【独座観念】
「ねえ、ジャンヌ、お茶って、前習ってたの?」
「ええ、私、中学の時から、東京のおばあちゃんについて、習っていたの」
「え? 東京のおばあちゃん、て、ジャンヌ東京に住んでたの?」
「ううん、中学の時から、毎週日曜日に、おばあちゃんの家に通ったの」
「え? 一人で?」
「ええ、そうよ」
「東京って何処まで?」
「文京区の西片町っていうところよ。東京大学の、正門前から入っていくの」
「ずいぶん遠いとこまで通ったのね」
「西片町のおばあちゃん、もうおじいちゃん、
だいぶ前に亡くなって一人暮らしで、お茶の先生しているの。
お母さんの方のおばあちゃんなの。
私が西片町へ行くの、お母さんがとっても喜ぶし、
なによりおばあちゃんが毎週、とても楽しみに待っていてくれたの。
それに、お父さんも、女の子は、行儀作法が大切だから、
おばあちゃんに、厳しく躾してもらいなさいって」
「だからか、ジャンヌ、どうりで。食事のときなんか、
なんとなく優雅に見えるのよね」
「そうそう、いいとこのお嬢さんって感じ」ゴリも賛同。
「え、そんなことないわ。だから、東京へ通うときも、
中学の制服で行かされたし、お稽古のときも、
きちんと制服着ていないと、叱られたわ。
お泊りするときや、お家のお手伝いするときは、
もちろん普段着に着替えたけど。
それから、電車に乗っても、座るんだったら、
お年寄りの方が乗ってこられたら、席を譲って差し上げなさい。
席を譲る勇気がないのなら、初めから座ってはいけませんとか」
「へーえ、行儀見習いやお稽古事のときは、おばあちゃんも厳しいのね」
「でも、とっても優しいおばあちゃんよ」
「ジャンヌって、結局おばあちゃん子なんだ。おばあちゃん孝行したんだ。
優しいのね」
「この茶碗も全部、西片町のおばあちゃんからもらったの
「じゃあ、これらの茶碗、全部ジャンヌの好みなんだ」
「ええ、そんなとこね」
「西片町のおばあちゃんからは、茶道全般、いろいろなことを学んだの。
なかでも<おもてなしの心>は厳しく習ったわ」
「おばあちゃん、教え方厳しいの?」
「ううん、とってもやさしいけど、心構えには厳しかったわ」
「芸事って、厳しいときは、厳しそうね」
「先週、みんなで家にきてくれたでしょ、お父さんもお母さんも、
とっても喜んでいたわ。
帰りに私、玄関の前で、みんなをお見送りしたでしょ」
「うんうん、俺たち途中で振り返ったら、ジャンヌ、
ずーと見送ってくれてたな」とゴリ。
「オズったら、路地を曲がっても、まだジャンヌが見送ってるか、
戻って見に行ったわよね」
「そうそう、ジャンヌ、絶対まだ見送ってるって、
やっぱジャンヌまだいたぜって、オズ、すごい喜びようだったぜ」
「いやー、なんとなく、インスピレーション感じてさー」
「オズぅ、私もオズが再び顔を出してくれて、とても嬉しかったわ」
「ハイハイ、ごちそうさま」
「違うの、ジュリ」
ジャンヌは、顔を曇らせ下を向いた。
「私も西片町へ通うようになって、帰りにいつもおばあちゃんが、
玄関の前で、見送ってくれるの。
路地の曲がり角でバイバイして帰るんだけど、一回、
曲がった後、おばあちゃんがまだいるかなって、角から覗いたの。
そしたらおばあちゃん、じっと角を見つめていたわ。
私と目が合うと、とても喜んで手を振ってくれたの」
「よく子供がやりそうなことね。オズもまだ子供なんだ」とジュリ。
ジャンヌの表情は曇ったままだ。
「次の週、私、おばあちゃんに叱られたわ。オズ、ごめんなさい。
水をさすようなこと言って」
「俺はいいんだけど、ジャンヌ、どうして叱られたの?」
「私、おばあちゃんから<おもてなしの心>も学んだっていったでしょ」
「ああ、それとどんな関係あるのさ」
ジャンヌはいいにくそうにしている。
「あのー、みんなにも関係あるんだけど」
「え? 俺たちにも関係あるの? それなら遠慮せずに話してよ」
「幕末に、桜田門外で暗殺された、井伊大老、井伊直弼って知っているでしょ」
「幕末物の映画やテレビによく出てくるよな」
みんな知ってるって頷いた。
「井伊直弼って、十四男だったから、家督を継げる望みもないし、
若い頃は部屋住みが長く、茶の湯とか文化面に造詣を深めて、
茶人としても一級だったんですって。
その井伊直弼が、おもてなしの心を<茶の湯一会集>に著わしていて、
おばあちゃんの座右の書にしているの。
茶の湯の、主人と客の心得がしるされているの。
余情がまだ残っているなか、茶事を終えるの。
名残を惜しみながら挨拶をして帰路につくとき、
客は路地を出るまでは声高に話さず、静かに後ろを振り返りなさい」
「そういえば俺たち、近所迷惑なくらい大きな声で話していたな」
頭をかきながらゴリ。
「主人は客が見えなくなるまで見送りなさい。
早々の戸締めは不興千万、いままでのおもてなしが無に帰す。
そして、茶室に戻り、独り座り、客の帰路を思い、余情を残しながら、
一期一会が済んだら、再び返らないことを観念しなさい。
《独座観念》の境地が大切と教わったの」
「なんだ、そうだったのか。確かにジャンヌが、思い出に浸っているところに、
また顔出されたら、興ざめするわな。
俺、おばあちゃんの気持ちも、ジャンヌの気持ちもよく解ったよ。
これからは覗かないから」
「いえ、オズ、私、興ざめなんか絶対してないわ。とっても嬉しかったわ。
オズ、怒ってない? みんな、気分害してない? ごめんなさい」
「全然気にしてないわよ、ねえ、ゴリ。そういえば私、
ジャンヌの家にカチューシャ忘れてきちゃったでしょ。
途中で気がついて、戻ろうかと思ったけど、まあいいやって、
取りに戻ったら、ぶさいくだったわね」
「お茶の世界って、奥が深いんだ。
でも、客が帰った後、すぐ鍵締めねえ?」ってゴリ。
「そうそう、お客じゃなかったら、玄関閉めて即鍵ガチャンよ」
「それって、目の前でやられると気分悪くねえ?」ってゴリ
俺たちの会話を聞くジャンヌに、笑顔が戻った。
「車の見送りも、バックミラーで、すぐ家の中に入ったか判るもんな」
そろそろ昼休みも終わる時間だ。
「ジャンヌ、ごちそうさま。俺、なんか、ジャンヌの動作見てると、
それだけで癒される感じがしたよ」
「オズ、褒めてくれてありがとう。茶道部の先輩たちも、みんな所作は綺麗よ。
このお部屋でお稽古しているんだけど、お茶の先生が来て、
教えてくださっているの」
「ジャンヌ、私、気軽に抹茶飲みたいなんていったけど、大変だったわね。
ありがとね」
「いいえー、私もみんなに喜んでもらえて、とっても嬉しいわ」
「ジャンヌごち、そんなににがくなかったな」とゴリ。
「ええ、今日は、お薄といって、薄めに点てたから」
「ジャンヌ、私、後かたずけ手伝うから。ゴリとオズ、先いってて」
俺は今日、ジャンヌのあらたな魅力を発見してしまった。




