王女の資質(2)
オルベール宮殿を出たクリスたちは、近衛騎士団に警護され、王女専用の御料馬車の中にいた。ルーサーは前を行く別の馬車に、お付きの秘書官やら役人やらと乗っている。そして、さらには何やら荷物を多数積み込んだ荷馬車が四台ついてきていた。
「それにしてもすげえモンもらったよな」
「全くだ」
「私も、早くこの石を使って誰かを助けてあげたいです」
国宝級の魔道具を授かったということで、いまだにグレンたちは心が浮き立つのを抑えきれないようであった。
グレンは、伝説の鎧鍛治グリアム作の手甲を早速身につけ、ホクホク顏で眺めていた。その隣では、ミズキが、名刀「吉兼」を鞘ごと杖のように持ち、鍔を指でちょっと持ち上げて刀身をチラ見しては、満足そうな微笑みを浮かべている。ルティも、用もなく聖石「慈悲の石」を掌に乗せて、淡い光を放つ様子を嬉しそうに見つめていた。
「クリスも、いいもんもらったじゃねえか」
グレンが向かいに座っているクリスにあごをしゃくって、クリスが身につけている新しいハーフローブを指し示した。
「まあね。これで、僕ももうちょっと防御力が上がって、ボロボロにならずにすむといいと思うね。選んでくれたパルフィにお礼言わなきゃ。ね、パルフィ?」
だが、はしゃぐグレンたちには混じらず、パルフィだけは、クリスの横で馬車の窓枠に頬杖をつき、窓の外をぼんやりと眺めていた。
「パルフィ?」
ようやく、話しかけられたのに気づいたのか、 パルフィが振り返った。
「え、あ……。いいっていいって、そんなの。どうせ、あたしのじゃないし」
「はは。それを言われると、身もフタもないんだけど……」
「そういえば、パルフィはなにかもらったんですか?」
「うん。あたしも国宝級の装備で固められたわよ。お父様は、『けちくさいことは言わん、宝物庫からあるだけ持っていけ』って言ってたけど、あたしのマナを吸い取ってしまうのとか、アイテム同士で相性の悪いのとかあって、そんなにたくさんは組み合わせられなかったけどね。……あたしだけいっぱいもらって、みんなには悪いけどさ」
「何を言う。パルフィのおかげで私たちはこのような褒美を賜ったのだからな。遠慮することはないぞ」
「そうだよ。この褒美の半分は、パルフィの身の安全のためにってことでもらったんだから。あ、じゃあ、そのイヤリングもそうかな? こないだまでは見たことなかったけど」
パルフィの耳には、小さな赤色の玉石が付けられた小さなイヤリングが下がっていた。馬車に揺られて、赤くきらめいている。
「そうよ」
「うん。すごく似合ってるよ」
「そう? ありがと……」
クリスの褒め言葉に、少しはにかんだパルフィだったが、すぐにまた窓の外を見る。
「……」
思ったような反応を得られず、心配そうな顔でクリスがパルフィを見つめたが、気を取り直してグレンたちに話しかける。
「……でも、みんなすごい魔道具をもらったから、ちょっと戦闘の練習をしておかないとだめじゃないかな」
「だな。自分もそうだが、全員の戦闘力を確認しとかねえとな」
「うむ。それに、各個人の力量に大きな変化があったのだ。戦い方も変わるかもしれぬな」
「だね。じゃあ、王宮に帰ったら練習しよう」
「はいっ」
「あ、そういえば、あたし、みんなに言っておかないといけないことがあったわ」
ふと、思い出したかのように、パルフィが窓から目を離し、またクリスたちを振り返った。
「なんだ?」
「あたしも、今朝聞いたばかりなんだけどさ、ヘンリエッタとキャセルはたぶん無事だって」
「ホントですか?」
「おお、そりゃあ……」
「朗報だな」
「でも、多分ってどういうこと?」
「アルキタス先生の報告を聞いて、お父様がすぐにドラゴン保護生息地に人をやったんだけど、誰もいなかったんだって。死体もなかったそうよ。それに、先生がヘンリエッタに撃った呪文は、仮死の呪文だったらしいわ。魔族をだますためのね」
「へえっ、ホントに苦しんでたように見えたのにね」
「マジかよ。すっかり騙されちまってたぜ」
「うん、でね、キャセルはルティの回復魔法が効いたのよね?」
「はい。呪文がちゃんと通ったので、ある程度は回復したのだと思います」
「なら、大丈夫ね。シルバードラゴンは優れた自己回復能力があるから、多分キャセルも後は自分で回復したんだと思う。ただ、篝火を焚いて呼び出す合図を送っても現れなかったから、どこかに行って留守にはしてるみたい」
「へえ、どこに行ったんだろう。どこかで療養中なのかな」
「ふむ。何にせよ、彼らが無事で何よりだ」
「ホントです」
それからまた、グレンたちが取り留めのない話をしだすと、パルフィは再び窓枠に頬杖をついて、ぼんやりと外の景色を見始めた。
「……ねえ、パルフィ。まだ、この間のことを気にしてるの?」
クリスは、パルフィが完全には元気を取り戻していないことを心配していた。
仲間に対する罪悪感からくるわだかまりは消えたらしく、クリスたちには普通に接してはいたが、どこかいつもの調子ではないのだ。
「えっ? そんなことないわよ」
すこし驚いた顔で、パルフィが振り向く。
「でも、どことなくおとなしいっていうか、うわの空っていうかさ」
「……そう?」
「ああ。いつもだったら、きゃあきゃあ言って、けたたましいじゃねえかよ」
「うっさいわね」
「だが、少々沈み気味なのは間違いないと思うぞ」
