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公認魔幻語使い(マジスタ)の日常生活  作者: ハル
◆第五巻 東方の国ヒノニア
153/157

第24話 御前試合(1)




 そして、二日後。いよいよ御前試合の日である。


 クリスたちは、早朝から忠隆に連れられ将軍の居城に登城した。

 試合は、二の丸と呼ばれる区画にある御殿の前庭で行われることになっていた。

 東大手門をくぐり、番所で簡単に身分を改められた後、物珍しげに敷地内を見回しながら、忠隆の後に続く。

 一方で、彼ら自身も人目につくようで、すれ違う者たちが、興味深げに視線を送ってくる。

 だが、街中とは違い、さすがに登城が許される身分ある者たちばかりとて、町民のように後をつけて来る者はなかった。


 しばらく歩いていると近くの建物からテルが出て来るのが見えた。彼はこちらに気づくと手を振って、意気揚々とやって来た。


「やあ、みんな。そろそろ来る頃だと思っていたよ」

「テルさん。おはようございます」

「おはようさん」

「おはよう〜」


 クリスたちがそれぞれに挨拶する。


「そなたも来たのだな、照久。忙しいだろうにすまぬことだ」


 忠隆が頷きかける。もしミズキがテルと結婚すれば、義理の息子になる。同時にまた、親しい友の息子ということで、幼少の頃から見知った中でもある。忠隆の声は親しげだった。


「当たり前ですよ。とは言っても、仕事があるので脇から覗き見る程度ですがね。どうだい、ミズキ。調子は?」


 朗らかに、テルが問うた。


「ああ、いつも通りだ」


 その言葉通り、ミズキは、ただ場内を散歩しているだけかのように落ち着きはらっていた。

 横からパルフィが肘でつつく。


「なによ、絶好調とか、武者震いがするとか、もうすこし景気のいいこといいなさいよ」

「いや、こういうときは入れ込みすぎるとかえって力が入るからな」

「それでこそ、私の愛した人だよ」

「いやあん」


 パルフィが頬に手を当ててグネグネと体を揺らした。


「はいはい、君こそ落ち着きなよ」

「だってえ」

「やれやれ」


 クリスが感心したことに、ミズキは、テルの言葉に一瞬恥ずかしげにしたが、デレることなく頷いて、すぐに気合に満ちた表情に戻っていた。

 そして、その目は一点の憂いも気負いもなく、ただ静かな湖面のように澄んでいた。


「ふむ、心身共に整っているようだな」


 忠隆も、その様子に満足げにうなづく。


「はい、父上」

「あ、そうだ、ミズキ」


 テルが、手を打った。


「どうした?」

「いや、君は試合の前に遠侍(とおざむらい)のどこかの部屋で待機することになっていたよね。私の仕事場も通り道なんだ。そこまで送っていこう。君も城内は初めてなのだろう?」

「ああ。それは助かる」

「ちょうど、あの建物が車寄くるまよせだ。そこから中に入ろう」


 テルが前方の大きな建物を指差して歩き出した。一同がその後をついていく。


「なあ、さっきから聞き慣れねえ名前が聞こえてくるんだが、建物の名前かい?」


 グレンが、テルの背中に向かって問いかけた。


「そうだよ。この二の丸と呼ばれる区画には、御殿があるんだけど、それが幾つかの建物から構成されていて、みんな廊下でつながっているんだ。今向かっているあの建物が車寄。牛車とかが到着する場所で、いわば玄関みたいなものだ。その奥が遠侍、そして、ここからは見えないが式台、黒書院、白書院と連なっている」

「ほう」

「変わってるわね」

「何か風情がある名前ですね」

「確かにアルトファリアやカトリアでは聞かぬ名前かも知れぬな」

「そうだね」


 そして、車寄と呼ばれる建物の前まで来た。そこは、言わば玄関の役目を果たしているようで、ひと際大きな入り口から人が出入りし、また、その名の通り、牛車や馬などを留め置く場所もあった。そしてまた、建物の正面は、人々を迎え入れるのにふさわしい装飾が施されている。

