読み聴かせ版 マイスイートホーム
その1 ボクは勇者
「ウォン、ウォン、ウォン」
だれか来たことを、エヴァンがおじいさんに知らせている。玄関に出てみると、運送屋さんだった。
「グウ(GOOD)!」
おじいさんにほめられ、エヴァンはマットの上にアゴをつけてリラックス・ポーズになった。
エヴァンがおじいさん家の家族になったのは、五年前だった。
おじいさんは目が悪い。家で治療院を開いている。おじいさんは太陽の光がとても苦手だ。外ではなにも見えない。だから、出かけるときは、いつもエヴァンが一緒である。
エヴァンは目の悪い人をサポートする「盲導犬」だ。
二〇一八年に大阪の盲導犬訓練所で生まれた。オスだ。名前は「新世紀 エヴァンゲリオン」から取ったらしい。「勇者」「若き戦士」とかの願いがこめられている、と聞いた。
生まれて二か月ほどしてパピーウォーカーさんというボランティアの家にあずけられた。ここで愛情たっぷりに育てられる。一歳で訓練所にもどり、目の悪い人が出かけるとき、どのようにして手助けすればよいか学ぶ。二歳になると、いよいよデビューだ。
その2 ひさしぶり
「ワン、ワン、ワン」
エヴァンが立ちあがり、うれしそうにシッポをふっている。
「どうしたの? だれか来たのかな」
まだ運送屋さんや郵便屋さんが来る時間ではなかった。それに、エヴァンのほえ方がちがう。玄関に人はいなかった。
「はやく歩きなさい。また遅刻するでしょ」
前の道路で声がする。小学生とママのようだった。
その日の夕方、エヴァンはまた同じようにほえた。
おじいさんが玄関のドアをあけた。エヴァンがとびはねている。外で小さな男の子の声が聞こえた。
「エヴァン!」
おじいさんに聞きおぼえのある声だった。
その3 子どもはともだち
犬は毎日の散歩をとても楽しみにしている。
エヴァンが夕方、近所を散歩していると、保育所帰りの子どもと会うことがある。
エヴァンは子どもたちの人気者だ。エヴァンが盲導犬であることはみんな知っている。あまりのかわいさに、なかには、エヴァンにさわりたがる子もいる。
「エヴァンはお仕事中なの。さわっちゃダメよ」
ママさんたちが教える。
エヴァンはおじいさんと出かけるとき、肩のところにハーネス(胴輪)を着ける。これが「お仕事中ですよ」というサインだ。気が散るといけないので、ハーネスを着けているときは声をかけたり、からだにふれたりしてはいけないことになっている。
遠巻きに見ている子どもたちのなかに、ひときわ大きな声を出す子がいた。
「わー。シッポ、シッポ」
その男の子はエヴァンのシッポが気になるようだった。エヴァンもしきりにシッポをふる。
何度かそんなことがあった。
その4 消えた一年生
「おじいちゃん、エヴァンと遊んでいい?」
男の子はやっと聞きとれるくらいの声で言った。
「いいよ。入りなさい」
男の子はランドセルを背負ったまま、エヴァンに近づいた。しきりにエヴァンのシッポをなでている。
いつのまにか、男の子に元気がもどっていた。
お客さんが来たことをエヴァンが知らせた。おじいさんが玄関に出ると、女の人の声がした。
「あの、ウチの子がおじゃましてないでしょうか」
男の子のママだった。
男の子はしかられた。
学校からいなくなったので、家に連絡があった、とのことだった。あちこち探しても、見つからなかった。困りはてて、治療院の前をとおりかかった時だった。
「エヴァンの声がしたので『もしかして』と思って寄ってみると、やっぱりここだったの」
ママは、おまわりさんに連絡しようかと考えていたらしい。
その5 ワン・ツー
男の子はときどき、おじいさんの治療院でエヴァンと遊んで帰るようになった。そのたびに、おじいさんは男の子の家に電話しておく。
その日、男の子の様子がいつもと違った。
治療院に入って来るなり、エヴァンをハグした。そのまま動かない。すすりなく声が聞こえてきた。
おじいさんはそっとしておいた。
エヴァンのトイレの時間だった。
「ボクも、いっしょに行きたいなあ」
「ああ、いいよ」
おじいさんは駐車場に出て、エヴァンにトイレベルトを着ける。ベルトにはビニールのふくろがセットされた。
「ワン・ツー(ONE TWO)、ワン・ツー」
おじいさんが何か言っている。
「ワンはオシッコ、ツーはウンチのことなんだよ」
男の子はキャッキャと笑いながら、聞いていた。
「ワン・ツー、ボクも言っていい?」
駐車場に「ワン・ツー、ワン・ツー」と、ふたりの声がひびいた。
「エヴァン、そろそろ、ノドがかわいてるから、お水を飲ませてくれないかな」
おじいさんが頼むと、男の子が食器に水をくんで来る。エヴァンがおいしそうに、音をたてて飲んでいた。
その6 いつでもおいで
ママのお迎えの時間だった。
男の子がいつまでも、エヴァンと目を見つめ合っている。
「エヴァンの目って、癒されますよね。どうしてあんなにきれいなんでしょうね」
ママがおじいさんにたずねた。
「さあ、どうしてかな。パピー(仔犬)のころ、大事に育てられてますからね」
おじいさんが答えると、ママはしきりにうなずいていた。
「この子、今朝も通学班といっしょに登校したのですよ。『学校、楽しくなってきたのかな』ってパパとも話していたところなんです。きょうは、なにかイヤなことあったのかしら。また、学校からいなくなったらしいの」
ママが男の子にランドセルを背負わせた。
「いつでも寄ってね。患者さんがいれば、待合室で遊んでいてもいい。ママさんも心配なことがあれば、電話してください。学校の方は、もう少し、様子を見ましょうか」
おじいさんはエヴァンとともに、親子を道路まで見送った。
ママが深々と頭をさげた。
「おじいちゃん、ありがとう。エヴァン、またね」
言いながら、男の子がエヴァンにほおずりしている。おじいさんは思わず、男の子の頭をなでて言った。
「グッ、ボーイ(GOOD BOY)!」