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紫をまとういと高き天使  作者: げんくう
第10章 沖縄戦《高女学徒隊》
83/105

【サイモン・バックナー司令官】

 駐車場に戻ると、小さなトイレがあった。


「ちょっと待ってて、俺トイレに行って来る。

 ジャンヌは?」


「私は大丈夫。ありがとうオズ」


 トイレから戻ると、比嘉さんから、この近辺の説明を受けていた。

 俺が戻ると、早速車に乗り込んで出発だ。


「この近辺は、国吉といいまして、この先の真栄里地区と並んで、

日本軍が最後の組織的な戦闘を行って、壊滅した地区なのです。

 先程の、白梅の塔の近くに、萬魂の塔という慰霊碑がありますが、

戦後、国吉の住民が、この地に散らばっていた遺骨を収集し、

供養したものです。

 約4000柱祀られています」


「4000柱もですか。

 白梅の看護隊のみなさんって、

戦場の真っただ中にいらしたんですね」


 ジャンヌが合掌しながら、悲愴な顔で、外を眺めている。


 車に乗って、少し進むと、


「ここ真栄里地区には、栄里の塔がありまして、

そこには同じように、地元の住民が遺骨を収集され、

約12000柱祀られています」


「それなら比嘉さん、この辺りは、死体だらけだったんでしょうね。

 この景色からは、想像もできませんね」


「それで慰霊碑が多いんだな、な、ゴリ」


「大田さん、ずゐせんの塔の道を、海岸の方へ進みますと、

米須原というところがありまして、『平和創造の森公園』があります。

 この地区も、米軍に追い詰められた日本兵と住民が、

海と空と地上から総攻撃を受けまして、屍が累々としていたそうです。

 この米須原の地に、終戦の翌年の1月、米軍は、

真和志村民を、食糧増産のため移住させ、開墾にあたらせました。

 当時はまだ、遺骨が散乱していましたので、

遺骨の収集を願い出ましたが、米軍は当初、慰霊の祭祀が、

反米感情等につながるのを恐れ、許可をしませんでした。

 ところが開墾にあたり、次から次と遺骨がでてくる有様で、

再三の願い出により、やっと許可がでました。

 その時、村長として、住民を説得して、

遺骨収集を進めたのが、小学校の校長をされていた、

金城和信(=きんじょうわしん)先生だったのです。

 集められた遺骨は、35000体にものぼり、

2月に魂魄(=こんぱく)の塔と自ら名付けられ、

軍人、民間人、敵味方、国籍を問わず、祀られました。

 この魂魄の塔が、沖縄での最初の慰霊塔となりました。

 金城和信先生は、お嬢さんを二人、

ひめゆり学徒隊で亡くされていまして、

お嬢さんたちの足跡を探している中で、

今のひめゆりの塔の下にある、第三外科壕を発見されたのです。

 そこでも学徒たち等の遺骨を収集され、

自らひめゆりの塔と名付けられ、墨書されました。

 金城和信先生が『ひめゆり』と書かれた慰霊碑は、

今の慰霊碑の右手前にひっそりと残っています。

 これが2番目の慰霊碑です。


「あ、私見ました。

 石碑にひらがなで『ひめゆり』と書かれていた、

小さな石碑でしたけど。

 あれが亡くなられた学徒隊の、お父様の書かれた、

最初の慰霊碑だったのですね。

 今度来たときには、お父様もご一緒にお祈りさせて頂きます」


「そうです。

 そして、その年の4月に初めて慰霊祭が行われました。

 金城先生は続いて、沖縄師範の、

鉄血勤皇隊が自決した壕の近くに、

沖縄師範健児の塔を建立されました。

 これ以降、各地に慰霊塔が建立されていったのです。

 沖縄の戦後は、遺骨収集から始まっているのです。

 遺骨の収集は、今でもまだ続いています」


「それじゃあ、沖縄の戦後は、まだ終わっていませんね。

 俺は今度は、沖縄師範健児の塔にお参りしたいな。

 いいだろジャンヌ」


「もちろんよモンチ。

 私もお参りしたいわ。

 女学生だけじゃ、片手落ちになるものね」


「ジャンヌ俺は、金城先生が初めて遺骨収集された、

魂魄の塔にお参りしたい」


「うんうん。オズ私も」


「みなさん嬉しいこと仰いますね。

 そういえば大橋さん。

 魂魄の塔には、晩年を遺骨収集に捧げられた、

金城先生の遺徳を讃えて、先生の胸像が建っていますよ」


「え、そうですか! 

