解けない謎
次の日の朝、パルフィのテレポートでアルティアに戻るべく、一行はエミリアに暇を告げた。グレンは無事にエミリアの機嫌を直しただけでなく、少し仲を進展させることにも成功したらしく、二人の間にはこれまでにない親しげな雰囲気が感じられ、クリスたちを安堵させたり、にやつかせたりしたのだった。
「雨降って地固まるとは、まさにこのことだな」
「デレデレしちゃってさ。まったく調子がいいんだから」
「まあ、グレンにとってもいい教訓になったんじゃないかな。ホント、一時はどうなることかと思ったよ」
「仲直りできて、ホッとしました」
別れ際、楽しそうに会話をするグレンとエミリアを見守りながら、クリスたちは胸を撫で下ろすのだった。
そして……。
「お、もう着いたのか」
テレポートの光の筒が消えたとき、クリスたちは、アルティア市内からやや離れた小高い丘の上にいた。それほどの高地ではないので、街の全景が見えるわけではないが、それでも、見晴らしがよく、街の美しさがよくわかる。
「やっぱり便利だねえ」
「うむ、時間の節約になるな」
「あたしは、へとへとだけどね……」
「けっ、お疲れさんだぜ」
グレンも感謝しているようで、認めたくなさそうな表情ながら、パルフィに礼を言った。
「今度は、昨日よりも目的地の近くに出てこられたではないか」
「それに、前回より疲労が少ないようですね」
「うん、二回目で慣れたし、体調も良かったからね。おかげで、だいぶラクだったわよ。次は、もう普通に飛べると思うわ」
やや息も荒く、疲れた表情をみせたが、それでも行きと比べればはるかに元気な様子であった。
「あれ、ここは……」
ふと、何かに気がついたかのようにクリスが周りを見渡した。
「ねえ、ここは、僕が初めてパルフィと会ったところだよね?」
「そうよ。あたしが家出したときに、アルキタス先生にテレポートで飛ばしてもらって、出てきたのがここよ。ここはあたしにとっても思い出の場所だから、飛びやすいのよ」
「そっか、懐かしいな」
テレポートは、出現地に対する親和性が高いほど精度と成功率が高くなる。そのため、通り過ぎたことがあるだけの場所よりも、記憶に鮮明に残っている場所のほうが、テレポートは容易になるのだ。
「よし、そんなら行こうぜ。大門までまだ少しあるな。パルフィ、歩けるか?」
「えっ? あ、えーと、あたし、そういえば、急に疲れが……」
急にパルフィがチラッとクリスの方を見てヨロヨロとよろけ出す。何がしたいのか、というより何をしてもらいたいのかは一目瞭然だった。
「もう、パルフィ、ホントに疲れてるのかい?」
「どうやら味をしめたようだな」
「へっ。なら、オレ様がおぶっていってやろう。クリスより、オレの方が頑丈だからな」
グレンが、ニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべながら、パルフィの前に出て、背中を向けてしゃがんだ。
「え」
パルフィが思わぬ展開に戸惑った表情を見せる。
「ほら、遠慮すんなよ、おぶってやるから、オレ様の背中に全力でしがみついて来い」
「え、い、いいわよ、そんなの、あ、あたし一人で歩けるから」
目論見が外れたのか、慌てたように手をブンブンと振りながらパルフィが後ずさる。
「でもよ、よろけてたじゃねえか?」
「た、たいしたことないわ。も、もう回復したから、大丈夫よ」
「ヘェ~、そうかい」
「さ、さあ、行くわよ」
パルフィはいかにもばつが悪いというように、一人でさっさとアルティアの市門に向かって丘を降りて行った。
「……やれやれ」
クリスたちも、ため息をついて、パルフィの後についていったのだった。
