カクセイキョウ1
2017年、人類は脳をコンピュータにつなげる事で、仮想の現実を体験する技術を手に入れた。
当初こそ名前倒れの『現実(笑)』に過ぎなかったが、仮想現実にかける人々の意気込みがあったのだろう。瞬く間に研究、発展、開発が行われ、かなり精度の高い現実の再現が行われるようにもなっていた。
あと十年もすれば、それなりに満足できる新世界が作られるだろう。
人々のそんな期待を大きく裏切る事件が発生したのが一年前だ。
オンライン・ゲーム【レイズ・ザ・ワールド】が発表されたのである。
もう一つの現実というキャッチコピーに相応しいリアリティは、まさに人々の思い描いた、未来の仮想現実そのものだろう。
だが、人も法も、いまだその未来の技術に適応するには、まだしばらくの時間が必要らしい。
二つの現実を舞台に、人々の思いは交錯する。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ひっ」
イェルの目の前で巨漢が振り上げたのは、その体に相応しい子供の身の丈もありそうな大きさの剣だ。
昼過ぎの市場でそんなものを振り上げたのだ。周りを歩いている人間たちも巨漢の動作に気づいたのだろう。誰かの悲鳴が上がり、一斉にイェルとその巨漢から一定の距離を取る。
イェルもそれに合わせて男と距離を取ろうとするが、間に合わない。
「おぉおおりゃぁああっ!」
かけ声と共に振り下ろされる剣は直前までイェルの立っていた石畳を砕き、円形に陥没させ、巨大な音と無数の飛礫を撒き散らす。
これが暴力なのだと言わんばかりに。
間一髪、飛び退いて逃れたイェルは、市場の隅にあった露天の果物がクッション代わりになって、果汁まみれではあるが怪我はしていない。
「おいお前っ、売り物どうしてくれんだよっ!」
「ぼ、ぼくに言わないでくれよっ!」
いつの間にのがれたのか、野次馬連中の中から、果物屋の店主らしい男がイェルに怒鳴る。
しかし、そんな声に構っている暇は無い。
「逃げるんじゃねぇよっ」
抜け出そうともがくイェルの足を、巨漢が勢いを付けて踏み砕く。
巨大な剣を振り回して揺るがない足腰だ。鎧も着けていないイェルの足はあっけなく踏み砕かれて、悲鳴が喉から押し出される。
「死ね、死ね、死ね、死ね……死ねッ」
そして今度は殺す事ではなく、なぶることを目的としたらしい剣の腹が、イエルの右腕に振り下ろされる。
「うぐがぁあああっ」
痛い。
大けがを負ったときは熱いとか言うけれど、それは嘘だとイェルは思った。
痛い。
いや、腕を潰される程度ではたりないのか。
痛い。
痛みが強すぎて、とにかく痛い。
痛い。
痛い痛い痛い痛い。
「お、おい、あれおかしくねえか」
「もしかして、あいつ」
今さら周囲が騒ぎ始めるが、イェルにはそれどころではない。
イェルの悲鳴が気に入ったのだろうか。
巨漢は、残されたイェルの左腕に、再び剣の腹をたたきつける。
「…………っっ!」
イェルの喉は、もう悲鳴を上げることも出来ない。
背筋を反らせて音にならない絶叫をはき出すだけだ。
それが不満だったのか、巨漢は一歩下がって再び剣を振り上げる。
今度こそ殺すのだというように。
巨漢は果物に恨みでもあるのか、イェルごとまとめて全て吹き飛ばそうとするように、鉄塊のような剣をフルスイングする構えを見せる。
両腕と片足を潰されたイェルに、抵抗する術はない。
当たる、そして当たって死ぬ。
「……食べ物は、大切にしろよ」
そんな事を言っている場合じゃ無いだろうとは思ったが、言葉になったのはそれだったのだ。
イェルの言葉に、巨漢は何も反応しない。
これが遺言かよと、イェルが自分にツッコミを入れて、こんな事ならカッコいい死に際のセリフでも考えておけばよかったと後悔する。
そんなイェルの内心も知らず、巨漢はその剣を無慈悲に振り下ろす。
「うぉおおおおりゃぁああっ!!」
天が落ちてくるような暴力。
襲い来る痛みを恐れて、ぎゅっと目をつぶるイェル。
そしてその体は空を舞って――
「……ああ、死ぬような瞬間はアドレナリンが出るから痛くないって、本当なんだ」
「実はそうでもないよ?」
女の子の腕の中にいた。
「へ?」
軽い音が体の下で聞こえて、それが、自分を抱えて巨漢の剣から逃がしてくれた女の子の靴音なのだと、イェルは数瞬遅れて気がついた。
それなりに整った見た目をした、高校生くらいの少女が、痛ましそうな目をイェルに向ける。
