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紫をまとういと高き天使  作者: げんくう
第10章 沖縄戦《高女学徒隊》
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【牛島満司令官】

「結局、バックナー司令官からの降伏勧告文は、17日に司令部の、

牛島司令官のもとに届くのですが、一笑に付して、

はなから相手にされませんでした」


「え、せっかく届いたのに、なんで検討しなかったんですか?」


「オズさあ、日本の帝国軍人には、『降伏』のふた文字はないんだよ。

 陸軍刑法で、司令官の降伏は死刑なんだ」


「そうです。

 降伏などしたら、即刻解任されてしまいますし、

だいいち参謀たちが、絶対承知しませんから」


「比嘉さん。

 バックナー司令官からの降伏勧告文では、牛島司令官に対し、

尊敬というか、親愛の情が感じ取れるのですが、

牛島司令官って、どのような方だったのですか?」


 俺もジャンヌと同じように感じた。


「牛島司令官ですか。

 沖縄では、評価が二つに割れていますね。

 批判されている方は、県民を巻き込んで、

多くの犠牲者を出したことや、降伏勧告を受け入れなかったことなどです。

 牛島司令官の自決によって、米軍の、無差別な殺戮が終了しましたし、

その後の投降により、多くの人が助かったのも事実ですから。

 でも、みんなが一致して認めているのは、温厚で、偉ぶることのない、

人格者だったことは認めています」


「わー、それでは、日米の司令官は、

人間的にも最高の人材同士だったのですね」


「そうですね。

 牛島司令官は、陣地を構築している現場にもよく足を運び、

鉄血勤皇隊の学徒へも、気軽に声をかけたり、

裸足で作業している学生へ、靴を持ってきてやったりしたそうです。

 また、師団長時代の、中国の戦線では、同じく現場を視察中に、

民家に病気で一人、逃げ遅れた老母に中国語で話しかけ、

自ら背負って帰り、医療班へ治療させたりしたそうです。

 そう言った牛島司令官の、人柄を示すエピソードは、

かつて沖縄戦で戦った兵士の方から、いろいろ聞かされました。

 その生い立ちにおいても、バックナー司令官と共通することが多く、

牛島司令官も、鹿児島県の士族の家系で、

父は幼少の時に亡くなりましたが、陸軍の軍人でしたし、司令官も、

陸軍では、教育畑を歩み、陸軍士官学校の校長も務めていました」


「それでは比嘉さん、戦争がなかったならば、

お二人とも、親しい友人同士になっていたかもしれませんね」


「それが大橋さん、もう大分前ですけど、

バックナー司令官の奥さんが来日して、沖縄に来られたのですが、

その時、牛島司令官の奥さんと一緒に、摩文仁の丘へ行き、

司令部跡の牛島司令官の慰霊碑に祈りを捧げられました。

 牛島司令官の奥さんは、真栄里のバックナー司令官が亡くなった地に同行され、

その跡に建つ慰霊碑に、やはり供養されたそうです。

 奥さん同士は和解し合っていたようです」


「なにかとってもいいお話しですね。奥様同士は恩讐を超えられて、

イエス様が仰られた《汝の敵を愛せよ》を、

そのまま顕わされていらっしゃいますね。

 素晴らしいですね。

 天国では、司令官のお二人とも、お友達になっていらっしゃいますね。

 きっと」


「牛島司令官は、昭和19年9月に赴任すると、

早速沖縄県知事と、住民の生命の安全を念頭に置き、

県外疎開や北部地域への避難を話し合っていました。

 日本軍は、前年のサイパン島での玉砕に際して、

民間人も多数巻き込んでしまいましたから」


「サイパンでは、女性がバンザイクリフから、

身を投げたりしたんですよね」


「そうです大田さん、ここ沖縄でも、女性は敵に捕まると、

辱めを受けると叩きこまれてきましたから。

 ですからみんな、死を選んだのですね」


「7月にサイパンが陥落すると、東條内閣は、直ちに臨時閣議を開いて、

60歳以上の老人と女性、15歳未満の子供を、

本土及び台湾へ疎開させることが決定されました。

 疎開にあたっては、荒井退造警察部長が指揮をとり、

全警察官を使って、一軒一軒訪問して、県外疎開を勧めていきました。

 学童の疎開にあたっては、牛島司令官の赴任前の8月、

対馬丸事件がありましたから、県外への疎開に、

ブレーキがかかってしまいました」


「比嘉さん、その対馬丸事件ってなんですか?」


「オズ、九州に疎開する、小学生を載せた船が、米軍の潜水艦に、

魚雷攻撃を受け撃沈され、ほとんど亡くなったんだよ。

 そうですよね、比嘉さん。

 私アニメで観たことあります」


「対馬丸は、学童約800名を含む1800名を乗せていましたが、

約1400名が亡くなりました。

 学童の生還は59名だけだったそうです。

 その後、10月10日に、那覇に大空襲がありまして、

それからまた県外への疎開が加速し、20年3月までに、

沖縄本島から九州に6万人、

八重山諸島、宮古島等から台湾へ2万人が疎開しました。

 

