EP.31 シルベーヌの現状
この物語の舞台は、精霊王の子供たちが眠る国、シルベーヌ。
この地には、長きにわたり封じられた力を持つ精霊たちが存在し、その力を巡る伝承は語り継がれてきた。
リリア・フローレンとダルク・ギルバルトは、偶然にもその伝承に触れることとなる。
シルベーヌの水の精霊、アクアの眠る御神体に異常が起き、魔力の歪みが広がる中で、二人は自らの役目に向き合わなければならなくなる。
彼らの前に立ちはだかるのは、クアラート国の魔術師団長レナード。
かつてその名を耳にしたことがあるリリアたちにとって、レナードの登場は予想外の展開を引き起こす。
彼の目的は何なのか?そして、なぜ彼は禁忌の儀式を企てようとしているのか?
彼らはこの不安定な状況をどう乗り越えるのか?精霊を目覚めさせようとする者たちの計画が動き出す中、リリアとダルクの運命も静かに揺れ動き始める。
今、物語は一歩踏み出す。
──店内は静まり返り、ジルたちは昨夜と同じ席に座っていた。
普段なら賑やかなはずのアクアルミナスも、今はどこかひとしずくの空気が流れているようだった。リリアとダルクは、お互いの顔を見合わせることなく、しんとして座っている。ジルがゆっくりとグラスを回しながら、言葉を紡ぎ始めた。
「さて、話をしようか。シルベーヌで何が起きているか……をな。」
リリアたちは真剣な面持ちで、静かにジルの話を聞く。
「お前らも聞いた事あるはずだ、各国には精霊王の子供たちがいるってな。この国シルベーヌにもその一人、水の精霊アクア様が眠っている。」
ジルの話に、ダルクが少し考え込みながら口を開いた。
「水の精霊……ですか?」
ジルは頷きながら、続けた。
「お前らの国、クアラートには精霊王の伝承があるだろ?それと同じように、この国にもその伝承があるってわけさ。」
ダルクはなるほどと小さく呟き、少し考えるように黙った。
「そんで、ここからは俺が独自で調べた結果だ。アクア様の眠っている御神体から、不安定な魔力波が発生していることが分かった。」
それを聞いたオルバースは、静かに目を伏せながら「……やはりか」と呟いた。
「……オルじぃ、気づいてたの?」
リリアの声には、かすかな不安が滲んでいた。
「最近、この国で妙な“儀式”が行われてるって情報もある。御神体の近くで、な……」
ジルの言葉に、場の空気が一段と冷えた。
「儀式って……誰がそんなことを?」
リリアは、警戒心を抱く。
「──目撃情報がある。黒いフード付きマントを羽織った魔術師が、御神体の祭壇に現れていたそうだ」
ジルの言葉に、リリアが息を呑む。
「誰なの……その魔術師って」
「顔は見えなかった。だけど、ヤツは“精霊を目覚めさせようとしている”──いや、“歪んだ方法で”な」
ジルの声は低く、重い。
ダルクが眉をひそめる。
「……その魔術師に、心当たりがあるとか?」
ジルは黙ってグラスを回す。その沈黙が、不気味さを一層際立たせる。
「それ、伝承にあった禁忌の儀式だわ……」
リリアの言葉が、静かな店内に重く響く。
「禁忌の儀式?」とダルクが眉をひそめる。
リリアはしばらく黙って考え込み、やがて再び口を開いた。
「精霊を目覚めさせる儀式。それ自体は、かつてあった。でも、その方法は……恐ろしいものだったの。」
「恐ろしいもの?」
ジルが眉をひそめる。
リリアはうなずき、厳しい表情を浮かべた。
「精霊の力を無理に引き出すためには、生命を犠牲にしなければならない。そんな儀式を行う者がいるとしたら……それは、間違いなく闇の力に飲まれた者。」
オルバースがゆっくりと目を伏せながら、小さく呟いた。
「……まさか、そんなことが。」
その言葉に、リリアの胸に一層の不安が募る。――このまま、闇の力に引き寄せられた者たちが、精霊を歪んだ方法で目覚めさせようとしているのだろうか。
「少しお前らに確認してもらいたい人物がいるんだが、見覚え…あるか?」
ジルは、懐から一枚の絵姿を取り出した。
それは、威厳ある軍服をまとい、鋭い眼差しをした青年の肖像だった。
「……これを見ろ。クアラート国の、魔術師団長だ」
リリアとダルクは目を見開く。
その顔には、どこか見覚えがあった。だがすぐには思い出せない。
「最近、御神体付近で確認された“黒衣の魔術師”──その体格、身のこなし……一致している可能性がある」
「……でも、なんでクアラートの魔術師団長が、こんなところに?」
ダルクの疑問に、ジルは静かに答える。
「正規のルートでは来ていない。……潜伏だ」
「まさか、国を出て単独行動……?」
「理由まではわからない。ただ──気になるのは、あの男の周囲で魔力の歪みが広がってるって点だ。まるで、本人すら気づかずに“何か”を引き寄せているかのようにな」
リリアが、ふと過去の記憶を呼び起こす。
──彼は、確かに優秀だった。でも、どこか……危ういものを持っていた。
妃教育の一環として、過去に一度だけ顔を合わせたことがある。
そのときの彼の瞳は、静かに燃えるような光を宿していた。
「……その人、前よりも目が濁ってない?」
リリアの呟きに、ジルは目を細めて頷いた。
「闇に呑まれるってのは、徐々に来るもんだ。本人が気づかぬうちにな」
「なら、誰かに……“誘導”されてる可能性もあるってこと?」
オルバースが静かに言った。
ジルはわずかに眉を動かし、「そうだ」と短く答える。
「……誰かが、裏にいる。目的は不明だが、精霊を目覚めさせようとしていることだけは確かだな。」
ジルの言葉が静寂を打ち破った瞬間、店内の空気がさらに重く感じられた。リリアはグラスを握る手に力を込め、ダルクもその目を鋭くして何かを考えている様子だった。オルバースは黙って、ただジルの話に耳を傾ける。今、彼らの前に広がるのは、単なる伝承の話ではなく、命を懸けた壮絶な戦いの予感だった。
精霊を目覚めさせようとする者たち――その動きが、確実に彼らに向かっている。
リリアはその予感を感じ取ると、心の奥にあった不安が、今、現実となりつつあることを痛感した。




