カクセイキョウ2
レイズには都市と呼ばれるプレイヤーの拠点となる街がいくつかある。
その中で最も大きく人気を得ているのが『赤き巨壁の古き王国』の王都、ターツラルだ。
巨大な城を中心に作られた城塞都市で、一般的な日本のファンタジーの王都と考えて間違いない。
レイズの世界において唯一、モンスターの勢力を前に引くことをせず、平野にその拠点を構えているという設定らしい。
王都と名乗るだけあり、多くの建物が並んでいる。そんな中で一際目を引くのが貴族街で、遠方から運ばれる華やかな発色の染料を使った煉瓦や、金銀のみならず、神銀や青銀、赤黄金などで装飾を施された家々が立ち並んでいるのだ。
そんな中で、他の館より一回り大きな金の樹のギルドハウスは、よく言えば質実剛健、悪く言えば地味さで周囲から少し浮いていると、ヒナタは以前から思っていた。
もうちょっと、それっぽい装飾を足せばいいのにと。
だが、これはこれで金の樹らしいとも思うので、複雑な所だ。きっと、彼らには華やかな装飾は似合わないと。
そんなとりとめも無い事を考えながら、なれた通路を歩いてギルドマスターの部屋の扉を叩き、中に入る。
「お邪魔します」
「おつかれー。騒ぎに巻き込まれたんだって?」
人なつこく笑いながら、応接用のソファーにだらしなくもたれかかった姿で挨拶するのが、金の樹のギルドマスター、ロップイヤーだ。
犬の獣人種ながら、獣人族が得意な肉弾戦ではなく、魔法を好む変わり種のプレイヤーだ。頭に乗っている垂れた犬耳がトレードマークで、幼い外見から、ヒナタはロップくんと読んで親しんでいる。
「呼び出してすまない」
岩から切り出したような体を折って頭を下げているのは、サブマスターのルーガロッチという竜人の男性だ。竜人らしい重厚なしゃべり方と動作、そして年長者としての見識などもあって、金の樹のご意見番という立ち位置を任されている。
ヒナタとはベータテストからの知り合いで、サポートマスターになるための人格試験などを兼ねたクエストに挑戦する際に、共に背中を預けた仲だ。
ちなみに、ルーガロッチでは普段の会話で面倒がすぎることから、ヒナタはルーさんと呼び習わしている。
「急ぎの用事だったんでしょ?」
「いやー。そういうワケじゃないけどさ、ちょっと相談がしたくてねぇ」
相談と言えば聞こえは良いが、間違いなく面倒事につながるという事を、ヒナタは短くない付き合いでよく知っている。
「面白いおはなし?」
「とっても」
「いやだなー」
「喜んでよ」
ウラは無いよと言って笑うロップイヤーに、ヒナタはわざとらしく眉を寄せて見せる。どこまでもシラジラしいことを言えるのだ、この若い男は。
「まずはコレを見て欲しい」
ルーガロッチが手を開くと、その上の不自然な薄緑色の光を放つ板が現れる。
「あれ、レイズの中なのに、VMで映像再生できるの?」
「この部屋だけは別だ。他の場所のように『相応の手段』を用意しなければ、映像資料の一つも扱えんのでは、仕事にならんからな。ほれ、みろ、始まるぞ」
ルーガロッチに促されるまま、ヒナタはのぞき込むようにしてその板に目を向ける。
ロップイヤーは既に見たのだろう、ソファーにしなだれかかったまま、耳を軽く上げるだけだ。
<目を覚ませ、人類よ>
その板に現れたノイズが次第に鮮明になり、枯れ木のような老人の映像を結ぶ。
<我々が見ているこの世界は、監獄のようなものだ>
「なに、これ」
良いから見ていろとルーガロッチに顎で促されて、ヒナタは大人しく集中する。
<感じた事はないだろうか。ココは本当の自分なのかという疑問を>
<その問いは正しい>
<世界は欺瞞を隠している>
<我々の居場所だとされているこの世界は、現実という場所も含めて仮想なのだ>
<目を覚ませ、人類よ>
<私は本来の肉体が存在する、本来の現実からやってきた>
<そこには、君たちを本当に必要とする世界が存在する>
<目を覚ませ、人類よ>
<私と共に、現実へと帰るのだ>
映像が終わった後に、王都ターツラルの地図が写され、その一角に印が表示される。
そこに来れば、何かあるというのだろう。
「どうだ?」
「どうだって、言われても。どっかのアーティストの新しすぎるPVとか? しょうじき、どこがいいのかさっぱり」
あまりにもコメントしずらく、ヒナタは聞かないで欲しいと両手を挙げる。
「ボクからしたら、あなたが目を覚ましてくださいって所かなぁ」
