EP.26 揺れる若き日
若きジルとオル──まだ“ギルド長”や“元筆頭執事”と呼ばれる前の、無鉄砲で青かったあの頃。
初めての冒険の帰り道、彼らが出会ったのは、後に大きな影響を与えることになる一人の男、レグナスだった。
静かな酒場で交わされた、熱と酒と、若さのぶつかり合い。
これは彼らが“冒険者”として歩き出した、その第一歩の物語──。
EP.26 揺れる若き日
レグナスに肩を掴まれた勢いのまま、ジルとオルは街中を引きずられるように歩いた。
やがて辿り着いたのは、看板の灯が柔らかく揺れる──小さな酒場、《アクアルミナス》。
初陣の熱も冷めやらぬまま、ふたりは初めて“冒険者の世界”の空気に触れようとしていた。
「どうだ? ここが俺の“憩いの場”ってやつだ。いい雰囲気だろ?」
2人は目を輝かせながら、夏の夕暮れの空気を感じつつ酒場を見渡した。
開け放たれた窓からは、涼しい風が吹き抜け、白いカーテンがふわりと揺れる。
木の香りが鼻先をくすぐり、火照った身体をそっと癒やしてくれるようだった。
店内にはいくつかのテーブル席。奥には、カウンターが数席だけ控えめに設けられていた。
椅子のきしむ音、遠くからかすかに聞こえる子どもたちの笑い声──
街の喧騒とは違う、どこか“余白”のある音が、静かに満ちている。
そんな落ち着いた空気の中にも、どこか賑やかさが溶け込んでいる。
店の奥から、常連らしき男がレグナスに声をかけてきた。
「おーっ、レグ! 今日も来ると思ってたぜぇ?」
レグナスはその声に、肩の力を抜いたように手を振った。
「なんだ、お前、相変わらず入り浸ってんな!」
「へっ、そっちこそ顔見るたびここにいるじゃねぇか!」
ふたりはガハハと豪快に笑い合い、肩を叩き合う。そしてふと、レグナスの背後に控える若い二人──ジルとオルに目を留めた。
「お? なんだぁ? レグ、若ぇの連れて……って、まさか弟子かぁ?」
カッカッカッと喉を鳴らして笑い、レグに肘でつつくように言った。
「おぅ! ……まぁ、そんなとこだ。つーことで、悪ぃが席、譲ってくれや」
常連の男は「仕方ねぇな!」と笑いながら腰を上げ、
帰り際にレグへと振り返って一言──
「今度、奢れよー!」
そう言い残し、気さくな足取りで店を後にした。
「さて、席も空いたし──まぁ、座れや」
オルは少し遠慮がちに、「……では、お言葉に甘えて」と小さく頭を下げて腰を下ろす。
一方のジルは、「すまねぇな、オッサン!」と満面の笑みを浮かべ、遠慮なく椅子にドカッと腰を下ろした。
「オッサン、ねぇ……まぁ、そう見えちまうか!」
レグナスは苦笑まじりに肩をすくめながら、どこか嬉しそうに鼻を鳴らす。
「ま、とりあえずそこは気にしねぇ!───けどな……」
───現在───
「……ってあん時のレグさん、本気で怖かったよなぁ。」
ヴェイルが入ったジョッキを片手に、ジルがケラケラと笑い出す。
それに合わせて、バースも懐かしさに浸りながら、グレフを口に運ぶ。
──夏の夜風が心地よく流れる、あの日を思い出しながら。
「あん時さ、“あんな無茶な戦いはやめろ、命を粗末にするな”って──こっぴどく叱られたよなぁ。」
笑い混じりに、けれどどこか遠い記憶を探るように、ジルが語る。
「……ああ。そうだったな。」
オルがグラスを傾けながら、静かに応じる。
「散々俺ら叱った後に、あの人、急に酒頼み出してよぉ。なんか、“命の重さってのはな──酒より重ぇんだ”とか言いながら、めっちゃ飲んでたよな!」
オルがふっと吹き出す。
「……言ってたな。しかも、酔った勢いで“潰れたら俺の弟子な”なんて、訳のわからん賭けまで始めて。」
ジルも「うわー、それそれ!」と笑いながら、グラスを傾ける。
───《アクアルミナス》の酒場の夜。
2人は散々レグナスに説教され、オルは反省しているのに対し、ジルは反省の色も見せず、口を尖らせたままそっぽを向いている。……その顔には、ほんの少し悔しさのような、照れ隠しのような色が混じっていた。
「よぉし、ガキども! そんな気に食わねぇなら、いっちょ賭け飲みしようや!」
