母国語話者(ネイティブスピーカー)
レイチェルとクリスは、面談を一時中断し、小屋の前の少し広い場所にいた。
ベスの力を使って『遠話』ができるなら、他の呪文も使えるのではないかというクリスの意見を聞いて、実験することになったのだった。
そして、これからクリスが魔道を実演して見せるところである。
レイチェルは、この実験にわくわくした気持ちを抑えきれなかった。それも無理はない。自分の世界では空想上のお話にしか過ぎなかった魔法が、今この世界で現実に存在するだけでなく、もしかすると自分もそれを使えるかもしれないのだ。
そんなことになれば、歴史的大発見である。自分の世界でこれを論文にすれば、いくつもの名誉ある賞と、輝かしいキャリアにつながるのは間違いない。おそらく、科学史にも名を残すことになるだろう。ただし、問題は、その功績を認めてくれるはずの、自分の時代の人間などもうどこにも存在しないということであった。
(自分にとっては世紀の大発見なのに、ここでは何でもないことだなんて、ちょっと不思議な話よね)
しかし、それでもやはり、レイチェルは興奮が収まることはなかった。たとえ、この発見を自分の時代の人たちに伝えることができなくても、これまで学んできた、ありとあらゆる科学の知識と法則を根底からひっくり返すような魔法が、科学者である自分の手で使えるかもしれない。そう思っただけで、好奇心旺盛な子供のようにワクワクしてしまうのだ。
「さてと。どの呪文を教えてもらおうかな。一番簡単な呪文は何?」
「そうだなあ、火の玉かな、やっぱり」
「ああ、あの術ね」
レイチェルは、オークと戦っているときにクリスが出した呪文を思い出した。
しかし、大きな火の玉を出すのは、初心者がやると、暴発したりやけどしたりしそうである。レイチェルは少々不安を感じた。
「でも、やけどしそうで、ちょっと怖いわね」
「ああ、そうか。なら氷柱の呪文はどうかな。それなら、自分を守る必要はないし」
火炎呪文であれ、雷呪文であれ、どの攻撃呪文を唱える場合でもまず重要なのは、自分の呪文から自分を守ることである。たとえば、火の玉の呪文を唱える場合、手のひらに出現させた火の玉の炎から自分を守らないと、自分がやけどを負うことになる。そこで、術者は魔道エネルギーのバリアを体に張り、唱える呪文で自分が傷つかないようにするのだ。
ただし、レイチェルはその術が使えない。そこで、氷柱を空中に出して、それを飛ばして相手を攻撃するという氷柱呪文なら、自分を守る必要がないため、比較的安全と言えた。
「そうね。じゃあ、氷柱の呪文でお願いするわ」
(ベス、クリスの呪文をモニターして、後で再現できるよう記録してちょうだい)
(了解しました)
レイチェルはベスに指示を出すと、数歩後ろに下がって、クリスを見守る。
「分かった。じゃあ、いくよ」
クリスは、少し気合を入れるようなしぐさを見せ、魔幻語の呪文を唱え始めた。
『大気に眠る水よ。我が捧げる祈りに応え、万物の根源である汝の力を、我に使わしめ給い、凍てつく氷柱となりて、仇なす者を貫け』
同時に、両手を上に突き上げた。そのとたんに、空中に十数本の鋭利な氷柱が現れる。
「ハッ」
そして、気合いの声を発して、両手を前に振り下ろす。それと同時に、ヒュンヒュンと風を切る音を響かせながら、氷柱が猛スピードで前方に飛んでいき、地面に次々と刺さっては消えていった。
ふう、と一息ついてクリスは振り返った。
「こんな感じなんだけど、どうかな。できそう?」
「ちょっと待って、ベスに聞いてみる」
(ベス、今の呪文、分析できた?)
(はい)
(どうかしら、再現できる?)
