魔道と科学
クリスたちは、オークを倒して山を下りた後、ウォルターの小屋に向かい、子細を報告した。
彼らの帰還を今か今かと待ち構えていたウォルターは、レイチェルの元気な姿を見て安堵した様子だったが、その血だらけの服と、オークに襲われたという話にまた心配顔になった。
「……それは、本当に危ないところでしたね。ご無事で何よりですが、あまり無理はなさいませんよう……」
「すみません、ご心配かけて」
申し訳なさそうに微笑むレイチェル。
「みなさんには、魔物に気をつけろと言われていたのですが、てっきり動物の類かと思っていまして……」
そして、自分たちの時代にはあのような魔物がいないことを説明した。
「そうでしたか……。それは、私たちも説明不足でしたね。魔物の存在はこちらではあまりにも普通なので、それが旧文明にはいないなどとは思いもつきませんでした」
「でも、これでこの時代がどんなところか身をもって思い知りましたので、おとなしくしてますわ」
ふふっとレイチェルが笑う。
「それで、父さん、レイチェルが着られる服はあるかな。オークに斬られて、ズタズタになってるんだ」
「あ、ああ。そうか」
ウォルターは、彼女の服の袖が裂けてしまってるのを見てうなづいた。
「ちょうど今朝、フィンルート村に買出しに行かせるときに、あなたが着られそうな服も買わせておきました。物置小屋に置いてありますから、好きなものを選んで持っていってください」
「ありがとうございます。それと、一つお願いがあるのですが」
「何でしょう?」
「今日、これからクリスたちをお借りしていいですか。実は、みんなの呪文を初めて見て、科学的に分析できないかと思いまして」
「ああ、そういうことでしたら、ぜひ使ってやってください。今日はもう大した作業はありませんから」
「ありがとうございます」
「それにしても、魔道の科学分析ですか。それは興味がありますな。何か発見がありましたら、ぜひ私たちにも教えていただきたいです」
ウォルターは、いかにも興味津々という様子だった。
「ええ。もちろんですわ」
クリスたちは小屋を辞したあと、早速、物置小屋に向かった。そして、所狭しとさまざまな備品や食糧が置かれる中、それらしい木箱の中に、いろいろな服が入れられているのを見つけた。
「これね」
パルフィが木箱の中から服をいくつか取り出して、そばにあった適当な台の上に並べていく。
「へえ、結構たくさん買ってきたんだね」
「ホントよ。これだけあれば、よりどりみどりね」
しかも、木箱にもまだかなり残っていた。
「そうね。とりあえずいくつか見繕って試着してみようかな。パルフィとミズキは着方とか教えてくれる?」
「うん。いいわよ」
「ああ、よろこんで」
「じゃあ、早速……。えーと」
レイチェルは、クリスとグレンを意味ありげに見つめた。
「あ、そ、そうだね。僕たちは外で待ってるから……」
「お、おう、そうだな」
「そうですね」
レイチェルの視線の意味に気がついて、慌てて男三人は小屋の外に出た。
部屋を出ていくクリスたちの背後で、レイチェルの楽しそうな声が聞こえる。
「どれから着ようかな。この世界の服って初めてだから、ちょっとワクワクしちゃうわね」
それから半刻後、クリスたちは、小屋の前で所在なく突っ立って、レイチェルたちを待っていた。
「……遅えな。まだかな」
いくぶん、ジリジリした様子でグレンが言った。
「まあ、仕方ないよ。レイチェルはこの時代の服は初めてなんだし」
「それにしても、楽しそうですね」
「そうだね」
相変わらず、小屋の中からレイチェルたちのはしゃぐ声が聞こえてくる。どうやら、ウォルターが買ってきた服を片っ端から着ているようだった。
しかも、時折
「いやーん、これ、かわいい。あたしちょっと着てみよう」
「うむ、では私はこれを……」
という声も聞こえてくる。パルフィとミズキもちゃっかり試着しているようだった。
