前夜
次の日から、ウォルターのチームとレイチェルは、互いの世界について教え合うための機会を設けることになった。
彼らはとても優秀らしく、あらかじめ様々な質問を分野ごとに用意し、系統的に旧文明の理解を深めようとしていた。
また、自分たちの世界について彼女に教える約束も忘れず、この世界ではこうだが、旧文明ではどうだったのか、という形で質問していたため、自動的に、彼女もこの世界について段々と理解していくことができた。
レイチェルもただ単に質問に答えていたわけではない。ウォルターたちに質問したり、様々な情報を取り込んで密かにベスに分析させたりしていたのだ。
この時代についてさまざま学んでいくにつれて、特にレイチェルを驚かせたのが、『魔幻語』である。自分の母国語である惑星標準語が『魔幻語』などと呼ばれていること、そして、それがこの世界では特別な力を持つと信じられ、魔道に使われているのは、不思議な感覚だった。
とは言え、歴史的に見ても、特定の言語が神聖視され、宗教上大きな意味を持つことはよくあることであり、レイチェルも魔幻語とはそういうものだと考えて、納得したのだった。
ウォルターたちとの情報交換は、意義あるもので、最初の一日か二日はレイチェルも楽しんで自分の世界のことを教えていたが、やがて大きな問題にぶつかった。
それは、「どこまで彼らに教えていいのか」という問題だった。
このような古代レベルの文明に生きる人たちに、はるかに高度な文明からきた自分が持っている知識を教えてしまうと、有益どころかかえって害になったり、大きな影響を与えてしまうことがある。
例えば、火薬の知識がない文明に、その製法を教えただけで、その後の世界情勢や文明の進む方向すら変えてしまう。下手をすると、大戦争を引き起こし、多数の死者を出すことだってあるかもしれない。自分の一言が世界を変えてしまうことだけは避けたかった。
社会の構造がどうであるとか、暦がどうなどといった一般的な話をしている分にはよかったが、だんだんと、うかつなことは言えないという気持ちが強くなり、答えも慎重にならざるを得なくなってきた。
それだけではない、自分が勤めていた施設、ウォルターたちが今まさに発掘中の施設が彼らの手に渡ってもいいのかどうかも頭を悩ませられることだった。
今のところ、発掘作業に役立つように、自分の研究室のおおよその見取り図や、ドアの位置などを教える程度で済んでいる。しかし、実際に、ドアが掘り起こされ、内部に入れるようになったとき、さまざまな質問に答えなければならないだろう。そして、それだけは避けたかった。
なぜなら、彼女が働いていた施設、それは強力な兵器を備えた軍事基地だったのだ。
レイチェルの悩みは尽きなかった。
そして、それから三日後の昼下がり。
レイチェルは一人で山の奥に来ていた。
ウォルターたちとの面談の最中、少し疲れたからちょっと部屋で休むと言って、出てきたのだ。
別に逃げようとしたわけではない。レイチェルも、このような未知の世界でそんなことをしても、生きてはいけないのは分かっていた。ただ、独りになっていろいろ整理したかったのだ。
ウォルターと彼のチームはきわめて有能な学者で、自分に負担がかかりすぎないよう気を遣ってくれているようだったし、情報交換のための面談以外の時間は基本的に自由行動だった。
護衛役であるクリスたちも、自分の世界でよく見かけた要人警護のような物々しさはなく、発掘現場と野営地にいる限り常時そばにくっついてくるというほどではない。
また、発掘の手伝いをしている村人たちは、自分を神の使いか何かのように感じているらしく、ときどき自分に祈りを捧げているところを見かける程度で、うかつに近づいては天罰が当たると思っているのか、近づいても来ない。
したがって、始終監視下に置かれているわけではなかったのだが、やはり誰もいないところで、一人になって落ち着きたいこともある。
自分の身に起こったこと、そして、これからのこと、考えなければならないことが山ほどある。レイチェルは、一人きりで自分を見つめなおしたかったのだ。
(それにしても……)
と、細い山路を歩きながら、ふと自分の世界のことを考えていた。
(結局、みんなどうなったのだろう……)
自分の知っている人が誰一人生きていないという事実は、頭では理解できていても、気持ちとしては受け入れきれていない面もある。なにしろ、自分にとってはまだ数日しか経っていないのだ。
