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公認魔幻語使い(マジスタ)の日常生活  作者: ハル
◆第一巻 プロミッシング・ルーキーズ(有望な新人たち)
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第2話 幻影との邂逅(2)

「ぼ、僕はクリスだよ……」


 クリスは、アリシアがどこから現れたのか全く把握できず、彼女の言った「ホログラム・コンシェルジュ」とは一体何なのかも分からず、ぎこちなく挨拶を返した。


「ご無事で何よりでしたわ、クリス様。ジャスパーもご苦労さま」


 アリシアがクリスに微笑みかけた後、側に寄ってきた犬の頭をなでた。ジャスパーも「ばう」と満足気に一吠えして、アリシアの前でお座りの姿勢になった。


「き、君は、一体……?」


 クリスは、聞きたいこと理解したいことが濁流のように頭の中を駆け巡ったが、ようやくそれだけを言葉に出した。


「私は……、あら、クリス様。お怪我をなさっているようですわね。先にお手当をいたしましょう。詳しいお話はその後で」


 アリシアが肩口の傷を指し示す。クリスも言われて初めて思い出した。ゴブリンの斧がかすったのだ。同時に、痛みもよみがえる。


「分かった」

「では、こちらへどうぞ。ジャスパー、救急箱を持って来てくれる?」


 ジャスパーは、意味が理解できたのか、元気良く吠えて、奥の通路に走って消えて行った。


 クリスは、壁際のソファに案内され、勧められた長椅子におずおずと腰掛けた。彼女はその隣に座る。

 すぐにジャスパーが、白い箱を、取っ手部分を咥えて早足で戻ってきた。


「ありがとう」


 アリシアが救急箱を受け取ると、ジャスパーは得意げに「ばう」と返事をして、クリスの前に寝そべった。


「では、傷を見せていただけますか?」

「ああ」


 クリスがハーフローブと、その下に着ていた黒のタートルネックのシャツを脱いで、袖なしのインナー一枚になった。左肩が血で染まっている。


「まだ、少し出血があるようですわね。そのままじっとしていてください」


 アリシアは、救急箱から布を取り出して、血を丁寧に拭い取る。そして、次に何かの装置を取り出して肩に近づけた。


「それは何?」


 クリスが不安になって問いかけると、彼女は手を止め、優しく微笑んだ。


「これは人間の細胞の再生を増幅して、回復を早める装置です。痛みなどはございませんので、ご安心ください」

「分かった」

 

 クリスが頷くのを見て、アリシアは装置を傷口にかざす。淡い黄色い光が放射され、傷に当たる。同時に、痛みが消えていくのが感じられた。どうやら回復士(ヒーラー)の回復呪文と同じような効果があるらしい。

 しばらくの間、光を照射して装置を置き、アリシアは傷口を確かめるように優しく触った。


「はい。結構です。幸い、深い傷ではなかったので、二、三日で完全に元に戻ると思います」

「ありがとう……」

 

 確かに傷の痛みは消えていた。礼を言ってシャツを着る。ハーフローブはアリシアが着せてくれた。袖を通すとき、彼女の美しい髪が揺れ、背後から甘い香りが漂ってきた。思わずクリスは脈拍が高くなるのを感じた。


「と、ところで、君はいったい誰なんだい? それに、どうしてこんなところにいるの?」


 照れを隠しながら、クリスが尋ねる。


「私は、来館されるお客様をお世話するためにここにおります」


 体をクリスに向けて姿勢を正し、アリシアが返答した。


「えっ、ここって、一万年前の旧文明遺跡だよね? ということは、君は旧文明時代の人ってこと? まさか」

「もちろん、普通の人間ではありません。私は、ホログラムです。簡単に言うと、機械に投影された立体映像でしょうか」

「じゃあ、君は幻影ってこと?」

「そういう言い方もできますわね」

「でも、君が幻影なんて信じられないんだけど……」


 クリスは思わず、アリシアを見つめた。何しろ、傷の手当をしてくれたのだ。彼女の手のぬくもりは自分でも確かに感じたし、上着も着せてもらった。今でも、彼女が身につけている香水の香りが漂ってくる。これが幻影であるはずがない。


「あの……、そのように見つめられると、恥ずかしいですわ」


 少し赤面して、アリシアが頬に手を当てた。


「あ、ごめん、つ、つい……」


 クリスも我に返り、慌てて視線を外す。アリシアもくすぐったさそうに「いえいえ」と言って微笑んだ。


「私は、さまざまな業務をこなせるよう、実体を持つように設定されておりますので、体が透き通ることはございませんが、ホログラムであることには変わりありません。……そうそう、幻と言えば、お客様が入ってきた通路の入り口もホログラムで擬装されていたのですよ。外から見ると、岩壁にしか見えませんでしたでしょう?」