(脳から放射される輻射波は再現できますが、体内にマナがないため、出力不足です。遠話とは異なり、攻撃呪文は高出力のオミクロン波が必要ですので)
(そう。それなら、私がマナを使って出力を上げる代わりに、あなたのパワーを使ってブーストできないかしら)
(脳に負担をかけない程度に私が出力を上げられるのは、数秒が限度です。それ以上は、脳に損傷を来たすか、私の動作が不安定になる恐れがあります)
(そっか。じゃあ、ダメね……)
BICは脳に直接接続され、様々な脳の働きを制御したり補佐しているため、BICの動作が不安定になると、脳に大きなダメージを与える可能性がある。そこまでの冒険はしたくなかった。
「マナがないから、ちょっと無理みたい。最初のところまでは何とかできるみたいだけど……」
「ああ、そうか。あ、じゃあ、これを使ってみたらどうかな」
クリスは、レイチェルのそばまで来て、胸のポケットからお守りらしきものを引っ張り出し、その中から小さなガラスのビンを取り出した。ビンには青色の液体が入っている。
「これは何?」
「マナ回復ポーションだよ。飲むとマナが回復するんだけど、効き目あるかな?」
(ベス、解析をお願い)
(解析中……。未知の物質が含まれているために、完全な解析はできませんが、分子構造から考えてアレルギー反応を引き起こす可能性が高いです。おそらく、初めて飲むときは、私が反応を抑えられるので大丈夫ですが、その際、体内に抗体ができるため、二度目以降はアレルギー反応が強く、ショック状態になる可能性があります。そうなると、私でも抑えることができません)
(えっ? ちょっと待って。ということは、私って一生に一度しか呪文が使えないわけ?)
(このポーションでマナを補給する限りそうなります)
(そうかぁ……。それは、ちょっとがっかりね……)
「どう?」
クリスは、レイチェルとベスの会話が終わったのを見計らったかのように、尋ねた。
「うん、これを飲んで何ともないのは一回だけで、あとは命に関わるんだって……」
「へえ。そんなこともあるんだねえ。まあ、でも一回だけは飲んでも構わないんでしょ。それなら、お守りに持っててよ」
そう言って、クリスはお守りの袋もレイチェルに渡した。
「うん。ありがとう」
レイチェルは、それを受け取ると、中にポーションを入れて、ハーフローブのポケットにしまった。
「でも、それじゃ、もう呪文の練習してもしょうがないか……」
「そうよね。残念だなあ」
そこで、レイチェルが気がついた。
「あれ? でも、ベスが、最初のところだけなら手伝えるって言ってたわね、そういえば」
(ベス、数秒なら呪文に必要な高出力のオミクロン波を出しても大丈夫なのよね)
(はい)
「やっぱり、そうよ。じゃあ、さわりだけでも試してみようかしら」
「うん、やってみてよ」
レイチェルはクリスと入れ替わりに、小屋から離れたところに立った。
そして、クリスがしていた通りに、足を肩幅に広げ、身構える。
しかし、呪文を唱えようと口を開いたとき、ふと我に返り、気恥ずかしさがこみ上げてきて、思わず照れ笑いした。
「ふふふ。何だか、ちょっと子供みたいで恥ずかしいわね」
「何で?」
「私の時代って、魔道は使えないんだけど、その代わり魔法使いが出てくる空想のお話とかはたくさんあったのよ。それでね、小さい子供たちがそういうマネをして、魔法使いごっことかよくやってたのよ」
「ああ、なるほど」
「まさか、この年でこれをやるとは思わなかったわ」
「ははは。まあ、でも、魔道は子供の遊びじゃなくて、本当の力だから」
「そうね。ちゃんとやらなきゃね。じゃあ、いくわよ。えーと、まずは呪文を唱えるのね」
(ベス、行くわよ)
(了解しました。オミクロン波、出力します)
『大気に眠る水よ。我が捧げる祈りに応え、万物の根源である汝の力を……』
呪文を唱えると同時に、ベスの声が聞こえてくる。
(出力上昇、通常の5万倍に達しました。BICの限界値です。呪文の詠唱による共鳴効果100%。大気中の水分が結晶化していくのを確認しました。効果発動まで、3秒前、2、1……)
心なしか、高音の耳鳴りが微かに脳に響いてきた。だが、それに構わず、呪文の詠唱を続ける。