「私も、そう思います」
皆に言われて、パルフィは白状した。
「そっか。……まあ、あんたたちには隠してもしょうがないから言うけど、あたしさ、今度のことでホントに王女に向いてない気がしてるのよね」
「へ、何で?」
「だって、あたし自分の国をメチャメチャにするところだったのよ?」
「なんでえ、まだそんな大昔の話で悩んでんのかよ。あれは、あんときだけの不可抗力じゃねえか。いつまでもウジウジしてんじゃねえよ」
「それは、そうなんだけどさ。こんなあたしが王女なんてやってていいのかなって。なんか役に立たないどころか、国に害をなすかもしれないなんて、どう考えても王女失格じゃない?」
「でも、もう覚醒は当分起こらないって言ってなかった?」
「それは、そうだけど……」
「それに、陛下はパルフィのことを、良くやってるって褒めてくださってましたよね」
「そうそう」
「あれだって、きっと、もう家出しないように言ってくれてただけよ」
「ええ、そうかなあ」
クリスは不同意の声をあげた。
「パルフィには期待している」「パルフィは良くやっている」と言った国王の言葉には、嘘偽りのない真実の響きが感じられたのだ。励ますためだけに嘘を言っていたとは思えない。
グレンたちも顔を見合わせる。その、表情からクリスと同じ考えなのは明らかだった。
だが、パルフィはそう思っていないようで、もうこの話はしたくないとばかりに大きなため息をついて、窓の外を見始めた。
「こいつぁ……」
「重症だな」
「ですね」
ちょうどその時だった。
これまで、昼の光が差し込み、眩しいぐらいだったのが、突然、外の景色が薄暗くなったのだ。
「ん?」
「なんだ?」
「うわあ」
窓を覗いたルティが感嘆の声を上げる。
王宮からここまで、のどかな、しかし特段見るべきものもない草原や田園地帯を走っていたはずが、いつの間にか、大きく景色が変わっていた。
馬車の中から見えているのは、美しい森の中だった。馬車は深い森の中を通る道に入ったらしい。背の高い木々が生い茂る森だったが、木がそれほど密集していないため森の内部を遠くまで見渡せる。あちこちで木漏れ日が差し込み、十分に明るく幻想的な雰囲気を醸し出していた。
馬車がさらに奥に進むと、ところどころにぽっかりと開けた草地があり、陽の光を全面に浴びて、さまざまな美しい花が咲き乱れていた。そして、泉から水が湧き出て、小川となって流れているのも見える。
木が鬱蒼と生い茂るだけの陰鬱な森とは真逆の、光眩しい森だった。
「……きれいですねえ」
「うむ。癒される光景だな」
「え、この森は……、じゃあ、ここって……」
「ん、知ってるの?」
「ええ、知ってるも何も、ここはフォルシェッテ……、あたしの領地よ」
「へえ。いいところだね」
「さすが、王女様だな。自分の領地があるのかよ」
「領地って言っても、とても小さいのよ。ちょっとした街と小さな集落が幾つかと、あとは自然があるだけなの。それに、あたしが成人になるまでは、お父様が管理することになってるから、今は名前だけの領主なのよ。でも、気候も過ごしやすくて、美しいところだから、王家の保養地にもなっててさ。小さい時は、あたしはしょっちゅうここに滞在してたわ。家出する少し前にも来たばかりだし」
「ほう」
「それに、あたし、ここで生まれたのよね」
「へえ、そうなの?」
「うん。本当は、お兄様やお姉様と同じように、あたしも王宮で生まれるはずだったんだけど、ちょうどその頃、ルーンヴィルで伝染病が流行っててさ。あたしをお腹に抱えてたお母様は罹らないようにこっちに避難してたのよ。それで、あたしはここで生まれたんだ。でね、そういう縁もあって、お父様があたしにこの領地をくれたの」
「そうなんだ。じゃあ、ここはパルフィの故郷ってことだね」
「そうなるわね」
「いいところじゃないか」
「ええ。森もだけど、街もきれいなのよ」
生まれ故郷の話をすると心が紛れるのか、パルフィは嬉しそうだった。
「へえ」
馬車は、ガラガラと音を立てながら進んでいく。
幻想的な森の中を走り、通り抜けたと思えば、美しい湖のそばを通り、さらにはいたるところに流れている清流に沿って走ったり、色とりどりの花でいっぱいの丘陵地を縫うように走る。たしかに、パルフィが言うとおり、美しいところであった。
だが、この地の最も大きな特徴はやはり、森の美しさと、そして、その面積の比率であろう。
草原に森や湖が点在しているというより、大きな森と森の隙間に、小さな草原や湖、川があるような場所だった。おそらく、フォルシェッテ自体が、大森林地帯に位置するのだろうと思われた。
しばらく、美しい景色を見つめたあと、ふと、パルフィがつぶやいた。
「……でもお兄様があたしを連れてきたかったところって、ここなのかしら……」
「ルーサー王子は、パルフィに元気出してもらいたいとおっしゃっていましたよね。自分の生まれた街に戻って英気を養ってほしいということじゃないですか?」
「なるほど、そうかもしれぬな」
「こんなきれいなところなら、気が紛れるんじゃない?」
「そっか。あれ? でも、確かここは……」
パルフィが急に顔を曇らせた。
「どうしたの?」
だが、そのクリスの問いに、パルフィが答える必要もなかった。
ここまで美しい風景の中を走ってきたのが、急に窓から見える景色が、見るも無残な光景に変わったのだ。
