EP.28あの日の言葉─及第点の先
訓練所に通い始めてから、どれだけの月日が経っただろう。
無茶ばかりだった二人の若者は、少しずつ息を揃え、技を重ね、ようやく“冒険者”の入り口に立とうとしていた。
その背中を、ずっと見守り、時に笑い、時に厳しく導いたのは、一人の男──レグナス。
これは、そんな三人が“師弟”ではなく“仲間”へと変わっていく物語。
そして、“出会い”から“旅立ち”へ至る、最後の訓練の記憶。
あの時、確かに聞いた。
「──及第点、だな」
それは、終わりではなく、始まりの合図だった。
──現在──
「俺たちがこうして会えたのも、あの人のおかげだよな、きっと……。」
ジルは空になったジョッキを見つめながら、ぽつりと独り言のように呟いた。
バースもまた、空のジョッキを見つめたまま、静かに応じた。
「──そうだな。あの人が居なければ、私たちの成長もなかっただろう。あの時の教えがなければ、今の私たちはない。」
───過去───
一歩も動けないほど扱かれた二人は、息を切らしながら地面に倒れ込んでいた。
「なんだぁ? だらしねぇな……もうくたばったのかよ?」
ニヤニヤと笑いながら彼らを見下ろすレグナスは、未だ一切の息切れすら見せていなかった。
「……なんで、あんたはそんなに余裕なんだよ……?」
ジルが悔しそうに、レグナスへ問いかける。
レグナスはまるで、二人を揶揄うように、にっと笑いながら応えた。
「そりゃあ、お前らとは鍛え方がちげぇからな。……まっ、笑えてるうちはまだ平気だろ。」
バースは息も絶え絶えで、声を発する余裕すらなかった。
だが、レグナスの目は見逃さない。
未熟ながらも──二人の連携には、確かな“土台”が築かれ始めていた。
***
──訓練所に通い始めて、数ヶ月。
ジルとバースは、己の未熟さを知り、ぶつかり合いながらも歩みを止めなかった。
「バースッ、右だ!」
ジルの掛け声にバースが反応し、即座に位置を変える。
すかさずジルが飛び出し、レグナスの攻撃を誘導する。
「……くっ、今のは惜しいな。」
レグナスの読みはやはり一枚上手だったが、二人の連携は確かに進化していた。
「前より、動きが合ってきたな。」
「分析は十分……あとは、仕掛ける勇気だけだ。」
口数は少ないながら、バースの表情には自信が浮かび始めていた。
ジルはその隣で、汗まみれになりながらも、歯を食いしばるように笑った。
「いつか──レグさんを唸らせてやる!」
「……無茶はするなよ。だが、私も同意見だ。」
***
ある日の訓練。
ジルの剣がレグナスの外套をかすめ、バースの魔法が初めて視界に食い込んだ。
「──ほぉ……今のは、ちっとばかし驚いたぞ?」
レグナスがわずかに目を見開いた瞬間。
彼の中にあった警戒が、一瞬だけ、尊敬に変わった。
(……こりゃあ、良いコンビになるぞ──楽しみだ。)
──現在──
「──“お前ら、いいコンビだな!”って……あのレグさんに褒められたときはさすがにビビったわ。」
ジルが懐かしそうに笑うと、バースもまた、微かに笑みを浮かべてから、静かに言葉を継いだ。
「そうだったな…。あの頃、あんなに必死にやっていたのに、今思うと、まるで遠い昔のことみたいだ。」
ジルは静かにジョッキを置くと、バースに向けて懐かしげに笑いかけた。
「そういや……この国を出てからも、いろいろあったよな。」
その言葉に、バースはふと目を細めて、静かに頷いた。
「……レグさんの許可はギリギリだったけどな。」
──過去──
訓練所に通ってから、さらに時は経ち──
彼らのコンビネーションは、もはや素人の域を超えていた。
「──っ!? 危ねぇっ!」
ジルは、かつて避けることすらできなかったレグナスの攻撃を、今では紙一重でかわす。
その隙を狙い、バースの魔法が正確に撃ち込まれる。
「……ほぉ、今の避けられるようになったか。無鉄砲がなくなったな、ジル……っと、バース!今のは良いぞ!──やるじゃねぇか!」
彼らの呼吸は揃い、動きに無駄がなくなっていた。
レグナスですら、手合わせのたびにわずかに息を切らすようになっていた。
「──くっそ!やっぱ勝てねぇ!」
手合わせを終え、地面に寝転がるジル。
その悔しさの奥には、確かな喜びがあった。
「全く……最初から勝てる相手じゃないって、分かってるだろうが……。」
バースが呆れたように言葉を返す。
「だよなぁ……でも、いつかレグさんに勝ちてぇ!!」
「……あぁ。きっと、いつかはな。」
その言葉には、ジルと同じ熱が、確かに宿っていた。
その眼差しは、冒険者になろうと誓った、あの星空と同じ輝きをしていた。
そんな中、レグナスはふと、目を細めた。
「──及第点、だな。……まぁ良いだろう!」
レグナスは、二人を見つめながら、どこか寂しげに笑みを浮かべた。
その言葉に、いち早く反応したのはジルだった。
「……今の──聞き間違いじゃねぇよな?!」
ジルの声には、驚きとともに、確かな期待が込められていた。
「落ち着け、ジル。─まだ、及第点だと言われているだろうが……。」
ジルの期待を他所に、バースは少し不安気な表情を見せた。
「全く……それにだ、まだ“及第点”だぞ?─私たちはまだまだって事だ。」
呆れながら、バースはジルを落ち着かせる。
ジルは少し黙り込んでから、再び顔を上げた。
「……あぁ、わかってる。けどさ、やれるって信じてるぜ、俺たちなら。」
ジルは拳を握り締め、空へと掲げる。
バースは悟ったような表情で、「仕方ないやつだ……。」と呟いた。
──現在──
「あの人の“及第点”は、やっぱり、あの程度のものだったな。」
月明かりが静かに部屋を照らし、窓の外には夜空が広がっていた。
ジルは空のジョッキをそっと置き、ぽつりと呟く。
「──俺たちが旅立つ時さ、あの人、泣いてたよなぁ……。」
笑いながらも、どこか懐かしそうに視線を落とすジル。
バースは小さく息をつき、静かに応じる。
「……あれは、涙って言えるのか……どうか。」
「言えるさ。だって、“見送り”の背中が、あんなに寂しそうだったろ?」
ジルの声は、どこか優しく、そして少し寂しげだった。
やがて二人は、無言のまま夜空を見上げる。
──そう、あの朝。
“あの人”の教えと共に、彼らは歩き出したのだ。




