でも残り、米軍が接収して使っていました。

 花薗寮といいまして、遠方で、通学出来ない生徒とか、

離島出身者も多かったですから。

 だいたいどこの女学校も、寄宿舎がありましたね。

 離島で既に、帰省出来なくなった生徒さんたちは、

ほとんど学徒隊に参加したようです。

 それから、ひめゆり学徒隊は、引率の教師がいましたから、

事情がある1、2年生でも、また、3、4年生に姉がいる生徒さんとか、

炊事の手伝いをしたりして、行動を共にした生徒さんもおられました。

 ひめゆりの資料館には、そういった事情のある生徒さんで、

亡くなった1、2年生の方の写真も展示されています。

 一高女では、学年ごとに髪型が決まっていて、

一年生はおかっぱでしたから、写真を見ると、

まだいたいけな小学生のようで、涙なしでは見られませんね」


「そうでしたか。

 まだ中学生の年代ですから、悲惨でしたね。

 次回、資料館で拝見させて頂きますね」


「大橋さん、次回慰霊に来られた時、これは私のお願いというか、

ぜひ大橋さんに、行っていただきたい所があるのですが」


「はい、もちろん行かせて頂きます。

 比嘉さんのお望みなら、どちらなりと。

 慰霊碑ですか?」


 なんだろう? 

 比嘉さんのお願いかぁ。

 ゴリと顔を見合わせた。


「はい。次回訪問を希望されています、魂魄の塔、

金城和信先生が、初めて建立した慰霊塔ですけど、

その先に、荒崎海岸という海岸がありまして、

そこでひめゆり学徒を率いた先生ら、10名が自決してなくなりました」


 ジャンヌは合掌しながら、

「そうなのですか。ぜひご案内して頂けますか」


「ありがとうございます。

 大橋さんに祈ってもらえたら、亡くなったみなさんも、

どんなにか喜ぶかと思いまして。

 今日一緒に慰霊碑を回りまして、今ふと思いましたものですから」


「いえいえこちらこそ。宜しくお願いします」


「それというのも、ひめゆり平和資料館に展示されていますが、

一高女が胸につけた、校章の遺品を思い出しましてね」


「校章ですか?」


「はい。

 一高女の校章は、白い百合の花があしらわれており、

学徒たちはみな、校章に誇りと愛着を持っていました」


 比嘉さんは、自分の胸を指差しながら、ジャンヌの胸の校章を見て、


「大橋さんも付けていらっしゃる、それです」


 ジャンヌも右手で、自分の校章に触れながら、


「私もこの校章、スクールカラーの古代紫があしらわれていて、

お気に入りなのですよ」


「古代紫ですか。素敵な色ですね」


「ありがとうございます。このリボンも古代紫なのですよ」


「そういえば、紫は最も高貴な色でしたね。

 それも古代紫ですか。

 いやー大橋さんにぴったりな色ですね。とてもお似合いですよ」


 ジャンヌは喜びで、目をキラキラさせている。


「それから、ひめゆり学徒たちですけど、

6月18日に解散命令が出て、第三外科病棟の学徒たち以外は、

18日の夜から、次々壕を脱出していきました。

 脱出にあたっては、それまで大切にしまっておいた制服に着替え、

これも、みんなが最も大切にしていた校章を胸に付けました」


「当時の高等女学校の生徒さんにとって、校章の重みって、

今以上に重たかったのでしょうね」


「それはそうですね。先ず、高等女学校へ行ける家庭の方が、

少なかったでしょうから。

 それからみなさん、制服へも憧れがありましたね」


「心の拠り所っていうか、自分自身への誇りそのものだったんだな。

 俺さあジャンヌ、あらためて校章見ると、古代紫、かっこいーよな。

 俺、今までリボンばっかかっこいーって思ってたからさ」

 