「な、何だあ?」
「え、これは……」
五人は馬車の窓に張り付いた、そして、馬車の窓から見える風景に言葉を失う。ちょうど、馬車は別の森の中、いや、森だったであろう場所に入ったところだった。
そこに見えたもの、それは森の残骸というべき悲惨な姿だった。
美しかったはずの森は激しく焼けてしまっていた。地面は灰や燃えかすなどで覆い尽くされ、半焼けのまま残った大木の残骸がはるか向こうまで見える。もうそれは、森ではなく単なる焼け野原だった。しかも、相当に広範囲に渡る。
「か、火事でしょうか?」
「ひでえな、丸焼けじゃねえか」
「相当激しかったみたいだね」
「無惨なことだ」
「……」
だが、悲惨な光景はそれだけでは済まなかった。
灰と化した森を抜け、街道を下って、大きな川沿いの低地に入ると、川が氾濫して運ばれたと見られる大量の土砂や流木が、辺りの低地を埋め尽くしていたのだ。
これまで、馬車は整備された街道を滑らかに走ってきたのに、いつの間にか土砂を両側にどけただけの泥道を走っている。ガタガタと馬車が揺れ出した。
「おいおい、今度はなんだ?」
「洪水……か」
草原だったと思われる周辺部は、見渡す限り泥や漂流物で醜く覆われていた。
大きな水害があったことはあまりにも明らかだった。
そして、やがて馬車が街の中に入ってきた時、更に悲惨な光景が目に入ってきた。
「ひ、ひどい……」
「こりゃあ、街がメチャクチャじゃねえか」
「そんな……、ここまで酷かったなんて……」
パルフィが言っていた『美しい街』は、見渡す限りほとんど全ての建物が焼け落ちているか、半焼状態だった。被害を受けていない建物などひとつもない。
石造りの建物は壁がそのまま残っているところが多かったが、壁面を真っ黒に染めている煤がどれだけ激しい炎に焼かれたのかを物語っている。そして、その内部は単なる燃え残りだった。木造の建物にいたっては、完全に消失しているか、骨組みの残骸しかない。
すでに火は完全に消し止められているようで、煙などはもう見えない。しかし、まるで戦で激しい焼き討ちに遭ったかのような様相である。
それだけではない。さきほど見た、川の氾濫によるものと思われる大量の土砂や流木、川草の類が、ここでも地面を埋め尽くしたと思われた。所々片付けられ、かろうじて、馬車が通れる程度に土砂が脇に避けられている程度である。
元は美しい街だったのかもしれない。しかし、この状態からは、一体どんな街並みだったのかを予想することすらできない。それは、もはや廃墟に近い有様だった。
「これって、火事と洪水?」
「……ええ、そう聞いたわ。だけど、こんなにひどいなんて……」
パルフィは、ただひたすら外の様子を見つめている。
やがて、馬車は街の中心部に入る。そこは、まだ外縁部よりもまだ復興作業が進んでいた。土や泥を片付けたり、家を修繕したり、人々は一生懸命に作業をしている。兵士も派遣されているらしく、簡易の兵装に身を包んだ多数の兵士も作業に当たっている。
川の氾濫による土砂や漂流物は概ね片付けられ、焼け落ちた建物も再建が進んでいるのか、あちこちの建物で足場が組まれ、人々が作業していた。新しく建てられたとみられる、家屋や施設らしき建物もちらほらと見える。
だが、それでも建物のほとんどが手つかずであり、災害の深い爪痕がいたるところに残っていた。
そして、住民たちの姿もまた、痛ましいものだった。
小さな子供を抱いた母親、動くことの出来ない老人、そして、包帯をあちこち巻いたけが人たちが、おそらく自分の家であったであろう残骸の前に座っている。涙も枯れ果てたのか、泣いているものもいない。だが、その表情は、みな空虚なもので、生きる気力をなくし、ただそこに佇んでいるだけだ。
これは、動ける者たちも同じであった。黙々と片付けや修理のために働いているが、覇気が全く感じられなかった。ただ、悲しみを紛らすためだけのようにも見えた。
そして、本来ならこのように晴れ渡る日中なら見えるはずの、元気に駆け回る子供達の姿もない。
金づちの音や木を切る音は聞こえてくる、しかし、人の声はしなかった。
それは、死が生き残った者すら蹂躙してしまう証のような静けさだった。
生気のなさ、そして、悲しみと絶望がまるで黒いオーラのようにどんよりと街全体を覆っていたのだ。
「……」
「……」
クリスたちは、この光景に一瞬言葉を失った。
「これじゃ、まるで戦の後じゃねえか」
「……むごいです」
「一体どんな災害だったのだ……」
「……」
クリスが、ふとパルフィに視線を移すと、彼女は相変わらず悲痛な表情で、ものも言わず、ただ流れていく光景を見つめている。
(……でも、こんなところに来て、パルフィの元気を取り戻せるのかな)
クリスは、パルフィがここに連れて来られた理由を測りかねていた。
ルーサーは、励ますために彼女をここに連れてきたはずである。
しかし、この光景はパルフィの気持ちを上向かせるきっかけになるとは到底思えなかった。いや、むしろ逆効果なのではないか。事実、先程からパルフィは一切口も聞かず、深い悲しみの目で街の様子を見ているだけなのだ。
それはやむを得ないことだとクリスは思った。この土地で生まれたパルフィにとって、ここは特別な場所なのだから。
