見慣れた紋章
「ふう、ごちそうさま~」
パルフィが、もう食べられないというふうにおなかを押さえながら、幸せそうな顔でイスの背もたれにもたれかかる。
クリスたちは、カトリアとの国境近いルートンという街の食堂で少し遅い昼ご飯を食べおわったところだった。
アルティアを出たのが二日前。そして、今晩はルートンで一泊して、明日カトリアに入国することしていた。
カトリアはアルトファリアの隣国ではあったが、その首都であるアルティアとルーンヴィルは、それぞれ国の内陸部にあるため、オルベール王宮までは、まだあと数日かかる。
クリスは、カトリアに戻りたくなさそうだったパルフィのことを心配していたものの、実際に旅が始まってしまうと、いつも通りの彼女に戻っており、この二日間は特に何事もなく過ぎていた。
ただ、一度だけ変わったことがあった。アルティアを抜けた辺りで、街道を歩いていると、ミズキが突然、刀に手をかけて、勢い良く後ろを振り返ったのだ。
「どうした?」
「誰かにつけられている気がする」
「なんだと?」
ミズキの言葉に、クリスたちも身構え、四方を見渡す。
しかし、何も怪しいものはなかった。街道と、草原、そして、かなり後ろに、今出てきたアルティアの街が見えるだけだ。
「誰もいないけど……」
街道のど真ん中で、人の往来もなく、辺りに隠れる場所もない。
「気のせいじゃないのか?」
「うーむ。確かに人の気配を感じたのだが……」
「ミズキは鋭いからね。じゃあ、念のために警戒しながら先に進もう」
「そうだな」
「あれ、パルフィ、どうしたの?」
クリスが振り返ると、パルフィが何やら思いつめた顔をしていた。やや青ざめているようにも見える。
「エッ、あ、な、なんでもないわ。ちょっと考え事をしてただけよ。気をつけないとって」
「? そうだね、気をつけないとね」
だが、結局、それ以降はミズキも怪しい気配を感じることもなく、ルートンまでたどり着いたのだった。それが今日の昼過ぎ。そして、すぐに今晩の宿を取り、早速、いくつかある食堂の一つで昼食を食べたのだった。
「しかし、これは……。みんな、よく食べたな」
空になった大量の皿を見渡しながら、ミズキはちょっとあきれるように言う。
「ほんとだよね。でも、ミズキも結構食べたと思うけど?」
「そうですよ」
ルティもかなり満腹そうだ。育ち盛りなのか、彼も小さいくせによく食べるというのは、最近になって発覚したことだ。
「そ、そうだろうか。いや、私も少々空腹だったというか、なんというか」
「いいってことよ。みんなで稼いだ金だ、ちゃんと食うもん食わなきゃな」
グレンが楊枝で歯をせせりながら言った。
「そういうアンタは食べ過ぎなのよ。もうちょっと遠慮しなさい」
パルフィのツッコミが間髪いれずに入る。
「けっ、オラぁ、てめえっちと違って肉体労働だからな。腹が減るのよ」
「ふっ、よく言うわよ。ていうか、今日はみんなで歩いただけじゃないのよ」
普段はここら辺から、だんだんお互いに熱くなってきて言い合いが始まるのだが、おいしい料理をおなかいっぱい食べて幸せだったらしく、二人ともそれ以上の言い争いにはならなかった。
それどころか、
「それにしても、なかなか、この肉詰めのパイってのはうまかったな」
「ホントホント。なかなかの出来だったわよね。でも、春魚の香草包み焼きもよかったわよ」
「おう、それもうまかった。ここの店主は腕がいいじゃねえか」
「今まで食べた店の中でも1番か2番じゃない?」
などと、食べた料理で、話が合う始末。
それを見ていたルティが、向かいの席からクリスの方に顔を寄せてきてヒソヒソ声で話しかけてきた。
「あの二人は、いつも満腹にさせておいた方がいいようですね」
それは、まさにクリスも思っていたとおりのことだった。その隣でミズキもうなずく。
クリスたち3人は、料理の話で盛り上がっているグレンとパルフィの方をちらちら横目で見ながらヒソヒソ話す。
「やっぱり、そう思った? 僕もだよ。いつも、この調子だと助かるんだけど」
「満腹だと機嫌がいいとは、全く、二人ともまだまだ子供だということだな」
「ホントだよね」
「無邪気で、かわいいじゃないですか」
年端もいかないルティに無邪気でかわいいと言われるということは、よほど子供に見えるのだろう。しかし、あながち見当違いとも思えない。
「ほんと、もうちょっと二人とも大人になってくれるといいんだけどね」
クリスがため息をつくと、
「ちょっと、そこの3人。聞こえてるわよ」
とパルフィがびしっと突っ込んでくる。
「え? あ、あはは」
「あはは、じゃないわよ」
「いやいや、あ、そうだ、もう一息ついた? そろそろ出る?」
「う、うむ、そうだな」
「そ、そうですね」
ミズキとルティは、退散とばかりにそそくさと立ち上がる。
「もう。そうやってごまかそうとして。ま、いいわ。そろそろ出ましょ」
「そうだな。じゃ、リーダー、勘定頼んだぜ」
「はいはい」
パーティーのお財布はリーダーであるクリスが管理している。したがって、飲食代もクリスが払うのだ。
「じゃあ、行こう」
そういって、みんなが席を立って出ようとしたときだった。最後に、誰か忘れ物がないか見渡したクリスは、パルフィの座席の下に何か小物入れらしい銀の小箱が落ちていたのを見つけた。それを拾いながら、気が付かずに離れていくパルフィの背中に声をかける。
「あれ? パルフィ、なんか落としてるよ」
「え?」
「これ、パルフィのだよね」
