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公認魔幻語使い(マジスタ)の日常生活  作者: ハル
◆第三巻 幻術の国の王女
89/157

パルフィの実力

 そして、その翌日。


 まだ、夜も明けぬ早朝から、パルフィは侍女のクレアに手伝わせて、自分の居室に隣接する衣装室で、出発の身支度を整えていた。

 いよいよ、このあと王宮を離れアルティアに戻るのだ。クリスたちも、間もなくこの部屋で合流することになっている。

 

「では、姫さま。最後に御髪(おぐし)()きますわね。こちらにお座りくださいませ」


 クレアが、豪華な飾り付けの施された大きな鏡の前にパルフィを座らせ、自分は背後に立ってその髪をすき始める。


「……ねえ、クレア」


 しばらくの間、されるがままに身を任せていたパルフィだったが、ふと、鏡に映るクレアを見上げて話しかけた。


「はい、姫さま」

「あたし……ね、あなたにずっと謝らないといけないって思ってたことがあるの」

「まあ。何か、そのようなおそれ多いことがございましたでしょうか?」


 クレアは小首を傾げて、分からないという素振りを見せたが、その瞳には理解と、そして、愛情が溢れていた。


「ほら、あたしが家出するときにさ、外庭園の東屋で、あなたに睡眠呪文を撃ったじゃない?」

「ああ、そう言えば、そのようなこともございましたわね。わたくし、すっかり忘れておりましたわ」


 些細な事だというニュアンスで、クレアが答えた。


「小さい頃からずっとあたしに仕えてくれていたあなたに、背後から呪文を撃つなんて、ホントにひどいことしたなって……。だから、あたしずっと気になっててさ。ごめんね、クレア……」

「そんな、滅相もございません。あれは、カトリアをお出になるために止むを得ずなされたということは分かっております。姫さまは、お気になさる必要はございませんわ」

「そうやって言ってくれると、あたしも気が楽だけど……」

「それに、姫さま、あれは……」


 クレアは手を止め、半分申し訳なさそうに、そして、半分は楽しそうに、鏡の中のパルフィに向き合った。


「……実は、姫さま、わたくしも姫さまにお詫びしないといけないことがございます」

「え、そうなの、なに?」

「はい、実は……、あのとき、わたくしは姫さまの睡眠呪文には掛かっておりませんでした」

「えっ?」


 パルフィは驚いて、後ろに立っていたクレアを直接振り返った。


「で、でも、あなたぐっすり寝てて……、え、ええっ? それって、もしかして掛かったふりしてたってこと?」

「さようでございます。結果的に、姫さまをだますことになり、申し訳もございません」


 クレアは、深々と頭を下げたあと、その数日前に国王から、パルフィが出奔するかもしれないこと、そして、その際は黙って行かせてやるように言われていたことを話した。


「陛下からのご命令でしたので、あのまま術に掛かったふりをするのが一番いいのではないかと思いまして」

「へえっ、そうだったのね。全然気が付かなかったわ。じゃあ、あたしの呪文は効かなかったのね」

「あの時は、姫さまはまだランク1でいらっしゃいましたから……」


 申し訳無さそうに告げるクレアはランク2であった。


「そっか、そりゃそうよね。……でも、いきなり後ろから睡眠呪文を撃たれて、術に掛かったふりをしようだなんてよく思いついたわね」

「それは……。あの晩、姫さまがそのままご出立なされるご決心であることはわたくしには分かっておりましたから。それで、姫さまが、背を向けるようお命じになったときには、もうそのつもりだったのですわ」

「え、じゃあ、なに? あたしが家出するのがあの夜だって気がついてたってこと? あたし、それまでと同じようにしてたのに」


 パルフィは、怪しまれないようにするために、深夜の修行を数日間続けたあと、家出したのだ。たとえ、いずれ家出するかもしれないと国王から聞いていたとしても、「あの夜」に決行するなど分からなかったはずだ。