やがて、街の広場らしき場所で馬車が止まった。おそらく、王族が来ると知らされているのだろう、大勢の住民が広場に集まっているのが窓の端に見える。
そして、馬車の扉が開いた。ルーサーだった。
「みんな、ご苦労だったな。ここが目的地だよ。もう、聞いていると思うが、ここはフォルシェッテ。パルフィの領地だ」
「お兄様……あ、あたし、こんなにひどいなんて……」
よほどショックだったのだろう、パルフィの声は震えていた。
「ああ、そうだな。これは、さすがに話に聞くだけでは分からないだろう」
「殿下、この有様は一体……」
「うん。すでにパルフィには伝えたが、フォルシェッテは、先月、二つの大きな災害に襲われるという憂き目に遭ったのだ。事の始まりは大きな山火事だよ。火元は、街からかなり離れたところだったのだが、この街は杜の都と言われるほど、周りに森があってね。折からの強風にあおられて、山火事がこの辺りまで広がってきたのだ。他の都市よりも大量に木材を建築材料に使っていたことと、街の内部にも多数の樹木が植えられていたために、余計にひどい被害を受けてね、結局、街は三日間燃え続け、多くの市民に被害が出た。
そして、そのすぐ数日後だ。大火の痛手から立ち直らないうちに季節外れの嵐がやってきて大雨が降ったのだ。本来なら土砂崩れや氾濫を防ぐ働きをしていた森も焼け落ちていたため、土砂があちこちで崩れ、おまけに上流にあるリール湖の堰が決壊した。そのために一気に川があふれ、低地のこの辺りが完全に流されてしまったのだよ。しかも、火事で脆くなった建物も倒壊したりしてね、それはひどい状況だったという話だ。聞いたところでは、火事も水害も共に数百年に一度の規模だったそうだ。そして、この二つの天災で多くの住民が犠牲になった。およそ住民の三割が亡くなったのだ」
「そんな……」
「だが、見ての通り、大規模な復興作業が始まっている。軍隊もすでに出動させてある。怪我人や病人の手当てと、疫病対策に臨時の療養所も設けたし、焼け出されたり家が流された人のために、一時しのぎだが宿泊所も建て食料も配給している。まだ、元の姿に戻るのは、かなり先になるだろうが作業自体は順調に進んでいるんだ。ただ……」
「……」
「ただ、問題は、住民たちの悲しみはあまりに深く、生きる気力を失ったものが多いということなのだ。もうあれから一月以上経つが、立ち直る様子がないのが気がかりなんだ。まあ、多くの人が亡くなった上に、あれほど風光明媚な場所が、このような見るも無残な姿になっては、悲しみが癒えないのは当然と言えるのだが……」
「じゃ、り、離宮は?」
「少々焼け焦げただけで無事だ。もともと丘の上にあり、水害の被害には遭わなかった。山火事の時も、街の者が真っ先にそこに駆けつけてくれたらしくてな。この街で、難を逃れた唯一の建物と言えるだろう」
「そう……」
「ねえ、パルフィ。離宮って?」
「私の生まれた家よ。王族の滞在用に小さな宮殿があるの……。たまにしか来ないのに……、みんなが……」
パルフィは、思いつめたように下を向いた。おそらく、このようなひどい災害の真っ只中に自分の離宮を守ってくれたことに、申し訳なさを感じているのだと、クリスは思った。
「パルフィ……」
「まあ、そういうわけで、私がこうやって父上の名代として顔を出しているわけだ。父上が先日おっしゃっていただろう? 王族の重要な務めの一つに、視察や行幸があるとな」
「じゃあ、あたしもそのために……」
「そうだ。成人になるまでは名のみのとはいえ、お前はここの領主だ。それに、フォルシェッテの住民は、みなお前のことを慕っている。おまえが顔を見せれば、多少なりとも元気を取り戻すだろうと思ってな」
「分かったわ、お兄様。あたしも力になりたい」
「頼んだぞ。だが、お前は、ここで少し待っていてくれ。クリスたちだけ降りてもらおう」
「は、はい」
「え、で、でも、あたしは?」
「お前は、私が呼ぶまでここにいてくれ。少々段取りというものがあるのだ」
「う、うん、分かった」
クリスたちは、馬車を降り、ルーサーとお付きの秘書官や役人らしき数人のあとについていく。
おそらく、あらかじめ知らせがあったのだろう、大勢の住人が広場に集まっていた。二千人はいるようである。すでに広場は片付けられており、泥だらけではあったが、集会を開くことが出来る程度にはスペースがあった。
王子の到着にどよめく民衆。
「おお、ルーサー様だ」
「また、来てくださったぞ」
「ルーサー様」
歓迎する声があちこちから聞こえ、中には笑顔も見えるが、やはりどことなく精気に欠けたものであった。
一人の、おそらく町の長と思われる、比較的身なりの良い初老の男性が後ろに数人の町民を従えてルーサー一行の前に現れて片膝を付いた。
「ルーサー殿下、このようなところまで再度のお越しを賜り誠にありがとうございます。全住民を代表して御礼申し上げます」
「ガラード殿、町長のお役目ご苦労に存ずる」
挨拶を交わして、ルーサーは立つように促した。
「町の再建自体は順調に進んでいるようだね。先日来た時よりも、ずいぶんと片付いているように見える」
「は、お陰様を持ちまして。ただ……」
「うん。まだ、住民たちの士気が上がらないようだ。それも仕方ない。カトリアで一番美しいといわれた街がこのような被害を受け、多数の住民が亡くなったのだ」
「は、まことに……」
