王女の資質(1)
それから二日後。日もかなり高くなろうとする頃。
昨日から始まった呪文の修練から一旦戻ったクリスは、王宮内に割り当てられた自室のソファーに座って、魔道書に目を通していた。そこには、今練習している、ある呪文の術式や唱える聖句、そして、発生原理からその効果まで事細かに書かれている。
(呪文を増幅して他者に掛けるための呪文か……)
パラパラとページをめくりながら、物思いに沈むクリス。
昨日の朝、体調がほぼ元通りになったのを見計らったように、アルキタスがガイウスという名の宮廷魔道師を伴ってクリスを訪れた。そして、この呪文を習得するように告げたのだった。魔道書はその時に手渡されたものだ。
幻術師であるアルキタスは魔道士のクリスを教えることが出来ない。クラス(職種)が異なると魔力の発生方法や呪文の基本的な術理なども異なるためだ。ガイウスを連れてきたはその理由からであった。そして、クリスは、それから二日間ずっとガイウスの指導のもと、この呪文の練習に励んでいたのだ。
クリスが修得するように求められた呪文。それは、パルフィの催眠防御呪文を増幅し、術者以外にも掛けられるようにするための呪文だった。
四百年前の『魔道大戦』において、カトリアの幻術師が編み出した催眠防御呪文を、アルトファリアの魔道師団が増幅し、ルーデンスバーグの戦士たちに掛けることによって、魔族を撃退した。この時に用いられた呪文である。
パルフィはすでに催眠防御呪文を習得しているため、クリスが増幅呪文を習得すれば、自分やグレンたちも催眠防御呪文の効果を受けることができる。つまり、もし再び魔族と遭遇しても、彼らの思い通りに操られることがなくなるのだ。
(この分だと、明日には何とかなるかな……)
幸いなことに、催眠防御とは異なり、単に増幅して他者に効果を波及させるだけの呪文は、発動原理が比較的簡単な上、メンバー数人に掛けられる程度の強度でよいため、難度は低かった。また、高位の魔道師であるガイウスがつきっきりで指導していたということもあって訓練は順調に進み、おそらく、あと一日程度の練習で習得できると思われた。
(次に遭遇した時には、無事でいられるだろうか……)
ふと、クリスは先日の魔族との遭遇を思い返していた。もう少しで危ないところだったということに加えて、いくつか気になっていたことがあって、それが頭を悩ませていたのだ。
その一つは、ヴェルフェールと名乗った魔族とその部下たちが使っていた、赤い玉を射出するあの道具である。それを見た時、クリスには不思議な既視感があったのだ。
なぜ、見たことがないはずの魔族の道具を見知っていたのか。あの時は気がつかなかったが、今ははっきり分かる。
(あれは……、フィンルートの旧文明遺跡の中で見た、リチャードの武器にそっくりだ……)
レイチェルを助けるために、旧文明遺跡の中に潜入したとき、ベルグ卿を名乗っていた旧文明人のリチャードがクリスたちを攻撃してきた。その時、彼が手に持っていたのが、あの魔族の武器に似ていたのだ。異なるのは、リチャードの武器からは光の玉ではなく、光線が発射されていたということだろう。むしろ、光の玉を撃つというのは、旧文明の機械兵士たちの掌から発射されたものに似ている。
しかし、いずれにせよ、その道具と光の玉は、この時代のものとしては異質であり、旧文明のものに近いように思えた。
このため、クリスは魔族が旧文明と何かつながりがあるのではないかと思ったのだが、そうすると、今度は、レイチェルが魔族のことを全く知らなかったという事実が不自然になる。
『魔族……か。そんなものまでいるのね、この時代には……』
先日、レイチェルに魔族の話をした時、彼女が言った言葉である。彼女は本当に魔族の存在を知らない様子だったのだ。
(それに、あの防護壁を使った時のあいつのセリフも不自然だった……)