「ええ。それは、もう、姫さまがお部屋にわたくしをお召しになりましたときから、お心の内はよく……」

「ホントに? なんで分かったの?」


 パルフィの意外そうな顔を見て、クレアが微笑んだ。


「姫さま、口幅ったいことを申し上げるようですが、わたくしは姫さまが五歳の時からおそばでお仕えいたしております。それぐらいのことをお察しできないようでは、姫さま専属の侍女は務まりませんわ」

「そっか……」

「はい」

「ふふふ、そうよね。クレアはずっとあたしのそばにいてくれてるもんね。そういえば、クレアにウソ言っても、いつもすぐバレてたのを思い出したわよ」

「はい、クレアには姫さまのうそは通じませんわ」

「そうだったわねえ」


 パルフィとクレアはお互いに顔を見合わせ、愉快そうに笑った。

 そして、ひとしきり笑い合った後、クレアがパルフィの前に回って、両膝を付き、最後の仕上げに、慈しむように前髪を直してやる。


「さあ、姫さま。御髪も整いました。どこから見てもご立派な淑女でいらっしゃいます」

「……うん、ありがとう」


 コンコン


 そのとき、居間に続くドアがノックされて、別の侍女が入ってきた。


「お召し替えのところを失礼いたします。クリス様並びにご一行様がお見えになりましたので、このままご一緒に、幻影の間にご案内いたします。姫さまのお支度はいかがでしょうか?」

「もう、できたわ。じゃあ、クレア……」


 パルフィが立ち上がる。それを見て、クレアも立ち上がって居住まいを正した。


「あたし、行ってくるわね。留守は頼んだわよ」

「はい。かしこまりました。お気をつけて、いってらっしゃいませ。……ご無事のお帰りを、心よりお待ちいたしております」


 クレアは、少し目を潤ませながら微笑んで、深々とお辞儀をした。


「うん、クレアも元気でね。それじゃね」


 パルフィは最後にクレアに微笑みかけると、侍女に先導されて部屋を出て行った。


「姫さま……どうか、どうか、ご無事で」 


 クレアは一人、主のいなくなった部屋で涙をこらえきれず、パルフィの無事の帰還を願うのだった。





 ◆◆◆


 そして、はや出発の時であった。


「それでは、テレポートの準備を行いますので、王女殿下と御一行様は、魔法陣の中にお入りください」


 幻術士がクリスたちに告げる。


 その日、一行が連れて来られたのは、幻影の間と呼ばれる広間だった。オルベール王宮の東翼棟屋上階に設けられた、国王一家専用のテレポートのための部屋である。

 国王一家、そしてアルキタスも、パルフィの見送りに来ていた。


 幻影の間は、テレポートを効果的に行うために、極めて特殊な作りになっていた。

 広間はドーム型で、天井と壁の大部分がガラス張りになっており、満天の星空と満月の光が室内に降り注いでいる。

 中には、何の調度品もなく、ただ床には大きな魔法陣と、それを取り囲むように小さな魔法陣がいくつか描かれている。そして、その小さな魔法陣の一つ一つには幻術士が立っており、呪文を唱えていた。