グレンは聞こえてくるはしゃぎ声に不満そうな顔つきで文句を言った。
「だいたい、何であいつらまで着替えてるんだ?」
「そりゃ、新しい服が着てみたいんじゃないの?」
「女性にとっては、いつもと違う服を着るのが楽しいのですよ、きっと」
「まあ、二人とも年頃の女の子ってことなんだよ」
クリスもあきらめ顔で、肩をすくめる。
「けっ、女ってのはこれだからよ。服なんてどれでもいいじゃねえか。なあ、そう思わねえか?」
「いや、そこで僕に同意を求められても……」
そのとき、
「あら、グレン、『衣装と化粧は女の鎧』って言葉知らないの?」
その声にクリスたちが振り返ると、レイチェルがミズキとパルフィを従えて小屋から出てきたところだった。
「どう? 似合うかしら?」
レイチェルは両手を広げて、自分の着ている服を示す。
白を基調としたハーフローブに、厚い布地で作られたぴっちりとした黒いズボンを身につけ、ひざ下までの高さのブーツを履いていた。ハーフローブはこの時代の学者が着用するものと同じタイプであるためか、レイチェルの知的な美しさが強調され、よく似合っていた。
「うわあ、レイチェルさん、素敵です」
「ああ。いいんじゃねえか」
「あら、ルティ、グレンありがとう」
「うん。見違えるね。すっかり、この時代の学者って感じだよ」
「ふふふ、そう? そう言ってもらえるとうれしいわ」
レイチェルもこの新しい服装を気に入っているようだった。
「あれ、パルフィとミズキも、着替えてなかった?」
クリスは、二人が先ほどまでと同じ服を着ていることに気がついた。
「うん、いいのよあたしたちは」
「うむ。気分転換に着てみただけだからな」
それを聞いて、すかさずグレンが突っ込んだ。
「なんでえ。それなら試着するだけ時間の無駄じゃねえか」
「はあ、何言ってんの。あんたって、本当に、女心がわかんないのね」
パルフィの呆れた声にミズキも頷く
「全くだな」
「ケッ。はいはい、悪かったよ」
「さて。じゃあ、服も着替えたことだし、みんな、私の調査に付き合ってね。全員一緒には調べられないから、順番に私の小屋に来てもらおうかな。そうね。まずは、ルティお願いできる?」
「はい。分かりました」
「後のみんなは、呼ぶまで適当にしていて」
「わかったわ」
「了解」
「じゃ、ルティ、一緒に来て」
「はいっ」
レイチェルは、魔道を調査するのがよほど楽しいのか、相変わらず意気揚々とした様子で、ルティを連れて自分の小屋に戻って行った。
それから、数刻の時間が流れ、夕方になろうとする頃だった。
「うはあ、疲れた~」
パルフィがよれよれになって、レイチェルの小屋から出てきて、発掘現場そばのテーブルに戻ってきた。そこには、クリスたちが座っている。
すでに、レイチェルに質問攻めにされた、グレン、ミズキ、ルティは疲れた様子で、椅子にもたれかかっている。元気なのは、まだ面談が終わっていないクリスだけだった。
「ちょっと、座らせて……」
よろよろと、空いている椅子に座って、背にもたれるパルフィ。
「おつかれさま。まあ、お茶でもどうぞ」
クリスが冷たいお茶をコップに注いで、パルフィの前に置いてやる。
「あ、ありがと」
パルフィは、だれた格好で座っていたが、お茶を見るとすぐにコップを手に取り、一気に飲み干して、
「あぁ、生き返るわ」
といいながらも、まだ疲れが癒えない様子でぐったりと背にもたれる。
「そんなにつらかったの?」
「いや、もう、クリスのお父さんとかにいろいろ質問されるレイチェルの気持ちがよく分かったわよ」
「全くだぜ」
グレンたちもうなづく。
「何よ、あんたたちなんて二人一組だったじゃないのよ」
パルフィが毒づく。
ルティとパルフィは一人ずつ呼ばれたが、グレンとミズキはレイチェルの前で試合をしてもらうとかで、二人一緒に呼ばれたのだった。