「えっ。ああ、そうか。それで……。それにしても、一万年前からここにいるってすごい話だね。毎日ここにいると、ヒマじゃない?」

「まあ」


 そのクリスの質問が面白かったのか、アリシアがくすくすと笑った。


「あ、あれ、変なことを聞いたかな?」

「ごめんなさい。出会っていきなりそのようなことを聞かれたのは初めてでしたので。……確かに、ずっとここに一人でいたら、そうですわね。でも、私はこのロビーに人が入って来ない限り、起動しませんし、その間は、眠っているような状態ですので、ご心配には及びません。ジャスパーもおりますし」

「へえ、不思議な話だね……。あ、ねえ、アリシア。そんなにかしこまって話さなくていいよ。僕はお客じゃなくて、たまたまここに迷い込んだだけだし、(うやうや)しくされるとかえって話しにくいというか、友達みたいに話してくれる方がいいな」


 それを聞くと、アリシアは一瞬意外な顔をしたが、すぐに嬉しそうに微笑んで、打ち解けた口調に変えた。


「……そう? じゃあ、お言葉に甘えてそうするわ。私も、普通に話せる相手が欲しかったしね」

「うんうん、その方が話しやすいよ」


 クリスも、肩の力が抜けて、聞きたかったことを尋ねる。


「……それでさ、君が僕を助けてくれたんだよね?」

「そうね。私が、というと語弊があるけど、私を含めた基幹システムということなら、そうなるわね。あなたが、敷地内で危険な目に逢ってたから、このジャスパーを向かわせたのよ」


 言われたことが分かったのか、クリスの足元に寝そべっていたジャスパーが顔を上げて、短く吠えた。


「そうだったのか……。詳しいことはよく分からないけど、とにかくありがとう。おかげで助かったよ。ジャスパーもありがとうね」


 クリスは、椅子の上から屈んで、頭を撫でてやる。

 褒められたのが嬉しいのか、鼻面を上げてクリスの手をなめた。しっぽがペチペチと床を打つ。


「ふふ。この子もあなたが気に入ったようね。でも、珍しいわ。いつもは人見知りして、あまり近寄ってこないのだけど」

「そう? 僕が犬好きだからかな」

「そうね……」


 クリスがジャスパーを構ってやるのをじっと見つめた後、アリシアが感心したように云った。


「……あなたって、変わってるわね。これまでにここに迷い込んできた人は、私の姿を見て幽霊だって言って、みんな逃げていったのに」

「まあ、僕は魔道士だし、こういうのは職業柄慣れてるから」

「ふうん、魔法使いさんなのね。噂には聞いてたけど、この時代には本当にいるのね。ね、ちょっと魔法見せてよ」

「いいよ。ただ、僕はまだまだ修行中の身だからすごい呪文が使えるわけじゃないけど」


 そう言いつつも、クリスはアリシアの要望通りに、呪文を唱え手のひらに火の玉を出した。

 アリシアが目を丸くする。


「すごいじゃない! 本当にそんなことができるなんて!」

「いやいや、大したことないって。こんなの、どんな魔道士でもできるから」


 手放しの褒めように気恥ずかしさを感じながら、クリスは火を消した。


「でも、その魔道士になるのが難しいんでしょ?」

「う、うん、まあ。少なくとも僕には大変だったな」


 クリスは苦笑いした。どれだけ修行が辛かったのかを思い出したのだ。


「あなたって、すごいのねえ」

「あ、でも、ジャスパーなんて、もっとすごいじゃないか。口から炎の玉とか光線とか出してさ。って言うか、犬が魔道を使えるなんて、僕、聞いたこともないし」


 その言葉を聞いて、アリシアは一瞬不思議そうに小首を傾げたあと、納得したように微笑んだ。


「ああ。ふふ。違うのよ。あのね、この子は、アンドロイド……つまり機械なのよ」

「えっ、これが……機械……!?」


 寝そべったまま尾をパタパタと振ってこちらを見上げるジャスパーを見つめる。

 これが機械だなどとは全く思えなかった。頭をなでたときも、手を舐められたときも、一切違和感はなかったのだ。それだけ、旧文明の科学力が進んでいるということである。


「警備用のアンドロイド……、機械動物と言ったらいいかしら。お客様に不安を与えないように、この姿にしてあるのよ」

「なるほどねえ……」


 それからしばらくの間、二人は楽しく話をした。父の影響を受け、クリスも旧文明について興味があったのだ。それに、アリシアは知的で明るく、ユーモアに富み、話しているだけで楽しかった。

