【北鎌倉】
俺たちは、鎌倉駅では一番後ろの車両に乗った。
北鎌で結構降りる人がいて、線路沿いに歩いて行く。
少し進むとお墓に通じる路地がある。
「ジャンヌ、俺たちが生まれるだいぶ前に亡くなってるけど、
日本画家の前田青邨=(せいそん)って知ってる?」
「ええ、知っているわ。
《洞窟の頼朝》とか《細川ガラシャ》とか、歴史上の人物で有名ね」
「さすが元美術部、オトウがいってたけど、ここの奥に住んでたらしい」
「へーそうなんだ。
鎌倉って、日本画家の有名な先生が沢山住んでらしたわね。
私、日本画も好きで、お父さんとよく美術展、連れていってもらったわ」
線路沿いに進んで行き、駅のホームの一番後ろを過ぎたあたりに、
岩をくりぬいたトンネルがある。
入口に『好々亭』の赤い門がある。
ジャンヌはトンネルの前で、
「ねえオズぅ、この『こうこうてい』って、
会席料理とジンギスカンって書いてあるけど、行ったことある?」
「いや、今はもうやってないけど、オトウが昔、
おじいちゃんに連れて行ってもらい、ジンギスカン食べたんだって。
庭が広くて、ジンギスカンは、山小屋みたいな建物のなかで食べたんだけど、
輪切りにしたリンゴを焼いたのが美味しかたっていってたな」
「うんうん、なんか、リンゴ焼いたら、甘酸っぱくて美味しそうね。
今度焼き肉の時、焼いてみるわね」
「おう、オトウが若い頃、夜にはよく、接待用の黒塗りのハイヤーが、
よくあそこの権兵衛踏切、渡っていたそうだ。
食べに行った時も、芸者の奏でる三味線や唄が聞こえたそうだ」
「そうなんだ、オズのお話聞いたら、私、
ジンギスカン食べてみたくなちゃったけど、残念ね。
でもあの門、鎌倉らしく情緒があって、
門だけは残しておいてもらいたいわね」
権兵衛踏切を右に曲がると周りに誰もいなくなっていた。
少し進むと、左側の家を
「ここに作詞家の、なんてったかな、有名な、前住んでたんだ。
いつの間にか引っ越していたけど。
思い出せねえな。小説も書いてたな」
「ふーん、そうなんだ」
その先の右側を、
「ここら辺りに、高見順の家があったんだ」
「オズごめんなさい。私、高見順って知らないの。どういう人?」
「この人もだいぶ前に亡くなってるんだけど、作家らしいんだ。
オトウは、最後の文士っていってたな。
『如何なる星の下=(もと)に』っていう代表作があって、始めに
『高山樗牛=(ちょぎゅう)1871~1902』の詩が載っているんだ。
俺も読んだことないんだけど、
オトウがここを通るたびにその詩を口ずさむんだ。
『如何なる星の下に生まれけむ、われは世にも心よわき者なるかな。
暗にこがるるわが胸は、風にも雨にも心して、
果敢なき思いをこらすなり……』ってね」
「わーオズ、すごーい。ロマンチックな詩ね」
「俺、小さい時から、ここ通るたびにオトウが口ずさむから、
憶えちゃったんだ。この先は憶えてないな。
オトウなら知ってるよ。いまだに口ずさむんだから」
「へーえ、オズのお父様って、ロマンチストなのね。
詩を口ずさむなんて、素晴らしいわ」
「ああ、オトウ、ああ見えても、昔は文学青年だったらしいんだ。
だからさっきの、高見順の墓へも、東慶寺へよく通ったっていってた。
あ、ジャンヌ、東慶寺って知ってたか?」
「いいえ、有名なお寺なの?」
「ああ、駆け込み寺とか縁切り寺とかいわれてさ、
昔は女性から離縁できなかったから、東慶寺に逃げ込んで
一年か二年経つと、離縁が認められたそうなんだ」
「なんかその話し、聞いたことあるわ」
「だろう、北鎌の駅前の鎌倉街道、鎌倉方面に少し行くと、右側にあるんだ。
高見順の墓は、いよいよ一番奥の左の高いところにあるんだ。
墓には『如何なる星の下に』の詩が石碑に刻まれていたな。
墓にはノートと鉛筆が置かれていて、お参りに来たファンが、
各自の思いをつづっていくんだ」
「オズ、詳しいわね」
「俺ん家、毎年正月に、叔父さん一家が年始の挨拶に来るんだ。
オカアの弟なんだけど。
いとこも二人いてさ、俺ん家来る前に、午前中鎌倉見物して、
昼を家で食べるんだ。
だから鎌倉の観光名所はだいたい行ってるな」
「そうなんだ。それで東慶寺へも行ったことあるのね」
「ああ、俺さあ、ジャンヌに連れてってやりたい寺があるんだ」
「えっ、オズが? 私に? どこどこ?」
「報国寺っていってさ、鎌倉の八幡様の先にあるんだ。
そこの寺、竹林があってさ、抹茶飲ませてくれるんだ」
「えっ、ほんと? 私ぜひ行ってみたい。
オズお願い、そのお寺に連れて行って」
「よっしゃあ、俺、やっぱジャンヌが喜ぶなって、
この前、四日市で抹茶飲んだじゃん。あれからずっと思っていたんだ」
「わーオズありがとう。オズぅ、
私……東慶寺にも行ってみたいんだけど……」
「よっしゃあ、任せとき!」
道はゆるやかな登りになりだんだん暗くなる。
ジャンヌにとっては毎日の通学路だ。
「オズぅ、私、入学以来、こんなに暗くなった路通るの初めてよ」
人気がないので不安な表情だ。
六国高校は、午後7時が完全下校だから、
もう部活帰りの奴はいないだろう。
手を握ってやれば安心するかな?
でもなんて言ってつなごうか?
やっぱここは、夜の六国登山じゃないから止めておこう。