あのとき、キャセルの炎の玉を防いだヴェルフェールが言った一言が、もう一つの疑念となってクリスの心を占めていた。
『ふむ、思ったより、このフォースシールドとやらも役に立つものだな。ガルファス殿に感謝せねばならぬようだ』
「ふぉーすしーるど」という言葉も聞きなれないものだったが、それよりも、この言い方だと、ガルファスという術者がこの術を生み出したことが分かる。
しかし、アルキタスに聞いたところ、これまでの記録には、赤い玉の武器と『ふぉーすしーるど』については一切言及されていないということであった。魔族は催眠による同士討ちをさせるだけで、それ以外は通常の戦闘を行っていたということだったのだ。
つまり、これらの術や道具は最近になって使われだしたということになる。それは、ヴェルフェールのセリフからも間違いない。もちろん、新しい術を編み出したというだけなら納得できる。しかし、それなら、なぜ一万年前に栄えていた旧文明の武器と似ているのか、という疑問が残る。
(いったい、どういうことだろう……)
(だめだ、僕なんかがいくら考えても分かるわけない……。そうだ、レイチェルに相談してみよう……)
魔族のことを知らないレイチェルだったが、やつらの使う武器が旧文明遺跡で見たものと似ているのは、何かの手がかりになるかもしれない。アルティアに戻ったら、レイチェルを訪れてみる。クリスは、そう決めたのだった。
(それにしても、不思議な体験をしたものだ……)
魔族と戦うことになるなど、まさに夢にも思っていなかった。つい、昨日までは伝説の存在だったのだ。だが、魔族の脅威が現実のものであることは、身を持って分かった。
(いつか、また、人間と魔族が雌雄を決するような戦いが起こるのだろうか……)
クリスの物思いは尽きなかった。
コンコン
ちょうど、その時、ドアをノックする音がした。クリスが我に返る。
「あ、はい。どうぞ」
クリスが返事をすると、ドアが静かに開いて、侍女のアンナがにこやかな表情を浮かべて入ってきた。
「失礼いたします、クリス様」
「やあ、アンナ」
「お体の具合はいかがでございますか?」
「うん、もうすっかり元気だよ。っていうか、昨日からのガイウス先生との修行の方が体に堪えるよ」
苦笑いで答えるクリス。よほど、早急に学ばせたいのか、ガイウスとの修行は容赦がなかったのだ。
「まあ、ふふふ。でも、すっかりお元気になられてようございました。姫さまも大変ご心配なさっておられましたから」
「そうだね。ところで、どうしたの?」
「はい、国王陛下のお召しでございます」
「分かった。それなら、すぐに伺うよ」
クリスは、テーブルに魔道書を置いて立ち上がった。
「では、私がご案内いたしますので、こちらに」
「うん」
部屋を出て、しばらくの間アンナの先導で歩いてきたクリスだったが、これまでとは違う方に歩いていることに気がついた。てっきり、国王の居間に行くのだと思っていたのだ。
「あれ、こっちは陛下のお居間じゃないよね。今日は違うところ?」
「さようでございます。本日は『吉祥の間』で御引見なされます」
「吉祥の間?」
「はい。吉祥の間は、謁見に使われる広間の一つでございます。本日は、陛下の私的な御引見ということで、宮廷の皆様はご出席になりませんが、普段は公式の催し物が行われるのですわ」
「へえ、なんだろう……」
今後の事でも言い渡されるのかと思ったクリスだったが、それなら、これまで通り、国王の居間で済むはずである。
しばらく歩くと、廊下の突き当りに大きな両開きの扉が見えた。アンナは片方の扉を大きく開け、クリスに一礼した。
「こちらでございます。どうぞ奥までお進みください』
「おぉ、すごい部屋だね」