 ミズキが振り返った。


「それでは、父上。全力を尽くして参ります」

「ああ、しっかりな」

「僕たちもそばで見てるからね」

「がんばんなさいよ」

「気合入れてな」

「頑張ってください」

「ああ」


 ミズキは仲間たちに頷きかけると、そのままテルに連れられて、建物の奥に消えていった。


「では、我らも行こうか。試合場はこちらだ」

「はい」


 一行は、その場を離れ、建物が入り組む敷地を通り抜け、別の区画につながると思しき小さな門にたどり着いた。そこには、門番らしき兵士が2人立っていたが、すぐに忠隆に気がついたのだろう。門戸を開け、深々頭を下げた。


「これは春ヶ瀬様」

「御一行様も身を改めていただく必要はございません。お通りください。お席は御殿の正面右側でございます」

「ご苦労」


 忠隆が、門番にうなづきかけ、門をくぐる。クリスたちも後に続いた。


「おお」


 敷地内に入って、思わずクリスが感嘆の声を上げる。


 そこは、御殿の前庭といっても、ちょっとした広場だった。おそらく、忠隆の道場よりも広い。将軍家の家紋の入った白い布が壁のように三方を囲み、何列もの長椅子の観客席が設けられている。そして、すでに多数の招待客が着席していた。おそらく200人は下らないであろう。

 前庭中央はかなり広く空けられており、そこが実際に試合が行われる場所らしい。

 そして、クリスたちが入って来た門は、前庭の後部に位置していたようで、試合場を挟んで最奥に御殿が見える。障子が開け放たれているため、庭より一段高い渡り廊下の奥に座敷まで見通せた。また、板の間の廊下は十人が並んで歩けるほど広く、そこに分厚い座布団や脇息も見える。おそらく、将軍は側近たちと共にそこから観戦するもの思われた。


「ここでやるのね」

「もっとひっそりとやるものだと思い込んでたよ」


 まさに大行事と言える規模であった。


「私もだ。数年前に私がご指南役に決まったときは、もっと狭い場所だったし、出場した流派と幕府の関係者しかいなかったからな」

「なんでえ、大事になってんじゃねえか」

「おそらく、天川流の差し金だろう。多くの観客の前で勝てば、それだけ名も上がるからな」

「なるほど。恥をかくとは考えなかったんですね。ここで負ければ大勢の人間に知られるのに」


 クリスが指摘すると、忠隆が苦笑いした。


「どうやらそうらしいな」

 