「何言ってんだ。そのかわり、オレたちは延々と、模擬戦闘やらされたんだぜ」
「うむ。よい稽古になったのだが、やはり疲れるな……」
いつもきっちり背筋を伸ばし、凛としているミズキも、やや疲れ気味のようである。
「パルフィは、何を聞かれたの?」
「えーとね、まずは、『幻術とは』から始まって、歴史とか、どうやって修行するとか、あとは、呪文をいろいろ見せたり」
「ああ、それで、小屋の前で呪文出してたんだね」
途中で、パルフィが小屋から出てきて、レイチェルの前で魔道を実演しているのが見えたのだった。
「でも、一番長かったのは、テレポートの話だわね。そういう呪文があるって言ったら、ものすごい興味を持たれちゃってさあ。あたしもまだ使えないのに、その原理とか呪文とかを知ってるだけ延々と教えたわよ」
「へえ」
「で、そのあと、ものすごい質問の嵐でさ。あたし、途中でもう、今日は寝かせてもらえないって覚悟したぐらいなんだから。で、もう少しランクが上がったら使えるようになるって言ったら、そのときは真っ先に教えてだって。レイチェルって、よっぽど、テレポートに興味があるのねえ」
パルフィは、またお茶をクリスに注いでもらい、ごくごくと飲んで、ため息をつく。
「へえ、そうなんだ。確かに、他の三人より、ずいぶん長いことやってるなって思ってたけど、そういうことだったとはねえ」
「何よりすごいと思ったのは、魔幻語使いでも何でもないのに、説明したこと全部分かってるってことよ。テレポートなんて、幻術士のあたしにとってもめちゃくちゃ難しいのにさ」
「頭の出来がオレたちとは違うな」
「ホントよ。一体どんな頭してるのかしら」
パルフィは、感心するというよりも、むしろ呆れるといった表情で肩をすくめたた。
「それにしても、レイチェル殿は元気だな。私たちに、立て続けに質問しても平気そうだし」
「いや、むしろ、魔道のこととか、知りたくて知りたくてたまらんって感じだよな」
「学者さんというのは、そういうものなのですね」
ルティは一番最初に呼ばれたこともあって、すでに元気を取り戻しつつあった。
「まあ、たしかに、クリスの親父さんも、エドモンドもそんな感じだし、けっこうひ弱そうなリンツでさえ、夜中までいろいろ物書きしてるようだぜ」
「うはあ、あたしには向いてないわ」
そのとき、レイチェルが小屋から出てきて、近づいてきた。
「クリス、次お願いね!」
声が届くところまで近づくと、そう叫んで、また元気一杯な様子で小屋に戻っていく。
「お、いよいよ僕か」
クリスがイスから立ち上がる。
「レイチェルさんは本当に、熱心ですねぇ」
ルティが半ば感心して、そして半ばあきれたようにつぶやいた。
「まあ、がんばってこいよ」
「うん」
クリスはレイチェルの小屋に向かった。
一方、レイチェルはすでに小屋に戻って、これまでの調査したことをベスにまとめさせていた。
(ベス、クリスの調査はまだだけど、まず魔道について分かったことをまとめてちょうだい)
(はい。『グレン』、『パルフィ』、『ミズキ』、『ルティ』を調べた結果、いわゆる魔幻語使いに共通している身体的特徴があることが分かりました。それは、この時代の一般人よりも右脳、特に側頭葉の一部と、左脳側の言語中枢部分が著しく発達していることです。これは、彼らがいう『クラス』間では有意な差はありませんでした)
(また、魔道を使用する際、様々な輻射波が、高出力かつ複雑に組み合わされた状態で、脳内から放射されるのが観測されました。この複合波、ここでは仮に『オミクロン輻射複合波動』、略してオミクロン波と呼びますが、それが何らかの形で体外の物質や空間に影響を及ぼしています。ただし、残念ながら、さらに詳しい発生原理については専用の観測機器とホストコンピュータとの接続が必要です)
(そう、わかったわ。でも、そうすると、オミクロン波が魔道の正体なの?)