 それなら金城先生にお会いできるのですね。

 次に来る楽しみが増えました。

 比嘉さん、ありがとうございます」


「いえいえ。みなさん。

 今通ってきた真栄里には、この地で前線を視察中に亡くなった、

バックナー司令官の慰霊碑があります」


「バックナー司令官というと?」


「あ、大田さんもご存知ないですね。

 沖縄戦の、米軍の最高司令官だった人です。

 これがまた、日本にとって、というか、

沖縄にとって、惜しい人を亡くしてしまいました」


「比嘉さん、沖縄にとって惜しい人とは、

どういうことですか?」


「バックナー司令官は、アメリカ南部、ケンタッキー州の生まれで、

父は南軍の将軍として活躍しました。

 司令官が生まれた時は、父はケンタッキー州知事だったそうです。

 軍人としてのキャリアのなかで、ウエストポイント、

アメリカの陸軍士官学校の教官や校長まで務めた、

教育者でもあり、高潔な人柄で、みんなから慕われる、

人格者でもあったのです。

 バックナー司令官は、沖縄侵攻の数か月前から、

投降のビラの準備をさせていました。

 これは、心理作戦でもありました。

 バックナー司令官は、当初から、

民間人と軍とを分離させて戦いたいと考えていました。

 6月10日には、糸満あたりまで侵攻し、

日本軍を南部に追い詰めたところで、

すでに勝利を確信したと思います。

 そこで、日本軍に降伏を勧告すべく、

直ちに日系兵士を司令部に呼び寄せ、降伏勧告文を、

バックナー司令官自ら起草し、日本語に翻訳させました。

 6月10日、牛島司令官宛てに、この降伏文書を発信します。

 同時に文書にもして、空からも投函されました。

 日本軍からは、なんの反応もなく、12日、

同様の投降勧告の文書3万枚を散布し、

同時に投降ビラを20万枚散布しました。

 投降ビラは、住民・兵士が潜む海岸沿いを中心に、

壕にもビラを大量に投げ込みました。

 艦艇から海岸へ向けて、拡声器を使っての、

投降の呼びかけも実施しています。

 また、バックナー司令官は、日系兵士を集めて、

特に沖縄出身者には、沖縄方言で、

がまに立てこもっている兵士や民間人に対しても、

投稿を呼び掛けさせていました。

 又、『ヘルプ』と言ったら絶対撃つな、

という命令を徹底させました」


「そうだったのですか。

 たしかにいい人みたいですね。

 それで、投降ビラの効果はあったのですか?」


「大田さん、日本兵には、戦陣訓で、

『生きて虜囚の辱めを受けず』の教えが徹底されていましたから。

 なかなか効果の方は、でも12日から17日までに、

300名弱の軍人が投降して捕虜になったそうです。

 それが、バックナー司令官が亡くなってから、

米軍の対応が一変します」


 俺は思わず身を乗り出して、


「え、どうなったんですか?