 だが、忠隆の苦笑はすぐに消えた。


「む、これは……」

「どうしました?」


 クリスが尋ねると、忠隆が怪訝そうな顔で、地面を確かめるように踏みしめた。


「いや、数日前までは、ここはただの硬い土だったのだ。こんな砂などは敷かれていなかった」


 見ると、後方の観客席はそうでもないが、ちょうどミズキたちが戦う辺りを中心に、細かな砂が大量に敷かれていた。しかも、どうやらかなりの深さである。


「でも、確か、ヒノニアの庭園は、砂を敷き詰めるのではなかったでしたか?」


 それは、先日、ミズキに連れられ有名な庭園を見に行ったとき、彼女に聞かされたことだ。


「ああ。枯山水という様式のものだ。だが、ここはそうではなかったのだよ。それに、これほど細かい砂ではないしな。……なるほど、悪知恵が働くことだ」

「え?」

「チッ、そうか」


 グレンも悟ったのか、腹立たしげに舌打ちした。


「何よ、あんた分かったの?」

「ああ。奴ら、ミズキの足を封じるつもりだぜ」


 ザクザクと砂を足で踏み鳴らす。


「どういうことですか?」


 ルティが横からグレンを見上げて尋ねた。


「おめえたちも普段後ろから見てりゃ分かるだろう。あいつの武器は軽い足さばきだ。だが、これだけ砂が深いと、大きく足を取られちまう」

「なるほどねえ。よく考えるな」

「何よ、汚いわね」

「わざわざそのために砂を敷き詰めたのですか?」


 ルティが驚いた顔を見せる。

 これだけの広さの場所に、砂を敷くとなると相当な作業になる。しかもよほどの突貫工事であったはずだ。

 忠隆が頷いた。


「他にそうする理由はないからな。元々ここは、旅芸人などが芸や踊りを披露する場としても使われている。むしろ、足を取られるようでは都合が悪いはずだ」

「でも、こんなのおかしいわよ。ちゃんとした勝負なんでしょ」

「いや、そうとも言い切れないよ」


 クリスが指摘する。


「なんでよ、ズルもいいとこじゃない」

「足を取られるのは相手も同じだからね。ミズキにだけ影響するわけじゃない。表向きは不公平とは言えないよ。まあ、その辺りも踏まえて、ミズキの剣の特性を見極めた上でやってるんだろうけど」

「そんなの……」


 パルフィが悔しげに唇を噛んだ。


「どうやらこの試合、ただじゃすまねえようだな」

「……」

「……」


 クリスたちの不安げな表情を見て、忠隆が励ますように言った。


「案ずることはない。姑息な真似は、自信のなさの裏返しというものだ。さあ、行こう。我らの席は、こちらだ」


 そして、一同は一般の観客用と思われる何列もの長椅子を通り抜け、御殿に向かって右側、最前列からさらに奥に進んだところに設けられた数脚の長椅子に腰を下ろした。

 試合場を挟んで反対側には、天川流側の席がいくつか設えられており、すでに数人の侍が座っていた。

 この間にも、次々と観客が訪れ、席についていく。

 後方の一般観客席もいくつかの区画に分かれているようで、端の方に、異国の服を来た者たちがまとまって座っていた。顔つきや民族衣装がそれぞれに異なるところを見ると、おそらく大使や使節たちの席だとクリスは当たりをつけた。果たして、その中程に、カトリア大使のカロヴィング侯ベルナードの姿も見える。


「ねえ、パルフィ、あそこ」


 クリスが、大使を指し示す。


「ん? あら、ベルナードも招待されてるのね」


 パルフィが手を振ると、彼も気がついて、微笑みを浮かべて目礼した。


「外国使節まで招待するなんて、よっぽどだねえ」

「ふむ。将軍家ご指南役は誉ある職とはいえ、言ってみればただの剣術師範だ。諸外国にまで見せるほどではないと思うがな。よほど名を売りたいのだろうさ」


 そして、しばらくすると、ふれ係の声が響いて来た。


「みなさま、上様の御出座にございます」


 すでに、観客は席いっぱいに座っている。満員に近い。

 そして、彼らは一斉に立ち上がると、その場で平伏あるいは、膝をついて恭順の意を示す。

 クリスたちも同じように片膝をついて、こうべを垂れた。

 ほどなくして、御殿の廊下右側から十数名ほどの人影が現れた。側近や重臣、従者たちと思しき人々に取り囲まれるように歩いているのは義昭だった。先日見たのとは異なり、立派な着物に、恵比寿帽を身につけていた。

 そして、彼は縁側に設けられた席に胡座をかいて座った。他の者もその左右に並んで2列ほどに重なり、腰を下ろした。


「一同、面を上げて座ってくれ」


 義昭が声を張り上げた。

 先日、道場で出会ったときよりも、威厳を感じられる物言いである。まだ年若とは言え、この様な場には慣れているようだ。

 観客がそれぞれに立ち上がり椅子に戻る。


「あれ?」


 クリスは、将軍のすぐ隣に若い女性が座っているのに気がついた。

 年は、義昭よりもさらに若く、ルティと同じくらい、そして、見るからに儚げだが、幸せそうな微笑みを義昭に向けている。幼いながらも気品に溢れる佇まいから、将軍家かそれに近い雲上人のように思われた。

