第28話 再戦(2)
そのころ、ミズキたちは、一直線には義昭の元へ向かわず、陣幕を右にしつつ、乱戦中の武士たちを迂回しながら走っていた。
催眠のせいかは分からないが、誰も彼も目の前の相手を殺すことに熱中しており、少し後ろを駆け抜けるミズキたちには目もくれなかった。
そして、地面より一段高いところにある廊下までたどり着くと、魔族の死角になるよう乱戦の陰に隠れながら、今度は廊下沿いに進む。試合場が広いため、義昭の元まではまだもう少し距離がある。
だが、しばらく進んだところで、
「キェーッ」
相手にあぶれたのか、けたたましい声を上げながら、横手から大柄の一武士が切りかかってきた。
「むっ」
ミズキが受け止め、鍔迫り合いになる。
さらに、その陰からもう一人の武士が飛びかかってきた。
「っ!」
ミズキは鍔迫り合いをしていてすぐに対応できない。
すかさず間にテルが割り込んだ。
素早いステップで、振り下ろされる剣を避け、峰で胴を薙ぐ。
呻き声を上げて、武士が崩れ落ちた。
「助けてもらうのは二度目だな。テル」
自分の相手を峰打ちで昏倒させ、またフラフラとやってきた次の武士と打ち合いながら、肩越しにミズキが言った。
「何度でも助けるさ」
こちらも別の武士が振り下ろす刀を捌いて、テルが応える。
「だが、そこまでの使い手とは思わなかったぞ」
「修練したんだよ。一応、私も男だからね。愛する人を守るのに、弱かったらまずいだろう? おっと」
話している間にも飛んでくる剣を鮮やかな足捌きで避け、軽口を続けた。
「とは言っても、『自分より強い男でないと結婚しない』なんて言わないでくれよ。僕はあくまで文官なんだから、剣術宗家の娘に勝てって言われてもね」
「ば、ばか。こんな時に何を言ってる」
ミズキは照れたのか頬を桜色に染め、刀をブンブンと振り回して、周囲の武士たちをあっという間に打ちのめした。
「さ、行くぞ」
照れ隠しかぶっきらぼうに宣言して、ミズキがスタスタと進み出す。
テルは苦笑した。
「やれやれ、じゃあ、我らも行こう」
「はい!」
三人は、再び将軍に向かって歩みを進める。
時折、彼らに気づいた武士が襲ってくるものの、ミズキはもちろんテルとも剣技に差があり、さほど問題なく片付けていく。
それは、ルティも同じだった。
彼は回復専門ではあるが、全く攻撃ができないわけではない。
痛みを抑える鎮静呪文を強度上げて発動すると、意識が混濁したり人事不省まで相手を戦闘不能にできる。元々は、最後衛まで敵が来たときに緊急避難的に使っていたが、忠隆に体捌きを学んだ今、近接戦闘もそれなりにこなせるようになっていた。むしろ、強力な神官のシールドのおかげで、格闘戦のお荷物どころか、結構な無茶ができると言っても良い。
そして、向こう側の陣幕近くにまでたどり着くと、義昭一行の姿が視界に入った。
義昭は、四方を陰陽師と数名の護衛に囲まれて、千姫を守るように抱きしめている。その横に大老の堀田が茫然と立っている。
いくつかの小さな集団が彼らのそばで斬り合っているが、義昭に襲いかかるものもないようだ。
しかし、
「ミズキ、来たぞ!」
「ああ」
ミズキたちの存在が目についたのか、それとも何らかの指示を受けたのか、突然多数の武士がこちらを向き、群がってきたのだ。
「やむを得ん。ルティ、後ろを頼む」
「はいっ」
三人は前に進むのを諦め、応戦するが、倒しても倒しても押し寄せる武士に押され始めた。
「これでは埒があかん!」
ミズキが叫ぶ。
一人ずつなら全く問題にならない。だが、数が多すぎるのだ。
しかも、
「瑞希! 上様が危ない!」
テルの焦った声が聞こえてきた。
ミズキが目を向けると、義昭の方にも武士が襲い掛かろうとしているのが見えた。護衛の者たちが必死に切り結ぶが、明らかに分が悪い。
「くっ。しかし、これでは……」
ミズキは徐々に後方に押しやられ始めた。しかも、テルとの間にも多数の武士が入り込み距離が開きつつある。もはや連携が取れない。
クリスたちの姿はここからでは見えないが、まだ魔族たちを倒して呪文を止めることはできていないのだろう。地面の紫の光は消えていない。
「ルティ、シールドが切れそうになったら教えてくれ!」