(はい。そのようです。ただし、呪文が効果を持つために必要なオミクロン波の強さは、人間が発生させることができる限界出力をはるかに超えており、そのために、彼らのいう『マナ』という化学物質が必要となります。マナは通常の人間では体内に作ることができません。しかし、魔幻語使いと呼ばれる者たちは、修行により体内でマナを生み出し、一定量保存し、そして呪文の詠唱時に使用することができるようになります。これを使用すると、脳の特定部位、特に人間が使うことのできないとされている部分が極度に活性化され、一時的ですがオミクロン波の出力を大幅に増強します)
ここまでの面談で、パルフィたちは、一様に、魔幻語使いとなるために何年も修行を積んだと言っていた。おそらく、オミクロン波を出すことができるようにするのと、マナの体内での生成ならびに、保存が出来るようにするため、ある意味では身体を作り変えることなのだろうと見当をつけた。
(なるほどね。じゃあ、魔幻語についてはどう? 惑星標準語と魔道がどう関係しているの?)
自分の母国語である惑星標準語が、なぜ呪文の発動に大きく寄与しているのか、それがレイチェルには分からなかったのだ。
(はい。魔道の効力を発生させるために必要なオミクロン波の波形と、呪文に使われる惑星標準語の発音並びに抑揚の波形が、共鳴関係にあります。そのため、惑星標準語による呪文の詠唱の方が、この時代の言語よりも、強力なオミクロン波を引き出すことができます。また、同時に、惑星標準語を使用すること自体が、何らかの原因で脳の働きを大幅に向上させています。大陸語の使用時と、惑星標準語の使用時では、脳が活性化する部分が大きく異なります。また、呪文に使われている言語のフレーズが、オミクロン波の波形や、組み合わされる輻射波のパターン、そして活性化する脳の部位に微妙な影響を及ぼし、結果として魔道が物質や空間に与える影響も変化します。これにより異なる呪文が異なる効果を持つことになるのです)
(ふーん。そういうことだったのね)
レイチェルはベスの調査結果にひとまず満足して、今後どのように調査していくべきかを考えた。
しばらく思索にふけっていると、コンコンとノックがして、クリスが入ってくる。
「レイチェル、来たよ」
「あ、クリス、来てくれたのね。ありがとう。そこに座ってくれる?」
「うん」
クリスはテーブルを挟んで向かいのソファに腰掛けた。
「じゃあ、クリス。いろいろと聞きたいことがあるから質問させてもらうわね。それと、あなたの体を調べさせてもらっていい?」
「えっ、もしかして、服脱ぐの?」
「え、あ、違うわよ。ちょっと、ここから見るだけでいいのよ」
「あ、う、うん。別にいいよ。どうぞ」
自分の勘違いに照れたようにクリスが苦笑いして、両手を広げて見せた。
(ベス。クリスのDNA検査からお願い)
(了解しました)
すでに、グレンたちのDNAや脳の構造などもベスに調べさせてある。クリスの調査が済んだら、5人の比較の比較調査をしようと考えていたのだった。
「ねえ、レイチェル、前から気になってたんだけどさ」
クリスが、不思議そうな顔で言った。
「ん、何?」
「気のせいだったらゴメンなんだけど、誰としゃべってるの?」
「えっ?」