 パルフィも気がついたらしく、クリスの隣りに座っている忠隆に声を潜めて尋ねた。


「ねえ、あの子誰?」

「ああ、千姫だ。義昭公の御台所であらせられる」

「御台所って? 妹? それにしては似てないけど」

「お嫁さんじゃないかな」


 クリスが言うと、忠隆がうなづいた。


「その通りだ」

「ええっ、奥さんってこと? ホントに?」

「私と同い年ぐらいなのに、結婚されているのですか」


 クリスの後ろからルティが驚いた表情で顔を出した。


「ああ。昨年の秋に、婚儀が執り行われたばかりだ。千姫は帝のお血筋でな、公武の関係を安定させるべく降家する形で、嫁いで来られたのだ。ただ、政略結婚とはいえ、仲睦まじくあられて、我らとしても安堵しているところなのだよ」

「へえっ、あの歳で政略結婚ってすごいわねえ」

「なるほど」


 改めて、クリスが千姫を見る。

 確かに、幼いながらに高貴な気品が感じられる。そして、義昭に寄り添い、微笑みながら彼と言葉を交わす様子は、表向きだけの婚姻関係とは思えない、心通じる様子が感じられた。


「千姫を娶られてからというもの、少し気がお強くなられた。やはり、守るべきものができると、変わるものらしい」

「あれで? って言っちゃ悪いんだろうが……」


 グレンの直裁的な物言いに忠隆が苦笑した。


「そう言うな。以前に比べると、変わられたのは間違いないのだ。む、始まるようだぞ」


 忠隆の言に違わず、前方では、試合場の奥から袴姿の武士が中央までやってきた。そして、将軍に一礼して振り返り、声を張り上げる。


「それでは、これより御前試合を始める。霞一刀流より現指南役春ヶ瀬忠隆が息女、春ヶ瀬瑞希。天川流より開祖藤堂源三郎」


 その声と同時に、左右の天幕がめくられ、右側からミズキが現れた。そして反対側からは、1人の大柄な武士が出てきた。天川流開祖にして師範、藤堂源三郎である。

 両者とも白黒の袴姿に、襷を掛けており、手には木刀を持っていた。ただし、ミズキが持っているのは魔道用の模擬刀である。


「お、来た来た」

「ミズキ、気合い入ってる顔だわ」

「緊張はしてないみたいだね」

 

 ミズキは高ぶることも肩に力が入っているようでもなく、全く普段通りの物静かな様子である。

 そして、藤堂の方も、不敵な薄笑いを浮かべ、巨体を揺らしながらのしのしと歩いてくる。

 その姿は、まるで巨大な牛のようであった。


「あいつが、天川流の首領ね。やっぱり品性下劣な顔だわ」

「だが、腕は立つようだぜ」


 パルフィとクリスの背後からグレンが顔を出す。


「そうなの? 動きが鈍そうだけど……」


 パルフィが藤堂の方を顎をしゃくった。それは、彼の贅肉のついた体つきを指し示していた。


「いや、ミズキほどの素早さはねえだろうが、身のこなしだけ見ても、かなりの使い手に見えるな。こないだの榊原ってやつよりは上じゃねえか」

「そうなんですか?」


 クリスが、隣の忠隆に尋ねると、彼は思案顔になった。


「ふむ。私はその榊原という男は知らぬが、藤堂も伊達に流派の開祖はしておらぬだろう。奴も、剣技だけみればかなりの使い手であることは間違いなかろうさ。もう少し節制すべきというのは同意するがな」