「お前は、時々そうして毒舌になるな」
「そうです? 普通ですよぉ」
にっこりと笑う表情はいつも通りだが、唇の中央が嘲るように少し持ち上がっている事は、ヒナタにもルーガロッチにも隠し切れていない。
「『覚醒教』と名乗る連中がレイズのゲーム内で増えている。コレはその勧誘映像だ」
「センスないね」
「ある意味では古式ゆかしいが、若い奴らにはわからんだろうな」
少しあきらめの入った口調は、他の金の樹のメンバーの反応に、何かを諦めたからだろう。
現実では四十代が目の前に迫っているというルーガロッチと、平均年齢が学生の範疇に収まるレイズの多くのプレイヤーでは、世代の差で話しが通じない事もそれなりにあるのだ。
「危険ならログアウトすれば良いと考えて、軽い気持ちで見学や入信を行っているらしい。信教は自由で良いと思うが、覚醒教には危険がありそうでな」
「なんでよりにもよって、レイズで新興宗教なんて面倒なこと……」
「んー、さっきのPVをみる限りだとさ、現実の再現度が高くないと成り立たないお話じゃん?」
光栄な話しだよねと微笑むロップイヤーに、二人は白々しいと目だけでツッコミを入れて、話しの続きをする。
「ログアウトした現実も、実は仮想だって?」
「このゲームでなら、あり得るかもって、一瞬思う気持ちはわかるんだよねー。ほら、レイズの再現度の高さが話題になったときに、同時に軍がほしがってるーとか、そういう噂もあったし?」
「あ、それ実話だって。玲二さんがオフレコで言ってた」
「統括デザイナーの話なら、ホントっぽいね。まあ、メディア心理学の観点からすると、もう一つの現実って言える再現度は、現実を陳腐化させてみせるわけでー」
レイズでは、システムメニューを呼び出してログアウトボタンを押すことで、オンラインゲームの世界から現実世界に帰る事が出来る。
ただし、レイズのあまりに高い再現度もあって、寝ぼけた時には現実でもレイズにいるような感覚になることがある。それはヒナタも経験した話しで、分からないこともない。
だが、もしも現実を仮想とすりかえたとして、そんな事をして何の意味があるのだろうか。考えれば考えるほど、ヒナタは苦笑するしかない。
「ロップ。お前の中の人の専門分野で語りたいのは分かるが、そろそろ本題に戻れ。ヒナタ、最近になって悪質なPKやNPKのハラスメントが頻発しているのは、実感していると思う」
「まあ、ついさっき相手にしてきたからね」
「とりあえず、こんなのが資料だね」
ロップが手の中に生み出したホログラフィカルな映像を、何枚もヒナタの眼前に乱雑に投げる。
それは写真や映像だ。
複数人で一人を暴行しているもの。
一対一でも、ヒナタがここに来る前にとめた事件のように、必要以上に相手をいたぶるようなマネをするもの。
めちゃくちゃになっている建物から、金の樹に拘束されたらしい男が引かれていく写真など。
犯人は男性女性問わずにおり、共通点があるとすれば、現実ではありえない鎧姿の人間達の写真だということだろう。ファンタジー映画の中から、小悪党が一般人をなぶっている一場面の物を切り抜いて来たようにも見える。
背景に見覚えが無ければヒナタも趣味の悪い映画の一幕だと思っただろう。
だが、見覚えがある以上、これはレイズで実際に起きた事件なのだ。
ヒナタはそんな写真や映像に眉をしかめるものの、金の樹に協力して、何度か現場の手伝いをした事もあるので、目をそらすことはしない。
「それでさー、PKしてる人達の共通項として、この覚醒教の本部に踏み込んだアクセスログが検出されているんだよ」
今度はVMではないパピルス製の資料がヒナタの前に投げ出される。
世界観に合わせた紙だが、内容は印刷されたと一目で分かる体裁で、レイズの中世欧州のような世界観が好きなヒナタとしては、読みやすいのが助かる反面複雑な気分になる。
読んでみるとそれは複数人のプレイヤーのアクセスログ――要するに建物や区域を移動した際にシステムが残す足跡で、いずれも一カ所ずつ、二種類のマーカーで色分けされている。
「どの資料でも金の樹にアクセスした時点で止まってるってことは、その直前のマーキングが、PKをしたタイミングかな?」
「そして、そのさらに手前のマーキングが」
「『覚醒教』の本部ね……覚醒教の信者が人を襲ってるって事なの? 襲えって命令されてるとしたら、何のための命令で、どうして従うのか」