「先生に率いられた学徒たちは、海岸線を逃げて行きます。

 途中、足がすくむような断崖を進み、逃避行の苦しさから、

何度も先生は、学徒たちから自決を迫られましたが、

そのたびに励ましていました。

 なんとしても、学徒たちを生かしてあげたかったのでしょう。

 最後は荒崎海岸に追い詰められ、

米軍の銃の乱射を受けながら、手榴弾で自決しました。

 米兵が現れたその時、至近距離から撃たれる直前、

左に避けた二人は無傷で、手榴弾を持って、自決しようとした瞬間、

友人に止められ、米兵が手榴弾を取り上げ助かりました。

 銃を突きつけていた米兵が、銃を降ろすと、

一転陽気になり、スクールガール、スクールガールと、

無邪気にはしゃいでいる様子は、それまで鬼畜と教え込まれていた、

米兵の姿とのギャップに、意識が一変しました。

 右に避けた先生のグループを見に行くと、

そこは鮮血を岩に染めた友人たちの姿で、

二人は茫然と泣き崩れるのでした。

 米兵は、まだ生きている重傷者を、懸命に救助していました。

 その人道的な姿には、また驚かされました。

 6月21日のことでした。

 そこでは結局、一高女7名と先生、卒業生、

二高女の生徒10名が亡くなり、

『ひめゆり学徒隊散華の跡』の石碑を岩に埋め込み、

その他、付近で亡くなった教職員、学徒たちも名前が刻まれ、

一緒に祀られています」


「わかりました比嘉さん。

 またみなさんが、天界に昇られるようお祈りさせて頂きます」


「大橋さん、ぜひ祈ってあげて下さい。

 話が最後になりましたけど、数年前に、

その自決した海岸の現場近くで、一高女の校章が、

64年ぶりに発見されました」


「そうだったのですか! 感激ですね」


「はい。

 付近を遺骨収集されている方が、偶然岩陰に落ちていた、

金属の破片らしきものを拾ってみると、一高女の校章だったそうです」


「そうですか。

 それでは天使となられた、ひめゆりの学徒隊のみなさん、

制服の胸に、校章がキラキラ輝いていらっしゃいますね。

 きっと」


「大橋さん、きっとそうですよ。

 私も大橋さんにお話ししてよかった。

 なにか胸のつかえがとれた感じです。

 いやーありがとうございます」


「またまた素晴らしいお話し、ありがとうございました」


「いやいや、私の思いつきで、またまた話しが脱線してすいません」


 比嘉さんはゴリを見ながら、


「大田さん、私、何の話していました? すいません」


「花薗寮の話しでしたか……離島がどうのとか、帰れなくなったとか」


「ああ、そうでした。航海の話しですね。

 それでも、制海権を奪われた船旅は、命がけでした。

 魚雷で沈められた時に備えて、漂流出来るように、

甲板に材木を積んでおき、サメに襲われないよう、長い白い布と、

缶詰などの食糧が必需品として、身に着けて航海しました」


「いやー、よっぽどのことがないと、

怖くて船に乗れませんでしたね」

 ゴリも顔をしかめている。


「学業の方は、昭和19年10月10日の大空襲以降、

高射砲の陣地とか、防空壕づくりだとかで、

県内の女学校の生徒は、勤労動員に駆り出され、

勉強どころではなくなりました。

 看護教育は、昭和20年の1月25日に、

瑞泉学徒看護隊の首里高女と、でいご学徒看護隊の昭和高女の2校が、

トップを切って始まりました。

 ひめゆり学徒隊の、一高女の生徒さん達の中には、

ライバル心もあってか、首里高女たちに先を越されて、

先生に自分たちも早く、看護教育を受けさせて欲しいと、

催促していた生徒さんもいたみたいです。

 当時は皆、軍国少女になっていましたから」


「なんか、今から見ると、悲しいライバル心でしたね。

 一高女は、トップ校としてのプライドもあったのでしょうね」


「モンチ、みなさんきっと、純粋に、お国の為に早くお役に立ちたい。

 そのさきがけになりたいという思いだったのでしょうに」


「そうですね、大橋さん。

 事実、生徒さんの中には、親の反対を押し切ってか、

後から南風原の野戦病院壕へ、直接駆けつけた生徒さんも、

何人かいましたから。

 仲間も裏切れなかったのでしょうに。

 なんといってもひめゆり学徒隊は、規模も大きく、

校長以下、引率教師もいて、先生の目がゆき届いていました。