『…… 我に使わしめ給い、凍てつく氷柱となりて、仇なす者を貫け』
「えいっ」
ベスの0という声と同時に、呪文の最後のフレーズを詠みきって、共に両手を上に突き上げる。その瞬間、薄い青白い光が発光し、後には何本もの氷柱が空中に現れ、浮かんでいた。
「や、やったわ。私にもできた!」
「レ、レイチェル、すごいよこれ……」
クリスが感嘆の声を出す。
それも無理からぬことと言えた。彼女の頭上に浮いている氷柱は、先ほどクリスが出した氷柱よりも、一回り以上大きく、そして槍の穂先のように鋭かった。また、その形はきれいな円錐状をしており、そのなめらかな曲線は、均整が取れていて、夕日に照らされて美しく光り輝いていた。
レイチェルも、上を見上げて氷柱が出現したのを自分の目で確認し、大喜びしそうになったが、あまりはしゃぐと集中が乱れると思い直し、すぐに面を引き締めた。まだオミクロン波は出力中である。
そして、氷柱を飛ばそうと両手を前に振り下ろす。しかし、その瞬間、氷柱が空気に溶けるように全部消えてしまった。ベスが呪文を維持できなかったのだ。
(これ以上は危険です。照射を停止しました)
ベスの声が脳裏に響く。
「ああ、やっぱり最後までは無理だったわね……」
レイチェルは、すこし残念な気持ちで空を見上げた。
だが、途中まではちゃんと発動し、実際に氷柱を出して宙に浮かせたのだ。それだけでも満足だった。
「まあ、いいわ。氷柱ができたんだから上出来よね。ねえ、クリス、ちゃんと見てくれた? 私、本物の魔法使いになれるなんて思ってもみなかったわよ」
「……」
自分でも魔法が使えたことに、満面の笑みを浮かべてはしゃぐレイチェルだったが、クリスがなぜか沈んだ表情で落ち込んでいるのに気がついた。暗いオーラを全身から発散している。一緒に喜んでもらえるとばかり思っていたので、この様子は意外だった。
「あれ? クリス、どうしたの?」
「はあ……」
クリスが、この世の終わりのような深いため息を出した。
「どうしたのよ。そんな暗い顔して。うまくいったんだから、喜んでよ」
「何か、今、打ちのめされた気分だよ……」
「どうして?」
「だってさ、僕、この氷の呪文を覚えるのに結構掛かったんだよね。っていうか、魔道士の修行を始めて見習いを修了するまで何年もかかったし」
へこんだ様子で、クリスが言った。
「うん」
「それなのにさ、君が一度見ただけで呪文が出せて、しかも、僕よりはるかにうまいって、さすがに自分にがっかりだよ……」
「あ、ああ……」
レイチェルが微妙な声を出す。
自分では呪文の出来は判断できないが、出した氷柱の出来栄えを見ると、確かに自分の方がうまかったのかもしれない。
「で、でも、ほら、今の呪文は私が出したわけじゃなくて、ベスが出したようなものだし……」
ここでクリスをがっかりさせてはとレイチェルが慌ててフォローに入る。
「でも、ベスは君の使い魔なんでしょ。使い魔なんて、自分より強力な術者にしか従わないんだしさ」
「うーん、そんなものかしら」
(とはいっても、ベスを作ったのは私じゃないし、脳に埋め込んだのも私じゃないし……)
だが、レイチェルはそれは口に出さず、曖昧な返事をした。どのみち、説明しても分かってもらえないのだ。
「まあ、ほら、それは何もクリスが修行不足なわけじゃなくて、わ、私、旧文明人だから……、ねっ?」
「そうか。それもそうだよね」
それを聞いて、クリスも納得したようだった。なにしろ、魔幻語は旧文明人によって伝えられたのだ。その旧文明人が自分よりも魔道がうまくても当たり前であると考えたらしい。
「それにしても、同じ呪文なのに、なんでこんなに差が出たのかしら」
クリスが立ち直ったのにほっとしつつ、レイチェルは疑問を口にした。
「そりゃ、レイチェルがいい術者だからでしょ」
「それはないって」
レイチェルは苦笑いしながらも、腑に落ちなかった。ベスはあくまでもクリスの呪文を科学的に分析して、真似ただけであり、自分はクリスに教えてもらった呪文を暗唱しただけである。
(ベス、なぜ同じ呪文を使って、私とクリスではその効力に差が出たの?)