中に入ると、そこは豪華な広間であった。先日、建国記念の祝賀会が行われた広間よりはかなり小さいが、それでも華麗な様子は変わらない。ひときわ高い天井は、ドーム状になっていて、壮大な神々の絵が描かれている。床には大理石が敷き詰められ、壁にも華やかな装飾が施されていて、この広間自体が芸術作品のような趣であった。
そして、最奥に二段ほどの低い階段状になった幅広い壇があり、その上に玉座と国王一家の椅子が設えられていた。
広間の左前方には、これまた壮麗な両開きの扉があった。おそらくは、王族専用の入口と思われた。
「どうぞ、こちらでございます」
「う、うん」
きょろきょろしながら、アンナの後ろをついていく。
グレン、ミズキ、ルティの三人はすでに到着しており、壇から少し距離を空けた正面に、横一列に並んで置かれていた椅子に座っていた。クリスが歩いてきたのに気がついたのか、三人が振り向く。ミズキが声を掛けた。
「クリス」
「おう、おめえも来たか」
「みんな、来てたんだ」
「うむ」
「私はいま来たところです」
「クリス様も、こちらにお座りくださいませ」
アンナに促されて、クリスは端に一つ空いていたグレンの隣の椅子に腰掛ける。椅子が四つしか並べられていないところをみると、今日は、パルフィは王族の一員としてこの場に出てくるのだと当たりをつけた。それを指し示すかのように、壇上には国王と王妃の椅子の他に、三客の豪華な椅子がある。
「それでは、このまま今しばらくお待ちくださいましね」
「ああ、ありがとう」
アンナは、クリスたちに微笑みかけて、一礼して去っていった。
壮大な広間にポツンと残されたクリスたち。
私的な謁見とアンナの言った通り、公式な行事なら居並んでいそうな、文官や武官、役人などの姿はなく、他には誰もいない。
「何が始まるのかな? みんな、何か聞いてる?」
「いや、ここに呼び出されただけだ」
「あ、そう言えば、みんなどうしてたの? 昨日から会ってなかったけど」
場所をはばかって、クリスが声を潜めて尋ねた。
「ああ、私とグレンはこの二日ほど、ティベリウス団長に稽古をつけてもらっていたのだ。今も陛下のお召しだというので、稽古の途中を抜けてきたところでな」
「ティベリウス?」
「ほら、私たちがカトリアに入国したときに騎士団が国境まで迎えに来ただろう。パルフィの親衛騎士団の団長だよ」
「ああ、あの人か。でも、何でそんなことに?」
クリスの疑問に、グレンが肩をすくめた。
「さあな、いきなり鍛えてやるから来いって使いが来てよ」
「うむ。だが、濃密な修練で実にやりがいがある。親衛騎士団の訓練に参加させてもらっているのだが、団長自ら相手をしてくれてな」
充実した修行になっているようで、ミズキが嬉しそうに話す。
「ま、オレたちはコテンパンだがな」
「ああ。だが、おかげでいい勉強をさせてもらっている」
「へえ。じゃ、ルティはどうしてたの?」
クリスは、グレンの隣に座っていたルティに尋ねた。
「私は、昨日から宮廷医師長のクレイオス先生に呼び出されまして、回復呪文の練習とか、新しい呪文を教えてもらったりしてました」
「そうなんだ。実は、僕もアルキタス先生に言われて、呪文の練習させられてたんだよ」
「ほう」
「そうなのですか?」
「うん」
「なんでえ、じゃあ、みんな修行かよ」
「そうだね、どうしたのかな。あ、もしかして……」
ふとクリスが、何かに思い当たった表情になった。
「どうした、何か心当たりでもあるのか?」
「ほら、僕たちは陛下の出された試験の真っ最中だったじゃないか。キャセルと戦って勝つっていうさ。魔族が現れて、そのままになっちゃったけど」
「ああ、あれか。いろんなゴタゴタで、すっかり忘れてたぜ。まあ、ありゃあ惜しいところだったな。もう少しで勝てそうだったからな」
「なるほど。それで、もう少し稽古をつけて勝てるようにしてやろうということなのだな」
ミズキが納得顔で頷いたが、クリスが首を横に振った。