◆◆◆◆
「えーと、エミリアさんに描いてもらった地図だと、これなんだけど……」
クリスが目の前にそびえ立つ屋敷を、自信なさげに見上げた。
それは、ひときわ大きい、大邸宅とも言うべき屋敷だった。敷地は高い塀に囲まれ、鉄格子の立派な門の両側には衛兵が立っていた。その門の向こうには、馬車が横付けできるように作られた広い前庭が広がり、その奥には、二階建ての立派な石造りの屋敷が横に大きく広がっているのが見える。
「えっ? レイチェルさん、こんな大きな家にお住まいなんですか?」
「おいおい、本当かよ」
「うん。たぶん、間違えていないと思うんだけどなあ……」
地図と周りの地形と照らし合わせるクリス。
アルティア市内に入り、エミリアが書いてくれた地図に従って歩いていくと、やがて、貴族が住む居住区に入ったようで、大きな屋敷が立ち並んでいた。そして、この屋敷にたどり着いたのだ。
「これは、相当に大きいな」
「ですねえ……」
門の手前で、どうしようかと顔を見合わせていると、不審がられたのか、衛兵が話しかけてきた。
「お前たち、ここに何の用だ?」
「お前たちのようなものは、ここには何の用もないはずだ。さっさと立ち去るのだ」
「あ、あの、僕たちはレイチェルって人に会いにきたんです。ここに住んでいると聞いたんですけど」
それを聞くと、二人の衛兵は顔を見合わせた。その様子を見れば、レイチェルの名前に心当たりがないどころではないのは、明白だったが、不審な者は一切取り次がないように命じられているのだろう、
「そんな方は、ここには住まれておらぬ」
「お前たちの勘違いだろう。さあ、行った行った」
と、素っ気ない態度で、クリスたちを追っ払おうとした。
「え、でも、オレ達はここに住んでるって聞いてきたんだぜ」
「せめて、屋敷の方に尋ねてはもらえないだろうか」
「くどい。そのような方はここにはおらん」
「これ以上、不審な真似をすると、ただではおかんぞ」
だんだん、兵士たちの声が険しくなり、そのうち一人の兵士が腰の剣に手を伸ばした。
「わ、分かりました。け、結構です」
「ちぇっ、何だよ」
クリスたちは、慌てて門から離れ、かと言って、この屋敷から離れるわけにもいかず、道の反対側まで下がった。
衛兵は、クリスたちが目の前から立ち去らないことに不満そうではあったが、睨みつけるだけで、また持ち場に戻った。
「どうする?」
「うーん、あんな兵士たちが門番にいるんじゃ、どうしようもないよね」
「あ、そうだ」
ふと、パルフィが思い出したかのように叫んだ。
「ねえ、クリス。あなた、レイチェルが遠話を使えるって言ってたわよね?」
「ああ、そういえばそのようなことを言っていたな」
「確か、レイチェルの使い魔のおかげでクリスと話ができるのですよね?」
「あ、そうだね」
レイチェルの脳には、高度な人工知能とセンサーを備えたBIC(ブレイン・インタグレイティッド・コンピューターアシスタント)が組み込まれていた。そして、レイチェルがベスと名付けていたそのBICの機能により、旧文明人の血を引いたクリスとだけは特殊な輻射波を使って交信ができるのだ。だが、当然、そのような話はこの時代の人間であるクリスたちには到底理解の及ぶところではないため、レイチェルは単に、魔力の高い使い魔が頭に住んでいるという説明をしていたのだった。
「じゃあ、クリス、レイチェルに呼びかけてみてよ」
「うん、やってみる」
クリスは目を閉じて意識を集中させた。
(レイチェル、レイチェル、聞こえる? クリスだよ。僕たちは今、君の家の前にいるんだけど、もし聞こえてたら、出てきてくれないかな?)