(解析中……。原因が分かりました)
(何?)
(惑星標準語の正確さです)
(どういうこと?)
(クリスの唱えた呪文は惑星標準語ですが、クリスの発音と抑揚に訛りがあるため、波形の共鳴度が弱まり、その結果として、呪文の効果が減退しています。それに対してあなたは惑星標準語の母国語話者であるため、呪文の効果がそのまま発揮されたのです)
(ははあ。なるほど。そういうことね)
たしかに、これまで聞いたクリスの惑星標準語には強い訛りが感じられ、レイチェルでもギリギリ聞き取れるかどうかの時もあった。これは、クリスだけでなく、パルフィたちにも言えることだ。
だが、これは仕方のないことだろう。なにしろ、惑星標準語を母国語とする者がこの時代に存在せず、音声を記録して残す装置もないのだ。むしろ、見本もないのに、自分が聞き取れるぐらい正確である方が驚きである。
だが、そこでレイチェルは一つ思いついた。
(じゃあ、クリスの訛りがなくなれば、私と同じくらい強力な呪文が出せるのね)
(はい、そうなります)
レイチェルは思わず表情が緩んだ。
「ふふふ。ねえ、クリス?」
自分がこれから告げることが間違いなく彼を勇気づけ、大喜びさせるだろうことに、自分も喜びを感じながら、話しかける。
「ん、なに?」
納得はしていたものの、今だにどこか悔しそうなクリスだったが、レイチェルの方を向いて微笑んだ。
「私、あなたの呪文を強力にする方法知ってるわよ」
「えっ?」
「知りたい?」
「ほ、本当にそんなこと知ってるの? ぜひ教えてよ」
パッと一瞬にして表情を変え、うれしそうに、そして熱心に尋ねるクリス。
「いいわ。教えてあげる」
「どうしたらいいの? やっぱり修行?」
「そんなの簡単よ。私と一緒に発音の練習をするのよ」
「へ?」
一瞬、何を言われたのか分からないような惚けた顔をしたクリスを見て、レイチェルは吹き出さずにはいられなかった。どうやら、彼は何かの苦行を積むようなことを考えていたらしい。
レイチェルは、まだ釈然としない様子のクリスに構わず、続けた。
「じゃあ、まず呪文を読んでみましょうか。今から、私が読むから、私の後について繰り返して言ってね」
「え、う、うん」
そして、魔幻語の練習が始まったのだった。
それからしばらく経った後。
発掘現場では、グレン、ミズキ、ルティの三人が、休憩用のテーブルに戻ってきた。レイチェルとの面談が終わった後、何もせずクリスを待つのも退屈だったため、発掘作業を手伝っていたのだった。
パルフィは疲労がまだ抜けないようで、テーブルで待っていた。
「なんでえ、クリスたちは、まだやってるのか?」
椅子に座りながら、グレンがパルフィに言った。
パルフィはずっと小屋の方を見つめていたためか、話しかけられるまでグレンたちに気がつかなかったようだった。その声にようやく振り向く。
「あら、みんな、お疲れ様」
「結構、時間かかってるじゃねえか」
「そのようだな。これだと、パルフィの時よりも長いのではないか?」
「うん、そうね。まあ、クリスは、レイチェルのお気に入りだしね……」
どこか、つまらなさそうな表情でパルフィが肩をすくめた。
「え、そうなのですか?」
意外なことを聞いたかのように、ルティがパルフィを見た。
「そうよ。レイチェルって何かあったらすぐにクリスのところに行くしさ」
そう言って、パルフィはなにか納得の行かないことでもあるかのように頬杖をついて、足をブラブラさせた。
「へっ、なんだ、おめえ、やきもちでも焼いてるのか」
からかうかのように、グレンがニヤッと笑う。
「ば、ば、ば、ばか、なに言ってるのよ」
パルフィはガバッとものすごい勢いで起き上がり、顔を真っ赤にして否定する。それを見て、グレンがにやけ顔で肩をすくめた。
「まあまあ、いいじゃねえか。冗談だよ」
「ふんっだ」
パルフィが頬を染めたまま、むくれてそっぽを向いた。
そのとき、
「あっ、クリスが戻って来ましたよ」