 それらの魔法陣はすでに発動しているらしく、淡い色に光っており、月の光と合わせて幻想的な光景であった。


 馬車による移動は、国境まで時間が掛かる上に、パルフィの身元が露見する恐れがあるということで、メルシュ近くまでテレポートしてもらうことになったのだった。


「では、パルフィは行ってまいります」


 クリスたちが、先に魔法陣の中に入る間、パルフィが居並んだ家族と師に別れを告げる。


「うむ、達者でな。用事がなくともたまには顔を出すのだぞ。ここはそなたの家なのだからな」

「はい」

「パルフィ、体には気をつけるのですよ」


 王妃は目に涙を浮かべながら、やさしく微笑んで言った。


「……はい、お母様もお元気で」

「後のことは心配せずがんばってね、パルフィ」

「お姉様……」

「セシリア、パルフィは後のことなんて心配しちゃいないよ、はっはっは」

「まあ、お兄様ったら、ひどいわね。あたしだって、ちょっとは心配してるわよ」

「わかったわかった。悪かったよ。だが、パルフィ、私たちの分までしっかり修行して来るんだぞ」

「はい」

「殿下。精進なされることじゃ」

「先生……、はい。あたし、がんばります」

「あ、そうそう、パルフィ」


 ふと、思い出したかのようにセシリアがパルフィに話しかける。


「なに、お姉様?」

「うふふ。大したことじゃないのだけれど、うまく行くことを祈っているわね」


 後方で待っているクリスの方をチラリと見て、セシリアが意味ありげな表情でパルフィに微笑みかけた。

 その意味がわかったのか、パルフィが頬を染める。


「え、う、うん。頑張る」

「しっかり捕まえてくるのだぞ」

「お、お兄様まで……」

「ははは」

「うふふ」

「も、もう……」


 そして、その横では、国王と王妃がクリスたちに声をかけていた。


「クリス、そして、皆、パルフィをよろしく頼んだぞ」

「何かあったら、遠慮なくパルフィを連れて戻ってくるのですよ」

「はい、承りました」


 パルフィも魔法陣の中に入り、いよいよテレポートが始まる、その時だった。


 グオオオァァァァ


 突如、轟く雷鳴のような咆哮があたりに響き渡ったのだ。


「何事だ?」


 一同があたりを見渡す。


「へ、陛下、あ、あれをご覧ください……」


 幻術士の一人がうろたえた様子で、透明なドーム天井を指差した。

 月の光に照らされて銀色に光るドラゴンがちょうど翼を羽ばたかして、降りてくるところだった。

 慌てて、幻術士たちがテレポートを解除する。


「……あれは、シルバードラゴンだ……」

「おお」


 ズシンという音をさせて、広間のすぐ外、東翼棟の屋上部分に降り、首を伸ばして広間の中を見つめる。そして、再び、咆哮した。


 グオオオァァァァ


 ビリビリとガラスが震える。


「ありゃあ、ヘンリエッタじゃねえか?」

「うん、そんな気がする。他のドラゴンと顔の見分けはつかないけど……」

「やっぱり無事だったんですね」

「ヘンリエッタ!」

「ヘンリエッタ殿、やはり生きておられたか」


 国王の呼びかけに、ヘンリエッタの威厳のある声が頭に響いてくる。


(人目につかぬよう、この時刻を選んだのだが、我はちょうど良いところに来たようだな。……王よ、このようなところまで飛来し、人心を惑わせることになり申し訳もない。我は、アルキタスと王女、そしてその仲間に礼を述べたかったのだ)

「ほう」


 ヘンリエッタが、パルフィたちの方に首を伸ばす。


(アルキタス、パルフィ王女、そして、その仲間たちよ、我とキャセルを救ってくれたこと、礼を言う)


 そして、礼をするかのように首を低い位置まで下げた。それは、不思議なほど気高く見えた。


「なんの。お二方が無事と知り、これ以上の喜びはござらぬ。まずは、重畳」

「ホントよ。ね、それより、キャセルは? キャセルはどうしてるの?」


 ピイピイピイ


 ヘンリエッタが巨体を横に向けると、キャセルがヘンリエッタの背中に座り大きな声で鳴いていた。そして、パルフィを見つけたのか、ひときわ大きな声で鳴くと、小さな翼を必死にばたつかせて、ヘンリエッタの前に降りた。そして、おそらくガラスが張ってあると気が付かなかったのだろう、ドスドスとまっしぐらにパルフィを目指して駆け寄ってこようとしたところで、まともにガラスの壁にぶつかって、尻餅をついた。


 ゴン


 という音が衝撃とともに室内に響き渡る。


「キャセル!」

「大丈夫か?」


 だが、そのような衝撃は幼体といえどもシルバードラゴンには何らダメージにはならなかったらしく、キャセルはむくっと起き上がると、ガラスの壁際にへばりつくように体を寄せた。


「あなたも、無事だったのね」


(ひめさま!)


