第26話 御前試合(3)
「それまで!」
審判の声が静まり返った試合場に響き渡った。
その瞬間、張り詰めた空気が解け、ようやく息ができたかのように、観客が顔を紅潮させてざわめきだす。
結果はどうであれ白熱した試合であった。そして、ミズキの戦いぶりは多くの心を揺さぶったのだ。
だが、負けは負けである。
(ミズキ……)
クリスは、彼女の胸中を慮った。表情からは窺い知れないが、責任感の強い彼女のことだ。きっと、自責の念でいっぱいなのだろう。
彼女はふらつきながらも一人で立ち上がり、将軍義昭に向かって礼をする。木刀で打ち砕かれた左手は全く動かすことが出来ないようで、だらんと垂れたままだ。おそらく相当の激痛を感じているはずだが、彼女は全くそのような素振りを見せない。鉄のような精神力で耐えているに違いない。
「ククク。この程度で剣術ご指南役など、片腹痛いわ。こんな醜態を晒すぐらいなら負傷の父の方がまだマシだったな」
藤堂がミズキの隣に立つ。そして、義昭への礼もそこそこに、勝ち誇った声で言い放った。
実はもう少しで負けそうだったこと、さらには卑怯な手を使ってなんとか勝ったことなど、全く意に介していないのが見て取れる。
だが、彼女は何も言い返さず、静かに会釈をしただけだった。
「二人とも、み、見事であった」
一方、義昭の動揺ぶりは、はたから見ても気の毒になるくらい明らかであった。
何しろ、この結果は自分の怯懦が招いたようなものだ。己のせいで、尊敬する師の流派の名誉を地に追いやり、その娘に恥をかかせた。しかも、大老の息のかかった藤堂が指南役になってしまった。
将軍として意向を押し通し、魔道の使用さえ認めていれば……。
その思いは義昭の心にあったかも知れない。だが、自分にはその勇気がなく、そして、すでに手遅れである。
「あの、ええと……その……」
人々は口をつぐんで、将軍の言葉を待った。
だが、義昭は、何と言葉を繋いでいいのか分からぬ様子で、なかなか言葉が出ない。
業を煮やしたのか、脇にいた大老の堀田が勝手に後を引き取り、声を張り上げた。
「天川流藤堂。あっぱれである。取り決め通り、そなたにはご指南役として、上様の剣術全般に関わる指導を任せよう」
「ははっ。身に余る光栄に存じます。この源三郎、上様のお役に立てるべく、身を粉にして務める所存」
言葉は丁寧だが、相変わらず敬意のかけらも見せず、藤堂はニヤリと口元を歪めた。
「よろしい。では、半刻後、就任の儀を執り行う。各々、大儀であった。これにて御前試合は終了とする。おお、そうじゃ、春ヶ瀬、そなたたちもこれ以上用はなかろう。下がってよいぞ。屋敷に戻ってゆっくりと休むがいい」
堀田が、鷹揚に声をかける。だが、忠隆は首を横に振った。
「恐れながら、私は、引き継ぎしたきことがありますゆえ」
「ふん、では勝手にしろ」
言葉を返されたのが気に触ったのか、苦々しい顔で吐き捨てるように言い放つと、将軍を振り返った。
「それでは、上様、いったんご退出あそばされますよう」
「う、うん……」
義昭は、まだ顔を青ざめさせたまま立ち上がる。
それを見て関係者や観客一同も立ち上がり、その場で膝をついて頭を垂れた。
「い、一同、大義」
それだけをなんとか口に出し、お付きの者たちに伴われ、哀れを誘うほどがっくりと肩を落としたまま退出していった。
残ったものは、再び立ち上がり、観客たちは三々五々に身繕いをして、入り口に向かって出ていく。
そして、義昭が視界から消えるやいなや、クリスたちがミズキに向かって駆け出した。
だが、それよりも早く、
「ミズキ!」
テルが不安げな顔で、屋敷の廊下から駆け下りてきた。そして、ふらつく彼女を抱きかかえるようにして、その場に腰を下ろさせ、背後から彼女を支える。だが、少しの振動でも激痛が走るのか、呻き声が漏れた。
「大丈夫かい?」
「……心配は無用だ。さほどのことはない」
「何言ってるんだ。いくら何でも無茶しすぎだよ」
テルは、彼女の傷に障らないように、右肩を抱く手に力を込めた。
「あんた、骨折してるんでしょ。よくそんな平気な顔してるわね」
「痛くないわけないよね」
「恐れ入ったぜ」