クリスはしばらくの間、レイチェルからの反応を待っていたが、何の返事も返ってこなかった。
「今、念じてみたけど、返事はないみたいだね」
「うーむ。どこかに外出しているのかもしれんな」
「じゃあ、出直しますか?」
そのときだった。門の向こうに見える、玄関の大きな扉が勢いよく開いて、中から人が飛び出してきたのだ。
「あ、誰か出てきたよ」
「あ、あれ、レイチェルじゃない?」
「どれ、行ってみよう」
出てきたのは確かにレイチェルだった。そして、一瞬誰かを探すように辺りを見回していたが、再び門のそばまで近づくクリスたちに気がついたようで、笑顔になって手を振り、こちらに向かって走りだした。
「クリス! みんな!」
「あ、やっぱりレイチェルだ」
「おーい」
手を振り返すクリスたち。
レイチェルは、走りながらも門番たちに門を開けるよう身振りで指示する。
そして、門番の兵士たちが、鉄格子の門を開けるのと、レイチェルが、そのままクリスに抱きつくのが同時だった。
「ああ、クリス……」
「おっと」
クリスが、よろけながらも、しっかりレイチェルを受け止めた。
「クリス、会いたかったわ……」
「久しぶりだね、レイチェル」
そのとなりで、パルフィが大きなため息をついて、呆れたように首を振った。
「はあ。まったく、久しぶりに会ったと思ったらこれだわよ」
「みんな、元気だった?」
レイチェルは、最後にもう一度、クリスをギュッと抱きしめ、体を離して、パルフィたちを振り返った。
「ついでに聞いてくれて、どうもありがとう」
パルフィが肩をすくめて、答える。
だが、レイチェルはそんなパルフィのイヤミなど一切聞こえないようで、今度はパルフィにも抱きついた。
「え、ちょっ、と、レイチェル」
「何言ってるのよ。本当にみんなに会いたかったのよ。みんなはこの世界での数少ない私の友達なんだから」
そのうれしそうな横顔は、クリスの「ついで」などではなく、純粋な喜びを表していた。
「あ、うう」
レイチェルの手放しの喜びように、いつもは周りを振り回す側のパルフィも押されっぱなしだった。
「さあ、みんな入って入って」
全員に挨拶の抱擁と握手を交わして、レイチェルが敷地へ招き入れた。
だが、その再会の様子を、半ば呆然と見ていた二人の衛兵は、そこで我に返った。
「レ、レイチェル様、不審な者を屋敷に入れるわけには……」
「この人たちはいいのよ。アークライト博士の関係者だから。それに、このクリスは、博士のご子息よ」
「な、なんと」
衛兵たちは、驚いたようにクリスを凝視して、すぐに頭を下げる。
「さ、さようでございましたか。それは、知らぬこととは申せ、失礼しました」
「いえいえ」
思わず苦笑いでクリスが応える。父の名前を出せば、事はもう少し簡単に済んだのだ。
「じゃあ、みんな来て。お茶でも入れるわ」
「うん、ありがとう」
「おじゃましまーす」
クリスたちは、レイチェルの後に続いて中に入ったのだった。
◆◆◆◆
「いい家に住んでるじゃねえか」
クリスたちは広くて豪華な居間に通され、ふかふかのソファに座ると、すぐに侍女が茶と茶菓子をワゴンに積んで運んできた。
「そうなのよ。なんか、いろいろ良くしてもらえて、本当に感謝してるわ。あ、ありがとう、ベティ。ここはもういいわ。下がってちょうだい」
茶を運んできた若い侍女に、レイチェルが言った。
「かしこまりました。何かありましたら、お呼びくださいませ」
ベティは、丁寧にお辞儀をして、ワゴンを運んで外に出た。
「召使い付きかよ。すげえな」
「ふふ、元の世界より、はるかにいい生活よ。一万年寝てただけで、こんな出世して申し訳ない気分ね」
「ははは」
「レイチェルは、あれからどうしてたの?」
「みんなと別れた後、半月ぐらいはフィンルートにいて、ウォルターさんたちの研究の手伝いをしていたのよ。それから、みんな一緒にアルティアに戻ってきて、私の待遇を決めるというのでなんだかいろんなお偉方と会ってね。アルトファリア政府としても、あんまり前例のない話じゃない? たぶん、いろいろあったんだろうけど、私は一応政府の保護のもと、旧文明の研究の手助けをするっていうことになったわ」
「そうか。なんにせよ、自分の居場所ができてよかったんじゃない?」
「そうね。でも、一度、私の神殿を建てて、私を生き神として祀る話も出たんだけど、それは、ウォルターさんが何とかやめさせてくれてね。ホントに危ないところだったわ」
レイチェルは、いかにも、それは勘弁願いたいという様子で、苦笑した。
「友達に神様がいるってのも面白かっただろうけどね」
「やめてよ。私はただの科学者なんだから。で、みんなは、どうしてたのよ?」
「あたしたちは、あんまり変わらないわよ」
「だな」
「うむ。修行して、ミッションを引き受けて、修行して、の連続だ」