「今回も物資をいろいろと持ってきた。前回要請されたものも全て含まれているはずだ。もし、他に必要なものがあったら、何でも遠慮なく言ってくれ」
「これは、なんとお礼を申し上げて良いか。住民たちもさぞ喜ぶでございましょう」
「殿下」
ガラードの横にいた、立派な鎧をつけた騎士が頭を下げる。
「おお、バルフォード、ご苦労。どうだ、復興作業の方は?」
「は。すでに街の機能はほぼ回復しております。主な公的施設の建設も順調に進んでおります」
「そのようだな。先日来た時よりも、大幅に再建が進んだように見える。バルフォード、本来なら、民を敵から守る役目のそなたたちをこのような任務に当たらせてすまないが、この任務はまさに絶対必要なもの、兵士たちにはよく言って聞かせ、ねぎらってほしい」
「ははっ。かたじけないお言葉にございます。しかしながら、我ら護民騎士団の本分はカトリアの民を守ること。他国の兵から守るのも、災害から守るのも同じことにございます。ご心配には及びませぬ。我ら騎士長から平兵士に至るまで、この任務の重要さを心得ております」
「そう言ってくれると助かる。では、私が住民たちと言葉を交わしたあと、また、兵士を集めてくれ。私も直接彼らと話したい」
「は、兵士たちもどのように喜ぶことでありましょう」
バルフォードは、深々と頭を下げ、一歩下がった。
ルーサーは、設えられた壇の上に乗って、そこに居並ぶ市民を見渡した。
「ルーサー様ああ」
「王子さま」
「ルーサー王子」
ルーサーを呼ぶ声が、あちこちから聞こえてくる。だが、それは、歓声というにはあまりにも、悲しみに沈んだ声だった。
「フォルシェッテの民よ。この間、ここに来てからすでに二週が過ぎた、みな少しは元気を取り戻せたか?」
幻術士たちが数名、魔道でルーサーの声を増幅させているため、後方まで声が響き渡る。
「あれから、建物の修復、道路の復旧、堤防の仮設など、かなりの作業が進んだようだ。徐々に元の姿を取り戻しているのを見るのは喜ばしいことだ。我々も、この街を復活させるために、最善を尽くす。皆も、辛い気持ちもあろうが、協力してほしい」
また、何処かからルーサーを讃える声が響く。
ルーサーは、軽く手を上げそれに答えつつ、続けた。
「今日は、幾つか皆に知らせたいことがあってやって来た。まず、最初は、国王陛下からのお達しだ。陛下のご配慮により、フォルシェッテに掛けられる税をこれから一年間免除とする」
「おお」
「ありがたい」
「国王陛下万歳!」
どよめきにも似たざわめきが広がる。
「また、国王陛下におかれては、このフォルシェッテの状態をこの上なく案じなされており、皆を激励するため、この地を行幸なされるご所存である。そのつもりでいてくれ」
よほど、国王の訪問が大きな事だったのであろう、元気が感じられないまでも、大きな歓声が起こった。
ルーサーは、片手を上げる。その途端に、歓声は止み、住民たちが静かになる。
「そして、最後に、皆に一つ私からの贈り物がある。今日は皆を励ますために、会わせたい人物を連れてきた。だが、その前に、後ろの者がよく見えぬだろう。構わないから、全員、腰を下ろしてくれ。そなたたち全員に姿を見てもらいたいのでな」
その言葉に、住民たちがそれぞれ思い思いにその場に腰を下ろす。そして、王子が「贈り物」と言った人物が一体誰なのかを知りたい様子で、ひたすら前方にある御料馬車を見守った。
ルーサーは、住民たちが腰を下ろすのを見届けると、馬車の方を振り返り、扉のそばで控えていた御者に合図を送った。御者は一礼して、馬車の扉を開ける。そして、御者に手に取られ中から出てきたのは、パルフィだった。
「あ……」
「お、おぉ……」
パルフィの登場は、まったくもって予想外だったのか、ルーサーの登場時とは異なり、住民は一瞬静まり返った。そして、次々と、ざわめきが聞こえてくる。
「おお、姫さま」
「ひ、姫さまだ……」
「なんてこった、姫さまがここに……」
「みんな、姫さまだぞ」
「おい、誰か、来てねえヤツに知らせてこい!」
パルフィは、ゆっくりと、民衆の前に来て、ルーサーに変わって壇上に立つ。
ルーサーが登場した時も、歓声は上がった。しかし、パルフィが馬車から出てきたときの反応は、歓声でも称える呼びかけでもない、ひたすら感情のほとばしりだった。中には感極まって泣き出す者もいたのだ。
「姫さま……」
「ううっ……姫さま……」
「姫さま、ワシらは、ワシらは……」
「この街は、こんなことになってしもうて……」
それは、歓声ではなく、悲しみのどん底にある者が救いと共感を求めるような、悲痛の叫びだった。
それだけではない。おそらく、誰かが呼びに行ったのだろう、中には包帯でぐるぐる巻きになったものや、1人では歩けず両側を支えられて来たものまでが、家々や避難所と思われるところから現れては、群衆に加わり膝をつく。その人数は、どんどん増えていく。そして、皆がパルフィを必死に見つめる。まるで親を探し求めるひな鳥のような、すがるような目だった。
パルフィはゆっくりと民衆を見渡し、口を開いた。心なしか顔は青ざめ、声はかすれていた。
「みんな、久しぶりね。遅くなってごめんなさい……。大変な目に遭ったわね……」
パルフィの声が、幻術士たちによって拡声され、最後部にいるものにまで聞こえてくる。
「姫さま……」
「姫さまっ」
「ううぅぅ」