レイチェルは、その質問に不意を突かれて、思わず驚いた声を上げた。
その反応に、やや慌てたようにクリスが説明する。
「あ、いや、ええとね、何か時々、声みたいな音が聞こえるから。今もちょっと聞こえたし……」
(もしかして、ベスとの交信が聞こえているのかしら………)
BICとの交信が聞こえるなど、通常はあり得ないことだったが、クリスたち魔幻語使いは、脳の発達が他者とは異なるという、ベスの分析を思い出した。
「どんな声が聞こえるの?」
「何を言ってるのかは聞き取れないんだけど、レイチェルの声と、別の女性らしい声が交互に、何か話してるような感じかな……」
「そうなの? 他の人にも聞こえてるのかしら」
「ううん。みんなに聞いてみたけど、聞こえてないみたいだったよ」
(それは、おかしいわね……)
魔幻語使いの脳の発達は、その職種によらず同じだとベスは言った。クリスに聞こえているならパルフィたちにも聞こえているはずだと思ったのだ。
「じゃあ、これはどう?」
そう言って、ベスに対して指示を念じる。
(ベス、クリスの脳をスキャンして。あと脳波もチェックお願い。どうして彼だけにあなたの声が聞こえるのか調査してほしいの)
(了解しました)
「うん、聞こえた……」
「そう……。まあ、別に隠していたわけじゃないんだけど、なんて説明したらいいのかな、あなたが聞こえたっていうのは、私の助手みたいなもので、私の頭の中にいるのよ」
「へえっ、そうなの? それって、使い魔とか守護霊みたいなものかな」
「そうね、そう考えてくれてもいいわ。それで、私の代わりにいろいろやってくれるのよ」
「そうだったんだ。それは、便利だねえ」
これで謎が解けたという表情で、クリスが感心する。
そのときベスの声が脳に響いた。
(全てのチェックが終了しました)
それと同時に、クリスが「あ、また」という顔でレイチェルを見て、手で「どうぞ」と合図をする。
(ホントに聞こえてるのね)
レイチェルは、苦笑いして、ベスに答えた。
(報告して)
(DNA検査の結果、クリスには遺伝子に他者と異なる特徴が発見されました)
(どんな特徴?)
ベスに尋ねながら、ソファの背にもたれかかる。おそらく、遺伝子のちょっとした変異程度の話だろうとたかをくくっていたため、次のベスの返答には全く心の準備が出来ておらず、完全に不意を突かれることになった。
(はい。クリスの母親は、あなたと同じ一万年前の人間、いわゆる『旧文明人』と思われます)
(な、何ですって!?)
レイチェルはもたれたばかりのソファの背からバネ仕掛けのように体を起こし、思わず声に出しそうになるのを慌てて押さえる。
(ど、どういうこと?)
(遺伝子解析によると、クリスはこの時代の父親と、一万年前に生存していた旧文明人の母親の間に生まれています)
(そんな、まさか……)
この事実に、レイチェルは唖然となって、クリスを見つめた。
何の話か分かっていないクリスは、レイチェルが急に身を起こしたのを見て、すこし驚いたようだが、にっこり笑いかける。
レイチェルも、なんとか不自然にならないように微笑みを返したが、頭の中では今聞いた情報を咀嚼することで精一杯だった。
(……ということは、私以外にもこの時代に目覚めた人がいるってこと?)