「そこら辺を調べるために、手が欲しくてな。どうにも加害者の言動にそういった物をうかがえなくて困っているんだ。強いて言えば、どいつもこいつも『ムカついてやった』らしい」
ムカついて。
捜査をする人間としては、ある意味で恐ろしい言葉だ。
突発的な情動は、そのきっかけが掴みにくい。
ただ、資料からうかがえる、ハラスメントに抵触するようなPKやNPKの数は、『覚醒教』の映像が発表された直後から急増しているのは間違いない。
「これじゃ、『覚醒教』が絡んでるって言い切れないんじゃ無いの?」
「コンピューターに解析させた結果で、それっぽいのが『覚醒教』だったんだ。違反者のログを解析するのは保安の関係でいつもやっていることで、理由が出る方が珍しい事だ。捜査する理由はそれだけでも十分にある。何もなかったら、それはそれでいい」
「とってもクサいけどねー」
ヒナタから見て、ルーガロッチは本当に念のための捜査なのだろうと分かる。
ただ、ロップイヤーは普段のゆったりしたしゃべり方のなかに、どこかとげを含ませているように感じられて、落ち着かない。
ヒナタが同化したのかと視線を向けても、ゆったりした笑顔でごまかされて、その本音までは見通せない。
しかたなしに、ヒナタはルーガロッチに話しの続きを促す。
「それで、私の役目は」
「先ほどのデータを根拠として、金の樹が主体となって、覚醒教の本部に踏み込んで査察を行おうという話しになっている。それに同行してもらいたい」
「それ、ゲームマスターの仕事じゃない?」
「大人の事情でな、信教の自由を盾にされると、責任ある立場の人間は動きが取りにくい。だからこその、金の樹だ」
「プレイヤーがプレイヤーとして、不審な行動は自重してねーっていう分には問題無いからさ」
査察の申し出は拒否もできるしと、ロップイヤーは付け加える。
ただ、それはあまり意味が無いと、ヒナタでも分かる。
プレイヤーの自治組織が主導する査察の申し出を拒否するなら、今度はシステム管理者から強制的な調査が入る。
金の樹の査察を入れて、なにか事件に関わりがある物を発見すれば、それはやはりシステム管理者が踏み込む理由になる。
やましい所が無ければ、それはそれで問題無い。
あまり結果に違いはないのだ。金の樹と、レイズの運営であるロートル社にとっては。
「大人って汚いね」
ルーガロッチを、半ばにらむように見つめながら、ヒナタは苦笑する。
「汚い仕事を引き受けるのが大人だ」
「それで、私にも大人の仲間入りをしろってこと?」
「断ってくれてもいいよー? ほら、金の樹だけで踏み込むと、増長がどうとか文句いう人がいるから、外部の人にいて欲しいって理由なのさ。まあ、キミがさっきのPKと関わったのも運命かなーと思って声をかけたんだけど」
その答えには、ヒナタも納得した。
たしかに、先ほどのPKとこの連続した事件については、興味があるのだ。
「ゲーム内の治安維持に協力っていうのは、望むところだよ。金枝銀葉の誓いはウソじゃ無いから。ただ、ゴリ押しの強制捜査で、本当にこの事件は収められるのか。そっちが心配」
「……近いうちに作戦概要を説明する」
ヒナタの懸念に対して、ルーガロッチは何か思うところがあるのか、それだけを返答して帰るように促した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
金の樹の廊下を歩きながら、ヒナタは考える。
普段のルーガロッチは、悪く言えば親切を押し売りしかねない性格で、よく言えばもっと熱い男なのだ。少なくとも、ヒナタはそう思っている。
だが、今回の話では冷静な説明に重点を置いて、その心情をうかがわせなかった。
そのアタリが、ヒナタの中にひっかかりを作っている。
「なんなんだろ……喉に小骨が刺さったような」
窓の外を見つめると、遠くで黒い雲の塊が渦を巻いているのが見えた。
嵐という事はないだろうが、それでも大雨は来るかも知れない。
そんな考えが、ヒナタの不安をいたずらにあおる。
「よお、お疲れさん」
そんなヒナタの後ろから声をかけたのは、金の樹でも特に親しいプレイヤーの一人、レオだ。
リアルの名字が獅童といういかめしいものらしく、それに合わせてキャラクターも猫の獣人族にしているらしい。ヒナタとはベータテスト以来の友人だが、ルーガロッチとはさらにそれ以前から親しくしていると聞いていた。