「相変わらず、ミズキは堅いのねえ。ちゃんと、息抜きしてる?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
照れたようにミズキが微笑んだ。
「ふふ。そっか、みんなも頑張ってるのね……。ところで、今日はどうしたの?」
「うん。レイチェルに一つお願いがあってさ」
「なに?」
「実はね……」
クリスは、これまでのことを説明し始めた。
しばらくの間、レイチェルは興味深そうに聞いていたが、やがて、クリスの話がカトリアに滞在しているという件にさしかかったところで、思わぬことを言い出した。
「ちょっと、待って……。じゃあ、やっぱりパルフィは王女様なのね?」
「えっ?」
「は?」
「ど、どうしてそれを……」
いきなり図星を指されて驚くクリスたち。なにしろ、クリスは、パルフィが王女ということは一切伏せた状態で話していたのだ。
「あ、あんたも魂の色と形が感じられるとかいうんじゃないでしょうね?」
「え、なんなのそれ?」
「じゃ、じゃあ、もしかして、父さんから聞いたの?」
「え、なに、ウォルターさんも知ってるのね? 違うわよ。あの後、あなたたちの話もたくさんしたけど、ウォルターさん、そんなことおくびにも出さなかったわよ」
「では、なぜご存知なのだ?」
ミズキの問いかけに、レイチェルは少し得意そうな顔つきになった。
「ふふ、自分で調べて気がついたのよ。ほら、私、この世界に目覚めて、何にも周りのこと分かってなかったでしょ? だから、フィンルート遺跡から戻ってきたあと、いろいろ勉強したのよ。アルトファリアの暮らしとか政治とか、あと近隣諸国の地理とか情勢とかね。でね、たまたまカトリアのことを調べてたら、第二王女がパルフィっていうじゃない? パルフィと名前が同じだから、あれって思ったのよ。年も同じだし、カトリアの王族は幻術士としての修行を積むってのもピッタリくるしね。『パルフィ』って名前も、調べたらそんなにありふれた名前じゃなさそうだし。まあ、単なる偶然だろうって思ってたんだけどさ。流石に今の話を聞いたらねえ」
「……そっか、さすがレイチェルだね」
「ふふ」
「んもう、これだから学者って……。だいたい、レイチェル、アタマ良すぎなのよ」
「そんなことないわよ。あ、王女様なんだから、親しく口をきいたらダメなのかしら」
「いいわよ、そんなこと。レイチェルにうやうやしくされたら、こそばゆくて仕方ないわ。今まで通りにしといて」
「仰せのままに、王女殿下」
レイチェルが、ソファに腰掛けたまま胸に手を当て、丁寧に一礼する。
「も、もう、レイチェル。やめてよ~」
「あはは」
「じゃあ、パルフィの正体がばれちゃったなら、話は早いや。でね、パルフィが今後も僕たちと修行を続けさせてもらうために、シルバードラゴンの子供と戦って、いい勝負ができないとダメなんだよ」
「シルバードラゴン? ドラゴンって……ドラゴンのことよね?」
「そうだけど、レイチェルの時代にはいないの?」
「そういや、魔物もいないって言ってたな」
「いないわよ。この時代って、そんなものまでいるの?」
「まあ、人里離れた高山にしか棲んでないから、僕たちも見たのはこれが初めてだけどね」
「そうなんだ。ドラゴンねえ……」
「ドラゴンはね、カトリアにとってもすごく大切な存在なのよ」
「そうなの?」
「うん」
そして、パルフィが、シルバードラゴンとドラゴン保護地区について簡単に説明する。レイチェルは、ヘンリエッタとキャセルの存在にいたく興味をそそられたらしかった。
「……テレパシーで人の言葉を話すというのが興味深いわね」
「それでね、前にレイチェルに呪文を強くしてもらったのを思い出してさ。また教えてもらえないかなって」
「キャセルは、まだほんの小さな子どもなんだが、さすがシルバードラゴンだけあって、オレたちでは歯が立たねえんだ」
「そうだったの」
「いや、5人もいて申し訳ないとは思うんだけどさ」
「そっかあ。ホントは、そんなのお安いご用よって言ってあげたいんだけど、私、明日から、発掘調査に出かけないといけないのよねえ」
レイチェルは申し訳なさそうに微笑んだ。
「えっ?」
「南の方で、また旧文明の遺跡が見つかったみたいでね、半月ほど前からウォルターさんたちが事前調査と野営地の設営のために先乗りしてるんだけど、私も明日から合流することになっているのよ」
「ああ、父さんが、南の国境で調査中ってのは僕たちも聞いたよ。そうかあ」
「うーむ、ここまで来ておきながら、なかなかうまくいかぬな……」
オルベール宮殿から、アルティアに戻り、さらに、そこからエミリアの家まで往復した挙句にこれでは、すべてが無駄になる。クリスたちは、落胆の様子でうつむいた。
「あ、でも、今日一日でいいなら付き合うわよ」
「え、明日の準備とかあるんじゃないの?」
「まあね、でも、それは何とかするわ。それに、あらかた終わってるしね」