 20年1月に、島田叡(=あきら)県知事が新たに赴任し、

ここに沖縄県の、対米戦に備える人材が揃ったのです。

 島田知事は早速、それまでぎくしゃくしていた、軍との関係を修復し、

荒井警察部長とのコンビにより、住民の疎開と避難を、

よりいっそう進めました。

 また、台湾へ、備蓄米の確保のため、自らの危険を省みず行かれ、

成功しています。

 その姿勢は、県民の立場に寄り添ったもので、

県職員も、知事に全幅の信頼を寄せていました。

 そんな島田知事でしたが、牛島司令官の自決後、

数日後に、摩文仁の壕で自決されました。

 島田知事は、官選の最後の沖縄県知事となりましたが、

東大在学中は、野球部で活躍するスター選手でした。 

 沖縄県民は、島田知事の功績を讃え、

高校野球の、夏の新人戦の優勝校には、

島田杯が授与されるようになりました」


「島田知事は、死して名を残されて、

いまだに沖縄の高校球児たちに、その名を讃えられているなんて、

よっぽどりっぱな人だったんですね」


「大田さん、話が飛んですいません。

 結局、米軍の侵攻前の3月までに、県内の疎開では、

北部へ15万人が避難しました。

 日本軍は、北部には、わずかな守備兵しか置きませんでしたから、

米軍が北部へ侵攻しても、大規模な戦闘も起きず、

すぐに北部を制圧できました。

 制圧後米軍は、北部に大規模な収容所を作り、

投降した避難民をそこに収容していきました。

 第32軍司令部の、八原博通作戦参謀は、

アメリカでの駐在武官の経験があり、アメリカを熟知していたので、

住民が投降しても、人道的な扱いを受けると認識していました。

 八原参謀の作成した、住民の北部避難の作戦は、

牛島司令官も非常に喜んで、北部避難民へ対しては、

軍の貯蔵食料を供出する考えだったそうです。

 また、牛島司令官は、首里の撤退にあたっては、

住民を戦闘から隔離すべく、知念半島に住民を避難させ、

非武装地帯とするよう、軍使を米軍に送り、

バックナー司令官に申し入れ、了承されました。

 この作戦は、司令部直轄の千早隊を使って、

各部隊へ命令の伝達を行ったものの、首里撤退の混乱のなかで、

伝令の千早隊が、スパイ扱いされる騒動もありました。

 また、通信機能も支障をきたし、思うように伝達が進まぬまま、

住民の南部への退避の流れを変えることができませんでした。

 千早隊は、沖縄師範の鉄血勤皇隊のメンバーで構成され、

主に伝令とか、情報活動を担当していました」


「じゃあ、牛島司令官も、住民の隔離を考えていたんですね。

 バックナー司令官も了解していたなんて、

そこで休戦の機会もあったのでしょが、残念なお話ですね」


 ゴリが後ろを振り返りながら、残念そうな顔している。


「鉄血勤皇隊って、軍隊と共に、戦場にどっぷり浸かっていたのですね」


「はい、徴兵は、終戦近くには、満17歳以上に引き下げられ、

17歳以下は志願制でしたから、師範学校と県内の中学生に対しては、

志願という形をとりました。

 前線での勤務も多く、死亡率も高かったのです。

 沖縄師範の学生は、386名動員され、244名亡くなっています。

 一中の生徒は、371名動員され、210名、二中の生徒にいたっては、

144名動員中127名が亡くなっています。

 一高女の親泊先生の弟も、二中の二年生で、通信隊でしたが、

4月29日、艦砲射撃の直撃を受け、

壕もろとも吹き飛ばされ、亡くなったそうです」


 ジャンヌが合掌し、目をつぶってから、


「中学2年生ですか、痛ましいですね。

戦死された、二中の生徒さんの、慰霊碑はあるのですか?」


「はい、二中健児の塔というのがありまして、

二中は戦後、那覇高校として存続しましたから、

一中は首里高校となり、一中健児の塔が、

三中は名護高校として、高校の敷地内に南燈慰霊之塔として、

三高女の名護蘭学徒隊の戦没者のみなさんも、一緒に祀られています。

 その他にも、同じように動員され、犠牲となった県下の、

中学校や専門学校の学徒さんの慰霊碑が建立されています」


「なあゴリ、次来たら、一中や二中の健児の塔とかもお参りしたいよな」


「おう、そうだな」


「男子の場合は、軍服を与えられ、入隊後、遺書を書かせられ、

髪と爪を一緒に提出させられましたから」


「遺書ですか? 特攻の兵士みたいですね」


「そうです。

 大田さん、その特攻ですが、当時の学徒たちに、

勇気と感動を与えてくれたそうです」