 パルフィの呼びかけに応えるように、あどけなくたどたどしい念がパルフィたちの脳裏に響く。


「え、……今の、キャセル?」

「おお、話せるようになったのか」

(ひめさま、みんな、ぼくとおかあさんをたすけてくれてありがとう)

「いいのよ、そんなこと。あんたが無事でよかったわ」

「オレたちは、大したことはしてねえが、生きててよかったぜ」

(ひめさま、ぼくがもっとおおきくなったら、こんどは、ぼくがまもってあげる)


 キャセルはそう言って、ピイピイと鳴き声を上げた。


「ふふ。楽しみに待ってるわ」

(王よ)


 キャセルの後方から、再び、ヘンリエッタの威厳のある念が脳裏に響く。


「ああ」

(我は、カトリアの他のドラゴン保護生息地(リザーブ)に赴き、その主たちに魔族に注意するように警告してきたのだ)

「なるほど、それでロシュフォール山脈にはおられなかったのだな」

(そうだ。そして、王に知らせておくべきことがある。それもあって、急ぎかく参った。これより我らシルバードラゴン族は、魔族を敵とみなし、遭遇すれば交戦する。そして、一族の長たる我の名において、カトリアに魔族との有事あらば、防衛の一助となるべく、各地から我が一族が集結するように命じてきた)

「おお、それは有難いことだ。感謝する」


 シルバードラゴンは数が少ない種族であるが、一体一体の力は絶大である。それが、一族が集結して助けてくれるというのだ。まさに、カトリア王国にとっては、最強の味方を得たようなものだった。


(礼には及ばぬ。魔族はシルバードラゴンを殺そうとした敵。それに、王女から受けた恩は返さねばならぬ)

「共に手を携え、敵と戦えることは光栄だ」

(ああ。では、伝えたいことは伝えたゆえ、我らはこれで失礼する。パルフィ王女よ、また相まみえんことを楽しみにしている。そのときは、またこの子と遊んでやってくれ)

「うん」

(さよなら、ひめさま。またね)

「あなたも元気でね。キャセル」


 ヘンリエッタは大きな口を開き、キャセルの首根っこを咥えて、長い首を背中に回して、キャセルを背中に置いた。


 そして、大きな翼をバサッバサッと羽ばたかせて、月の光りに照らされながら、大空に向かって飛んでいった。

 雲の向こうに消える前、グオオァァァという叫び声と共に、かすかにピイピイという鳴き声が耳に届いた。


「やれやれ。まったく」


 この一幕を一歩下がってじっと見ていたルーサーが、肩をすくめてニヤリと笑った。


「パルフィ」

「なに、お兄様?」

「魔族を撃退し、フォルシェッテの民を復興に向け立ち上がらせたと思ったら、今度はシルバードラゴン一族全部をカトリアの味方につける、か。大層なご活躍じゃないか」

「ふむ。たしかにそうだ。そなたの働きのおかげだな」

「え、そう? たまたまよ、たまたま」


 パルフィは、照れたように手を振った。


「たまたまでもなんでもいいが、とりあえず、もう『王女に向いてない』などとは言わないでくれよ。こちらがバカらしくなってくるからな」

「そうよ、パルフィ。あなたは、もう少し自信持たないと」

「だ、だって……」

「まあ、よい。もう夜が明ける。月の光が弱まる前に、テレポートせねばならぬのだ。名残りは付きぬが、出発するがいい。みな、テレポートの用意をしてくれ」

「かしこまりました。それでは、テレポート準備に入ります」


 幻術士たちが再び呪文の詠唱に入ると、魔法陣が白く発光し、やがてそれは青い光に変わった。


「準備完了いたしました」


 幻術士が告げる。


「うむ。では、パルフィ、達者で暮らせ」

「くれぐれも無理はしないでね」

「はい……、みんな、お元気で。あたし、立派に修行して帰ってきます」

「いってらっしゃい」

「気をつけてな」

「よろしい。テレポートせよ」


 国王が大きく頷いて、命令を下した。


「テレポート」


 幻術士の「テレポート」という言葉が聞こえた瞬間、クリスたちは光に包まれ、一瞬何も見えなくなった。そして、やがて光がなくなって目が見えるようになったと思ったら、そこは先程までいた場所ではなく、森のすぐそばにいたのだった。