「いや、違うと思うな。多分、僕たちは合格したんだよ。もともと、いい勝負ができれば合格ってことだったからね」
「なら、何で稽古してもらってんだ、オレたち?」
「それは、もちろんパルフィのためだよ」
「ん、どういうことだ?」
「だって、僕たちが……、おっと、誰か来た」
前方の扉が開いて、中から人が出てきた。
侍従長のジョゼフが二人の小姓を従えて出てきたのだった。クリスたちは話すのをやめてじっと見守る。
「皆様、お待たせいたしました、国王、王妃両陛下並びに、ルーサー殿下、セシリア殿下、パルフィ殿下の御出座でございます」
そして、ジョゼフと小姓がそのまま扉のそばでひざまずく。しばらくすると、奥から小姓や侍女に伴われて、国王一家が入ってきた。パルフィもセシリアの後に入ってきたため、やはり、この場では、王女として扱われていると知れた。
クリスたちもすぐに椅子から立ち上がり、その場で片膝をついて、頭を垂れる。
やがて、国王一家が全員着席して、侍女と小姓が下がり、扉の近くに並んだところで、国王がクリスたちに話しかけた。
「みな、大義である。苦しゅうない、面を上げて掛けてくれ」
「はい。では、失礼つかまつります」
一同は、それぞれ一礼して椅子に座った。
それを見計らって、国王がクリスに話しかけた。
「クリス、そなた、大きな怪我を負ったようだが、もう回復したようだな」
「はい。クレイオス先生のおかげで本復いたしました」
「そうか、それは重畳である。さて、今日来てもらったのは、ほかでもない。先日の一件についてだ」
「……」
クリスたちは、身じろぎ一つせず、じっと国王の言葉を待つ。
「……そなたたちのおかげで、パルフィの覚醒が抑えられ、我が国の平和と秩序も保たれた。特に、クリス。そなたは、自らの命を賭してパルフィを救ってくれた。心より礼を言う。その功績により、そなたたちには褒美を遣わすことにした。それで、この吉祥の間に来てもらったのだ」
「陛下、恐れながらパルフィ殿下は、私どものパーティーの一員にございます。仲間のために命をかけるのはマジスタとして当然の事をしたにすぎませぬ。これで褒美を賜るのはたいへん申し訳ないことでございます」
「ふむ。さもあろうが、余の娘を救ってくれたは、紛れも無い事実。われらの感謝の印として、ぜひとも礼をさせてくれ」
「さようでございますか、もったいないお言葉です。それでは、お言葉に甘えまして……」
クリスたちは頭を下げた。
「うむ。では、さっそく一人ずつ順番に授けることとしよう。では、ルーサー、頼んだぞ」
「承りました、父上」
ルーサーは、椅子から立ち上がるとマントを翻し、壇を降りてクリスたちの少し前に立った。
「侍従長」
「かしこまりました」
ジョゼフは扉の横に立ち、ことの成り行きを見守っていたが、ルーサーが呼びかけると、そばに置かれていたワゴンを押してルーサーのもとに運んできた。それには何やら様々な品が置かれている。
「よろしい。まずは、グレンからだ。こちらに来てくれ」
「は、はい」
グレンは立ち上がって、ルーサーの前に出て、片膝をついた。
ジョゼフが、ワゴンから一組の籠手のような、金属製の防具を取り出し、ルーサーに差し出す。
「グレン。君には、ギリアム作の手甲を授けよう」
「えっ?」
差し出された手甲を受け取ったグレンは、驚いたように息を飲んだ。
「こ、これは……」
そして、顔を上げて国王を見る。国王は、グレンの呆気に取られた表情に、愉快そうな笑みを見せた。
「どうだ、気に入ったか?」
「そりゃあ、もう……。こ、こりゃ、すげえや……」
グレンは手甲を見つめたまま、固まっていた。
グレンの父は鍛冶屋であるため、目利きが利く。おそらく、その手甲の出来は見た瞬間に分かったのだろう。
「グレン、その防具、そんなにすごいの?」
後ろからクリスが聞くと、グレンが我に返ったようにクリスに答える。