「ホントにいいの?」
「申し訳ないことだ」
「いいのよ……、あ、でも、その代わりと言ったらなんだけど、二つほどお願いがあるんだけど、いいかしら」
楽しそうな笑顔を見せて、レイチェルが言った。
「何? 僕らにできることがあればなんでもするよ」
「ええとね、一つは、さっき言ってたシルバードラゴンに会わせてもらいたいな。ヘンリエッタとキャセルって言ったっけ? すごく、興味あるしね。それに、今の話だと危険じゃないのよね?」
「ええ、それは大丈夫だと思うわよ」
「ふふ。本物のドラゴンに会えるなんてワクワクしちゃうわね」
「あと、一つはなに?」
「もう一つはね……、パルフィの王宮に泊めてくれることよ」
ちょっと無理なお願いだっただろうかと思ったのか、やや上目遣いでレイチェルがパルフィを見た。
「なんだ、そんなの簡単よ。レイチェルはあたしの友達なんだから、いくらでも泊っていってよ」
「ホントに? やった。あたし、一回、王宮暮しってのをやってみたかったのよねえ」
「オレたちも泊まらせてもらってるが、すげえとこだぜ」
「うん、今から楽しみにしてるわ。じゃあ、時間もないことだし、早速呪文の練習しましょうか」
「そうだね、よろしく、レイチェル先生」
◆◆◆◆
そして、数刻後。
クリスたちが口々に礼を言って帰宅したあと、レイチェルは一人、物思いに耽っていた。
(ふう、ちょっと疲れたかな……)
クリスたちに、呪文に使われる魔幻語の発音を教えて、少し喉も枯れていた。
ただ、初めて教えた前回よりはスムーズに行った。おそらく、クリスたちが慣れてきたということもあっただろうし、すでに教えていた言葉が別の呪文にも出てくることもあったのだ。前回は、開始したのが夕刻だったこともあり終わったのが夜更けだったが、今回は日が沈むまでに終わって、明日から発掘調査に出かけるレイチェルに気を遣って、クリスたちは夕食前に帰ったのだ。
(それにしても……)
レイチェルは、クリスたちに聞いた話を思い出していた。
(人と話すドラゴン……。まさか、この世界にそんなものまでいるとはね……)
ドラゴンが人と交信ができるということは、それほど問題ではなかった。人間には聞こえない音波を使ってやり取りをする動物は自分たちの時代にもいたし、進化の過程で、高度な知能を得ることも生物学的には不可能ではない。それに、太古の時代にはドラゴンの原型とも言える翼竜が実在したのだ。従って、ドラゴンのような生命体が存在しうるということ自体は、進化の過程を考えれば、科学的に説明がつくことである。
だが、それでもレイチェルには、どうしても腑に落ちない点があった。
(でも……、やっぱり、おかしい。いくらなんでも、進化の速度が速すぎる……)
レイチェルはこの時代の人間から見ると、一万年前の人間である。
人間の一生からすると、一万年というのは果てしなく長い。生活習慣から社会のありようまで、まったく異なるものに変わってしまう。レイチェルの時代から一万年前なら石器時代である。そして、それと同じだけの時間がレイチェルの時代から経ってしまっているのだ。
しかし、生物の進化という観点で見た場合、一万年というのは須臾の間にしかすぎない。現生人類ですら、この惑星に現れて25万年経つというのにほとんど変わっていない。現に、クリスたちをはじめとするこの時代の人々は、レイチェルから見ると一万年後の子孫であるにもかかわらず、見た目には全くと言っていいほど差がない。ベスの遺伝子解析でも差はほとんど見られなかった。つまり、生物の進化というのはその程度のスピードでしか起こらないのだ。それが、自分たちの時代には影も形もなかったドラゴンが存在しているということ自体が極めて異例である。一体何から進化したのか分からないくらい形を変えるには、万の単位では不足であり、普通なら最低でも数百万年、場合によっては億に達する年数が必要である。
それは、他の魔物も同じだった。これまで、オークを始めとして、幾つかの魔物に遭遇したが、自分たちの時代にいた何の生物から進化したのかが想像がつかないのだ。
一方で、それ以外の一般的な動物は全くと言っていいほど変化がなかった。イヌやネコ、ウマやウシなどは、特に進化した様子は見られない。そして、地形や気候の変化により、動物相に多少の違いがあったとしても、見たことのないような生物、というより、ベスのデータベースに引っかからない一般の動植物は、これまでまだ遭遇したことがなかった。
つまり、生態系がそれほど変わってないのに、魔物だけが突如この惑星の生物史に湧いて出たような状態なのだ。
そして、今日、これとは別にもう一つ、気になる話を聞かされたのだった。
(そうだ、レイチェル、調査に出かけるならさ、魔族には気をつけてね)
帰り際に、クリスが言った言葉である。
(魔族? なにそれ、魔物とは違うの?)