パルフィの声に、心を動かされたのか、住民たちがすすり泣く声があちこちから聞こえてくる。
「姫さま、みんな、みんな死んでしもうた」
「あ、あたしの娘も孫と一緒に……、ううぅ」
「街も焼けて、水に流されたですだ」
口々に、住民たちが涙に濡れながら、声を上げる。住民たちの声も幻術士の術で拡声されている。パルフィは、その声に分かっていると言い聞かせるようにうなづきかけた。
「話には聞いていたけど、こんなにひどかったなんて思わなかったわ……」
「ううう」
「姫さま………」
「……私はこの街が好きだった。美しくて、活気があって。毎年ここに来るのが楽しみだったのよ。あたしは、この街にいい思い出しかない。それが、こんなことになるなんて……。たくさんの人が亡くなったって聞いたわ。みんな、大切な人を亡くしたのでしょう……。つらい目に遭ったわね」
そして、パルフィはポロポロと涙を零した。
「ひ、姫さま」
「わ、わしらのために泣いてくださるのか……」
「なんと、もったいないこと……」
「姫さま」
「涙をお拭きくだされ」
住民たちは、パルフィが自分たちのために涙を流してくれたことに大きく感動し、そしてまた、愛するものを失ったという悲しみを新たにして、あちらこちらで、嗚咽や慟哭が響き渡る。
「それに、聞いたわ。みんな、離宮を守ってくれたのね。おかげで、あたしの生まれた家は無事だった。自分のことを後回しにして、あたしの家を助けてくれたこと、みんなが見せてくれた忠誠は、あたし一生忘れない。本当にありがとう」
パルフィは深々と頭を下げた。
それを見た、住民たちは、あまりにも恐れ多いと思ったのか、一斉に座りなおして平伏し、そして、パルフィに顔を上げるように慌てて頼んだ。
「ひ、姫さま」
「姫さま、どうかお顔をお上げになってください」
「もったいのうございます……」
「あのお屋敷はこの街の象徴でもあるのじゃ」
「ワシらは姫の民です、当然のことをしたまでです」
「姫さま……」
「お顔をどうか……」
パルフィは、その声にようやく頭を上げて、再び住民に語りかけた。だが、そのとき、クリスはパルフィの表情に変化が現れたことに気がついた。悲しみにくれるばかりだったのに、目に何か決意のようなものが見て取れたのだ。
「ねえ、みんな、聞いて。今日、ここに来て、あたし本当にショックだった。あれほど美しかった街がこんな姿になって、そして、たくさんの人たちが亡くなってしまった。今も心が潰れそうなくらい痛いの。……でもね、あたしは今日ここで、それと同じくらい辛いことがあったの、それが何か分かる?」
広場は静まり返り、ただパルフィの言葉を待つように、誰一人何も言わなかった。街が廃墟と化し、多くの住民が死ぬ。それと同じくらい辛いことなどあるのだろうか、そんな疑問が心に浮かんだように、人々は近くの者と顔を見合わせる。
「……それはね、あなたたちの打ちのめされた姿を見たことよ」
胸をつかれたかのように住民たちが体を震わせ、息を飲んだ。
「みんな辛いのは分かってる。だって、ここに立ってるだけで、みんなの悲しみは伝わってくるもの。きっと、誰もが愛する人を亡くしたのよね。だからね、泣くな、なんて言わない。泣きたいだけ泣いたらいいのよ。ここで亡くなった人たちは、それだけ大事な人たちだったのだから。それに、悲しむことも、亡くなった人を弔うことだとあたしは思う。……でもね」
パルフィは、ひときわ大きく声を張り上げた。
ハッと、住民たちが涙にくれながらも面を上げた。
「でもね、泣くだけ泣いたら、少しでもいい、いえ、泣きながらでもいいの、前を向いて。一歩でもいいから足を踏み出してちょうだい」
そして、少しづつパルフィの声が熱を帯び始める。同時に、住民たちはまるでパルフィの言葉に引き寄せられたかのように、ただひたすらパルフィの言葉に耳を傾けていた。
「あなたたちが泣いてるばっかりじゃ、亡くなった人たちの霊が浮かばれない。安心して天に召されることができないのよ。確かに大勢の人が亡くなったわ、でもね、あなたたちは一人じゃない。カトリア王国は決してあなたたちを見捨てはしない。わたしもよ。それに、亡くなった人たちが、みんな何時だってあなたたちを見守ってくれているのよ。だって、フォルシェッテの民はみんなこの地を愛してくれていた。街が元に戻ったら、きっとみんな守護霊となってこの地に戻ってきてくれるってわたしは信じてる」
そして、パルフィは頭を高く上げ、真剣な目で宣言した。
「今、あたしはここに誓うわ。カトリア王国第二王女にしてフォルシェッテ公パルフィ・アマリア・カトリアートの名において、この街は必ず元に戻します。たとえどれだけかかろうと、元の美しい街に、あたしが大好きだった街に戻してみせる。それは約束する。でもね、それだけじゃダメなの。街は単なる入れ物にしかすぎない。そこに生きている人たちがいるから、街は街として生きてるのよ。たとえ、建物が新しくなっても、見た目が元通りになっても、みんなが立ち直らないと、この街は元には戻らない……。みんな分かってるの? 建物が街を作るんじゃない。あなたたち自身がフォルシェッテそのものなのよ! この街で一番大切なのは、今ここにいるあなたたちなのよ。あなた達が元気にならないと、この街は復活できない。だから、お願い、元気だして。そして、いつか亡くなった人たちの霊がこの地に戻ってきてくれるよう、もう一度、光あふれる街にするのよ」