「まだ大丈夫です!」
ルティがすばしっこく剣を避けながら、鎮静呪文を武士たちにぶつける。
時折、剣が掠るのかシールドが淡く光る。一定のダメージを受けるとシールドは消える。そして、この混戦では呪文を掛け直すのが困難であるはずだ。
ミズキは、飛んでくる剣を捌きながらテルの方に目をやった。
彼の方が今、この群がりの端に近く、将軍にも近い。一人二人何とかすればここを抜けられそうである。
彼女は声を張り上げた。
「テル、ここはいい! 上様を頼む」
「でも、いくら君でも一人じゃ無理だ!」
必死に切り結びながら、テルが叫び返す。
「私は大丈夫だ。ルティもいる」
「……」
テルは承服しかねるのか押し黙った。確かに、たとえルティがいてもこの有り様では回復呪文などかける余裕などないのは明らかだった。だが、彼に迷っている暇はなかった。
「きゃあああっ」
若い女性の叫び声が響いてきたのだ。どうやら千姫らしい。
そして、混戦の隙間から、血塗れで地面に伏している護衛の姿が見えた。
しかも、血の滴り落ちる刀を持って立っていたのは、まさに最悪の人間だった。
「まずい、藤堂だ!」
「なんだと」
確かに、それは藤堂源三郎の姿だった。
藤堂はゆらりと体を揺らめかせ、一歩ずつ義昭に向かって進んでいく。
「仕方ない、先に行く! 君もすぐに来てくれ」
テルは、慌てて目の前の武士を打ち倒し、ミズキたちに背を向け一気に駆け出した。
「待て、テル!」
ミズキが呼び止めようとするが、テルはすでに駆け出した後だった。
先程、藤堂と戦ってその力量は分かっている。いくらテルの剣技が向上したからとて、一人でどうにかできる相手ではない。
「っ……」
ミズキは、逸る気持ちを抑えつつ、目の前の武士たちに対峙する。
だが、周りの武士たちは、テルが消えて好機と見たのか、一気に襲い掛かってきた。
(このままでは……)
藤堂にテルが斬り殺される。
とはいえ、この人波では今すぐたどり着くのは難しい。
その時、背後からルティの叫び声が聞こえてきた。
「ミズキ!」
「どうした?」
「しばらく時間を稼いでください。私に考えがあります」
「む。分かった。任せる」
おそらく大きな術を使うつもりなのだろう。ルティが廊下を背にして呪文を唱え始める。
彼の呪文の中で、この状況で使えるのは一つしかない。
ミズキはルティの意図を汲み、彼の前に立ちはだかり、武士が近づかないように剣を奮った。
一方、将軍に向かって駆け出したテルの目に入ったのは、血の海に倒れている護衛、そして、そばで殺し合っていた武士数人を藤堂がまとめて切り倒したところだった。もはや、斬るのは誰でもいいらしい。
藤堂は、四方を守っている陰陽師には目もくれず、ゆっくりと義昭に近付いた。
「く、来るな! さ、下がれ! 下がりおろう!」
千姫を背に庇いつつ、必死に声を上げる義昭。
背後の壁はただの布でできた陣幕であり、その向こう側に逃げるのは容易だったかもしれない。しかし、呪文を唱えながら四方を守る陰陽師たちはそうはいかない。そして、この結界から外に出れば、まさに今眼前で殺し合う武士たちと同じ運命を辿るのは明白だった。
義昭は、もはやここから動けないのだ。
「お命頂戴つかまつる」
藤堂が剣を振り上げた時、混戦から流れてきた別の武士が、いきなり背後から彼に襲い掛かった。
「イェャーッ」
「この雑魚風情が!」
だが、あっという間に切り捨てられる。
「キャアアアッ」
血飛沫が舞い武士が倒れるのを見て千姫が叫んだ。
義昭が抱きしめるが彼もまた真っ青な顔で震えていた。
乱戦中の他の武士たちは目の前の敵と戦うことに心を奪われており、義昭たちに向かってくるものはもういなかった。残りは藤堂だけである。ただし、彼が1番の問題なのだ。
「ほう。まずは貴様からか」
突然存在に気がついたように、藤堂が大老の堀田に目を向けた。
堀田は、できるだけ視界に入らないように、陰陽師の陰に隠れるように立っていたのだ。
藤堂は、残忍な薄ら笑いを浮かべて、堀田ににじり寄り、刀を振り上げた。
「死ね!」
「うあああああっ。助けてくれええっ」
最初の一撃を奇跡的に躱した堀田は、事もあろうに、千姫の後ろに転がるように逃げ込み、身代わりとばかりに彼女を突き飛ばした。