「お、もう着いたのか」

「……そうらしいな」


 グレンたちがあたりを見回すと、夜明け前の薄暗さの中にも、街らしき姿が遠くに見える。


「あれは、メルシュじゃねえか」

「おお、では、国境まですぐだな」

「へえ、さすが幻術の国だよね」

「ホントですよ」

「いやあ、それほどでも」


自分の国がほめられたのがうれしいらしく、パルフィは照れた。


「王女はグレて家出してたけどな」

「うるさいわね」

「まあまあ。さあ、アルティアに帰ろうよ」

「そうね、いきましょ」


 そして、全員が歩き出そうとしたとき、


「あ、ああっ」


 突然、クリスが大きな叫び声を上げた。皆が驚いてクリスを見る。


「どうしたのだ、そんな素っ頓狂な声を出して」

「わ、忘れてたぁ」


 そういって、クリスは大慌てで自分の旅人袋を引っかきまわす。


「ん?」

「ミッションだよ。ミッション。僕たち書類の配送を頼まれてたんじゃないか」

「へ? それは、もう王宮に配達したじゃねえか」

「違うって。そのあとに、ほら、レイチェルに会うためにアルティアに戻った時にさ、ギルドで別の書類を頼まれたでしょ」

「ああっ」

「そういえば……」

「ここのギルド宛の連絡文書とかいう書類ですね」

「今回のゴタゴタですっかり忘れちまってたぜ」

「だが、それはまずいぞ、クリス。たしか、期日指定じゃなかったか?」


 ミズキが焦ったようにクリスに尋ねる。


「うん、そうなんだよ。あ、あったあった、これだ。えーと、いつまでだ? ……十二日以内の配達だよ」


 書類とは別に指示書も見つけて、その条件を読むと受領日から十二日以内に配達のことと書いてある。


「あれから、一体何日経ったのかしら?」

「えーと、エミリアさんの家に行ったりなんだりして、カトリアに戻ってくるのに六日と、それから、王宮で泊まったのが……」


 クリスは必死に指折り数えて計算する。


「あ、明日までだ。な、なんとかなるか……」


 その言葉にほっとする一同。

 ギルドで請け負ったミッションは、その経過から結果にいたるまで、事細かに記録され半永久的に残される。当然、引き受けた仕事をこなせなかったり、締め切りを守れなければ、記録に残ってしまうのだ。そして、評価次第ではミッションがもらえなかったり、特別なミッションが受けられなくなるなどするのだ。


「危ねえところだったな」

「これだけ放置しておいて間に合うとは、もともとかなりゆるい期限だったのだな」

「まあ、大した書類じゃなさそうだし、オレたちみたいな低ランク向けだとそうなんじゃねえのか」

「確かにな。ま、そのおかげで助かったのだ。文句は言えまい」

「よし、それじゃ、さっさと届けに行こうぜ。もう夜も明けることだしな」


 みなが自分の荷物を持って、歩き出そうとしたとき、ふとルティが疑問を口にした。


「ところで、カトリアの魔幻語ギルドってどこにあるんですか?」

「あ、そうだよ。そういえば、どこにあるんだっけ?」

「なんでえ、場所も知らずに移動しようとしてたのかよ。よっぽど、焦ってたんだな」

「みんなまずは落ち着こうよ」

「パルフィは場所を知ってるのか」

「うん、あたしも行ったことないから、だいたいだけどね。えーと、たしか……、あ」


 やっちゃったという顔をしながら、口に手を当てるパルフィ。


「ん、どうしたの、遠いの?」

「あ、あのね、ちょっと言いにくいんだけど……」

「なに?」

「実は、ルーンヴィルの大通りにあるのよね。たしか、王宮の敷地を出てすぐのところにあるはずなんだけど……」

「は?」


 パルフィが言ったことを全員が完全に理解するまでたっぷり時間がかかった。そして、理解したとき、あまりのことに思わずみな固まってしまった。なにしろ、ついさっきまでいたところである。

