EP.07家族会議─中編─
運命の選択は、ときに家族さえ揺るがす。
「姫」として生きるべきか、「私」として生きるべきか──
その問いに対し、リリアーナはついに自らの意思を示す。
舞台は、フローレン家の応接間。
そこに集うのは、父・エルディス、母・マリアーナ、弟・セルディス、そして幼なじみのダルク。
王家の血筋、貴族の誇り、家族の情──
さまざまな感情が交差するなか、少女の「決意」は試される。
この中編では、彼女の選択が家族の心をどう動かすのか。
ひとつの家族の在り方と、それを見守る者たちの“変化”に焦点を当てて描かれる。
これは、戦いや魔法よりも切実な「心の物語」──
冒険の始まりに訪れる、最初の試練であり、最も大切な別れと出会いの章。
さあ、胸の鼓動が未来を叩き始める。
“自分の人生”を歩む、その第一歩を──共に見届けよう。
家族の視線を真正面から受け止めながら、私は静かに立ち尽くしていた。
沈黙を破ったのは、やはり父・エルディスだった。
「なんだと……!? そんな……大事な娘を、命の駆け引きのような場所へ行かせられるものか!」
案の定、怒りは抑えきれなかった。
けれど、私はもう決めている。引くわけにはいかない。
「でも──私は、行くの。冒険者になって、自分の足で世界を見てみたいの」
強く、はっきりと。
心にずっと渦巻いていた思いが、言葉に乗ってあふれ出していく。
「お城の中で、誰かに守られてばかりの人生なんて……もう、いや……!」
声の震えが、決意の強さを物語っていた。
「……だが……」
父の口からはそれ以上の反論が出なかった。
娘の覚悟を感じ取る一方で、父としての不安と葛藤が、彼を押し黙らせる。
そのとき、沈黙を破るようにダルクが口を開いた。
「俺も最初は反対でした。でも──彼女の想いを聞いて、今は尊重したいと思っています」
彼の声は低く、しかし揺るぎなかった。
「俺が必ず、そばにいます。命を賭けてでも、リリアを守ると誓います」
エルディスの目が揺れる。
ダルクの真剣な言葉に、父としての警戒と、騎士としての信頼が交錯していた。
そのとき、部屋にノックの音が響いた。
扉が開き、執事・オルバースが茶器を手に静かに入室する。
「失礼いたします。お茶をお持ちしました。お疲れでしょう。どうぞ、ご一息つかれてください」
いつもの穏やかな声が、重苦しい空気をやわらげていく。
彼は丁寧に茶器を置くと、深く一礼した。
父・エルディスはその姿を見て、ふっと力を抜いたように言った。
「すまない、オルバース。……ありがとう」
その声音には、ほんの少し、安堵が滲んでいた。
──だが、ここで意外な人物が動いた。
「旦那様」
オルバースが、静かに一歩前へ出る。
「この老いぼれが、リリアーナ様とダルク殿の指南役として、お供いたしましょう」
そう言ったあと、視線を逸らし、声を少し低くする。
「──旦那様とて、この老いぼれの正体、お忘れではありますまい」
その瞬間、エルディスの目に驚愕の色が浮かんだ。
まるで、過去の亡霊が眼前に現れたかのような表情だった。
「……そうか。いや、ようやく腑に落ちたよ……」
かつて幾度となく耳にした名──その強さを知る者だけが抱く、確かな信頼の色が、エルディスの目に宿った。
オルバースはそれ以上何も語らず、ただ深く、静かに頭を下げる。
父の心の中にある不安はまだ消えてはいない。
だが今、この場に確かに生まれたものがあった──信頼だ。
リリアーナは静かに深呼吸し、父の前へ歩み寄った。
「……ありがとう、お父様。私のわがままを、受け入れてくれて……本当に、ありがとう」
その声は震えていたが、確かな強さを持っていた。
エルディスは無言で、娘の頭に手を置き、静かに頷いた。
──そのときだった。
母・マリアーナが静かに立ち上がり、部屋の隅にある飾り棚へ向かう。
その所作には、迷いなど一切なかった。
しばらくして、彼女が手に戻したのは、小さな黒のベルベットの箱。
その中にあったのは──
艶やかな銀のネックレス。
飾りは控えめで、胸元に一粒の透明な宝石が静かに光っていた。
「これは……?」
リリアーナが戸惑いながら顔を上げると、マリアーナは柔らかく微笑んだ。
「これはね、代々フローレン家の女性たちに受け継がれてきたものよ。
本来は、嫁ぐ日に母から娘へと渡す、大切なものなの」
彼女の瞳に、遠い日の面影が揺れる。
「でも私は……今、あなたが“自分の人生を歩み出す”と決めたその姿が、誇らしいの」
そう言って、そっとリリアーナの首にネックレスをかける。
「まだ嫁ぐわけじゃないけれど──
これを身につけていて。フローレン家の誇りを胸に、しっかりと歩んでいきなさい」
リリアーナの瞳に、涙がじんわりと滲んでいく。
そのとき──
「ふざけるなっ!! 姉さんが冒険者だなんて、俺は絶対に認めない!!」
叫んだのは弟・セルディスだった。
震える拳と、今にも泣き出しそうな声。
リリアーナを止めるように、彼は勢いよく立ち上がり、応接間から飛び出していった。
「待って、セディ!」
慌てて追いかけようとするリリアーナの腕を、誰かがそっと掴む。
「……リリア、待ってくれ」
ダルクだった。幼なじみであり、家族を知る男の、静かな声。
「今は無理に追わない方がいい。セディは……まだ気持ちの整理がついてない。
俺が話してくるよ。幼い頃からずっと見てきた、あいつのことは……俺が一番わかってるから」
ダルクの言葉に、リリアーナはわずかに肩の力を抜いた。
「……お願い、してもいい?」
「もちろん」
彼はニッと笑って見せると、廊下へと消えていく。
リリアーナは残された空間の中、胸元のネックレスをそっと握りしめた。
家族の叫び。
幼なじみの言葉。
そして、自分の選んだ道。
そのすべてが、確かに何かを動かし始めていた。
──けれど、まだ終わっていない。
少年の胸に灯った小さな火は、
いつか姉の背に追いつき、ぶつかり、そして何かを変えるだろう。
それが“家族”という絆であることを、まだ彼は知らない。