 司令官はいつ亡くなったんですか?」


「米軍は、6月17日に、

国吉や真栄里地区の日本軍を制圧しました。

 この戦闘で、日本軍の組織的な抵抗は終わりました。

 翌日の18日に、バックナー司令官は、

真栄里に視察にやってきました。

 前日に制圧されたばかりの、最前線への視察だったのです。

 部下たちからは、まだ危険だから、

視察を止めるよう進言されても、聞き入れなかったそうです。

 それでも、ヘルメットだけは、

一般兵士用のに替えることは、了承したみたいです。

 真栄里地区に、小高くなってる場所があり、

そこに上がって眺めていたそうです。

 バックナー司令官の視察は、

日本軍の砲兵隊にも識別されていまして、

ジープが数台停まって、将校たちが視察しているのが、

双眼鏡で確認されました。

 砲兵隊は、そこに標準を定め、砲弾を発射しました。

 午後1時15分頃だったそうです。

 砲弾は、バックナー司令官の、近くの岩に当たって炸裂し、

飛び散った破片と岩石が、司令官の胸を直撃しました。

 司令官は、現場で緊急手術を施しましたが、

10分後には息をひきとったそうです。

 アメリカ軍で、司令官では最高位の戦死という、

前代未聞の出来事だったそうです。

 放った砲弾は、アメリカ軍が持ち帰りましたが、

後に、砲撃を命じた日本軍の隊長が、

アメリカに返還を求め、返還され、

今は靖国神社に収められているそうです。

 日本軍に対して、降伏を勧めるなど、

温情を示していたバックナー司令官の死亡は、

米軍を怒り狂わせました。

 翌19日から、それまでの、投降を促す対応から、

180度方針転換されました。

 米軍の全軍挙げての猛攻撃が始ったのです。

 高女学徒隊も、19日の明け方、

ひめゆりの塔の真下にある、第三外科壕にガス弾が投げ込まれ、

生徒35名、教職員5名の他、

軍医、看護婦等多数が亡くなったのを皮切りに、

沢山の学徒たちが命を落として行きました。

 司令官を殺された米軍は、復讐心に燃えさかり、

復讐の鬼と化しました。

 それまで日本では、鬼畜米英と呼んでいましたが、

その仕業は、まさに鬼畜米兵となってしまいました。

 特に、司令官が亡くなった、

真栄里地区や、隣の国吉地区への報復攻撃はすさまじく、

米軍は、バックナー司令官の視察が、

付近の住民の通報や協力によって、

砲撃されたと思い込んだのでしょう。

 この国吉地区では、投降した民間人も、

男性は皆、銃殺されたりしましたから。

 村の人口約470名のうち、

半分の200名以上が亡くなりました。

 一家全滅の家も多数でまして、

いまだに無人の家が点在しています」


「え、アメリカの軍隊って、

キリスト教の国の軍隊なのに、

そのような残虐なこと、行ったのですか?」


「ジャンヌさあ、戦うときは、

キリスト教も仏教も関係ねえよ。

 相手は復讐に燃え盛って、

すっかり理性を失ってしまってるんだから」


「そこが戦争の恐ろしいところだよ。

平和な時には考えられない、

恐ろしいこともしてしまうのさ」


「そうね、だから戦争は、してはいけないのね。

 オズやモンチの言うように、

人間が、人間でなくなってしまうのね」


 ジャンヌは合掌しながら、


「それでは比嘉さん、

国吉でお亡くなりになられた方は、

先程仰られた、萬魂の塔に、供養されているのですね」


「そうです。

 今日は、女子学徒のお参りだけかと思いまして、

ご案内しなかったのですが……」


「いえ、お気になさらないで下さい。

 今度来るときに、そういった慰霊塔も、

お祈りさせて頂きますね」


「そうですか、亡くなった御霊たちも、

さぞかし喜ばれるでしょう」


「ジャンヌ俺もお祈りしたい。

 悲惨だよな」


「みなさん、悲惨な話の最後、

続けてもいいですか?」


「はい、お願いします。

 俺たち、聞いておかないと。なあ」


 ゴリが後ろを振り向いた。


 ジャンヌは頷きながら、


「比嘉さん。お話し続けて頂けますか」


「そうですか、それでは。

 日本兵も民間人も、みんな逃げ場を失って、

海岸沿いに追い詰められました。

 海と地上から、人の気配のするところは、

砲弾や銃撃が雨あられと降り注がれ、