「っといいますと?」


「まず特攻の戦果ですが、米軍の艦船を36隻沈めていますが、

その他の船舶にも大きな損害を与え、航空機も800機近くを破壊し、

水兵等5000人近くが亡くなっています。

 米軍の、陸上での死者が7000名ちょっとでしたから、

それと比べると、特攻による死者の数は多かったですね。

 特攻機は、1900機程が出撃し、3000名近くが搭乗して、

ほとんどが命を落としました。

 特攻隊員の死亡より、米軍の海上での死亡者の方が、

圧倒的に多かったわけです。

 米国海軍を恐怖に陥れ、精神的なダメージも、

大きく与えていました。

 なによりも、学徒たちには、特攻による攻撃が、

沖縄を逆転勝利へと導く一筋の光にも思え、

先生や、日本兵から励まさられていましたから」


「比嘉さん、特攻による成果というか、

実態をよく知らなかったのですが、沖縄からの視点でみると、

自分たちのために、尊い命を捧げてくれる、特攻隊員に対して、

尊敬と、感謝と、感動していたんでしょうね」


「そうでしょうね、4月6日には、戦艦大和が、

山口県の徳山を出港し、沖縄に向かいました。

 戦艦大和は『一億特攻のさきがけとなれ』ということで、

沖縄を救うべく、特攻攻撃に向かったのです。

 沖縄本島の海岸に突入座礁して、陸の要塞として砲撃する計画でした」


「え! まじですか? 

 当時既に、米軍に制海権も制空権も奪われて、

沖縄まで着くのは不可能な気がしますが」


 思わず俺は、後ろから口を挟んでしまった。

 素人の俺が考えても、荒唐無稽で、無謀な作戦に思えてしまう。


「そうですね。

 でも大澤さん、海軍は、本気で沖縄上陸を考えていました。

 ですから、沖縄への救援物資も満載していましたから。

 また海軍では、沖縄県民への配慮として、日用品でも、

50万人分の歯磨きと歯ブラシ、25万人分の美顔クリーム、

それに女性のメンスバンド15万人分も。

 これらを極秘に調達し、積み込んでいました。

 それから、現地での兵隊の給料の支払いに備え、

莫大な現金も積んでいたそうです。

 でもやはり、翌日の4月7日に、米軍の大機動部隊の猛攻撃を受け、

午後2時過ぎに撃沈され、乗組員等約2700名が亡くなりました。

 食糧、救援物資諸共海の底へ沈んでしまいました」


「沖縄には、米軍の空母を含む大艦隊と、飛行場も使えたでしょうから。

 それにしても、一億特攻のさきがけとは、

なんか、悲壮感が漂いますね」


「ねえモンチ、沖縄戦って、沖縄の方々と、日本兵だけの、

孤立した戦いではなかったのね。

 戦艦大和の方々だけではなく、特攻の若い方々も、

沖縄を護るために、日本を護るために命を捧げて下さったのね」


「大橋さん、鹿児島県の知覧に特攻基地があったのですが、

地元の知覧高女のみなさんは、校章のなでしこの花から、

知覧高女なでしこ隊として、特攻隊員への、

洗濯とか針仕事の、身の回りのお世話をしたそうです。

 出撃の際には、桜の枝を折って振り、

見送った映像が残っています」


「なにか目に浮かんできますね。

 送る方も、送られる方も、

みなさん純粋な心をお持ちだったのでしょうに」


「こうした特攻の応援もむなしく、6月23日を迎えたのでした。

 その前に、海軍の方は、那覇空港の近くにあった司令部壕が、

米軍に包囲され、6月13日に、海軍司令部壕で、

大田実(=みのる)司令官が自決されています。

 この大田司令官も立派な方で、6月6日には、海軍次官宛てに、

沖縄県民の奮闘を称え、最後に

『……沖縄県民斯く戦えり。

県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを』

 の電文を打たれました。

 牛島司令官も、住民保護の思いが果たせぬまま、

住民を戦闘に巻き込んでしまったことは、慙愧に堪えなかったでしょう。

 バックナー司令官と、お二人とも、不本意な結果に終わりました」


「比嘉さん。

 私、いろいろお話をお聞きして、両司令官とも、

住民の保護に心を砕き、教育者であり、

人格者でもいらっしゃったことが理解できました。

 ありがとうございました。

 私、改めて沖縄戦では、日本には牛島司令官を、

アメリカにはバックナー司令官を配され、

最後に島田知事を配されたのは、

まさに天の采配だったと思えてきました」

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