住民たちはパルフィの檄を受け、まさに雷を打たれたかのように、激しく震えた。そして、パルフィの姿以外は何も見えず、パルフィの言葉以外は何も聞こえないかのように、ただひたすらパルフィの姿を食い入る様に見つめている。
パルフィの言葉はますます熱を帯びていく。
「あたしはみんなを信じてる。こんな何百年に一度の大災害も耐え忍び、そして、これまで以上に活気ある街にしてくれることを。このフォルシェッテは、あたしの領地なのよ。そこに住むあなたたちが、このまま生気も希望も失ったまま、街と共に朽ちていくなんて、あたしは信じない。必ず、この悲劇から立ち直ってくれるって、あたしは絶対信じてる。あなたたちのことをあたしは、いつも誇りに感じてきた。カトリアの数ある領地の中で、この地で生まれ、この地の領主になれたことを、私はいつも誇りに感じてきたわ。それは、フォルシェッテが美しいからだけじゃない。あなたたちがいたからよ。この街を愛し、尽くしてくれたあなたたちに誇りを感じていたのよ。その誇りをもう一度感じさせて。だから、フォルシェッテの民よ、ここに王女の名において命じます。今こそ立ち上がるのよ! そして、あなたたちの本当の姿を、その勇気と愛情に満ちた姿をもう一度私に見せてちょうだい!」
パルフィの熱が、そのまま移ったかのように住民たちの目が爛々と輝いてくるのがクリスにもはっきり見えた。
そして、目の前で映し出される光景にクリスは自分の目を疑った。
包帯をぐるぐる巻にして松葉杖を付きながら両側を支えられてようやく立っていた男は、杖を離し背筋をピンと伸ばした。気力をなくし、地べたに座り込んでいた老婆も目を爛々と輝かせ、よろよろと立ち上がった。
まさに、死と破壊に絶望していた村人たちに、溢れんばかりの生命エネルギーを直接ぶち込んだかのような激しさで、人々はまさに生き返ったのだ。
パルフィはいつのまにか涙を流していた。しかし、その滂沱と流れる涙も拭こうとせず、言葉を重ねる。
「こんな大変な時に一緒にいてあげられないのはあたしも辛い。けど、あたしは修行のためにここにはいられないの。この国の礎となるために、立派な王女になるために修行を積まないといけないのよ。だから、私はもうしばらくはここに戻って来られない。でも、あたしは、あなたたちが今立ち上がろうとする姿を毎日思い出して頑張るわ。あなたたちが、こんな辛い目にあっても前を向くなら、あたしはきっとどんな辛いことにも立ち向かえる。だから、お願い。どうかあなたたちも負けないで……、お願い……」
最後は涙声で訴えかけるパルフィに心を揺さぶられたのか、前列にいた町の若い者が突然立ち上がった。そして、顔を紅潮させながら、後ろを振り返って住民たちに叫んだ。
「みんな、こうしちゃいられねえ、姫さまは、俺たちのことを誇りだと言ってくだすったんだぞ」
それを機に、群衆のあちらこちらで、立ち上がって鼓舞するものが次々と現れた。
「そうだ、姫さまに恥かかしちゃいけねえ。こんなところ、他の街の奴らに見られたらどうする。何としても元の姿、いや、それよりもすげえ町にするんだ」
「ちくしょう、こうなったら、絶対もとの姿に戻してやる。おらあ、息子をなくしたが、こんな姿を息子にさらしたくねえ。親父が頑張ってるところをみせねえとなんねえ」
男性は、ボロボロ泣いていたが、拳でぐいっと涙を拭いた。
「姫さまのおっしゃる通りだ。死んじまったやつらは、みんな俺たちを見ててくれてるんだ。なのに、こんな風にしてたら、俺たちはやつらに会わす顔がねえぞ」
「そうだよ、みんな。姫さまだって、修業で頑張ってなさる。なのに、あたしたちが、寝そべってられるかい?」
「わしたちは、フォルシェッテの民、姫さまの民じゃ。なんとしても、姫さまが戻ってこられる時には、素晴らしい町にしておくんじゃ」
「そうじゃ。姫さまにようやったと褒めていただくんじゃ」
「俺たちの底力を見せるのは、今だ!」
次々と、住民たちが立ち上がり叫ぶ中、ガラード町長が声を張り上げた。
「みんな、動けるものは作業に戻れ。怪我をしたものは、無理をする必要はない。復興には全員の力が必要じゃ。無理をせず、自分の出番を待て。そして、いつかわしたちが……、この街が復活した時、姫さまにご覧にいれるのだ。わしたちは、パルフィ姫の民なのじゃ。それを忘れるな!」
オオッ
轟くような叫びが街中に響き渡り、住民たちは次々と立ち上がってパルフィに一礼して、またそれぞれ作業に戻り始める。しかし、その様子は先ほどまでとは雲泥の差だった。ついさっきまで、街全体を覆い尽くしていた死の余韻、悲しみと死に蹂躙された街という雰囲気は微塵もなかった。もちろん、大切な人を失った悲しみが消えたわけがない。しかし、子供から年寄りまで、そして、怪我をしているものも無傷な者も、そこにいるのは、強い決意と情熱を持って、その悲しみを乗り越えようとする勇気ある者の一団だった。まるで、住民の一人一人から、激しい炎のような生気が溢れ出すのが目に見えるようだった。
そして、民衆たちをこのような姿に変えたのが、パルフィなのだ。
(これが、パルフィの……、王女としての力なんだ……)
クリスは、カトリアに来て初めて、パルフィの王女たる姿を目の当たりにした気がした。