日本軍民間人見境なく殺されました。

 ですから海岸沿いは、死体だらけだったそうです。

 6月23日の、牛島司令官の自決と、

司令部の崩壊によって、やっと米軍も、

殺戮の鉾を収めました。

 その日から、再び投降作戦に転じ、

日系兵士による投降の呼びかけもあり、

軍民問わず、続々と投降していきました」


「そうだったんですか。

 なるほど。

 バックナー司令官の死によって、

多大な犠牲者が出たんですね。

 比嘉さんのお話しで、よく解かりました。

 確かに惜しい司令官でしたね」


「ジャンヌさあ、バックナー司令官も、

自分の死後、米軍が、自分の思いに反して、

住民も含む、大量殺戮は、非常に不本意だったろうにな」


「そうね。オズの言うとおりでしょうに」


 比嘉さんは、車を端に寄せて停めると、

ドアのポケットから、ビニールファイルをめくると、


「あ、ありました。

 これがバックナー司令官が発した降伏勧告文です。

 どうぞご覧になって下さい」


 ゴリがファイルブックを手渡された。


「これ、私のガイドのアンチョコなのです。

 今までに、かつて沖縄戦を戦った方々も、

沢山乗せてきて、いろんなお話を聞いてきましたから。

それから新聞の記事とか……」


「ゴリ、読んでみてよ」


  降伏勧告


 敬愛する第32軍司令官 牛島満中将閣下へ、

衷心より降伏を勧告いたします


① 貴殿の部隊は、勇猛果敢によく戦かわれました。

 又、貴殿の指揮ぶりには、我々の賞賛するところであります。


② 貴殿と私は、軍歴において、その長きにわたり、

 歩兵の戦術を学び、研究し、研鑽を重ねてきた、

 同じ歩兵畑の将帥として、密かに心を寄せてまいりました。

  しかるに、貴殿の軍隊は今、悲惨な状況に置かれ、

 援軍の望みのないことは、ご承知の通りです。

 ゆえに、日本軍の敗北は、もはや時間の問題と考えます。

  これ以上の抵抗は、大部分の将兵を失うことになり、

  このことは、貴殿も御承知の通りです。


③ 現在、我が米軍は、沖縄本島全域をほぼ押さえ、

 既に、日本本土への空爆基地として活用されています。

  貴殿の使命は、日本本土防衛のため、

 本島の航空基地の使用を阻止することと考えますに、

 既に貴殿の役割は終わっておられます。

  これ以上の抵抗は、本土防衛上無意味であり、

 終戦後、日本の再建を担うために、最も必要とする若者たちを、

 無駄に死なせてしまうことになります。


④ 指揮官たるものは、

 常に部下の将兵の幸せを考えねばならぬことは、

 歩兵の将帥として、貴殿は理解されておられると思います。

  既に勝敗が決定されている戦においては、

 将兵の命を救うことが、将帥の執るべき使命でもあり、

 尊敬に値するものであると考えます。


⑤ 私は、勝利を確実にするまで、攻撃の手を緩めません。

 しかしながら、我がアメリカ合衆国は、世界の民主的で、

 人道的な文明国の一員として、

 勝敗の決している戦において、

 相手をせん滅させることは望みません。

  よって、貴殿は直ちに休戦の交渉に入るべきと考えます。


⑥ 既に私は、貴殿と交渉する準備を整えております。

  交渉には、下記のように対応願いたい。

  本書面を受け取られた翌日の、午後6時に、

 貴殿の陣地内の、最も西海岸に近い場所で、

 地上及び空からよく見えるように、白旗を大きく掲げて下さい。

  同時に、6名以下の代表者を寄こして下さい。

  代表者は、直ちに我が司令部に案内し、

 そこで名誉と秩序をもった休戦案を提案いたします。

  又、貴殿からの提案は、貴殿の名声及び、

 階級を尊重した取り扱いをいたします。


⑦ 貴殿は、日本の戦国時代に、落城の前に、城兵を救うために、

 城主がとった行為を想起する必要はありません。

  貴殿は、人道的に、将兵を救う道をとるべきと考えます。


⑧ 尚、この電文の公式の書面は、英文によるものです。


 1945年6月10日


           第10軍司令官 サイモン・バックナー


 第32軍司令官 牛島満中将殿

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