第6話 始動
翌朝、午前九時ちょうど。現実世界の自室で、ボクはそわそわしていた。
机の上に置いた、信楽焼のタヌキが震えた。
「おはようございます、忠二さん。そろそろ、行きましょうか。」
柔らかな声。キヌだ。
「おはようございます。キヌさん。こちらから伺おうかと思っていたんですが、呪文を詠唱してみても、そちらに行くことが出来なくて……。」
実は、恥ずかしながら、朝起きた後、
【導かれよ螺旋する魂】:
自らの魂を分割し、現実世界と異世界でそれぞれ意識を保つことができる。
異世界から帰還した際には、両方の記憶と経験が統合される。
を唱えて、カデンツァへと変身――しようとした。
……が、何も起きなかった。
何度か試すが、反応はゼロ。
「あ……、すみません。申し遅れました。異世界に渡るには、私の力も一緒に必要なのです」
キヌの声が、少しだけ申し訳なさそうに響く。
「あ、いえいえ、なんか、こちらこそ。スミマセン」
「ごめんなさい。ですが今はもう大丈夫。私が繋ぎます」
タヌキの目が金色に光ると、再び書が震えだす。
あの独特な浮遊感。
カデンツァ、出陣――!
✟✟✟
異世界に降り立つと、まず目に飛び込んできたのは、黒。
全身を黒に包んだ人物。
「キヌ……?」
「はい!今日は黒魔道士です!」
きらきらと笑うキヌの瞳。
昨日は白かったローブが、今日は黒。
(……衣装で決まるのか、魔道士の属性って)
ボクは内心でツッコミを入れる。
「ほら、白魔道士じゃ目立っちゃいますから。カデンツァ様のおともとして、潜入任務にピッタリな装備にしてきました!」
理屈は正しい。正しいが、なんだかノリが軽い。
キヌに連れられ外に出る。
先日は、即マシリスに襲われたため、ロクに景色も見ていなかったが、視線を上げると、砦が見えた。
塔のような構造物。周囲に高い壁。物見台には見張りもいる。
「あれが、盗賊団の根城、ゲオテア砦です。」
「……近いな」
「ええ。宿屋が帝都の玄関口にあるので、盗賊団の一部は日常的に我々の宿屋を利用してるんです。そのため、仲間たちの潜入もさほど無理なく行えました。」
なるほど。立地まで計算に入れてアジトを構えていた、のかもしれない。思ったより、本格的な秘密結社だ。
「では、行きましょう。今はここにはいませんが、少し遅れて、マシリスさんも突入する予定です。」
「ああ。任せておけ。」
と、カデンツァの声はクールに響いた。
(……って、やることは“砦に突入”だよな。どうする?潜入?堂々と?)
迷った結果。
堂々と門を叩いてみることにした。
……いや、正確には“門の前まで普通に歩いて行ってしまった”が正しい。
「おい、誰だ!」
門番に見つかる。
見ると、腰にナイフ。典型的な盗賊の外見だ。
……前回は、それで少し失敗しているけれど。
こちらに駆け寄ってくる。
【ST/OP】:
使用対象のステータスを表示する。ステータスが表示されている間、異世界の時間は止まる。その間、キャラクターはステータスを変更させるような行動やスキルは行えない。
オレの【ST/OP】の詠唱と共に、世界が止まる。
ステータス表示が、目の前に浮かび上がった。
『敵:盗賊団員 LV20』
(へぇ、レベル制なんだな……じゃあ、こっちは?)
『味方:カデンツァ LV113』
(おっ、素数!カッコイイ!)
テンションが少し上がる。
(さて、相手のナイフはリーチが短い。こっちは剣がある。なら、速攻で距離を詰めて、
「は、速い……!」って言わせて、魂だけズバッと……)
……実行。時間停止の【ST/OP】を解除する。
【真紅の彗星剣・凍魂刃形】:刃が、赤色から青色に染まる。この形態で斬った相手は、実体ではなく魂が斬られ、復活出来るまで数時間、スタンする。
を発動する。青色の刃が伸びる。
そして、踏み切る。相手へ向かって、全速力で駆ける。
「は、速い……!」
言わせることが出来た。が、しかし。
もう一人、同じ反応をした人間がいた。
(速すぎる……!)
ボクである。
予想より速すぎた。
パリン!
ドーン!
間合いを詰めすぎ、体当たりを直撃させてしまう。
ぶつかる寸前、刺さりそうになったナイフに
【不死鳥の寵愛】:自動防御と、死からの復活
の自動防御機能が発動した。
ナイフは弾かれ、宙を舞った。
門番は地面に転がる。
(……ああああああ!また、ゴリ押しになってしまった!)
完全に力技で突破してしまったことに軽く動揺する。
カデンツァ・ナイトハウルは、いつまでもこんな戦い方をしていてはいけない。
カデンツァは、そんなことしない。
略して、カデそし。
それはそれとして、体勢を整える。
「お前たちのボスに用がある。通してもらおうか」
倒れた門番の胸に足を乗せて、決め台詞。
なんとか持ち直せたか?
そのとき。
「いやー、アタシの部下のおにーさんに、そんなことしてくれちゃってぇ、参っちゃうなぁ」
赤い。
髪、甲冑、マント――すべてが、鮮やかな紅に染まった女戦士が現れた。
髪は高い位置でひとつにまとめられ、表情は自信満々。
軽い喋り方とは裏腹に、強者のオーラを纏っている。
「アタシは傭兵スカーレット。カネで雇われて、今はここの幹部をしてる」
「紅蓮の旋風。知ってる?」
「まぁね、知ってても、知らなかったとしても……。黙って通すわけには、行かないってコトでね」
スカーレットは、担いでいた大剣を引き抜き、こちらに構える。
大剣が、魔力の炎で赤く燃え盛っている。
オレは剣を構えた。青く輝く刃を、スカーレットへと向ける。
「望むところだ」
混沌の堕天使と、紅蓮の旋風が、今、激突しようとしていた。