「まあ、自分の身から出た錆だ、致し方ないさ」
真っ青な顔で微笑んでみせようとするのが、よけいに痛々しかった。
「瑞季」
忠隆に声をかけられ、ミズキが沈痛な表情で顔を上げた。
「……父上、誠に面目次第もございません。私は……」
「いや、そんな話は後でいい。ルティ殿、まずは娘を見てやってくれぬか」
「はいっ」
忠隆に促され、ルティはそばにしゃがんで、そっと左腕を取った。それだけでもよほどの痛みが走るのか、ミズキが顔を歪める。
「今、診てあげますからね」
「ああ、すまんな」
ルティが呪文を唱えると淡い黄色い光が手のひらに現れた。それをミズキの左腕にかざして、肩口から袖の上を滑らすように前後させた。
「どうだい?」
クリスが、腰をかがめて尋ねる。
ルティが呪文の光を消し、顔をあげた。
「やはり激しく骨が砕かれています。こんな状態で戦うなんて無茶もいいところですよ」
「そんなにひどいの?」
彼の口調から深刻さを感じ取ったのか、不安げにパルフィが尋ねる。
「重傷です。普通の人なら、激痛で地面をのたうちまわるか、気絶してますよ」
「……そんなんで、よく戦ってたわね、あんた」
「全く。君は、昔からやせ我慢だけは誰にも負けなかったね」
テルが呆れたようにため息をつく。
「これしきのこと……」
「ここでの治療は憚りがあります。どこか空き部屋がありませんか」
「それなら、出場者の控室があるよ」
「では、そちらに。ミズキ、立てますか?」
「ああ」
だが、少し体を起こしただけで、激痛が走ったのだろう、ミズキが顔を歪めて、呻き声を漏らした。
「ほら、痛むんだろう? 私が抱えていくよ」
テルが、ミズキをお姫様抱っこで抱え上げた。
「お、おい、テル」
「いいから。けが人は大人しくしてるんだ。これでも痛いだろうけど、自分で歩くよりましだろう」
「……すまぬ」
よほど無理していたのだろう、ミズキは力なく答えると、テルに体を預けて目を閉じた。
顔面蒼白で、まだ苦痛に耐えている様子である。
「では、そなたたちはミズキを頼む。私はここで引き継ぎをせねばならぬ」
忠隆の言葉にテルが頷いた。
「分かりました。じゃあ、いくよ。みんなついてきてくれ」
「はい」
◼︎◼︎
半刻後。
「おお、ミズキ……」
襖を開けて奥の部屋から出てきたミズキを見て、テルが駆け寄った。彼女の後ろから、ルティとパルフィも出てくる。
ルティが治療中、クリスとテルそしてグレンの三人は次の間で待っていたのだ。パルフィは、ルティの手伝いをしていた。
「心配をかけたが、もう大丈夫だ」
まだ顔色は幾分青ざめていたが、しっかりとした口調でうなづいた。
「本当に大丈夫なのかい?」
クリスがルティに聞くと、ミズキが笑った。
「何だ、私の言うことが信用できないのか」
「骨まで砕かれても平気な顔で戦う人に『大丈夫』って言われてもね」
クリスが、ニヤリと笑いを向ける。
「う、まあ、試合の間は必死だったからな」
「まあ、ミズキらしいけどさ。で、どうなの、ルティ?」
「はい。砕かれた骨と周辺の筋肉の損傷は修復しました。痛みも治まっています。ただ、かなり生命エネルギーを消費したので数日は稽古はせず安静が必要です」
「そうか。それなら良かったよ」
「ああ、ありがとうルティ」
まだ少し憂いの残る顔で、ミズキが微笑んだ。
その時、廊下を急ぐ足音が聞こえて障子が開いた。忠隆だった。
ミズキの顔を見て、状態を察したのだろう。安堵の表情を見せる。
「……父上」
「ふむ、大事ないようだな」
「はい、ルティに治療してもらったので……」
どこか沈んだ様子なのは、試合の結果に責任を感じているせいだろう。
「そうか、ルティ殿。かたじけない。骨が砕かれても治癒できるとは、恐れ入る」
「いえいえ」
ルティがはにかんだ。
「父上」
思いつめた表情で、ミズキが口を開いた。
「私の未熟さにより、この度は誠に申し訳なく……」
だが、ミズキは最後まで言い終えることができなかった。
忠隆がいきなり頭を下げたのだ。
「瑞希、すまなかった。この通りだ。どうか許してくれ」
「ち、父上、な、何を申されます」
よほど意外だったのか、ミズキにしては珍しく声を裏返らせた。
忠隆が続ける。