「ああっ」
千姫はバランスを崩して倒れ込む。
「千!」
義昭が血相を変えて千姫の前に飛び出す。必死に起こそうとするが、彼女は、恐怖に足腰に力が入らないのか、立ち上がることはできなかった。
後ろを振り返る義昭。砂利を踏みしめる音をさせながら、のそりと藤堂が近づく。
「くっ」
義明は千姫を起き上がらせるのを諦め、そのまま片膝をついて、藤堂に向かって両手を広げた。
顔は真っ青で、体を恐怖で震わせている。ただ、その目は、死んでも千姫だけは守るという気概に満ちていた。
藤堂があざ笑った。
「フン。殊勝なことだ。望み通り、まず貴様からあの世に送ってやる」
義昭に向かって無情に剣が振り下ろされる。
「っ」
義昭が藤堂に背を向け、身を挺して千姫に覆いかぶさった。
瞬間。
金属と金属が激しく打ち合う音が響いた。
「なにっ!」
横から飛び出したテルが、必死に刀を伸ばして、藤堂の剣を受けたのだ。
だが、その勢いを殺すことが出来ず、刀ごと押し込まれ峰が義昭の背中にぶち当たる。
「かはっ」
義昭から苦悶の息が吐き出され、そのまま千姫に倒れ込んだ。
「上様! 上様!」
千姫が取り乱したように泣き叫ぶ。
「……だ、大事ない」
苦痛に顔が歪んではいるが、ひどい打身で済んだらしい。
テルは安堵のため息を吐き、藤堂に向き直り、剣を構える。
「何だ貴様は?」
「幕府天文方、綾崎輝久と申す。上様をお守りせんがため、参上仕った」
「ハッ、そなたのような雑魚が出る幕ではない。さっさと退け。わしはその小僧に用があるのだ」
「そうは参らぬ」
テルは、気合を込め刀を構える。
「フン、馬鹿が。ではお前から死ね! うりゃあっ」
「……っ」
自分に向かって振り下ろされた剣を、テルがかろうじて受け流した。
たった一撃であるが、大きく体勢を崩される。
藤堂はせせら笑った。
「そんなものでワシに勝てると思うてか」
「……」
テルは唇を噛んだ。
一太刀受ければ分かる。技倆の差は明白だった。
そもそもミズキでさえ相当に苦労した相手だ。勝てるはずがないのだ。
とにかく、彼女が来るまで時間を稼ぐしかない。
「……」
テルは心を決め、無言で剣を構え直した。
そこを狙って、藤堂が矢継ぎ早に剣を打ち込んでくる
「ウリャウリャウリャア」
「くっ」
次々と飛んでくる剣を受け止めきれず。姿勢を保つことができない。まさに、豪剣であった。
こちらからなんとか打ち返しても、たやすく弾かれ、むしろその隙を突かれる。
必死に防御し、切り返そうとするが、守勢一方である。徐々に息も切れてきた。
そしてついに、振り下ろされる剣を受け止めかね、バランスを崩して地面に膝をついた。
「覚悟してもらおう」
藤堂が刀を突きつける。
だが、テルは荒い息のまま顔を上げるとニヤリと笑った。
「それはどうかな」
「どういう意味だ」
それが虚勢ではないと察したのだろう。藤堂が声を荒げた。
果たして、
「待たれよ!」
背後から声が響く。
藤堂が振り返ると、駆け込んできたのは、ミズキとルティだった。
「貴様は……」
「ミ、ミズキ殿!」
義昭がすがるような安堵の声を上げる。
「上様、お怪我はございませぬか?」
「だ、大事ない。この者が助けてくれたのだ」
「それはようございました。テル、よく持ち堪えてくれた」
「後は任せたよ」
「ああ。ルティは上様を診てさしあげてくれ」
「分かりました」
ルティが義昭のそばに寄り、回復呪文をかける。
淡い緑色の光に包まれた義昭が「おお」と驚きの声を上げた。隣で、彼の体を支えていた千姫も目を丸くしている。
ミズキが間に合ったのも、ルティの呪文のおかげだった。
あの時、彼が出したのは鎮静の範囲魔法だったのだ。
発動させるのに時間がかかり、効果範囲も狭い。しかもその間は無防備になるため、本来は戦闘中には役に立たない。だが、密集している戦闘でこれ以上効果的な術はない。
この呪文で周囲の者たちを攻撃不能にし、一気に活路を開いたのだった。
「……春ヶ瀬の小娘よ。わざわざ殺されに戻るとはのう。せっかく命だけは助けてやったというに。先程こっぴどくやられたのをよもや忘れたわけではあるまい」