 だが、クリスは大切な用事があることを思い出した。


「あ、僕、そろそろ行かなきゃ。今日、明け方からマジスタのライセンス試験があるんだ」

「マジスタ?」


 アリシアの疑問に今度はクリスが説明する。


「えっとね、簡単に言うと、魔道を使って依頼をこなす何でも屋だよ。マジスタになるには、ライセンスをとらなきゃならなくてね。その試験が今日あるんだ。僕は、このために修行してきたんだよ」

「へえ。言ってみればフリーランスってことね。素敵じゃない。……でも、そっか、そんな大切な試験なら引き止められないわね。もっとあなたとお話していたかったけど……」


 悲しげな顔をするアリシアを見て、クリスは居たたまれなくなった。こんなところに一人で過ごす彼女が気の毒に思えたのだ。


「じゃ、じゃあ、また来るよ。僕も君と話をするのは楽しかったし、旧文明の話をもっと聞きたいから。助けてくれたお礼もしてないしね」

「本当に? うれしいわ」


 パッとアリシアの表情が明るくなるのを見て、クリスも嬉しくなった。


「それに、もし合格してマジスタになったら、仲間とパーティーを組んで生きていくことになるから、仲間も一緒につれてくるよ」

「私は、別にあなた一人でもいいんだけど……、でも、そうね。大勢の人と話すこともずっとなかったから、楽しみにしてるわ」

「うん」


 二人は立ち上がった。


「じゃあ、私はここで。試験頑張ってね」

「うん。助けてくれてありがとう。また、すぐに来るよ」

「約束よ」

「わ、分かった」


 クリスは、差し出された手を握り返す。


「ジャスパーも、またね」

「ばう」


 ジャスパーも立ち上がって、尻尾を振った。


 クリスは彼らに手を振ってロビーを出ると、もと来た通路を通って森に戻った。数歩歩いて振り返って見ると、やはり通路の入り口はなく、岩壁に戻っていた。これが幻影であると聞かされているクリスでさえ、周りと見分けがつかない。


(なんだか、不思議な体験をしたな……。父さんに教えたらびっくりするかな?)


 幼少の頃から、父に連れられて各地の遺跡を旅したが、今のような女性の幻影を見るのは初めてだった。きっと、父も驚いて、連れていくように言うだろう。そうすれば、知り合いもたくさん出来て、アリシアの孤独な日々も終わるだろうか。


(彼女が幻影だなんて今でも信じられないけど……)


 アリシアの手は、柔らかくそして暖かかった。それに、彼女の透き通った瞳と、優しい笑顔はとても印象的だった。

 空を見上げると、夜が白々と明け始めていた。森のなかもうっすらと明かりが差し込んでいる。


(よし、行くか……)


 意気揚々と、街道を目指して再び森の中を分け入った。



 だが、この時、クリスは知らなかった。背後から自分を見つめる影があったことを。

 その影は、クリスが森の中に去っていくのを確認して、岩に見せかけられている入り口から、通路の中に消えて行った。



◆◆◆



「いらっしゃいませ、お客さま」


 アリシアは、再び起動すると、プロトコル通りに挨拶した。ロビーに人が入ってくると自動で起動するのだ。今日は来客は二人目、しかも今しがたクリスが出て行ったばかりである。


(珍しいわね……。でも、嬉しいわ)


 クリスとの邂逅の余韻がまだ心地よく残っている。心浮き立つ気分だった。

 ロビーに入ってきたのは、背の高い男性であった。クリスよりも数歳年上、二十三、四程度に見える。目鼻がクッキリとして整っており、美しいと言ってもいいぐらい端正な顔である。

 彼が身につけている黒い上着はクリスが着ていたようなハーフローブと似ていた。


(魔法使いさんかしら……)


「ようやく見つけましたよ。こんなところにあったのですね、この遺跡は。私は、ずっとこの森の中を探していたんです」


 男性の声は、外見に劣ることなく、甘く滑らかだった。

 だが、その声を聞いた瞬間、アリシアは激しく警戒した。浮き立つ気分も一瞬で消えた。

 その明るい口調と、甘い声の裏には、間違えようのない冷酷さと悪意の響きがあったのだ。


「……あら、ここは、そんなに有名でしたかしら?」


 微笑みが硬くならないように注意しながら、アリシアが問い返す。

 