「へえ」

「だ、大丈夫でしょうか」


 ルティが不安げに尋ねる。


「心配要らねえよ。ま、剣技だけじゃミズキも厳しいだろうが、魔道を出せばあっさり決まると思うぜ」

「よかった……」

「なら、安心して見てようか」

「はいっ」


 一同が目を向けると、ちょうど二人が、御前に向かって並んで膝をついたところだった。

 義昭がうなづきかける。


「2人とも、大儀である。今日は、己の技量の全てを出し尽くして戦ってほしい。どちらが将軍家に仕えるにふさわしいかじっくり見せてもらうぞ」


 両者が深く頭を下げた。


「それでは、まず本試合の定め事を伝える」


 審判が、懐から巻紙を取り出して広げ、声を張り上げて文面を読み始めた。


「一つ、本試合は一本勝負とする」

「一つ、本試合では剣以外の武器の使用を禁ずる」

「一つ、両者とも正々堂々と戦い、武士道にあるまじき振る舞いは厳に慎むべし」


 さらに、いくつかの取り決めを読み上げていく。

 それをジリジリとした気持ちで聞き流すクリス。


「なかなか焦れったいわね」


 パルフィも同じ気持ちだったらしく、隣で囁いた。


「しょうがないんじゃない。あとで揉めると大変だし」

「まあねえ」


 それから、さらに数カ条の定めごとが朗々と読み上げられる。

 だが、最後の最後にとんでもない条項が控えていた。


「……そして、一つ、本試合では魔道や妖かしの類は一切禁じ、これを破ったものは即失格とする」

「え」

「何だと?」

「魔道禁止?」

「ちょっと、話が違うじゃないのよ」


 パルフィが、納得できないとばかりにクリスの袖を引っ張った。


「そ、そんなこと僕に言われても」


 ミズキに視線をやると、彼女も戸惑った顔をしているのが、ここからでも分かる。

 どうしようかとクリスが迷った時、隣で忠隆が敢然と立ち上がった。


「お待ち下さりませ!」

「何事だ」


 審判が巻紙を懐へ戻し、厳しく問い詰める。

 観客たちも一瞬ざわついたが、何事かと食い入るように見つめていた。


 忠隆が一歩前に進み出て膝をつき、声を張り上げた。


「恐れながら、申し上げます。本日の御前試合は、事前に魔道の使用を許可していただいております。魔道禁止は何かの間違いではござらぬか」

「そのようなことは聞いてはおらぬ」

「大老堀田意次様、並びにご老中方々もしかとご承知のはず。幕府重臣の皆様に承諾頂いたものを徒や疎かにはできませぬ」

「し、しかし……」


 大老の名を出され、審判が狼狽えて、後ろで控えていた重臣たちを振り返る。

 彼らは、ややばつが悪そうに互いに視線をかわして素知らぬ程を装っていた。

 だが、将軍のそばに座っていた一名が立ち上がって、板の間から段を降りてくる。

 その姿を見て忠隆は、両手をついてこうべを垂れた。


「堀田様」


 それは大老堀田意次であった。年は六十代前半、白髪混じりではあるが大柄でがっしりした体つきは、実際はどうであれ、贅肉のついた藤堂よりもむしろ彼の方が剣士らしくあるほどだ。

 ただ、ワシのように鋭い目と、全体から発せられる威厳、そして、人間の格というべきものが、単なる剣客ではないことを示している。

 とは言え、それは、国の領袖として人心を掌握し、国を興す類のものではなく、まるで大盗賊団の頭領のような、逆らう者は味方であっても切り倒す、己に従う者のみ生きることを許すといった、凄惨な凄みを湛えていた。

 

「忠隆」


 意次が段を降り、平伏している忠隆を見下ろす。


「は」

「そちは何か勘違いをしておるのではないか」

「それはどういう意味でございましょうや」


 面をあげ、鋭く聞き返す。

 だが、意次は一切動じた様子も見せず、むしろこの状況を面白がっているように見えた。


「確かに、その方の申し条に対し承知したと答えた。だが、それはあくまでもその方の言い分を理解したという意味であって、正式に許可を出したわけではない」

「されど、その折に『問題ない』とのお言葉を頂戴したはずにございます」

「それは、そなたの勘違いであろう。儂はそのようなことを言うた覚えもないからな。ともかく」


 口を挟もうとした忠隆の機先を制し、意次が続ける。


「そなたからの申し出を検討している折、天川流から、魔道の使用を禁止するよう訴えがあってな。我ら幕府重臣が協議した結果、確かに妖かしの類は御前試合にはふさわしくないという結論に達したのじゃ」