レグナスの声が店内に響き渡り、カウンター奥にいた店主は「またか…。」と呆れつつ、ヴェイルを3人の所へ持っていく。
「やるのはいいが、ちゃんと代金は置いてけよ?レグ。」
常連とあって、たまにツケで飲んでるのか、店主に釘を刺される。
「分かってるって!…今日はちゃんと持ってきてっから安心してくれや!な?」
得意げに笑い、おどけた様子でメイルの入った巾着袋を、店主にわざとらしく見せつける。
「なら、毎回そうしてくれよな」
そう呆れたように言い残し、店主は肩をすくめながらカウンターへと戻っていった。
「さて、こっからは勝負だぜ? 新入り」
先程の和やかなムードから空気が一転、火花の散るような緊張感に包まれ始めた。
─そんな中、先に口を開いたのはオルだった。
「あの…何を始めるつもりですか?」
一気に警戒を強めるその表情に、対照的なのは隣のジルだった。
「なぁんか楽しそうじゃねぇか! よし、オレは乗った!」
すでにワクワクが止まらない様子で、身を乗り出すジル。
「ほぉ? お前、名前は?」
レグナスがにやりと口元を吊り上げ、ジルに視線を向ける。
その瞳は、挑む者を見極めるような鋭さを湛えていた。
ジルは一瞬だけ眉をひそめる。
けれど、すぐに口角を上げて──にやりと笑う。
「アンタが勝ったら教えてやるよ!」
レグナスはその言葉を噛み締めるように、ほんの少しだけ顎を引いた。
そして──
「……いいだろう」
低く短い一言が、テーブルの上に落ちる。
その空気の重みに、わずかに周囲が静まる。
──そこへ。
「このアホ! 勝手に決めるな!」
オルはジルの肩をグッと引き寄せ、怒りと焦りをにじませた声で低く続けた。
「……相手、誰だと思ってんだ。正気か、お前?」
その言葉にジルはニカッと笑い、肩を軽くすくめる。
「止めてくれるなよ?バース! 楽しそうじゃねぇか!」
まるで戦場にでも飛び込むような無邪気さで、ジルはヴェイルのジョッキに手を伸ばした。
「いいねぇ! ますますお前らが気に入った! ──よし、"賭け飲み"ってやつのルール教えてやる!」
2人は顔を見合わせ、同時にポカンとした表情を浮かべる。
「ルール……?」
思わず声を揃えて、レグナスに問いかけた。
「いいか、よく聞け! まず、ジョッキを持った腕を互いにクロスさせんだ!」
ジョッキを持っていた、ジルの腕と自分の腕を交差させる。
「それから──互いに“賭ける内容”を決めるんだ!……さあ、お前らは何を賭ける?」
レグナスは、まるでイタズラを仕掛ける前の子どものように、にやりと笑った。
2人は顔を見合わせ、何を賭けるか悩み始める。
「なぁ、バース!俺ら何賭けるか決めようぜ!」
乗り気なジルは、バースにキラキラとした目で尋ねる。
その問いに、バースは小さくため息をつきながら答えた。
「……好きにしてくれ。どうせ止めても聞かないんだろ。」
その言葉に「ノリ悪ぃな…」と不満気な顔になりつつ、パッと思いついたかのようにレグに返す。
「じゃあさ! 俺らが勝ったら、禁忌ノ森連れてけよ!」
その発言に、周囲もざわつき始める。
バースもまた驚きつつ──とはいえ、それ以上に呆れた様子で、ジルに突っ込んだ。
「この戯け……! そこがどういう場所か、わかって言ってんのか? 私らじゃ到底、無理な場所だぞ」
周囲も「うんうん」と頷く。
「それでも行ってみたいだろ!?禁忌ノ森!!」
ジルの無邪気な笑顔に、バースは言葉を失った。
──ああ、こいつ、本気で言ってる。
そんなふうに思った瞬間、何も返せなくなった。
「ほぉ……面白ぇこと言うじゃねぇの。──よし、乗った!」
レグナスはジョッキを軽く掲げ、にやりと笑った。
「俺が負けたら、禁忌ノ森に連れてってやる。だがな……俺が勝ったら、文句なしで俺の弟子だ。いいな?」
ジルはにっと笑い、バースは頭を抱える。
腕を交差させたまま、レグナスがジョッキをぐっと掲げた。
「よし、賭けは決まったな!──さぁ、始めようじゃねぇか!」
──これが、バースとジルの賭け飲みの原点だ。