「ええ。近くの村では伝説となってましたよ。百年ほど前に、村人が女神を見たという遺跡があるとかで。あなたのことでしょう?」

「まあ、ひどい。私、そこまで年はとっておりませんわ」


 アリシアはしらばっくれたが、男性は皮肉っぽい笑みを浮かべて、彼女の返答が馬鹿げていると言わんばかりに手をひらひらと振った。


(この人……)


 つまり、自分が年を取らない存在であることを彼は知っているのだ。

 それだけではない、この人物からは何か危険な雰囲気を感じる。

 アリシアは、ジャスパーを呼び出した。

 警備ロボットは自立型のユニットであるが、基幹システムを通して彼女の命令を受信できる。命令を伝えるのに声に出す必要はない。

 すぐに、奥の通路からジャスパーが走って現れた。すでに、こちらの状況は知らせてある。アリシアの前に来ると、男性を警戒するように姿勢を低くし、低くうなり声を上げる。

 だが、彼はひどく嬉しそうな顔をした。


「おお、これですよ。本当に話に聞いた通りだ」

「ご用件はなんでしょうか?」

「これは失礼。私はケフェウスという、しがない召喚士でしてね。 この機械の犬をいただきに参ったのですよ」


 アリシアの警戒は極限に達する。彼は、ジャスパーが機械であることまで知っているのだ。


「……この犬が機械だなんて、面白いことを仰いますのね。それに残念ながらお客様。これは、当施設の愛玩犬ですからお譲りするわけには参りませんわ」

「隠しても無駄ですよ。私はこれでも旧文明に詳しい方でね」


 爽やかといってもいいぐらいの笑顔を見せて軽く肩をすくめた。だが、アリシアはその笑顔に、密かな蔑みと悪意を見て取った。おそらく、彼は力づくでも奪っていくつもりなのだ。


「申し訳ありませんが、お引取り願います」


 彼女は、硬い声でそれだけ言うと、コマンドを送信した。

 ジャスパーが口を開き、光線を発射する。

 光線は、ケフェウスの体をかすめるように飛び、彼の後方、ロビー入口近くにあった陶器の壺に命中し、木っ端微塵にさせた。激しい音がロビー内に響く。

 だが、彼は驚いた様子も見せず、悠然と後ろを振り返り、粉々になった壺の残骸を見て妖しい笑顔を見せた。


「ふふふ。すばらしい。この攻撃力は私の役に立つ。ますます、欲しくなりましたよ」


 そう言うと、ケフェウスは印を組み、呪文を唱え始めた。全身が淡い赤色の光に包まれる。


「そんなわけにはいかないわ……」


 アリシアは、手段を問わず鎮圧するようジャスパーに命じた。すでに、彼女は、この男を施設に対する脅威とみなしていた。危害を加えるのは本意ではないが、威嚇も効き目がない以上、やむを得ない。

 だが、ジャスパーが口を開け光線を出そうとした時、ケフェウスが印を解き、人差し指を突き出した。一条の光がジャスパーの頭部に突き刺さる。

 すると、ジャスパーは硬直したように身動きを止めた後、ゆらゆらと体を揺らすと、今度は、錆びついたのかと思わせるぐらいにぎこちない様子で、前に歩き出した。


「ジャスパー?」


 異変を感じてアリシアが呼びかける。だが、ジャスパーは、その声が聞こえないかのように、背を向けたままノロノロとケフェウスに向かって歩いていた。


「もうあなたの呼びかけには答えませんよ。この犬は私の使い魔として支配下に入りましたから。今から、主人は私です」

「なんですって、何を……!?」


 馬鹿なことをと言いかけたアリシアが硬直する。彼女は自分が見ているものが信じられなかった。あれほど愛嬌のある目と、感情豊かな表情をしていたのに、まるで魂が抜けてしまったかのように無表情だった。もはや、大昔の機械じかけのおもちゃにしか見えない。懸命にコマンドを送るが、全く反応しなかった。


「それでは、私はこれで」


 ケフェウスが背を向け、通路に向かって歩き出す。ジャスパーもぎこちないながらもおとなしくついていく。


「待ちなさい」


 アリシアは円柱に駆け寄ると、コンソール下部にある物入れからレイガンを取り出して、彼に突きつけた。


「……それは、何やら武器のようですが、私には効きませんよ」


 立ち止まって、肩越しにケフェウスが答える。

 