 派遣先も、第32軍直轄の陸軍野戦病院でした。

 その他の学徒隊、白梅とふじの看護隊は、第24師団へ、

瑞泉とでいごの看護隊は、第62師団へ、

それぞれの野戦病院へ配属になり、

いずれも引率の教師は追い返されましたから、

心細かったと思います。

 ふじ学徒だった大里ハルさんは、中国戦線で、

父を亡くしていました。

 壕内で、父と同年代の重傷の傷病兵を看護している時、

亡くなった父と重なり、思わず泣いてしまいました。

 それを見た衛生兵が、軍の中にあって泣くとは何事かと激怒し、

厳しく注意され、以後二度と泣かない旨の、

誓約書まで書かされたそうです。

 そんな大里ハルさんも、終戦後、沖縄が落ち着きを取り戻した頃、

故郷の宮古島へ帰れることになりました。

 小さな船には、学徒看護隊と、鉄血勤皇隊の生き残った人達と、

数人が乗り込んでいました。

 港に着くと、大勢の人に出迎えられ、

地元に帰り、母と抱き合って再会を喜び合ったそうです。

 母は毎日、朝から晩まで、

ハルさんの無事を祈っていたそうです」


「祈りは光となって、時空を超えて飛んでいきますから。

 きっとお母様の愛念の光りが、ハルさんを包んで、

護っていたのでしょう。

 ハルさんの三つ編みが、身代わりとなって助かったのですね」


「大橋さん、山口県の徳地というところに、

弾除け神社として、戦争中、多くの人が参拝した、

三坂神社という神社があります。

 日露戦争の折、村の若者が、この神社で祈願を受けて出征したところ、

全員無事で帰還できたことから、有名になりました。

 ですから、戦争中は全国から、出征した家族の無事を祈願しに来られ、

最盛期には、一日800名を超える参拝者を数えました。

 最寄りの駅から神社まで、延々と列が続き、

奉納された写真も、2万枚を超えていたそうです」


「皆さん戦争に行かれた家族の無事を、藁をもすがる思いで、

切実に願っていらしたのですね」


「そうでしょう。

 ですから、三坂神社は、山口県の田舎にありますから、

参拝に行くのも当時は大変だったと思います」


「そうした残された家庭の妻や、母は、

きっと毎日陰膳を据えていたのでしょうに」


「ジャンヌその陰膳ってなに? 

 ゴリ知ってた?」


「ああ。出征とか、旅行で不在の人の無事を願って、

ちゃぶ台ならいつも座ってた場所に、

その人の茶碗とか箸を据えるんだよ」


「そうね。陰膳は、愛念でもあり、祈りでもあるから、

やはり光となって飛んでいくでしょうから」


「そっかー、知らなかった。

 昔はいい風習が残ってたんだな。

 ところで比嘉さん。

 三坂神社の弾除けの効果はどうだったんですか?」


「さあ、それは……生還者は沢山いらしたそうですが。

 それなりの効果はあったと思いますが。

 でも大澤さん、昭和19年の7月7日、

サイパンで日本軍が玉砕した日ですが、

三坂神社の拝殿の床が、参拝者の重みで崩れ、

同時に境内の大木が真っ二つに裂けたそうです」


「え! そうなんですか。

 なんか、神様の光明と、

戦争の業火とのぶつかり合いみたいでしたね。

 大木が裂けて、身代わりになったのかもしれませんね。

きっと、大木のお陰で助かった人もいたんでしょうに」


「出征する時は、歓呼の中で、万歳万歳で見送られましたけど、

生きて帰れとは言えぬ雰囲気の中で、家族の心中は、

やはり無事でいて欲しい思いだったのでしょう。

 あ、話が脱線してすいません。

 ハルさんの三つ編みが吹き飛んだ話しでしたよね」


「はい。

 それにしてもハルさんは、お母様と再会出来てよかったですね」


「小池隊長も、父を亡くしていたハルさんを、

ことのほか気にとめていたようです」


「小池隊長の優しさというか、思いやりの深い方だったのですね」


「小池隊長も、自分には君たちと同じ年くらいの娘がいると、

看護隊のみなさんに話されていたそうですから、

父親代わりと思っていたのでしょう。

 ハルさんの村では、生還を祝って、大宴会となったそうですが、

離島出身からの生還者は、港でも村でも、みな大歓迎だったそうです」


 比嘉さんは、両手を挙げ、

沖縄の喜びの踊りのポーズをとってくれた。

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