 慌てふためくクリスたち。


「ちょ、ちょっと待ってよ」

「お、おいおい、またここから王宮まで戻らないといけねえってことかよ」

「こ、ここに飛ばしてもらう前に気がつけばよかったですね……」

「まったくだぜ、だれも気がつかなかったのかよ。まったく、どいつもコイツも」

「あんたも忘れてたんだから、えらそうにいってんじゃないわよ」

「あれ? ねえ。最初にここから王宮に行くとき、途中で一泊したよね……」

「ゲッ、そうだった。しかも、馬車だったぜ」

「それを徒歩だと……、う、丸二日と半日はかかるな」


 頭が痛むようにミズキが指で目を押さえる。


「うわあ、どうしよう、間に合わないよ」


 クリスは頭を抱えた。


「いくら、日程に余裕があると言っても、限度があるか」

「まあ、それもそうだろうな。これだけ道草を食えば、間に合うはずもなかろう」

「だが、どうするよ?」

「そうだ、パルフィのテレポートはどうだ?」


 そのミズキの言葉に、みな希望を見いだし、一斉にパルフィの方を見た。しかし、


「ムリムリ、今の私じゃそんな距離、一度に飛べないし、それに、ギルドには私も行ったことないから」


 その言葉に一同、また頭を抱える。

 一般に幻術士のテレポートは、距離とテレポート人数だけでなく、到着地との親和性によっても難度が大きく変わる。遠くなればなるほど、人数が多ければ多いほど、そして、到着地になじみが薄いほど、成功させるのが難しいのだ。行ったことのない場所にテレポートするのは相当の高ランクの術者でなければ無理であり、しかも、成功到達距離が著しく短くなる。


「では、王宮までのテレポートはどうだ?」


 気を取り直したかのように、ミズキが尋ねる。


「確かに自分の家だからかなりラクだけど、それでも距離が変わらないから厳しいわね……、あ、待って、私に考えがある」


 パルフィは先ほど自分たちが出現したあたりに駆け寄り、目を閉じ、何かを感じ取るように手を宙にさまよわせた


「どうした?」

「うん、さっきテレポートしたばっかりだから、まだ空間転移の波動が残ってる。入り口と完全に切れたわけじゃないのよ。亜空間の廻廊はまだ消えてない。これなら術を出しやすいわ。それに、到着地が幻影の間の魔法陣なら、向こう側でも魔力が増幅されるから、私でもなんとかなるかも」

「おおっ、そうかい」

「それは、助かる」


 パルフィの言葉にみな生き返ったかのように、元気が出る。


「みんな急いで私の周りに来て。早くしないと波動が消えちゃう」

「よし、みんなパルフィのそばへ」

「おうよ」

「はいっ」


 全員がパルフィの周りに集まる。


「これで、なんとかなりそうですね」

「そうだね。首の皮一枚つながった感じだよ」

「しかし、あれだけ感動の別れだったのに、すぐに戻るってのもバツが悪いな」

「仕方ないさ、ミッションに失敗するよりマシだろう」

「まったくもう、バカ丸出しだわよ」


 そういうと、パルフィは頭を軽く振って、ため息をついた後、呪文の詠唱に入った。





 そのころ、王宮の幻影の間では、国王たちがメルシュの方角に目をやり、パルフィとの別れの余韻に浸っていた。アルキタスは、家族の時間に遠慮したのか、すでにその場を辞しており、姿は見えなかった。


