第3話 秘密結社
光が弾けたその瞬間、ボク――いや、オレ、混沌の堕天使は、異世界に降り立っていた。
足元に触れたのは、ひんやりとした石畳。鼻をくすぐるのは、湿り気のある空気。
地下室、あるいは洞窟の中だろうか。
鏡はないから今の自分の姿の全身は見えなかったけど、視界に、金色の髪の毛が見えた。
ぱっと足元を見ると、その衣装は、まさにボクがイメージしていたカデンツァのまんまだった。
AIに頼む手間が省けた。
この姿、写真に収めて持って帰って邪気眼の書に貼りたい!!
いやー、ちょっとそれは無理かぁ?
でも、こんなのテンション上がっちゃうってぇ。
まいったまいった。
浮かれていると、先程のタヌキと同じ声が聞こえた。
「カデンツァさん」
「えっ?あ……」
そして、目の前にいたのは、白いローブを着た――美しい女性だった。
黒くて長い髪はツヤがあり、前髪は目の上で切りそろえていて、目はぱっちりとしていた。
口は自然に笑っていて、すごく魅力的だ。
「オトコ受けの良い」、あるいは「童貞好み」な見た目だと思った。
あの置物のタヌキがこの子なのだったら、現実世界でずっと一緒に居てほしい。
「こ、こんにちは……。」
カデンツァとしての声は、ボクの地声よりも少し低く、澄んでいて、どこか浮世離れしていた。
喋って初めて気づく。「あ、今、完全に“キャラになってるんだ”」って。
だけど、しゃべりのトーンが、今のままだと完全にボクだ。
可愛い女の子を前にするとうまくしゃべれない。
ダサい。
今いる部屋の壁は古びた石でできていて、そこかしこに張られた地図や議事録のようなものがあった。
そして、あちこちに置かれたぬいぐるみ、意味ありげな紋章。
カオスとカワイイが同居した、どこかズレた異世界アジトの空気が漂っていた。
そして、目の前の女性が喋る。
「ようこそ、異世界へ! ここは帝都の外れ、秘密結社『ぽんぽこクラブ』の本部です」
「ぽんぽこ……クラブ?」
あまりにも緊張感のないネーミング。
「私の名はキヌ・ラクーン。ぽんぽこクラブのサブリーダーであり、あなたを召喚した白魔道士です!」
彼女は、ニコニコ、そしてハキハキと、ボクに向かって話しかける。
というか、さっきまで机の上にいた信楽焼が、いきなり可愛くなって自己紹介してくるとか、情報量が多すぎてついていけない。
しばらく、カデンツァっぽい仕草は取れそうにない。
「ぽんぽこクラブは、表向きはぬいぐるみや可愛いもの好きが集まる同好会ですが、裏では、帝都を陰から守る正義の味方として活動しているんです」
なるほど、そういうノリか。なかなか良い感じの背景だ。
カデンツァ的に、「ぽんぽこクラブ」とは口にしたくないので、「結社」とか、「組織」とか呼ばせたい。
キヌの体からふわふわの白魔道士の魔力が発せられているのか、あるいは可愛い女の子はこういう匂いがするのか、地下室なのに圧迫感がなく、むしろほんのり甘い香りすら漂っている。
キヌは続けた。
「本来なら、他のメンバーと共にお迎えするべきだったのですが……あなたの正体が一般人だとバレてしまうと、少々厄介なことになりますので。今回は、私ひとりで対応させていただきました」
「あなたの書に記されたキャラクターが、実際に異世界に具現化される……それは、とても強大な力です。忠二くん。あなたこそが、私たちの最後の希望なのです!」
突然、キヌが両手でカデンツァの手を握ってきた。手を胸に寄せる。顔と顔を近づけてくる。
まっすぐな眼差しが、距離感ゼロで迫ってくる。
「ちょ、ちょっと……!」
自分では見えないんだけど、顔が熱くなっている。
多分、柄にも無く、めちゃめちゃ赤面してるよ、カデンツァ。
ここでは、あくまで“カッコいい自分”を演じる必要がある、んだけど、今後のことを考えたら、ちゃんと伝えておかなくちゃいけないことがある。
「や、やめてください……。ボク、あなたみたいな可愛い人にそんな風にされたら」
一呼吸おいて、勇気を振り絞る。
「惚れてしまうかも……しれないから……」
自分で言っておいて、恥ずかしさで胃がひっくり返りそうになる。
でも、よく頑張ったぞ超山井。
いいぞ、いいぞ、超山井。
で、眼の前のキヌちゃんもなんか満更でもなさそうな顔をしている、ように見える。
やめてくれ。
男子はすぐにそういうので、え?この子オレのこと好き?とか思っちゃうんだよ。
マジでやめろ。
「ここからは……ちゃんと、カデンツァになります。だから、今後、もし失礼なことを言ってしまっても……そのときは、おおめに見てください」
深呼吸をひとつ。
心の中のスイッチに指を掛ける。
「感謝しています。ボクに、この世界で存在する機会をくれたことに。」
そう言って、もう一歩前に踏み出す。
心の中のスイッチを、ぐっと押し込む。
「……行くぞ、キヌ。オレたちの敵を、すべて混沌に還してみせよう」
自分でも驚くほど、自然にそのセリフが口をついて出た。
どうだ、イタいだろう、すごく。
でも、不思議と気持ちいい。いまこの瞬間――そのイタさこそが、力になる気がした。
「ええ、行きましょう。カデンツァ様。」
その後、キヌ・ラクーンは、階段を登りながら、今いる場所は、帝都の外れにある宿屋の地下室であることを教えてくれた。
階段を上り、キヌがドアを開ける。
オレは、そのドアを出て、新たなる世界の空気を吸い込もうとした。
その時。
「くたばれぇぇぇぇ!」
宿屋の屋根に潜んでいた曲者が、オレに向かって飛び降り、武器を振り下ろしてきたのだった。