服装はよくわからない。膝あたりまで覆う使い古されたマントが、首から下を隠している。肩口で結ばれた長い黒髪が、顔に当たって少しだけくすぐったかった。
「ごめんね、人が多すぎてすぐに近寄れなかったから」
イェルの体を下ろしながら言い訳を口にして、女の子はマントの中を少し探ってカードを取り出し、空に掲げた。
「レイズ、レイズ、レイズ……【理解の癒し】」
カードは言葉が終わると薄青く光り、それに合わせてイェルの体から痛みが消える。
「痛みが、ない?」
「痛み……? HPなら、全回復してると思うけど」
女の子の言葉に誘われるように意識を視界の左上に向けると、そこに赤い棒でHPの残量が表示される。ほとんど減っていない状態にまで、ステータスとしては回復していた。
それでもイェルの手足には違和感が残り、少し前までそこがどんな状態だったのか、イヤでも思い出されてしまう。
「まあ、足りなかったらまた回復するから」
今はコッチが先かな。
女の子が振り返ると、そこにはエモノを取られいきり立つ巨漢がいた。
「おい、何してくれんだよ」
血走った目を女の子に向けて、巨漢は今にも飛びかかってやると言わんばかりに身を乗り出している。
「それはコッチのセリフだから。こんな場所(市場)で堂々と戦闘なんて、何してるのよ」
「そいつが俺にガン付けたんだ、悪いのはソイツだ」
イェルからすればガンを付けたわけではない。実物と見間違えそうな仮想現実で、これでもかと筋肉の鎧を誇示するような戦士の男性を見かけたのだ。もの珍しさに少し目をひかれても仕方が無いところだろうが、運が悪かった。
未だに立ち上がれず「い、いや、そんな」と目を伏せるイェルを背に隠すように、女の子が一歩前に出る。
危機一髪の所を女の子にお姫様だっこの格好で助けられた上に、背中にかばわれまでしている。イェルのHPは平気でも、イェルの中の少年は恥ずかしさや情けなさに殺されそうだ。
「だからって、明らかに初心者なんだから、いきなり攻撃するなんてカッコ悪いと思わないの?」
女の子の言葉に周囲が無責任なヤジを飛ばし、巨漢が歯を剥く。
「別にいいだろ、システムが許してるんだ」
「過度のハラスメントは別って、利用規約読んでないの? あんな風にもう一人の自分をもてあそばれて、悲しくならないわけないでしょ」
女の子の言葉がよほど気にくわなかったのだろう、巨漢が路上につばを吐く。
「バッカじゃね? ただのゲームだろ」
「そう、ゲームね。だったら、ルールが適用されるなら従いなさい」
女の子の手がマントを翻すと、皮鎧の胸元で、金と銀で作られているらしいブローチが陽光にきらめく。
「おまえ、金の樹かっ」
「私はフリーのサポートマスターだから違う」
サポートマスターは、ゲーム内で問題が起きた場合の仲裁役だと、イェルは数十分前にチュートリアルで教えられた事を思い出す。
この事態をどう収めればいいのか、それこそ命がけで困っていた所なので、これでようやく安心できると、胸をなで下ろす。
イェルがゲームを始めてからまだ一時間、その時には全く予想していなかった展開だが、ゲームならではの一つの経験と思おうと、オチまで考えてすっかり終わった気分だ。
「さ、大人しくジェイルでアカウント停止処理を……」
武器を降ろすように示しながら話しかける少女に、その武器が振り下ろされる。
少女が近づいて3mに減っていた間合い。
その程度の距離なら、巨漢にとって即殺の間合いだ。
振り下ろされた剣は、次の瞬間にはその全力を持って路地の石畳を砕き、衝撃で土煙を上げる。
「へっ、大人しく捕まるかよっ。サポートマスター相手なら、殺して逃げりゃいいだろ」
土煙の向こうだが、イェルにははっきりと、巨漢が笑う様子が見えるようだった。
残虐さと傲慢さをうかがわせる笑顔は、さっきまで自分に向けられていたものだから。
だが、イェルには見えていた。
「私は"誓いを立てし 金枝銀葉の 魔法剣士"ヒナタ」
立ちこめた土煙が吹き抜ける風によって散らされ、イェルの前に、蒼い燐光を纏った女の子の姿が現れる。
巨漢の振り切った剣は、その靴の先に叩きつけられたらしい。それはそうだ、人を切った剣で地面を叩いて、土煙が上がるはずはない。
「キミの反逆は受け取った」
ゲームであるレイズには、いくつか特殊なシステムがある。
その一つが『名乗り』だ。
システムによって割り当てられるキーワードの組み合わせで創られる称号を名乗る事で、ステータスが底上げされる。