「え、あ、それ、ちょっ」
拾い上げてそれをよく見ようとすると、パルフィがものすごい勢いで駆け寄ってきて、クリスの手からひったくるように取り上げた。
「あ、あ、ありがとう。ご、ごめんね拾わせちゃって」
「ねえ、パルフィ、それって……」
「じゃ、じゃあ行くわよ。もうみんなお店出たし」
パルフィは、あからさまに動揺しながら、その小箱を袖の隠しにしまい込み、慌てて出口のほうに向かっていった。
(あれって、紋章だよね……)
クリスは、その銀の小箱を拾ったときに、紋章が彫り込まれていたのに気が付いていた。見たのは一瞬だったが、かなり精巧に掘られていたのがわかった。それだけではない。その紋章を間違いなくどこかで見たことがあった気がするのだ。
「ん? あ、ちょ、ちょっと待ってよ」
物思いにふけっている間に置いていかれたことに気が付いて、クリスは慌てて追いかけようとしたが、出口のところで
「お客さん、お勘定!!」
という店のおやじの声に引き留められた。
(どこで、見たんだったかな……)
店主に勘定を払いながら、クリスはパルフィの小箱に彫り込まれていた紋章のことを思い出そうとしていた。
紋章など、よほどの家柄にしかないものだ。それがパルフィの小箱に彫刻されているということは、彼女は実はかなり高貴な家柄出身なのかもしれない。確かに、あの小箱自体も銀製で高価そうな代物だった。それに、パルフィはおてんばで口も悪いが、時々、ふとしたときに高貴な雰囲気が感じられるときがあるようにクリスは感じていた。
(まあ、高貴な雰囲気なんて本当にときどきだけど)
そういえば、以前、家族の話をしようとしたときにもパルフィはあまり自分の家族について話したがらなかった。というよりも、初めて会ったときから自分の出自にまつわる話を避けようとしている。家柄のことをクリスたちに知られるのがイヤだったのかもしれない。そして、今回のミッションも、カトリアに戻るのが最初は気が進まないようだったのだ。
(パルフィは、カトリアの出身なんだから、きっとカトリアの紋章だよね……)
生まれも育ちもカトリア王国だと言っていた記憶がクリスにはあった。そうすると、この紋章も王国の貴族かなにかの家紋なのかもしれない……、しかし、クリスにはそんな外国に、しかも貴族に知り合いなどいるわけもなく、ましてや紋章なんて見たことがないはずなのに、このように「見たことがある」と思うのは変だ、と思ったときだった。
(ああっ!! そうだ、あれは……)
頭に雷が落ちたのかというくらいのショックとともに思い出した。あまりにも見慣れすぎて、思い出せなかったのだ。思い出した記憶に、まさかそんな、とも思ったが、同時に自分の記憶に間違いがないということも分かっていた。
(あの紋章は……)
(あの紋章は、カトリア王国の国旗に使われている紋章だ)
国旗に使われている紋章、それは間違いなく王家の紋章である。そんなものを小箱に彫り込んで携行が許されるのは王族、しかも国王本人と国王直系の家族しかいないはず。傍系なら別の紋章である。そして、その王家の紋章を持っているということは、パルフィは……。
(王女様なのか?)
あまりにもバカバカしい考えだと否定しようとしたが、そう考えれば、これまでの不自然な態度も納得できる。
(でも、どうして……)
仮に、パルフィがカトリアの王女様だとして、なぜ王女様が、こんなところでこんなことをしているのかは、クリスにはまったく見当が付かなかった。確かにカトリア王国は幻術の国であり、そもそもカトリア王家は、その国を興した伝説的な幻術師の末裔である。それゆえに王族も幻術士としての修行を積むと聞いたことがある。だから、パルフィが王女なら、幻術士として修行するというのは納得できる。しかし、だからといって、カトリアの王女が、アルトファリアという外国で、一般の平民に混じってパーティを組むというのは、聞いたことがなかった。しかも、パルフィはカトリアに帰りたがっていない。
何かの事情があるのは間違いない。しかし、こればかりは本人に確かめるしかないだろう。
(どうしようか……)
クリスは迷った。直接パルフィに聞くべきか、いや、本人が言いたくない以上、無理に聞くのもためらわれた。きっと彼女には彼女の事情があるのだ。それに、もし確かめてそれが事実だったら……。
この封建制度の中にあって、平民が王族と寝食を共にし、共に旅をするなど、あまりにも恐れ多いことであり、ありうべからざる所業である。もし、パルフィが本当に王女だったら、クリス自身にとっても、そして、他のメンバーにとっても相当な衝撃であることは間違いない。
とはいうものの、仮に王女だとしても、本人たちさえ気がつかなければ、後で分かったところで、パーティの活動に支障が出るわけではない、というのも事実ではあった。アルトファリアに敵対するような国の王族なら、密偵の容疑だの何だのと問題も起こりうるが、もともとカトリアはアルトファリアの公爵領が独立した、いわば姉妹国のようなものである。
店主からおつりを受け取り、店を出ると、四人がクリスを待っていた。心なしか、パルフィがこちらを不安そうに見ている。他の三人は先ほどの一幕に気が付いていないようだ。
(本人が言いたくなるまで、なかったことにしておこう)
クリスはそう決めると、
「おまたせ、じゃあ、行こうか」
とだけ言った。それを聞いてパルフィは、安心したらしい。
「うんっ」
と、すこし心が晴れたかのように、微笑んだのだった。