「お、レイチェルも一緒だな」
「終わったようだな」
二人が小屋から出てきて、こっちに向かってくる。なぜか、クリスが満面の笑みを浮かべていた。
「みんな、お待たせ」
疲れた様子もなく、元気な様子のクリス。
「おう、クリス、終わったか」
「うん」
「どうした、やけにゴキゲンじゃねえか。何かいいことでもあったのか」
「あ、分かる? そうなんだよ。ちょっと、みんな見てて」
そう言って、クリスはグレンたちから少し距離を取り、呪文を唱えた。すぐに右手が赤く光り出す。
「なによ、火の玉の呪文なんて唱えて、どうする……」
そして、火の玉が現れた時、
「何だと!」
「えっ?」
グレンたちは驚きのあまり、一斉に椅子から立ち上がった。クリスの出した炎の玉は、明らかにこれまでとは大きさも強さも密度も異なって、より強力になっているのだ。ランクで言えば一つか二つは違うように見えた。昼にオークと戦った時とは、まさに雲泥の差である。
「一体どうして……」
「何があった?」
クリスは、炎の玉を消して、グレンたちの驚いた様子に満足したように微笑んだ。
「ふふふ、驚いた?」
「そりゃ、驚くわよ……」
「今の火の玉は、これまでとは大違いですね」
「でしょ?」
少し得意そうな様子で、クリスがパルフィたちを見渡す。
「ちょっと、クリス。もったいぶらずに教えてよ」
「まあまあ、慌てない慌てない。実はね、魔幻語の正確な発声方法をレイチェルに教えてもらったんだよ」
「えっ」
「なにそれ?」
「どういうことだ?」
グレンたちは意外なことを聞いたという顔で、一斉にレイチェルを見た。
「えっとね。魔幻語って、私たちは『惑星標準語』って呼んでるんだけど、みんなが思ってるのと発音と発声法が微妙にちがうのよ。でね、魔幻語の正確な発音と発声法で呪文を唱えると、呪文の効果が高くなって、その分だけ強力になるのよ」
「じゃあ、オレたちも魔幻語を練習すれば、呪文が強くなるのか」
「ええ」
「そりゃ、すげえ。ぜひオレにも教えてくれ、レイチェル。その正確な発音ってやつを」
グレンが熱心に頼み込む。それを見て、パルフィたちも同じように頼みだした。
「あ、アンタだけずるいわよ。レイチェル、あたしもお願い」
「私もぜひお願いしたい」
「私もです」
「ふふ。みんな熱心ね。いいわよ。心配しなくてもちゃんと教えてあげるから」
パルフィたちのあまりの熱意に苦笑いしながら、レイチェルが言った。
「あ、でも、一つの呪文に使われる語句を一つづつ練習するのは大変だから、みんなが持ってる呪文を一気に全部やるのは無理よ」
クリスの呪文もそれほどに長いものではなかったが、ある程度正確な発音にするまでに、かなりの時間を要したのだ。それに、そのあと定着させるのには、反復練習が必要になる。
「そうか。よし、それじゃあ、まず一人一つずつ、強くしたい呪文を選んで、順番にレイチェルに教えてもらうことにするか。どうだ?」
「うむ。それでいい」
「そうね」
パルフィたちも、それにうなずく。
「クリスは、もう、一つ教えてもらったんだから、みんなが終わるまで待っててよ」
「うん、それでいいよ。たぶん、次のやつを教えてもらっても、すぐ忘れそうだし。一緒に復習してるよ」
「よし、じゃあ、みんな。早速レイチェルの小屋に行くか」
「そうね」
「行きましょう」
それを聞いて、レイチェルが慌てたように言った。
「え、ちょっと待ってよ、今からやるの? でも、ほら。もう夜だから、明日にしない?」
「何言ってんだ」
「ふふふ、レイチェル?」
パルフィたちが目をキラキラさせながら、ニヤッと笑う。
「な、なに?」
「今夜は寝かさないわよ」
「ええっ?」
「最後まで付き合ってもらうぜ」
「うむ、私たちもレイチェル殿の研究のお手伝いをしたからな」
「う、うわあ。みんな本気なのね……」
「諦めなよ、レイチェル」
にっこり笑って、クリスがレイチェルの肩に手を置いた。