名乗りによって解放された魔力を受けて、ヒナタと名乗った女の子の身につけている皮鎧の表面に、無数の魔術刻印が薄青く浮かび上がる。
「ちっ、"絶叫を賛歌する 黒雷の 大剣使い"ゼーガッ」
男の方も雰囲気に押されたのか、それともステータスを上げなければ負けると判断したのか、応えるように名乗りを上げる。
名前と共に吹き上がる燐光は黒だ。光なのに黒いという矛盾する魔力は、男の手元の剣に吸い込まれ、その刃を黒に染めながら倍ほども伸長させる。
元から子供の身長ほどもあった剣は、今やイェルが見上げるような巨漢という使い手も相まって天を突くような威容だ。
恐ろしいのは見た目だけではないらしい。腕を慣れさせるために片手で軽く振るっただけで、並んでいた露店の一つを、売り物の鎧ごとあっさりと切り裂いてしまう。
「くかかっ、どうだ、俺の黒くて固くてデカい武器はっ!! コイツでお前を串刺しにしてやるよ」
「ソレもハラスメントに数えるわよ」
「出来るモンなら、やってみろっ!」
構え直した大剣を構え直した巨漢は、串刺しと言った通りにするつもりなのか、鋭い踏み込みで体ごと突進し、黒い光を撒き散らしながら刺突を繰り返す。
並の槍より長いかもしれない大剣を、重量を感じさせない速度で扱う巨漢に対し、ヒナタはあまりにも小さく細い。
イェルは瞬きも忘れてその見つめてしまう。
だが、見つめていたはずの姿は、次の瞬間に消え去っていた。
「「なっ?!」
目を疑ったのははイェルか、巨漢か、それとも未だに周囲を取り囲んで物見している見物人達か。
そして次の瞬間には、更に大きな驚きの声が当たりに響いた。
―― ズンッ……
どんな衝撃を叩きつけたのか、巨漢の体が小さな家ほどの高さに浮き上がっていた。
「……重いか」
今まで巨漢がいた位置には、大きく天地をつなぐように足を開いたヒナタが立ち、そのかかとが巨漢の顎に叩きつけられたのだろうと、その姿勢からだけうかがわせる。
中国拳法の型に、そんな形があったかもしれないとイェルは思い出す。
もっともそれは、人を数メートルの高さに蹴り飛ばすような物では無かったが。
「ぐ、おぉおおおおおおっ!」
そんなヒナタに対する巨漢もただの乱暴者では無いらしい。
空中で何が起きたか把握し、巨大な剣の質量に任せて体制を整え、ヒナタにその切っ先を叩きつけようと狙っている。
もう一つの現実とも言われるこの世界で、ステータスの助けがあったとしても、それだけの動作が行える技量は並ではない。
だが、ヒナタもただ落ちてくるのを待っている事はしない。
いつの間に懐から取り出したのか、四枚のカードを両手で空中に貼り付ける。
「レイズ、レイズ、レイズ、レイズ……ッ【慈悲の炎】」
ヒナタの体を囲むように並べられたカードが燃え落ちて、そこから大人の身の丈もある巨大な火球が。
それを頭上に掲げたヒナタと、落ちてくる勢いで唐竹割りに大剣を振り下ろそうとする巨漢。
もしこれが、さっきまでであれば、勝負は
「バカめッッ!!」
その火球の向こうまで切っ先が届かない、巨漢の負けだっただろう。
だが、今の巨漢は長射程を誇るその自慢の大剣で、火球を貫いてヒナタに攻撃出来る。
巨漢も無傷では済まないだろうが、それでも目的は達成出来る。
ヒナタを、殺せる。
「逃げてっ!!」
そんな巨漢の様子が火球の下にいるせいで見えないのだろう。
ヒナタの動じた所が無い様子に、イェルは声を上げる。
だが、ヒナタはにやりと笑って、その靴のかかとを高らかに石畳に打ち付けた。
その足下に光が走る。
薄青い魔力が火花を散らしながら、イェルにはいつの間に刻んだか分からない魔術刻印を活性化させる。
次の瞬間、ヒナタの足下から猛烈な風が吹き上がり、渦を巻いて空まで上る。
それはヒナタと巨漢の間にあった炎の塊も飲み込んで、一瞬にして巨漢の体を炎の竜が飲み込むように、緋色の柱に隠して焦がす。
そして火柱が消えると、気を失っているらしい巨漢が倒れ、ヒナタがやり過ぎたかという表情で立っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「道を空けて、ほら、通れないからっ!」
「すみませーん、とおりまーす。金の樹でーす」
人混みをかき分けて近づいてきた二人の男がヒナタの姿を認めて敬礼する。
金の樹。
サポートマスターの権限を与えられたメンバーで構成される、いわばこの世界の警察に近い組織だ。