「あ、ああ、そりゃおめえ、ギリアムっていや伝説の鎧鍛冶でな、こいつが作った防具は鉄なんかよりもはるかに硬くて、布より軽い、しかも、衝撃を吸収すると言われているんだ」
「へえ。そんなにすごいんだ」
クリスの隣でルティも不思議そうな顔で見ている。
たしかに、見た目はよくある手甲である。単に、肘から手首までを守るための金属の覆いにしか見えない。
だが、グレンは興奮で顔を紅潮させていた。
「まさか、こんなものをもらえるなんて……」
「グレン、君はティベリウスと稽古をしているのだろう?」
「は、はい」
「彼が言っていたぞ。君は、攻めは非常に優れた素質を持つが、守りに難があるとな。そこで、この手甲にしたのだ。これは、ティベリウスの提言でもある。これを使って、今後も精進してくれよ」
「あ、ありがとうございます」
グレンは手甲を押しいただくように胸に抱え、深く頭を下げた。
「ああ、しっかりな。……では、次は、ミズキだ」
「はい」
席に戻るグレンと入れ替わるように、ミズキがルーサーの前に片膝をつく。やや緊張して、頭を下げる。
今度は、侍従長がワゴンから刀を取り出した。普段ミズキが使っているヒノニアの刀に似ていた。
「ミズキ。君にはヒノニアの刀を授ける」
「ありがたき幸せに存じます」
ミズキは差し出された刀を両手でうやうやしく受け取った。
「ティベリウスによると、君は攻守にバランスが取れ、剣技は申し分ないそうだよ。ただ、一つだけ弱点を挙げるとすれば、『攻めが軽い』らしい。そこで、彼の話では君の舞うような攻撃方法を活かすために、軽くて細い剣がいいだろうということだった。ただ、私は、レイピアにしようかと思っていたのたが、セシリアがその刀がいいだろうと言ってな」
「セシリア様が?」
振り返るミズキに、セシリアが微笑みながら答える。
「ええ。私は剣のことはよくわからないのだけれど、ミズキはヒノニアの剣士でしょう? きっと、独自の流儀があると思ったの。宝物庫に一つだけあったヒノニアの刀なのだけど、どうかしら?」
「遠慮せず、抜いてくれてもいいよ。見なければわからないだろう?」
「は、はい。それでは、失礼して……」
ミズキがさやから剣を抜いて、目の前に掲げた。
「こ、これは……」
ミズキは、絶句した。
「どうしたの、ミズキ?」
「こ、これは、『吉兼』だ……」
「『ヨシカネ』?」
「ああ、吉兼はヒノニアの伝説的な刀工だ。ヒノニアでは、優れた刀工が作った刀は、刀工の名前や別称で呼ばれるのだ」
「へえ」
「中でも『吉兼』の作は、刀として極めて優れている上、残っている数が少ないため、幻の神刀とも言われているのだ。私も吉兼を見たのは初めてだが、見ただけで分かる。まさに、名刀の中の名刀……」
まるで、魅入られたかのように抜き身の刀を見つめたあと、我に返った。
「し、しかし、このような名刀、私のような未熟者ものに賜るなど……」
「そう思うなら、君がその刀に相応しくなるように励めばいい。だが、少なくとも、宮殿の宝物庫の奥深くにしまわれるよりも君に使われた方が刀工も浮かばれると思うがね」
「その通りだ。遠慮なく受け取るがよいぞ」
国王も壇上から声をかけた。
「はっ。ありがたき幸せに存じます」
ミズキは、刀を鞘に収め、深々と礼をした。
「次に、クリス」
「はい」
「君には、魔道士用のハーフローブだ。魔道士は幻術士よりもさらに防御力が低い。そこで、少しでも生き残る可能性をあげるためにこれを身につけて欲しい。これは、パルフィの選んだものだ」
「おお、それは……、パルフィ王女殿下に選んでいただけるとは、光栄です」
クリスは微笑みながら、パルフィに向かって頭を下げた。
「ふふ。だって、クリス、いつも戦闘のあとはボロボロなんだもん。……ねえ、ちょっと着てみてよ」
壇上から、パルフィがクリスに促した。
「では、失礼して」