「それは、あまりに理不尽ではございませぬか。ここまで来て、約束を反故になさるとは」

「黙れ!」


 意次が一喝した。

 

「ヒッ」


 意次の後ろから、怯えるような声が聞こえた。義昭らしい。

 同時に、義昭が体をすくめたのが、クリスの目の端に映った。

 千姫が支えるように寄り添う。

 やはり、相当に恐れをなしているようだ。

 意次が、さらに声を張り上げる。


「この御前試合は、将軍家ご指南役を決める重要なもの。かような場で魔道の如き姑息な手段を用いるなど、言語道断である。貴様、天下の上様に卑怯者のそしりを受けさせるつもりか」

「何しにさような。魔道とはそのようなものではございませぬ。むしろ、我が国にとって……」


 忠隆は激しく反発し、さらに言い募ろうとするが、意次は構うことなく押しかぶせる。


「たわけたことを申すでない。将軍とは武家を束ねるいわば頭領たるお方。それを、公家の腰抜けのように妖の術を使うとは武士にあるまじき愚行である。それほどまでに剣術に自信がなければ公家の師範でもやればいい。これは武士としての勝負であるぞ」

「しかし」

「控えおろう!」

「は」

「これ以上不服があるのなら、ご指南役を拝命する意志なしとみなすが、良いのか」

「……上様!」


 もはやらちがあかぬと見たのか、忠隆がその場で義昭に体を向け平伏し、直接呼びかけた。


「恐れながら、上様に申し上げます。上様は、魔道がどのようなものかご存知のはず。決して妖でも、姑息なものでもありませぬ。むしろ、今後我が国が他国と渡り合っていく上で、重要な力となるもの。どうか特別のお計らいを持って、魔道の使用をお許しくださりませ」

「む、無論、私としては異存は……」

「無礼者!」


 だが、義昭が言い終える前に意次が鋭く遮った。そして、忠隆と義昭の間に立ちはだかった。


「分をわきまえよ、忠隆。そちはご指南役の立場を良いことに、上様をたぶらかし、己の思うままに事を運ぼうとするつもりか」


 それは、まさに己のことではないかとクリスは思った。おそらく、それはその場にいた誰もがそう思ったであろう。だが、試合場はまるで彼らしかいないかのように静まりかえっている。


「滅相もございませぬ。されど……」

「くどい」

「ま、待て、意次。忠隆の言い分も聞こうではないか」


 義昭が、なんとか割って入ろうとする。しかし、大老は聞く耳を持たなかった。


「無用でございます。上様は、このような些細なことは私にお任せいただきたい」

「し、しかし……」

「上様。この意次の言うことがお分かりになりませぬか」

「で、でも……」

「よろしいですな」

「あ、う……」


 それは完全に恫喝であった。だが、権勢を奮う意次に逆らってまで無礼を戒める者はいなかった。また義昭自身も、逆らう勇気が持てないようで、それ以上は何も言わなかった。それは、このヒノニアの政権内の力関係を如実に表している一幕と言えた。


「春ヶ瀬どの」


 今度は、それまで脇で眺めていた藤堂が、忠隆に話しかけた。小馬鹿にするように猫なで声である。もはや計は成ったと思っているのか、勝ち誇った笑みを隠そうともしない。


「魔道にすがりつきたいお気持ちも分かるが、いささか往生際が悪いのではないか。そこまでご息女の剣技を信頼しておらぬのであれば、そこもとがお出になればよろしい。わしは構いませぬぞ」