「……行ってしまったな、せっかく戻ってきたというのにまたさびしくなるのう」

「ええ、無事に戻ってくれるといいのですけれど」


 王妃は袖の隠しからハンカチを出して、目頭を拭いた。


「心配するでない、王妃よ。パルフィとてもわしらの娘。きっと修行を積んで立派に帰ってくるさ」

「ええ、そうですわね」

「私としては、さわがしいのがいなくなって、静かに政務ができますよ、母上」

「あら、そういうお兄様、すこしさびしそうですわよ」

「ふっ、まあな」

「でも、本当にパルフィがいなくなると、急に静かになったように感じますわね」

「まったくだよ」


 苦笑いしながら、ルーサーが肩をすくめた。


「そういえば、あのクリスという男。見かけは優男だが、なかなかどうして、腹も座っておれば意志が強そうにも見える。なによりも性根がいい。わしは気に入ったぞ」

「あらあら、お父様はあれほど、『クリスと結婚だなど許さん』とおっしゃっていたのに」


 セシリアが、クスクスと嬉しそうな表情で笑った。


「むう。だが、気に入ったのだから、仕方がないではないか。王妃よ、そなたはどう思う?」

「そうね。クリスなら安心してパルフィを任せられますわ」

「しかも、父上、彼はアークライト博士の息子であるうえに、玉座に対して何の野心もない。我が国に取りましても、第二王女の婿としては理想的とも言えるかと」

「ふむ。だが、問題はあれがうまくクリスの心を射止めることができるかどうかだな」

「それは、パルフィに頑張ってもらわないといけませんわね」

「それにしても、あのお転婆娘が恋とはな。わし達が年をとるはずだ。……まあよい、では、行くとするか」


 国王たちが部屋を出ようと出口に向かって歩きだす。

 入り口の両側に控えていた衛士が礼をして、扉を開く。 そのとき、幻術士の一人が背後から王を呼び止めた


「へ、陛下!」

「ん、どうかしたのか?」


幻術士の緊張した声に、一行が立ち止まり振り返る。


「陛下、魔法陣に何者かがリンクしました。こちらにテレポートしてきます」


 幻術士が報告するやいなや、魔法陣が発光し始めた。

 そこに控えていた残りの幻術士たちも、小魔法陣に戻り、一斉に呪文を唱え始めた。万が一、敵意を持つものがテレポートしてくる場合は、途中でテレポートの発動を止めなければならない。緊迫した雰囲気が流れる。


「なんだと、何者だ?」

「お待ちください。ただいま調べます」


 幻術士は魔法陣から出ている光に手をかざし、呪文を唱える。


「この波動は……、パルフィ殿下であられます。この魔法陣を使って、先ほどのご一行様とともにお戻りになるようです」


幻術士の声から緊張の響きが消え、安堵の表情になった。


「いかがいたしましょうか」

「相変わらず人騒がせな娘だ。かまわん、テレポートさせてやれ」

「かしこまりました」


 同時に、残りの幻術士たちも詠唱をやめた。


「どうせ、忘れ物でしょう。そそっかしいからなあいつは」

「それにしても、いくらこちらの魔法陣を使うからといっても、ランク2でこの距離を飛んでくるとは。さすがパルフィですわね」

「そうだな。まったく、幻術だけは、どうやっても勝てないわけだ」


 国王と王妃たちはまた魔法陣の前に戻り、パルフィたちの到着を待った。すぐに魔法陣の光が強くなり、やがて地面から光の筒のようなものが湧き出てきた。そして、その光の筒が消えたとき、バツが悪そうにパルフィたちが立っていたのだった。


「お帰り、パルフィ。早い帰宅だったな」

「た、ただいま……、ってお兄様そんなイヤミ言わないでよ」

「ははは、すまないな」

「どうしたのだ、何か忘れ物か?」

「じ、実は、ここの魔幻語ギルドに書類を届けるミッションも引き受けてたんだけど……」

「忘れてたのか?」

「いや、その、あの……、うん……」


恥ずかしそうにうつむくパルフィ。


「まったく、しようのない娘だ。そんなことでは一人前の幻術士などなれんぞ」

「お父様、あたしも戻ってくるのははずかしかったんだから、そんなにいじめないでよ」

「まあいい、それならさっさとその書類を届けて来い。そして、今日も王宮に泊まっていくがいい」

「誠にご面倒をおかけします……」


 クリスも苦笑いしながら頭を下げる。


「ははは、よいよい。行ってしまったと思った娘が一日余分に逗留するのだ。むしろ、喜ばしいことだ。なんなら、クリス、そなたもずっとこの王宮で暮らしてくれても構わぬぞ。第二王女の婿としてな」

「へ、陛下?」

「ちょっと、お父様、何言ってるのよ!」


 パルフィが真っ赤になって抗議する。


「ははは、冗談だ」


 ちっとも冗談ではないというオーラを出しながら、国王が笑うのだった。






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