(あのとき、私はこんなことになるなんて夢にも思っていなかった……)
コールドスリープに入った日のことをレイチェルは思い出していた。
あの日、普通に研究室での勤務を終えて、一旦基地内にある自室に戻った。それから、その晩から予定されているコールドスリープに備えて、シャワーを浴びて、新しい服と白衣に着替え、そして、映像回線でリチャードと話をした。彼はたまたま別の所に出張中だったのだ。
『今晩から、コールドスリープに入るんだろう?』
スクリーン上のリチャードはいつもの通り朗らかな笑顔を浮かべていた。
『そうよ。このあと研究室に戻るの』
『そうか。君のカプセルは研究室に置いてあるんだったね』
『ええ。あなたみたいに広い部屋じゃないから、しょうがないわ』
彼は主席研究員のため広い部屋が与えられており、カプセルも自室に置いていたのだった。
『ふふふ。いい夢みてね、ってコールドスリープじゃあ無理か。言ってみれば仮死状態なんだから、脳も動いてないし。何度やっても、ゾッとするなあ』
『もう。今からカプセルに入るのにそういうこと言わないでよ』
『あ、そうだね、ゴメンよ、ははは』
『リチャードったら』
屈託のない彼の笑顔を見て、胸がときめくのを感じる。自分はこの笑顔が好きなんだと思った。
『あなたは明日こちらに戻ってくるのね』
『うん、夕方には戻れると思うよ』
『ねえ、それなら……、夕方は会える?』
その頃には、コールドスリープからとっくに目覚めているだろう。そして、そのあとは仕事はない。
『もちろんだよ、じゃあ、僕の部屋に来るかい?』
『……いいわよ』
レイチェルは、胸の鼓動が大きくなるのを感じた。
研究チームのミーティングで彼の部屋に行ったことはある。だが、恋人として一人で訪れるのはこれが初めてであった。
『コールドスリープ明けだからって、寝ぼけまなこで来るなよ』
『何言ってるのよ、意地悪ね』
『ははは、冗談だ』
『もう、リチャードったら。……それじゃ、また明日ね』
『ああ。また明日。愛してるよ』
『……私もよ』
そう言って、幸せな気持ちで通信を切り、研究室に戻ってカプセルに入ったのだった。次の日の夕方を心待ちにしながら。
しかし、その約束した夕方は来なかった。いや、当然来たのだろうが、自分が寝過ごしたのだ。しかも盛大に。
(一万年も寝過ごすなんて、すごい話よね)
そう思うと、クスッと笑みがこぼれる。そして、この数日の間に、少なくとも自分はこんなふうに振り返れるぐらいに現実を受け入れられたのだろうかとも思う。
(リチャードは結局、あれからどうしたのかな……)
自分がいなくなった後、だれか別の人と付き合ったり、結婚したりしたのだろうか。彼とは付き合いはじめてまだ日も浅く、あのまま自分が元の時代にいても、自分が彼と結婚していたかどうかはわからない。ただ、彼がおそらく他の女性と結婚し、家族を持ち、そして、亡くなっていると思うと、自分が置いていかれたという気持ちを感じずにはいられなかった。
(私と会えなくなって、悲しんでくれたのだろうか……)
ふと、そう思ったときだった。
(あれ……? 何かおかしい。でも……)
何かとてつもなく大きな勘違いをしているような、強い違和感が身体中を駆け巡る。無意識の中の自分が警告を発している。気のせいではない、何かが「違う」という強烈な感覚。
(ああっ……)
そして、雷が落ちたかのような衝撃と共に、自分の思い違いに気がついた。
(ちょっとまって、私はカプセルに入ってそのまま寝ていただけ。そして、その間に一万年が過ぎた。それは分かる。でも、周りの人たちは次の日もその次の日もずっと普通に過ごしていたはず。それなのに……)
(……それなのに、なぜ私は一万年も起こされずにいたの?)
背中に冷たい汗が流れるのを感じる。
(たとえ、カプセルに異常があったとして、私が目覚めなくても、何日も起きてこないなら、誰かが見に来てくれるはずよ)
それに、その次の日も勤務があったのだ。無断欠勤すれば、誰かが探しに来るはずである。いや、それより、目覚める日の夕方に会うはずだったリチャードが何日も自分をそのままにしておく訳がない。
(それなのに、一万年も放置されるなんてありえない)
(……ということは、私やカプセルに異常が起こったのではなく、自分の周りに異常が起こったってこと?)