「……」


 クリスは、どうするつもりなのかと忠隆を見つめる。

 確かに魔道が使えないなら、忠隆が出た方が確実である。病み上がりとは言え、剣聖とまで呼ばれる人物だ。だが、それでは、ミズキを信頼していないことを公言するようなものだ。ミズキはお家のためとあらば、そのような体面など気にはせぬだろうが、世間の体裁が悪すぎるし、流派と家名に傷が付く。何より、忠隆がこのようなやり方を潔しとはすまい。そして、もちろんそれを知った上で、藤堂は言っているのだ。


「……」


 黙っている忠隆に、いい気になったのか、藤堂が続ける。


「おお、何なら、日を改めても構わぬ。堀田様のお話からして、お主の誤解から生じた齟齬、いわば自業自得ともいえようが、やむを得まい。姑息な手段なく剣のみで勝負する気になるまで待って進ぜよう。無論、ここに集まった招待客も飛んだ迷惑かもしれぬがな」


 クククと笑いを漏らす。勝ち誇った顔つきと言い草自体が、彼の本心を表している。


「……あたし、あいつに火の玉ぶつけていいかしら」


 パルフィが怒りを抑えかねるように、クリスの右腕を掴んだ。


「気持ちはわかるけど、ダメだよ」

「うう……ムカつくわね」

「クソが」

「ひどい方です……」


 クリスの背後で、グレンとルティも不満の声を上げる。


(ミズキ……)


 彼女は体をこちらに向け、決意に満ちた目で忠隆を見ている。体からオーラのように気合いが放たれているのが目に見えるようだ。もはや刺し違えても勝つつもりなのが手に取るように分かる。自分と父、そして己の流派をここまで馬鹿にされて、黙って引き下がるわけにはいかないだろう。

 忠隆がミズキと目を交わしたのが分かった。そして、彼女の決心を見とったのか微かにうなづきかけ、視線を藤堂に返した。


「藤堂殿。心配はご無用。我が娘、瑞希は女性(にょしょう)の身でありながらいずれ嫡男忠輔とともに我が流派を支える逸材と思うております。私に成り代わって、立派に戦ってくれるはず。むしろ、藤堂殿には、くれぐれもご油断なきよう、ご忠告申し上げる」

「それはそれは、ご丁寧に痛みいる」


 藤堂は鼻でせせら笑った。


「よかろう」


 話はついたと見て、意次が声を張り上げた。


「それでは、上様にもご承諾いただいた通り、魔道の使用は認めぬ。良いな。これは上様のご意向である!」


 「……は」


 実際はどうであれ、公の場で将軍の意向を持ち出されては如何ともしがたい。

 忠隆は、それ以上は何も言わず、立ち上がって深々と義昭に向かって一礼する。

 義昭は後ろめたい気持ちがあるのだろう、忠隆に顔向けできないようで、視線を合わせず、ただ曖昧に俯いた。

 忠隆が席に戻ったのを見て、審判が再び前に出た。


「よろしい。それでは両者、構えて」


 二人は立ち上がると、互いに距離を取って向かい合い、共に中段に剣を構えた。

 すでに、ミズキの剣は通常の木刀に取り替えられている。


「ねえ、魔道なしじゃ……」


 パルフィの言葉は途中で消えてしまう。

 先ほど、グレンは魔道なしではきついと言っていたのだ。


(ミズキ……)


 だが、クリスが目をやると、彼女は、気合いに満ちた顔つきでおり、しかも覚悟が決まったせいか、いきり立つこともなく落ち着いているように見えた。


(なんとか頑張ってくれ…… )


「御前試合一本勝負、始め」


 審判の声が響いた。


 いよいよ試合が始まったのだ。




長らくお待たせいたしました。

前回よりも少しだけ早いアップですが、あまり変わりませんね……。

次話も、これよりは早くアップしたいと思います。

おそらくあと4~5話でエピローグです。

どうぞお楽しみに!


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