クリスは立ち上がって自分のローブを脱ぎ、軽くたたんで床に置いた。そして、ジョゼフが着せてくれるのに身を任せ、袖を通した。
「あら、クリス、とてもよく似合いますよ」
「ありがとうございます」
黒いローブは、クリスの細身の体をピッタリと包み込み、ほんのかすかな青い光を放出していた。
「あれ、光ってる……」
「ああ。そのハーフローブは、着用者が発する魔力を吸収してシールドに転化するように作られている。君が強くなるほどに、防御力が上がるはずだ」
「これで、少しでもケガが減るといいわね」
「これは、何とお礼を申し上げてよいのか……」
「かまわないさ。これを着て、どんな戦いになっても生き延びてくれよ」
「はい」
「そして、最後に、ルティ。君にはこれを授けよう。母上が選んだものだ」
「えっ。王妃さまが……」
ルティは、ルーサーから、掌大の薄い物体を受け取った。それは、ほんのりと緑色の光を放つ黒い石だった。
「これは……?」
「これは、『慈悲の石』だよ。君も回復士なら聞いたことぐらいはあるだろう。世の中に少数しか存在していない聖石の一つで、回復系の呪文を増幅してくれる石だ。回復系の呪文しか効果が無いので、このような名前で呼ばれている」
「慈悲の石……、このような聖石を私に……」
「ルティ」
「は、はいっ」
ふいに、王妃に呼びかけられ、ルティが飛び上がった。
「この慈悲の石を手に握って呪文を唱えれば、あなたの回復呪文も強力になるでしょう。無論、仲間を守るためにも有用だけれど、行く先々で、困っている人がいたら助けてあげるのですよ。あなたのご両親のように」
「は、はい。ありがとうございます!」
感激の面持ちで、ルティが慈悲の石を両手で握りしめ、深々と頭を下げた。
そして、ルティが自分の席に戻ったのを見て、国王が満足そうに頷いた。
「これで、全員に行き渡ったな。いずれも、カトリア王国が誇る逸品だ。心して使ってくれよ」
「陛下、このような宝物を頂いてもよろしいのでしょうか。あまりの栄誉に身がすくむ思いですが……」
いずれも、個人で入手できるシロモノではない。まさに、国の宝である。四人で一つと言われても、身に余る栄誉である。それを四人分まとめて授かるのは、まさに破格の扱いであった。
「遠慮は要らぬ。お前たちは、それだけのことをしたのだ。それに、実を申せば、お前たちの働きに報いたいという気持ちだけではないからな。下心もあるのだよ、ふふふ」
国王が愉快そうに、笑った。
「と申しますと?」
「なに、お前たちが強くなればなるほど、パルフィに及ぶ身の危険も少なくなろうというもの。この褒美は、親としての打算も込みだと思うてくれ。パルフィがカトリアを出れば、わしたちも助けてやることが出来ぬでな。ゆえに、褒美とはいいながら、半分は我が娘のためでもあるのだ」
「じゃ、じゃあ、お父様……」
国王の言葉の意味を理解して、パルフィが椅子から身を乗り出して、尋ねる。
「うむ。アルキタスとも相談したのだが、やはりそなたには今後も外で修行してもらうことにした」
「ほ、ほんとに?」
「わしの試験も合格だったようだしな。約束を違えるわけにもいかぬだろう」
「ありがとう、お父様!」
パルフィは、こらえ切れないように椅子から立ち上がり、国王に抱きついた。
「これこれ、このような場所で、なんだパルフィ」
「だって、だって……」
嬉しそうに、父王の胸にすがりつくパルフィ。それを国王は優しく抱きしめた。
「おお、よかった……」
「ケッ、やれやれだぜ」
「これで、また五人で旅ができますね」
「だね」
(やっぱり、そうか……)
パルフィがパーティーを抜けずに済んでホッとしながらも、クリスは一人納得するようにうなづいた。