ルーガロッチについての話しなら、一番信頼が置ける情報源でもある。
「レオは査察の話し、知ってる?」
「当然。知ってる」
「参加するの?」
「俺以外の金の樹のメンバーは中の人が電脳関係に弱いからな。こういう任務に俺は必須なんだよ」
「社長……ルーさんは」
「あの人は専門家じゃねえから。それよりお前だ」
「どういう意味?」
「高校生のお前に手伝わせる事件か、ってな」
ネットとリアルは別物。それを普段から口にしているレオは、金の樹でも特に、二つの世界を切り離している一人だ。
その彼にリアルの話しを持ち出されて、ヒナタは唇をとがらせる。
「リアルの年齢は関係ない。ここでは、サポートマスターの権限と責任を任されたヒナタだよ」
「限度がある。詳しくはいわねぇが、脳みそを茹でられたくはねーだろ?」
「……そういう理由でルーさんとロップくんを説得しようとして、失敗した。だから私に自分から参加したくないって言わせたい? 何か隠してる、言えない事がある?」
レオの噛みつくような威嚇が混じった言葉に違和感を憶えながら、ヒナタは冷静に切り返す。
「時々、お前が怖くなるぜ」
予想以上に深く斬ってしまったのだろう、レオの表情は硬い。
だが、ヒナタとしても、子供は布団でネンネしていればいいと言われて、大人しく引くつもりにはなれない理由があるのだ。
特に、特にこの場所では。
「私はフリーのサポートマスターだから、協力義務はないってことで、断ってもいいけどね。金の樹と連携訓練もしてない。金の樹が警察なら、私は正義の傭兵だから行動を選ぶ権利が残ってるし」
「無報酬なら傭兵って言わねぇよ」
「あるよ。私はこの世界で遊ぶのが楽しい。この世界に居場所が欲しい。それを守れるなら、他に代えがたい報酬だと思う。……サポートマスターは利用料金無料だしね」
思い出して付け加えたヒナタの言葉の何が面白かったのか、レオは少し驚いてから、面白そうに「その程度で?」と問いを重ねる。
「学生なめんな。月額二千円の利用料は安くないんだってば。それだけ有ればフリータイムで二回もカラオケに行けるし、ご飯なら学校で食べる昼食におにぎりプラスだよっ」
大まじめな顔で主張するヒナタに、そりゃ大金だと、レオは笑ってすまなかったと頭を下げる。
もっとも、レオの顔は大笑いしそうなのを必死にこらえてのものだ。
「そういう事なら、どうだ、せっかくだし金の樹に加入しないか?」
金の樹に加入する。
それはサポートマスターが、サポートマスターしての仕事を積極的に行うなら、捨てがたい選択肢の一つだ。
それはたとえば、正義の心を持った一人の人間が、警察という組織に入ることで、匿名性を持った『おまわりさんの一人』になれるように。逆恨みを含めた様々な悪意から、組織はその身を守ってくれる上に、努力すれば功績を評価してくれるのだ。
ほかにも、アイテムや情報などで様々なサポートを受けられる事もあって、活動するサポートマスターのほとんどは、今や金の樹に所属している。
「ごめんね。そういう気には、まだなれなくて」
「あー……俺こそ、わるかった。で、」
「言ったでしょ、この世界を守るためなら、少しのリスクは気にしないって。レオも、ルーさんも、ロップくんもそうでしょ」
「ロップイヤーは別として、俺達は半ば、仕事なんだがな」
レオが言葉を濁す理由を、ヒナタは知っている。
半ば仕事というのは、その通りの意味だと。
「でも、あとの半分は?」
「あーまー、たしかにそういうわけだからそうなんだけどな? ……わかった、俺の負けだ。だが、出来れば考えが変って欲しいと思ってるのは、伝えておくぜ」
これ以上ヒナタを理性で説得するには、伏せ札を開くしかないとレオにも伝わったのだろう。
しかしそれが出来ないので、情に訴えるように状況を投げて肩を落とす。
「まあ、これから学校があるから、そこで考えるよ」
「俺も出勤しなくちゃな……ふぁ……」
「なに、寝てないの?」
「覚醒教の関連資料をまとめたり、ログを洗ってたからよ」
「ほら、リアルにちょっとリスクを負っても、この世界に入れ込んでる」
ふふんと、いたずらっ子のように笑ったヒナタが、レオに背中を向ける。
「そういう問題じゃ」
そして次の瞬間にはヒナタの姿は消えていて、
「ないっての」
レオはログアウトした後に残る小さな光の粒が飛び交うエフェクトを前に、不機嫌そうに鼻をならす事しかできなかった。