それから、数刻後、すでに外は夜が更け、真っ暗になっていた。
クリスたちはレイチェルの講義を受けたあと、小屋の外に出て、それぞれに呪文を練習していた。
「うおぉ、すげえよ、これ。別人になったぐらいの技のキレだ」
「うむ。一気にランクが上がった感じだな」
グレンとミズキがお互いに、強くした術を出し合いつつ、手合わせをしていた。
カンカンと剣を打ち合わせる音が響く。
「レイチェル殿、本当に感謝する」
「ああ、レイチェル、ありがとうよ」
「いいえ、どういたしまして。私も役に立ててよかったわよ……」
やや疲れた表情で、微笑んだ。声も少し枯れている。レイチェルはグレンたちの発音練習に付き合い、正確な発音を教えるために、さんざん見本を見せたのだった。
(ホント、大変だったわね……)
最初にクリスに教えたときも、結構時間がかかったかと思ったのだが、その後、グレンたちに教えるときは、それよりもはるかに時間がかかった。彼らにかけた時間を考えると、クリスの飲み込みの速さは、きわめて優秀であるといってもいいぐらいだ。
(これもやはり血筋のなせる業なのかしら……)
クリスの母親は旧文明人である。そのため、その遺伝子を受け継いだクリスは、惑星標準語に対する親和性が高いのかもしれない。そうレイチェルは考えて納得したのだった。
「あれ、パルフィとルティは試さないのかい?」
そのレイチェルの横で、呪文を唱えるでもなく、ただ立ってグレンたちを見ている二人に、クリスが声をかけた。
「ええ。私が強くしてもらったのは、金縛りの術だし、強い敵とやってみないと分からないのよね。みんなに試し掛けしても、前から効き目あるわけだから違いが分からないし」
「私も、回復呪文を強くしてもらったので、誰かがけがをしないとダメなんですよ」
「そっか。じゃあ、次に戦う時までのお楽しみだね」
「そうね。でも呪文を空掛けした感触からして、かなり強くなったのは間違いないわね」
「私もそう思います」
「そうか。それはよかったよ」
そのとき、自分の小屋から出てきたウォルターが、クリスたちを見つけて近づいてきた。
「おお、みんな。こんな時間に、呪文の稽古か。熱心だな」
「ああ、父さん、実はね……」
クリスが、事情を話す。
「なんだと、魔幻語の正確な発音で、呪文が強くなるだと?」
ウォルターも、それは意外だったようで興味をそそられたようだった。
「それで、みんな一つずつ呪文を教えてもらって、今試し撃ちしているところなんだよ。ほら、僕の呪文見てよ」
クリスが呪文を唱えて、火の玉を出す。その火力を見て、ウォルターも驚いたようだった。
「おお。クリス、お前、ランク1だっただろう。これは、すごい。ランク2か3相当じゃないか?」
「でしょ」
うれしそうに言って、火の玉を消す。
「なるほど、それは、すごい話だ。また、新たな発見が一つ増えた。レイチェル殿、今夜は遅いのでこれで失礼しますが、ぜひ明日詳しい話をお聞かせください」
「ええ。喜んで」
「これは、明日が楽しみです。では」
目をきらきらさせながら、意気盛んな足取りでウォルターが去っていった。
「やっぱり、ウォルターさんも学者よね。レイチェルと一緒だわ」
「あら、学者って、体の半分は好奇心でできてるのよ。知らなかった?」
「ふーん。あとの半分はなに?」
「勉強よ」
ふふふと冗談ぽく笑うレイチェルに、パルフィが「うはあ」という声を出した。
【次回予告】
神の巫女ロザリアの伝説を検証するために、レイチェルを連れてアルティアに戻るクリスたち。そこで、伝説の意外な真相を知ることになる。
「じゃあ、何が起こったのか分かるの?」
「それで、不死の呪文が編み出せなくて、亡くなったわけか」
「ふふふ。神の巫女と世紀の大魔道師のカップルなんて、ちょっとかっこいいと思わないかい?」
次回『公認魔幻語使い(マジスタ)の日常生活』第二巻「未来の古代人たち」
第十一話「ロザリアの記憶」をお楽しみに。