「私は、藤堂があそこまで下劣な手を使ってくるとは予想もしていなかった。そのせいで、お前には辛い思いをさせてしまった。私の不明を許してほしい」
そして再び頭を下げた。
「そ、そんな、滅相もございませぬ。ど、どうかお顔をお上げください。私の方こそ、このような無様な結果となり、面目次第もございませぬ。せっかく、父上に期待をかけていただいたというのに、私は、そのご信頼に報いることができませんでした……」
「馬鹿を申すではない」
力がこもった忠隆の物言いに、ミズキはハッと面を上げた。
「父上……」
「期待外れなどとんでもないことだ。そなたは立派に戦ってくれたさ。そなたの技量、気魄、いずれも私は誇らしく思うておるのだぞ。あの戦いぶりを見ただけでも、武者修行に出してよかったと思う」
「で、ですが……私のせいで、父上がご指南役の重職を追われ、我が流派の名誉にも傷がつきました。この失態を私はどのように償えばよいのか……」
悔恨の情でミズキの表情が歪んだ。
それを見て、忠隆が慈しむように表情を緩めた。そして、彼女に言い聞かせるように告げる。
「それはお前の勘違いというものだ」
「そ、それはどういう……?」
「私は上様のお役に立ちたかっただけで、特段この職に未練はないし、私がこの地位を離れることで去るような者は、もともと私の門下にふさわしくないしな。むしろ、せっかく上様が魔道に興味を持たれたところだ。私は、その方面でお役に立てればいいさ。そなたが気にするようなことは何もない」
「父上……」
ミズキが瞳を潤ませる。忠隆は、黙ってうなずき、労うように彼女の肩に手を置いた。
「……ねえ、それじゃ、忠隆さんは、これからどうするの? ご指南役じゃなくなったんだから、上様に剣は教えられないわよね」
「オレにいい考えがあるぜ」
グレンが、腕を組んだままニヤリと笑う。
「なによ?」
「ほとぼりが冷めたら、今度は親父さんが奴らと勝負すればいいんじゃねえか」
「あ、ホントよ。それいいわね。あのトドを一捻りにしちゃってよ」
だが、忠隆が静かに首を横に振った。
「いや、そう上手くは行かぬだろう。奴らが、せっかく奪った座をみすみす失くすようなことはせぬだろうしな。それに、先にも言ったが、これからは魔道の時代だ。むしろ、私が上様に魔道をご指南できる方がヒノニアにとっても、上様にとっても良いことかも知れぬ」
「そうなの? でも、あんなズルする奴になんか悔しいわね」
「全くだぜ」
その時だった。
何やら、喧騒と怒号が外から聞こえてきたのだ。
さらに、ドタドタと何人もの人影が廊下を走って行くのが障子越しに見えた。
「何だ? 騒がしいじゃねえか。なんかあったのか」
「そろそろ、就任の儀が開かれるころですよね」
「もしかして、上様に何かあったのかな? こんな結果になって、倒れそうな顔をなさってたし」
「そりゃ、体弱いのに、あんなトドにしごかれることになったんじゃ、卒倒してもしょうがないわよね」
「ふむ……」
だが、再び聞こえてきた叫び声に、全員に緊張が走った。
『敵だあ』
『敵襲! 敵襲!』」
『者共、出会え! 出会え!』
状況が飲み込めず、クリスたちは互いに顔を見合わせた。
「敵ですって?」
「誰かが攻めて来たのですか?」
「敵だと? 一体何の話だ?」
忠隆が不信の声を上げて、廊下の障子を開け放つ。
ヒノニアは島国の中央集権国家であるうえ、この城は内陸部にある。しかも、国内は平和で内乱など起こるはずもない。
こんな都の真ん中でいきなり戦など勃発しようがないのだ。
だが、次の叫び声でクリスたちが血相を変えた。
『青鬼だあっ』
『うわあっ、青鬼の襲撃だああ』
「まさか……」
「ウソ……」
ようやく、事の深刻さがクリスたちに落ちてきた。
魔族に急襲されたのだ。
お久しぶりでございます! というか、2年と2ヶ月ぶりです……。
なんというか、言い訳する気力もなくなるほど間が空いてしまいましたが、大変お待たせいたしました。
とにかく、あと数話、なんとか完結に向けて頑張ろうと思います。
★追記(2020/12/21)
現在、次話を執筆中です。できれば年内にアップできるようにがんばります。