そうでなければ、一万年も放置されるなんてことがあるだろうか。
(私、間違ってた……)
これまで、タイムスリップと同じように、自分だけが別の時代に飛ばされたかのように思いこんでいたのだ。
だが、そうではないのだ。自分がカプセルにいただけで、世界は自分も含めて普通に動いていたはずである。
それがなぜこうなったのか。いったい、あの日何が起こって、自分が一万年も放置されることになったのか。
異常という言葉では片付けられないぐらいの出来事が起こったはずだ。レイチェルの心がかき乱される。
(いったい何があったの……)
知りたい、痛切にそう思ったときだった。
ガサッ
突然、自分の後方、少し離れた所から草をかき分ける音が聞こえてきた。
レイチェルは我に返り、足を止め、振り返る。後ろに見えるのは自分の通ってきた細い道と、うっそうと生い茂った木々と草むらだけである。
(動物でもいるのかしら?)
そう思ったとき、またガサガサと茂みの中を何かが移動する音が聞こえた。しかも一体ではない。
(誰かいる……)
ようやく、レイチェルは自分のいる場所が、薄暗く人気のない視界の悪い場所であることに気がついた。しかも、草の音は徐々にこちらに近づいてくる。
(ベス、状況報告して)
(はい。未確認の熱源を探知しました。大型の人型生物三体がこちらに急速に接近中。データベースに登録なし。判別できません)
(人間じゃないの?)
(違います)
(そんな……)
いかに楽天家を自認する自分でも、この状況で無害で好意的な生き物が現れるとは思えない。
(逃げなきゃ……)
そう思った瞬間だった。
茂みから、いきなり三体の生物が現れた。
それは最初、神話上の巨人サイクロプスのように見えた。ただし一つ目ではなく二つの目を持ち、身長は自分よりもかなり大きく、凶暴そうで、オノを持っていた。
「キャアァァァッ」
レイチェルは、金切り声を上げた。
ウォルターやクリスたちから、この近くには魔物がいると注意されていた。自分は、それをなんとなく凶暴な動物だと受け止めていた。ところが、それは全くの勘違いだったことを思い知らされる。
だから、注意しろと言われたのだ。今初めて、その意味が分かった。だが、それはあまりにも手遅れだった。
「グガァッ」
一番近くにいた魔物が雄たけびを上げてオノを振り上げ、一気に自分に向かって振り下ろす。体をひねって必死によけるレイチェル。なんとか直撃は避けたが、完全にはかわしきれず、肩から肘にかけてオノがかすった。
白衣とその下に来ていた長袖のシャツがスパッと裂けて、血が吹き出す。同時に鋭い痛みが腕に走る。
それまで、かすかに持っていた「外見だけ怖くて、実は無害なのでは」「敵意のないところを見せれば、何もしないのでは」などという甘い希望は、一瞬で消えた。レイチェルは、脱兎のごとくその場を逃げだした。
「グォァアッ」
しかし、その生物たちは叫び声を上げながら追いかけてくる。
レイチェルは半ばパニックになりながら、必死に走った。
しばらくの間、どこをどう逃げたか分からないまま山の中を走り回ると、木も茂みもない、すこし開けたところに出た。しかし、そこはがけになっていて、それ以上先には進めなかった。はるか遠くの景色が眼下に見えるだけだ。慌てて後ろを振り向くと魔物たちが迫ってくるところだった。
(しまった……)
「グルルルル」
魔物たちは、相手がもう逃げられないと悟ったのか、走るのをやめ、唸り声をあげながらじわじわと近づいてくる。レイチェルは後ずさりするが、もうその後ろはがけであり、後はない。
「誰か、助けて!」
あらん限りの声で助けを求める。
しかし、魔物はそんな叫びも意に介さず、ジリジリと距離を詰めてくる。そして、真ん中の一体が大きなオノを振り上げた。
そのときだった。
【次回予告】
レイチェルを探すため山に入るクリスたち。一方、レイチェルは自分がもう一つ別の思い違いをしていたことに気がつく。そして、それに気がついたことで生きていく意欲がわくのだった。
(……私、本当にこの時代のこと分かってなかったんだ)
「なかなか妙な縁があるものだな」
「ルティ、あなた、その言葉……」
次回『公認魔幻語使い(マジスタ)の日常生活』第二巻「未来の古代人たち」
第八話「探究心」をお楽しみに。