ケンカの幕引きらしいと、集まっていたヤジ馬たちが三々五々と散っていく。
壮年の男が若い男に巨漢を連れて行けと指示してから、ヒナタに歩み寄って改めて敬礼を行う。
「お手数をおかけしました、ヒナタさん」
「ごめんね、依頼されたワケでもないのに、管轄で問題起こして」
「いえ、事情はリーンさんから聞いています。ご協力感謝します」
「え、リーンいたんだ?」
「ヒナタさんが無茶しないように、早めに出向いてくれと言われましたよ」
過保護だなぁといって、ヒナタは少し嬉しそうに笑う。
「じゃ、私はこれで――」
「お待ちを。ヒナタさんは金の樹にいらしてください」
「事情聴取とか、しなきゃだめ?」
「そちらもすべきですが、ギルドマスターがヒナタさんとお話したいと」
「……わかった、行くよ。面倒じゃないと良いけど」
「面白い話だそうです」
「ああ、だめだ。逃げたいなー」
不満そうに呟くヒナタは、思い出したように振り返ってイェルに向き合う。
「大丈夫?」
何がとは、あえて言わないのだろう。
イェルはそっと胸に手を当てる。
視界の隅に表示されるHPは先ほどの回復でほとんど満タンだ。巨漢によって潰された四肢の違和感もようやくひいて、今は普通に立っていられる。
「ぼちぼちかな」
「ぷっ、そっか。ぼちぼちか」
何がおかしいの口元を隠して吹き出すヒナタが、数度深呼吸して笑いを抑え、真面目な表情を取り繕い、深く頭を下げる。
「お騒がせしました。対処が遅れたことを、運営に変ってサポートマスターのヒナタが謝罪します」
「い、いや。助けてもらったし」
キミが悪いワケじゃ無いしと続けて、イェルは周囲にほとんどいなくなったヤジ馬だった人達に目を向ける。
「また何か問題があれば、金の樹に連絡してください。チュートリアルでサポートコールは習ったかな?」
「だいじょうぶ」
「じゃ、私はこれで失礼します……」
一度頭を下げてから、ヒナタはイェルに何かを言おうとして、開きかけた口を閉じる。
何を言おうとして、どうして思いとどまったのか。
『あんな風にもう一人の自分をもてあそばれて、悲しくならないわけないでしょ』
イェルはなんとか、慣れない笑顔を顔に作り、ヒナタに微笑みかける。
「またね」
ヒナタは、それに嬉しそうにうなずいてから、人混みの向こうに向かうために背を向ける。
そして思い出したように振り返って、笑顔を見せる。
「ゲーム、愉しんでね」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ヒナタが立ち去ってから、イェルはそっとため息を吐く。
「ゲーム初日から、可愛い女の子と仲良しか。運がいいねぇ」
「中身はおっさんかもよ」
「やっぱ、おっかねぇ」
イェルが振り返ると、二人の男が立っていた。
「ケリーに、ディロスか?」
「そういうアンタは、イェルだろ?」
「護衛のくせに、なにやってんだよ」
護衛と言われて、ケリーと呼ばれたひげ面の壮年男は面倒臭そうな顔をする。
「いまの騒ぎじゃ、俺達の必要なかっただろ?」
「護衛対象を不興にさせるのは御法度じゃないのかよ」
「べつに、子守をするための傭兵じゃないからな」
「……いちいち気に障る言い方するな」
「そりゃすまん。俺はウソもおべっかも死ぬほど嫌いでな」
「いっそ死ねばいい」
イェルの半ば本気の言葉に、ケリーは笑って答えに代える。
ケリーとディロスは知っているのだ。
本来、このレイズというゲームでは再現されない痛みの感覚を、イェルは実際と同じように体験するという事を。
まして、もしも死んでしまえばどうなるか分からない。おそらく本当に死んでしまうだろうと、イェルは考えている。
それが理由での護衛なのだ。
「で、状況は」
イェルの言葉に、ケリーは肩をすくめる。
「例の『試供品』は、教主様が大変気に入っているらしい」
「そっちじゃない」
「例の計画まではおおよそ、一週間ってところか。教主様ったら、ホントにやるのか」
「ぼくに言われても困るけど、それなら明日までには完成品を渡す必要があるか」
「がんばってくれよ」
「あんたたちも仕事をしてくれよ」
心得ましたと、おどけて笑うケリーの背中から、ディロスがイェルに声をかける。
「……そろそろ時間だ」
「わかった」
そして、三人は揃って人の中に姿を消す。
妙に甘ったるい、人を落ち着かなくさせる臭いを残して。
『世界を賭けろ ―― レイズ・ザ・ワールド』
raise1: カクセイキョウ WAKE UP