「この犬を元に戻して、ここから立ち去りなさい。今ならまだ命だけは助けてあげます」

「ふふふ。面白いことをいう方だ。本当に、私を倒せるとでも?」

「……」


 アリシアは、無言で指先に力を入れた。だが、その瞬間、激しい衝撃が右手を襲い、レイガンが弾き飛ばされた。


「そ、そんな、どうして……」


 手を押さえて、信じられないような目でジャスパーを見る。彼は光線を自分に向かって撃ったのだ。だが、相変わらずジャスパーは無表情だった。


「だから言ったでしょう。この犬は、私の支配下にあると」

「クッ」

「しようがない。あなたはそのままにしておこうと思いましたが、この上何かされたら面倒だ。死んでいただくことにしましょう」


 肩をすくめて、再びケフェウスがアリシアに向き合った。アリシアは挑むような目で、彼の目を見返す。


「残念だけどあなたに私は殺せないわ。だって、私は……」

「幻影なのでしょう? 確か、あなたの時代ではホログラムというのだとか」

「ど、どうしてその言葉を……」


 アリシアは顔色を変えた。


「以前に、別の遺跡であなたと同じような方と出会ったことがあるのですよ。その時にいろいろと調べたのです。それは、もういろいろとね。あなた方は、我々の言う幻影ではない。機械によって投影されているかもしれないが、体の中身まできちんと造られているし、痛覚まである」


 ニヤリと不気味な笑いを見せた。

 アリシアは、怖気(おぞけ)を震った。痛覚という言葉を聞いて、そのホログラムが何をされたのか想像がついたのだ。


「だが、いずれにしても、あなたは本体に映しだされた幻にしか過ぎない。逆に言えば、本体を倒せば、現つ身(うつしみ)ではないあなたも一緒に消えるはずです。そして、その本体とはこれでしょう?」


 そう言うと、ケフェウスは円柱の装置に指を向けた。その指から、こぶし大の紫色の玉が発射され、円柱に直撃した。

 円柱は一度激しく発光した後、一筋の白煙を立ち上らせた。光る文字盤も消えて真っ黒になる。

同時に、アリシアの体中に小さな放電が起こり、体が徐々に透き通っていきはじめた。


「……う……そ……」


 アリシアは透き通っていく自分の両手を見つめる。そして、自分のホログラム・マトリクスが崩壊していくのを感じた。スリープモードでオフになるのとはわけが違う。完全に分解され、もう二度と元に戻れないことが分かる。体が小刻みに震えてきた。それは、彼女が初めて感じる恐怖だった。

 やがて、力が入らなくなり、崩れ落ちるように床に座り込んだ。


「そ、そんな……ど、どうして……?」


 不信と恐怖に引き歪んだ顔で、ケフェウスを見上げる。


「私はこの時代の人間ですが、ずっと旧文明の遺跡を研究してましてね。それなりに仕組みは理解してるんです。もっとも、中身がどうなっているのかなんて、さっぱりですけどね」


 皮肉めいた笑いを見せる。寒気がするような、邪な表情だった。


「わ、私……」

「あなたの命もここまでだ。幻影は幻影らしく、幻と消えなさい」


 自分は不老不死の存在だと思っていた。だが、それは誤りだったのだ。

 一筋の涙が頬を伝う。そういえば、泣くのは初めてだと気がつく。


「クリス……」


 出会ったばかりの青年の名が思わず口をついて出た。彼のはにかむ表情と、優しい微笑みが思い出される。だが、もう彼に会うことはないだろう。別れの挨拶すら言えない。アリシアは、それが心残りだった。

 全ての世界が真っ白になり、やがて意識が薄れていく。


(さよなら……)



 そして、ロビーの中に静寂が訪れた。


「……ふふふ、これでまた一つ優秀な使い魔を得ることができた。数ある召喚士の中で、旧文明の使い魔を持つなんて私ぐらいなものですよ」


 ケフェウスはジャスパーに話しかけるでもなく、満足そうな笑みをこぼした。


「では、行きましょう。仲間を紹介してあげますよ。あなたとは違って鉄に覆われた不恰好な者たちですがね」


 そう言って、アリシアの死など何の痛痒も感じないかのように、入り口に歩き出す。

 ジャスパーは後ろを振り返り、悲しそうな鳴き声を上げた後、また機械のように無表情になり、新しい主人の後をついて行った。


 やがて自動で照明が消され、まるでこの遺跡自体が幻であるかのように、漆黒の闇が覆ったのだった。





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