突然の稽古や修練は、少しでもクリスたちを強くして、パルフィの身の安全を確かなものにしようという、国王の配慮だったのだ。もともと、これらは単に試験に合格させるためではないとクリスは考えていた。本来なら、国王はパルフィを手元においておきたいはずなのだ。そのために、合格するのが難しい、キャセルとの勝負をあえて課題として出し、パルフィをカトリアにとどめおいたまま、修行ができるようにしたのだから。
そして、合格にする以上、どこで魔族と遭遇しても大丈夫なように、クリスに増幅呪文を学ばせたのだ。無論、いかなクリスでも、国宝級の装備を全員に賜るとまでは予想していなかったが。
「よろしい、パルフィ。おまえがカトリアを出国するにあたって、申し渡しておくことがある」
自分に抱きついていたパルフィをその場に立たせて、国王が告げた。
「はい、お父様」
「もし、お前の身元が露見して、お前が人質に取られるようなことになれば、カトリアは未曽有の危機に陥ることになる。それゆえ、カトリア国王として申し渡す。お前がマジスタとして活動している間は、お前はカトリア王家とはなんのゆかりもない人間である。たとえ、お前にどのような災厄が降りかかろうとも、カトリア王国は一切関知しない。したがって、お前も、こちらの救助は一切当てにするな」
「分かりました」
「よかろう。そのうえで、お前には守ってもらいたい二つの条件がある。この条件を飲めぬなら、残念ながらアルトファリアでの修行はかなわぬ」
「それは何ですか?」
やや緊張した面持ちで、パルフィが尋ねた。
「一つは、最低限の王女のつとめを果たすことじゃ。先日も言うたとおり、政治や外交はルーサーとセシリアがいる故、そなたがやる必要はない。しかし、そなたが出なければならない公式行事もある。そのときには戻ってきて、民に顔を見せてやってくれ」
「分かりました。それで、もう一つは?」
「うむ、こちらの方が重要じゃ。パルフィ」
「はい」
「……絶対に無茶はせず、必ず、無事に戻ってきてくれ」
「お父様……」
「お前は、わしたちの大事な娘だ。本当は危険な旅など一日たりともさせたくないし、遠くに行ってほしくはないのだ。必ず、無事に帰ってきてくれ」
「そうですよ、パルフィ。私たちを心配させるようなことはしないでね」
「お母様……」
パルフィが、今度は隣に座っていた王妃に抱きついた。
「まあ、パルフィ。こんなところで、甘えん坊ね」
「だって、だって……」
「立派な幻術士になるのですよ」
「はい……」
「……そして、クリス」
パルフィの様子を見ていた国王が、今度はクリスたちに向き直った。
「はい」
「そなたたちにも約束してもらいたいことがある」
「何でございましょう」
「今、パルフィには、マジスタとして活動している間は、カトリア王家とは何ら関係がないと申したが、それは、あくまで表向き。パルフィはわしの大事な娘であると同時に、カトリア王国にとってもなくてはならない人物であり、第四王位継承権者でもある。このことを心に留め、そなたたちには、ぜひともパルフィの身を守ってもらえるよう願いたい」
「承りました。私ども一同、パルフィ殿下を命に代えてでもお守りいたします」
「クリス……」
だが、その言葉を聞いてパルフィが顔を曇らせた。
(そんなの、あたし望んでない。王女だからって、みんなに特別扱いされて、守られて旅するなんてイヤ。あたし、足手まといになるなんて、いやよ)
パルフィは無言で、クリスを激しく見つめているだけで、実際には何も言わなかったが、クリスはそのパルフィの表情を見ただけでその気持ちが手に取るように分かった気がした。
「うむ。それならば、言うことはない」
「しかしながら、陛下。それは、パルフィ殿下が王女であられるからではありません」
「ん、どういうことだ?」
国王は、クリスの言った言葉の意味をつかめず、聞き返した。
グレンたちも何を言い出すのかと、横からクリスを見つめる。
