プロローグ
ガーラント王国 --- それはアルトファリアよりはるか北、氷雪の吹き荒れる難所「神々の山脈」を越えたところ、ダークヘイブンと呼ばれる地域にあると言われている。王国の存在自体が、あくまで伝聞推定にしか過ぎないのは、神々の山脈を越える旅があまりに過酷であること、そして、この数百年間、彼らが他国と敵対し一切の接触を絶っていることによる。そのため、全くその消息を知ることができないのだ。
だが、国を閉ざし孤立していること以上に、ガーラントが大陸諸国と大きく異なる点があった。それは、この国が魔族の国であるということである。
魔族の歴史は古く、すでに数千年前の古文書にも、『人形の怪しき者ども』が彼方から大軍で押し寄せて人類と戦ったという記述が見られる。青白い肌に尖った耳、金色に光る目と銀色の髪の他は、外見もさほど人間と変わらない。だが、知能は極めて高く、誰もが魔道とよく似た魔力を持ち、人間の心を操るような術を使う。これが、ガーラントに棲む者たちが魔族と呼ばれ、その王が魔王と称されるようになった所以である。
かつては、旧文明を作ったのが魔族であり、ガーラントはその末裔の国だと信じられていたと、今に伝わる古文書から分かる。しかし、一千年前に、神の巫女ロザリアが旧文明の遺跡で目覚め、旧文明について語ったため、現在ではその説は明確に否定されている。
とはいえ、魔族がどのようにこの世界に存在するに至ったのかは今だに大きな謎であった。これまでの魔族との限られた接触 --- これは事実上、戦争しか指さないが ---と、それに伴う調査研究では、人間の十倍といわれる長寿、精神感応による意思疎通、そして生まれながらに持つ魔力など、人間とは似て非なる生物であることがわかっている。
魔族は、人間の歴史に登場して以来、常に、本能で定められたかのように、人間を宿敵として行動してきた。そのため、数千年前からその存在を知られているにもかかわらず、魔族と友好関係を築いた国はただの一つとしてなく、小競り合いから大規模の戦争に至るまで、常に倒すか倒されるかの関係であった。
中でも、特に規模が大きかったのが、数百年前に勃発し、魔族と人間の最後の接触機会となった、いわゆる『魔道大戦』である。
それは、ガーラント軍と、大陸の主だった国との、言わば魔族対人間の全面戦争だった。ガーラント軍はその戦力こそ人間側の20分の1にも満たないものだったが、魔王ならびに、その将軍たちの圧倒的な魔力により、戦いが始まった時点では人間側がかなり押されていた。
ガーラント軍の将官たちは、魔力を使い相手を錯乱状態にさせ、同士討ちにさせるという戦法を使うため、人間側の戦力の疲弊が激しく、士気も低下するばかりだったのだ。そして、実際に、この戦法は人間側に多大な損害を出し、驚くべきことに、ガーラント軍と戦って死んだ兵士数よりも、同士討ちの戦死者の方がはるかに多かったのだ。
だが、当初は、国ごとに戦っていた大陸諸国も、最終的には魔道大国アルトファリアと、当時はまだ公爵領だったカトリア、そして尚武の国ルーデンスバーグが同盟を組んで連合軍を形成するに至った。
そして、カトリアの幻術師が考案した催眠防御呪文を、アルトファリアの大魔道士団が増幅し、それをルーデンスバーグの屈強な兵士たちに掛けることで、魔力による催眠戦法を封じたのだ。こうなると、あとは戦力差がものを言う。連合軍はガーラント軍を追い詰め、魔王を永久凍土の中に封印することに成功した。その結果、大陸の中央部まで南下していた魔王軍を、ガーラント本国まで押し戻し、再び平和が訪れたのである。
その後、アルトファリア、カトリア、ルーデンスバーグの三国は、魔王の魂を封じるのに使った三つの聖石を、それぞれに持ち帰り厳重に管理することにした。魔王を蘇らせるには、魔王の肉体、三つの聖石と、解呪の呪文が唱えられる大魔道師が必要であるため、聖石を三国で分け持つのは非常に効果的な防衛法だったからである。そのために、この三国は『聖石の管理者たち』と呼ばれることになった。
一方、魔王が封印され統率者を失い、散りじりとなってガーラント本国に逃げ帰った魔王軍残党は、密かに国力増強を図り反撃の機会を狙っていた。そして、魔王が封印された50年後、残存勢力をまとめて、魔王奪還に動いたのだ。
すでに魔王封印から、半世紀。封印された場所は厳重に警備されていたはずだったが、兵士たちもとうの昔に世代が変わり、魔王軍との戦を経験したものもおらず、しかも、三大大国の本国から遠く離れた地であったこともあり、油断があった。その結果、永久凍土の中から魔王の肉体が奪われてしまったのだ。
しかし、その後は、ガーラント王国は、それ以上南下してくることも、聖石を奪おうとすることもなく、さらに数百年が何事もなく過ぎた。その間、魔族とは、全くと言っていいほど接触がなく、しかも、ガーラント自体が、遙か北方の険しい山脈の向こうにあるということで、時が流れるにつれて、その存在自体すらただの伝説のように扱われるようになった。そして、魔王との戦いを経験した者はおろか、その経験を直接聞いた者もいなくなり、いつしか、人々はガーラントと魔王の脅威を忘れてしまっていた。
しかし、当代の『聖石の管理者たち』における施政者たちは、それどころではなかった、魔王の封印から数百年が経過したということは、すなわち、呪文の耐用年数が過ぎたことを示す。そのため、封印の力が年々弱まっているのは間違いないのだ。そして、まるでそれを証明するように、近年、魔族が神々の山脈を越えて、人間を攻撃することが増えた。今はまだ単発の偶発的な事例にしかすぎないが、ガーラント王国が魔王復活をもくろみ、聖石の強奪に向けて動いているのは確実な情勢であった。
そして、そんな中、『聖石の管理者たち』の一国、幻術の国カトリア王国では、一つの出来事が起ころうとしていた……。