ウォルターが、一万年前にタイムスリップして、さらにこの時代に戻ってきたなどとは思えない。となれば、自分と同じように、旧文明人の母親がこの時代に目覚めて、ウォルターと出会い、クリスを産んだと考える方が自然である。
(そんなことって……)
クリスが自分と同じ時代の人の血を引いていることにも驚愕したが、それと同時に、自分と同じ境遇の者が他にもいるということがさらに衝撃的だった。
(私だけじゃなかったんだ……)
他にも自分と同じ時代から来た人間がいる。これは大きな勇気をレイチェルに与えた。
(会いたい。会って、あの日何が起こったのか、そして、どうして私たちだけが生き延びたのかを知りたい……)
「ね、ねえ、クリス」
動揺をできる限り抑えようとしながら、尋ねる。
「なに?」
「あなたのお母様って、どんな方なの?」
「僕の母親? どうしたの突然?」
「お願い、聞かせて」
レイチェルの真剣な眼差しに、やや押されたようにクリスが答えた。
「う、うん。わかった。でも、えーと、僕が小さい頃に亡くなったから、そんなに覚えてないけど……」
「えっ?」
思わぬ返事に、レイチェルは絶句した。
「もう十年以上前だけど、病気でね」
「……あ、そ、そうだったの。ご、ごめんなさいね……」
ぶしつけなことを聞いてしまったと、あわててクリスにわびる。そして、それと同時に失望感が重く心に広がった。
(なんてこと……、手がかりがつかめると思ったのに……)
「ううん、かまわないよ。まあ、でも、とても優しかったってことぐらいかな、覚えてるのは」
「そう……」
「母さんが、どうかした?」
「あ、いえ、何でもないのよ。ご、ごめんなさいね、立ち入ったこと聞いて」
レイチェルは、動揺を押し隠して謝った。
(いくらなんでも、『実はあなたのお母さんは、私と同じ旧文明人でした』なんて、言えないわね……)
旧文明人であるレイチェルが質問をして、クリスからこの反応しか返って来ないということは、彼はこの事実を知らないのだと推測した。
そして、今この時点で、クリスが知らないのであれば、ウォルターも知らないか、または息子には隠しているということになる。レイチェルは家族の問題に立ち入らないほうが賢明だと判断した。どのようにこの事実を伝えても、大きな動揺を引き起こすことは間違いない。
(ウォルターさんは、知っているのかしら、自分の妻が旧文明人だったことを……)
思い悩むレイチェルの様子を不思議そうに見つめるクリス。
レイチェルは、その視線に気がついて、慌てて取り繕った。
「あ、えっと。ほ、ほら、ウォルターさんがクリスのお父さんだから、お母さんはどんな人かなって思って……」
「そうなの?」
レイチェルの返答にはあまり納得していなさそうなクリスだったが、それ以上は尋ねようとはしなかった。
そのとき、まだ動揺から回復していない頭に、不意にベスの声が響いてきた。
(それと私の声が聞こえるという件ですが……)
レイチェルは我に返る。
(あ、ああ、そうね、報告して)
(旧文明人の遺伝子を持つことにより、クリスの脳はもともとBICの電波を拾いやすくなっています。BICは旧文明人の脳に合うように設計されていますから)
(でも、それだけじゃ理由にならないわ。だって、私たちだって、別の装置がない限り他人のBICの声は聞こえないんだから)
(おそらく、魔道士としての修行により、種々の輻射波に対する感度が非常に上がっているものと思われます。ただし、完全には受信し切れていないため、『声がする』程度にしか交信を解読できないと推測されます)
(そうか。私たちの遺伝子を持っていることと、魔道士の修行を積んだことであなたの声が聞こえるようになったのね)
そこで、一つ気がついた。
(それじゃ何? 波長を合わせて増幅すれば、BIC通信リンクみたいに、クリスとも交信できるの?)
レイチェルの時代、個人同士の音声通信は、互いのBICを通して行うことができ、遠距離通信も可能だった。もし、クリスの脳がBICの声を拾えるなら、同じことができるのではないかと思いついたのだった。
(こちらの送信時に波形を変えて出力を上げ、受信時にセンサー感度を上げれば、長距離は無理ですが、理論的には可能です)
(へえ。それは、実験してみる価値はあるわね。クリスの脳の分析は済んでる?)
(はい)
(じゃあ、今から念じるから、波形を合わせてクリスに送信して)
(了解)
クリスは相変わらず、穏やかな表情でいすに腰掛けたまま、レイチェルとベスの会話が終わるのを待っている。
レイチェルは、これから行うことが、いかにクリスを驚かせるかと思うと楽しくなって、いたずらっ子のように目をキラキラさせながら念じた。
(クリス、クリス、私の声が聞こえる?)