(うーん、魔物より人間に似てるかな。君は、この世界で目覚めたばかりで知らないかもしれないけど、数百年前に魔族と人間の間で、大戦争があってね)
そして、クリスに説明してもらった、魔族やガーラント王国、そして、魔族と人間の戦いの歴史。
魔物だけではない。この世界には、魔族なるものまで存在しているときた。
(なんという場所になったのかしら、この惑星は……)
あまりといえばあまりの変貌ぶりに、レイチェルは頭がついていけない思いである。
だが、レイチェルが真に気がかりだったのは、魔族の存在それ自体ではなかった。
(同士討ちをさせる戦術……)
催眠呪文で、同士討ちをさせたという魔族の戦法を聞いた時、フィンルートに埋れていた軍事基地で見た映像を思い出したのだ。そのホログラム映像には、一万年前に人類が滅亡の危機に陥るまさにその瞬間が記録されていた。そして、それは、世界中の軍事基地が次々と自国の都市を攻撃するという惑星規模の壮大な同士討ちの結果だったのだ。
(結局、どうやって人類が絶滅の危機に瀕することになったのは分かったけど、なぜ世界規模で同士討ちになったのかは分からなかった……)
(確かに、あの時も、自国の都市にミサイルを打ち込むというのは、自発的な行為ではなかった。むしろ、自分たちの意思に反して勝手に発射されるミサイルを必死に止めようとしていたのよ。なのに、結局は自分の国を滅ぼしてしまった)
そう、まるで誰かに操られるかのように、味方に向けて勝手に発射されるミサイル……。
果たしてこれは偶然の一致なのだろうか。
(でも、だからって、魔族なんて私の時代にいた訳がない……)
もし本当に存在していたなら、高度に進んだ自分の文明で、存在が知られていないというのは考えられなかった。未発見の昆虫や小動物とは訳が違う。しかも、1人や2人ではない。何万人もいて国家を成していたというではないか。それが、噂にすらならないのは極めて不自然だった。雪男だの狼男だのと言った、いるかどうかもわからない単体の伝説の生物ですら長年に渡り伝え続けられてきたのだ。多数の魔族が自分の時代に人知れず存在していたとは考えにくかった。
(いったい何があったっていうの? ああ、もどかしい……)
普通なら一万年前に起きたこと、というのはあくまで他人事である。それほど太古の大昔に起きた出来事を、誰も我が事のように主観的に捉えることはしない。たとえ興味があったとしても、それは、学術的な話である。しかし、レイチェルにとって、一万年前というのは、まさに自分が生まれ育った時代であった。それはあくまで自分のことなのだ。それだけではない、それからの一万年間も、たとえコールドスリープ状態で、廃墟に埋まった状態であったとしても、自分はずっとそこにいて、目を覚ましさえすれば、自分もその歴史の一部だったはずなのだ。
一万年前に、人類が滅亡の危機に瀕した時、その後、残った人類が代を重ねるごとに、テクノロジーを忘れ、古代人のような生活をしていた時、そして、今日初めて聞いた魔族との最終戦争があった時、これらすべての時において、自分はある意味ではその場にいたのだ。にもかかわらず、自分は何が起こったのか全く分かっていない。そのことが、なおさらレイチェルを駆り立ててやまないのだ。
魔道に始まり、魔物だの魔族だの、自分が寝ている間に、一体この惑星は、どうなってしまったのか。
自分がコールドスリープに入ってから、世界規模の同士討ちが始まるまでに、カプセルの外で何が起こったのか。
最大の謎に迫りながらも、最後のピースが埋まらない。そんなもどかしさを感じるレイチェルであった。