突然の加勢の登場に驚いたようだったが、相手が誰だか思い出したらしい。
小馬鹿にするような口調で、ミズキを貶める。
「心配ご無用。藤堂殿、再度お相手仕る」
ミズキは挑発には乗らず、静かに剣を青眼に構え、魔力を込めた。
刀身が青白く光り、冷気を纏う。
それを見て、藤堂が気色ばんだ。
「貴様、卑怯だぞ! 剣技のみで勝負できんのか」
「上様のお命を狙う賊を成敗するのに卑怯もなにもない。それに……」
ミズキは薄く笑った。
「お主にだけはその言葉は言われたくないな」
「……いいだろう。その増上慢、地獄で悔いるがいい。ウリャア」
「ふっ」
言わせも果てず、渾身の袈裟懸けが飛んでくる。
だが、ミズキはそれを微かに体を引いただけで、躱した。
「むう。なら、これはどうだ。ウリャウリャウリャウリャ」
五月雨のように次々と剣を打ち込んで来る。
だが、ミズキはそれをこともなげに受け止める。
砂に足を取られるが、先ほどよりも動きが軽い。受け一方に見えても、相当に余裕があるのは明らかだった。
小馬鹿にするような表情から、段々と藤堂の顔色が変わる。
「小癪な……」
「終わりか? では、こちらから参る」
ミズキが、流れるような動きで上段から切り下ろす。
「くっ」
藤堂が受けに回るが、速さについていけず初動が遅れた。
そのため、ミズキの剣を止めるべきところで止められず、体勢が大きく崩れた。
さらにそこから、ミズキが下段から上段へと切り上げた。藤堂とて、渾身の力で抑えようとしている。だが、ミズキのスピードとタイミング、剣筋の全てが絶妙で、まるで子供の力しかないように、いとも簡単に藤堂の刀が跳ね上がった。守るべき胴がガラ空きになる。
「!」
自分の運命が見えたのか、藤堂の顔が恐怖で引き歪む。
「ハッ」
ミズキが躊躇なく懐に踏み込み、藤堂の胴を峰で薙いだ。
肋骨にも当たったのだろう。骨が砕ける音がする。
「ぐはっ」
藤堂は血を吐き、力なく剣を落とした。
「ぐうううう、おのれ……」
そして、憎しみと苦痛に歪んだ表情のまま、その場で崩れ落ちた。
「おお、やった。お見事です、ミズキ殿!」
義昭は、ルティに治療を受けたまま地面に腰を下ろしていたが、立ち上がって嬉しそうな声を上げる。だが、ミズキは、周囲に目を配りつつ、そのまま義昭たちの前に立ち、彼を窘めた。
「上様、まだ御油断召されぬよう」
「あ、ああ、そうですね」
まだ試合場の至る所で、武士が殺し合いをしているのだ。
「……されど、ここは我らがお守りいたします。我らは魔道により、彼奴らの催眠には掛かりませぬゆえ、ご安心ください」
「そうか、それで……」
納得した表情で、義昭が頷いた。
だが、その時、周囲の状況が変化した。乱戦の音が徐々に静まってきたのだ。
それだけではない、互いに斬り合っていた武士の動きが鈍くなり、やがて止まったかと思うと、次々と倒れていったのだ。
「こ、これは……」
「一体、どうしたというのだ」
二百人近い人間が次々と昏倒していく様は、異様であった。
息を呑んで凝視する一同。
大乱戦の喧騒が止み、一気に静寂が広がる。
足元の砂利の音が聞こえるほどだ。
「……催眠攻撃が止まったのかな」
「そうか、そう言われれば紫の光も消えている」
テルの言う通り、催眠が解けたのだろう。
いつの間にか、地面を覆っていた光が消えていた。
「……クリスたちがやってくれたんですね」
「ああ。そうだな」
これで本当に決着したのだ。
ようやく本当の安堵感が彼らを包む。
だが、クリスたちがいるはずの方角に目をやった時、
「待ってください、あれは……」
ルティが不安げな声を上げる。しかしその声は、遠くから聞こえてきた悲痛な叫び声にかき消された。
『ルティっ!』
「え、パルフィ?」
突然名前を呼ばれて、ルティが戸惑う。
試合場の最後方、クリスたちが向かったところには、すでに魔族の姿はない。
そして、誰か二人が血塗れで倒れており、パルフィがそのそばで必死に介抱しているのが見えた。
その彼女がこちらに顔をむけて再び叫ぶ。
『今すぐきて! クリスとグレンがやられたの! お願い早く!』
お待たせいたしました!
次も、そんなに遅くならないようがんばります。