その効果は抜群だった。
「うわっ」
クリスが、驚きのあまり、椅子から転げ落ちそうになったのだ。
そして、唖然とした表情でレイチェルを見る。
「どうしたの、クリス、そんなに驚いちゃって。何かあった?」
クリスの反応に、満面の笑みを浮かべながら、レイチェルが尋ねる。
「い、今の、も、もしかして君がやったの?」
「うふふ。驚いた?」
「いきなり、頭の中に君の声が鳴り響けば、そりゃ、驚くよ......。それに、君が魔道を使えるなんて知らなかったし……」
まだ驚きから立ち直れないような、唖然とした表情でクリスが言った。
「え、これが魔道なの?」
その言葉に、今度はレイチェルが驚いた。自分はBICというテクノロジーを使って、科学の道理に従って信号波を発信しただけである。それが魔道と呼ばれるのは意外だった。
「うん、『遠話』って言って遠くの人たちと会話ができる術だよ。僕は使えないけどね」
「へえ、そうなんだ」
(そう言えば、『充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』って大昔の作家か誰かが言ってたわね)
自分にとっては日常的な科学技術でも、彼らには魔道に見えるのだと納得した。
「それって、君の使い魔のおかげ?」
「えっ、あ、うん。そうよ、私は『ベス』って呼んでるけど」
「へえ、君の使い魔はすごいねえ」
「ふふ。じゃあ、今度はクリスが念じてみて」
「え、でも、僕は遠話はできないよ」
「いいのよ、ベスにあなたの声を拾わせるから。とりあえず、何か念じてみてよ」
「わかった、やってみる」
そう言ってクリスは何かを念じるようにじっとレイチェルを見つめた。
(ベス、どう? クリスの信号波を拾える?)
(感知できますが、微弱なため解読できません)
「ダメかな?」
クリスが心配そうに尋ねた。
「ちょっと、念じ方が弱いみたい」
「そっか……」
「あ、そうだ、呪文を発動するみたいな感じでやってみってよ」
ベスの報告では、呪文発動時に強力な輻射複合波が発生すると言っていた。それに合わせて念を乗せればいいのではないかと考えたのだ。
「え?」
「ええとね、呪文を発動する時、すごく大きな念が発生するんだって」
「わかった」
クリスは、目を閉じ集中する仕草を見せる。
その瞬間、クリスの声が頭に響いてきた。
(レイチェル、聞こえる?)
(やったわ。聞こえるわよ)
レイチェルが念じ返す。
「すごいねえ」
目を開けて、心の底から感心した様子でクリスが言った。
「これなら、もしかして他の呪文を使えるようになれるかもね」
「え?」
「だって、遠話が使えるんだから、他の呪文も使えるんじゃないかな」
「ああ、なるほどね。そっか。うふふ。何だか、本格的に楽しくなって来たわね」
「あ。えーと。は、ははは……」
「なによその『しまった』って言わんばかりの笑いは?」
「え、いや、何だか、レイチェルの探求心に火をつけちゃったかなって」
「ふふふ、クリス?」
「な、なに?」
「今夜は寝かさないわよ」
レイチェルはニヤリと不敵な微笑を見せる。
時と場所が違えば、色っぽく聞こえるこのセリフだったが、クリスはこのあと自分を待ち受ける質問の嵐が想像できたのか、
「お、お手柔らかに……」
というのが精一杯であった。
【次回予告】
レイチェルは、魔道の呪文を練習する。その過程で、自分がクリスたちの魔道を強化する手段を持っていることに気づく。それは、簡単で意外なものだった。
「クリスは、レイチェルのお気に入りだしね」
「あら、学者の半分は好奇心でできてるのよ。知らなかった?」
「じゃあ、おれたちの呪文も強くなるのか」
次回『公認魔幻語使い(マジスタ)の日常生活』第二巻「未来の古代人たち」
第十話「母国語話者」をお楽しみに。