普段は、気が強くてお転婆で小柄で華奢な、普通の女の子であるパルフィが、今はまさに王女そのものであった。今の演説は、言葉尻だけみるといつものパルフィである。しかし、その言葉には、統治者として臣民を従わせるだけの風格と威厳、そして魅力にあふれていた。
どんなに偉大な幻術師であっても、催眠や魔道だけで、この人数の人間を動かすのは相当に難しいだろう。しかし、パルフィは魔道など一切使わず、ただ、自分の思いを伝えただけだ。それだけで、絶望のどん底に打ちのめされていた二千という町民の精神を高揚させ、立ち上がらせた。
クリスは、パルフィの王女としての高い資質、そして、王族がどのような存在かを思い知らされた気分だった。
一方で、パルフィも今だに目をうるませながらも、顔は紅潮し、決意に満ちた表情をしていた。これまでの、どこか落ち込んだ弱々しい様子はこれっぽっちもない。ただひたすら、目が爛々と輝き、燃えるような情熱に満ちていた。
パルフィもまた、住民たちが立ち上がる様子を見て、勇気をもらったのだ。
(パルフィ……)
パルフィは壇を降りて、その場に残っていた怪我人や年寄りたちのところに向かい、直接言葉を交わした。おそらく励ますようなことを言ったのだろう、相手は何度も頭を下げ、涙を流していた。だが、それは悲しみ一辺倒の涙ではなく、まさに、前を向いて歩き出そうという決意が見えるものだった。
「すげえな……」
グレンが、思わずといった体でつぶやく。
「うむ。あれが、パルフィの本来の姿なのだな」
「どこから見ても立派な王女さまじゃないですか」
パルフィの演説に感動したのか、ルティも涙ぐんでいる。
「……そうだね」
余韻から抜け出せないように、パルフィの様子を見つめるクリスたちの前に、ルーサーが歩いてきた。
「みんな」
「……殿下」
「やれやれ、まったく。あそこまで民衆に慕われ、愛されておきながら、『王女に向いてない』と言って家出されては、私たちの立つ瀬もないというものだよ」
そう言って、ルーサーは肩をすくめて愉快そうに笑う。
もちろん、それは真実ではない。ルーサーはルーサーで将来の賢王として期待される身であり、また、民衆にも敬愛されている。
だが、そのルーサーをして、「立つ瀬がない」と言わしめるほど、パルフィを慕う民衆の姿は圧倒的であったのだ。
そして、クリスはパルフィの様子を見て、ルーサーがなぜ彼女をここに連れてきたのかが分かった気がした。
「……殿下はこうなると分かって、パルフィをここに連れて来たんですね」
「ん? まあね。これでパルフィも自信になっただろう。そして、自分が王女として必要とされている存在であることが分かったはずだ」
「はい」
「まあ、フォルシェッテはあれの領地ゆえ、どちらにせよ連れてくる必要はあったのだがね。これで、自信が取り戻せたのなら来た甲斐があったというものだよ」
そして、やや表情を改めて、クリスたちに言った。
「クリス、そしてみんな」
「はい」
「君たちもこれで分かってくれただろう、パルフィの立場を。王族というのはね。もう、それだけで自分だけの体じゃないんだ。自分一人に何千人、何万人という人間の人生がかかっているんだよ」
「……」
「妹を特別扱いしろとは言わない。だが、このことだけは覚えておいてくれ。君たちが、パルフィの身を守る時、実際は何万人の民衆も守っているということを」
「……はい」
その時、クリスは悟った。自分たちがここに連れてこられたのは、何もパルフィの付き添いではなかったということを。ルーサーは、クリスたちに、パルフィの王女ぶりと、どれだけ民衆に愛されているのかを見せたかったのだ。
確かに、ここに来なければ、パルフィが王女としてどれぐらい資質があるのか、そして、何より、彼女がどれほどカトリア王国になくてはならない存在かを、本当の意味では分かっていなかったのは間違いない。だから、ルーサーはクリスたちに、いわば、思い知らせたかったのだ。
そして、結局、ルーサーは、住民の元気をとりもどすこと、パルフィの自信を取り戻させること、そして、クリスたちにパルフィの存在の大きさをしらしめること、この三つを同時に片付けてしまったのだ。
クリスはルーサーの聡明さにただ感じ入るだけだった。
「ん? どうした?」
自分を見つめるクリスに気がついたのか、ルーサーが尋ねた。
「あ、いえ……ここに来たのは、住民たちを勇気づけるためと、パルフィに元気を取り戻させるためだけじゃなくて、私たちに王女としてのパルフィの姿を見せるためでもあったんですね」
クリスの言葉を聞いて、一瞬、意外そうな表情を見せたあと、ルーサーはニヤリと笑った。
「なるほど、君はなかなか頭が回るようだね。ますます気に入ったよ。だが、その通りだ。父上もさっき仰っていたが、兄としての打算だよ。これで、君たちが少しでも無茶をしなくなれば、ここに連れて来たのも無駄ではなかったということだ。アルティアから取り寄せた、君たちの活動報告書を読んで肝を冷やしたのは、父上と母上だけではないからな」
「う……、は、はい」
「ははは。まあ、いい。クリス、そして、みんな。パルフィのことをどうかよろしく頼む。あれでも、私の大切な妹なのだ。たとえ、気の強いお転婆娘でもね」
「……はい」
そう言ってまた愉快そうに笑ったルーサーの目は、パルフィに対する愛情に溢れていると、クリスは思ったのだった。