「私たちは、パーティを組んでからずっと一緒に旅をして、時には生死を賭けて戦い、何度も危ない目に逢いながらもここまでやってきました。私たちは、もう強い絆で結ばれた仲間なのです。今お約束したとおり、命に代えてでも殿下をお守りいたします。しかし、それは、恐れながら、殿下が王族であられるからではなく、私たちの大切な仲間だからです。たとえ、殿下が王家の御一員であられず、一般市民のお立場であったとしても、私たちは、同じように命を賭して殿下をお守りしたでしょう。まさに、先日のように」
そういって、クリスは国王をまっすぐに見つめた。そして、グレンたちも同じ思いだったのか、真剣な表情で国王に顔を向けた。
「クリス……」
パルフィは、「王女だからではなく、仲間だから命をかけて守る」と言われたのがよほど嬉しかったのか、顔を紅潮させてクリスと自分の仲間たちをただ見つめていた。
「……なるほど、そのほうの申し条、あい分かった」
国王が一瞬クリスの言ったことを咀嚼するように、クリスを見つめたあと、満足そうに大きく頷いた。そして、その横で、アーサーがセシリアの方を見て、軽く肩をすくめた。それにセシリアが微笑み返す。それは、クリスが意外な、しかし、いいことを言った、という賞賛の意味に見えた。
「ワシとしては、どのような理由であれ、パルフィの命を大切にしてくれるなら異存はない。いや、単に王族だからという理由よりも、むしろ、家族のように愛してくれる方が、より信頼できるというものだな。よかろう、クリス、そして、グレン、ミズキ、ルティ。パルフィのこと、よろしく頼むぞ」
「はい」
クリスたちが、一斉に頭を下げた。
「よし。いいだろう。話はそれだけだ」
その言葉を合図に、国王一家が退出しようと立ち上がり、クリスたちが一斉に膝をつこうとした時、パルフィが止めた。
「あ、ちょっと待って。お兄様にお願いがあるの」
パルフィが、ふと何かを思い出したかのように、ルーサーに話しかける。
「どうした?」
「サン=オーシュってお兄様の直轄領よね?」
「ああ、そうだが。それがどうかしたか?」
「そこで取れるっていう水晶をひとかけらもらえないかしら。ミッションで必要なのよね」
それを聞いて、クリスたちが顔を見合わせ、ヒソヒソと話す。
「そんな、ミッションあったか?」
「ああ、あれだよ、ほら、僕たちがギルドにいった時にさ、ランク4以上向けのミッションで、カトリア政府と折衝してサン=オーシュっていう聖地で取れる水晶をひとかけらもらってくるっていうのがあったじゃないか」
「おお、私たちが引き受けようかどうしようか悩んでいたやつだな」
「ああ、あれか」
「確か、その聖地はルーサー王子が治めていらっしゃる場所なのですよね」
「へっ、ちゃっかりしてるな」
クリスたちがヒソヒソと話している間に、ルーサーはあっさり許可を出した。
「ああ、そんなことか。もちろんだとも。いくらでも持っていくがいい」
「やった。お兄様、ありがと」
「あ、いや、ちょっと待て……」
だが、そこでルーサーは思案顔になった。
「なに?」
「そうだな……。では、お前がカトリアを出る前に一仕事してもらうことにしよう。それができたら、許可を出すことにしよう」
「仕事って……、あたしに政務をやれって言っても無理よ」
「それは、分かっているさ。私も自分の国が滅びるのを見たくないからな」
「な、何気にひどいこと言うわね。じゃあ、なに?」
「簡単なことだ、私とあるところまで出かけるだけだよ。ちょうどお前にもしてもらわねばならぬ仕事があるのだ。それにお前にも少々元気になってもらわなければな。そうだ、クリスたちにも来てもらうとしよう」
「どこに行くの?」
「それは、行けば分かる」
「ふーん。まあ、水晶をもらえるなら、どこにでも行くわよ」
一刻後。クリスたちは御用馬車に乗って王宮を出た。
行き先は、フォルシェッテ。パルフィの領地である。




